トップページ山行リスト(日付)>鍋割山・塔ノ岳_記録20060101


鍋割山・塔ノ岳

 山行日
2006年1月1日(日)・2日(月) 曇・曇      単独行
 コース
県民の森ゲート手前(10:15)〜(10:24)二俣の先〜(11:24)後沢乗越(11:30)〜(12:34)鍋割山(12:58)〜(13:27)小丸〜(13:53)大丸〜(14:42)塔ノ岳(泊)
塔ノ岳(8:17)〜(8:36)花立(8:51)〜(9:38)堀山の家〜(9:56)駒止茶屋〜(10:56)大倉
 恒例の正月登山に行ってきました。正月は、塔ノ岳を登頂し、尊仏山荘泊りというのが、基本です。そして、天候の安定している正月にて、夕日の富士山、大山からの朝日を撮影することを主目的としています。
 今回は、二俣から鍋割山を登り、そこから塔ノ岳に向かうルートとしました。途中の鍋割山稜は、約5年振りに訪れましたが、印象は、変わりませんでした。
 さて、今回の撮影は、如何に。
 詳細は、以下をご覧下さい。


<第1日>
 正月登山は、例年、2日に登り、3日に下山といいうのが、多かったが、今年は、2日夕方に用事があったため、元旦の朝、出発し、2日の夕方には下山する計画とした。ルートは、前回、丹沢山に向かう時、大倉尾根を登っているので、今回は、鍋割山経由とする。

 元旦の朝ということで、電車も空いていた。
 本日は、曇。渋沢から丹沢方面を眺めると、大山、塔ノ岳のピークまで、雲がかかっていた。
 ちょっと時間を短縮したかったこともあり、渋沢からタクシーで県民の森ゲートに向かう。タクシーの中から携帯で尊仏山荘に宿泊予約を入れる。

 10:09、県民の森ゲート前にて、タクシーから降りる。ここからは、ゲートが閉じているため、車では、進入できない。周囲には、自家用車が2台、駐車してあった。
 ちょうど下山してきた3人のパーティと出会う。
 デジカメでゲートを撮影した後、出発する。
[県民の森ゲート前にて]

 林道を進んでいくと、丁字路で道標にあたる。(写真下)
 見ると、栗ノ木洞への進路上に書かれてあった「鍋割山」方面の「鍋割山」が故意に消されてあった。また、下には、「鍋割山近道(二俣経由)」のカンバンが。
 鍋割山に行く時、誤って遠回りとなる栗ノ木洞の方へ行かれた登山者が多かったということだろうか。
[丁字路での道標]

 林道を進み、勘七橋を渡る。下を覗くと川の水量は、少なかった。これならば、沢を渡ることもできるだろうと思い、橋を渡った後、林道から外れて直進し、踏跡に入る。この方が、近道になるのだ。
 踏跡を進んでいくと勘七ノ沢に出るが、ここで、沢の石を利用して、反対側に渡る。そこには、閉鎖された訓練所の建屋が残っている。その訓練所の前を通り、経路を歩いていき、西山林道に出た。そこは、ちょうど小丸との分岐点である道標の前だ。(10:33)(写真下)
[二俣の先、分岐点にて]

 本沢を渡り、さらにミズヒ沢を渡る。ここで、後沢乗越沢沿いに登り、小さな堰堤の横を通過しする。このあたりは、登山道がはっきりしないせいか、赤テープが沢沿いに付けられていた。
 沢の左岸の斜面を登り、植林帯に入る。(11:03)
 
 下ってきた中年男性と挨拶をする。聞けば、塔ノ岳(尊仏山荘)に宿泊し、初日の出を見ようと思ったが、今年は、雲が厚く、ダメだったとのこと。しかし、富士山は、8時ぐらいまで山容を見せていたと言う。
 その後、続々と下山者とすれ違う。
 植林帯を過ぎて、後沢乗越への登りにかかる。(写真下)
[後沢乗越への登り]

 11:24、後沢乗越に到着。(写真下)
 ここは、来るたびに思うのだが、西側の急斜面が、どんどん侵食されているように見える。いつかは、この道標の立っている場所も崩壊するのではないかと思えてしまう。
 11:30、出発。

 いきなり急登となる。一歩一歩、リズムよく足を動かして登る。
 11:45、最初の平らな場所(尾根の先端部)に出る。
[後沢乗越にて]

 11:51、1000mと幹に書かれた赤ペンキを発見。(写真下)
 1/25000地形図から見ると、1000mというのは、どうも標高のようだ。でも、帰宅後、カシミールで鍋割山山頂からの距離を測ってみると、1000mちょっとあった。ということで、鍋割山からの距離というのも捨て難い。(まあ、そうであれば「山頂まで残り1000m」とかの書き方になるだろうけど)
 この少し手前に西側にトラバースするような経路を見つけた。ここから枝尾根の762mピークに下っていけるのかもしれないと思い、帰宅後、調べてみると、HP「俺の山紀行」のM-Kさんが、すでに後沢からここに登っておられ(2005-9-19)、まさにここの場所が撮影されていた。

 11:58、西側の視界が開けた。驚いたことに同角ノ頭は、晴れており、日が当たっていた。また、檜洞丸の頂上付近には、薄い雲が纏わりついているものの、やはり、天気は良かった。
[1000mの記述あり]

 12:02、右手に植生保護柵が現れる。(写真下) この柵の中では、ササが繁っているが、柵の外には、ササが無かった。これが、全てシカのせいとは思えないのだが、柵の有無での違いは、確かにシカに食べられるか否かぐらいしか、思いつかない。

 12:04、二番目の平らな場所を通過。
 12:12、三番目の平らな場所を通過。
 12:29、頂上手前の小ピークを通過。下から見て、最初、ここが頂上だと思ってしまった。
[植生保護柵の中と外]

 12:34、鍋割山頂上着。
 先ほど、同角ノ頭方面は、晴れていたのだが、今となっては、南側と同様、曇り空となっていた。そんな訳で、ザックから中型カメラを取出すこともなかった。
 周囲に登山者の姿は、なかった。立ち止まっていると、身体が冷えてくる。山荘の中に入り、甘酒を注文。甘酒を飲みながら、山荘のご主人と、暖冬シーズンの雪の降り方と、そうでない時の雪の降り方について、聞かせていただく。
 12:58、山荘を出発する。
[鍋割山荘前にて]

 久々の鍋割山稜を歩く。
 自然の雰囲気を醸し出す冬木立の中、人の気配もない道を進んでいく。
[小丸への道]

 おや、植生保護柵が無くても、ササが繁っているではないかという場所を通過する。一方、右手には、植生保護柵があり、その保護柵内には、びっしりと繁ったササが存在した。
 保護柵が無くてもササは、繁っていたが、これが衰退するのは時間の問題なのだろうか。
 再び、ササの衰退は、シカの食害だけなのだろうかと考えてしまう。
[ササが残っていた]

 左側の斜面にブナの大木が目につく。
 太い幹が根元近くから、分岐している変わった大木を見る。(写真下)

 先ほどの登山道周りでササが繁っていた箇所では、右手に保護柵があったが、今度は、左手に保護柵があった。この鍋割山稜は、どうも保護柵だらけである。

 13:53、大丸通過。このあたりは、登山道沿いに杭とロープが張られており、登山道以外が歩けない状況になっている。以前は、ロープも無く、好きなように歩けたので、三脚を担いで、ブナの大木を目当てに歩き回ったものだった。そんな頃が懐かしい。
[幹のオブジェ]

 14:06、金冷シ到着。
 ここからは、前回、歩いた道である。しかし、今日は、曇っており、前回のような太陽の下を歩いた時とは、大違いのイメージとなっている。

 14:18、塔ノ岳頂上へもう少しという山道の横で、シカが一頭、草を食べていた。(写真下) 近づいて撮影する。どうも2m以内に近づかない限り、逃げようとしない、人に慣れてしまったシカのようだ。
 先ほどから植生保護柵ばかり見てきたが、その対象物にも遭遇したことになる。
[一頭のシカに遭遇]

 塔ノ岳の頂上直下で、南側の斜面に霧氷が出来ていた。思わず、デジカメで撮影開始。そんな訳で、山頂間近で、道草を食う。
 きっと、今しか見れないのだろうなと思っていたら、案の定、次の日の朝では、これらの霧氷は消えていた。夜のうちに風で落ちたものと見られる。
[霧氷を観賞]

 14:42、塔ノ岳頂上にようやく着いた。
 山頂には人影が、全く見えなかった。ガスの中、西からの風で、ガスが飛び、山荘が見えたりするが、すぐに再び、ガスに包まれてしまう。
 小屋に入ってチェックイン。
 ザックを2Fの寝室に持っていくが、昼食用のロールパン等を1Fに持っていき、土間で遅めの昼食をとる。考えてみれば、今日は、昼飯を食べていなかった。
 外は、相変わらず、ガスで何も見えなかった。土間のテーブルで、小屋に置いてある雑記帳を読んで過ごす。ざっと目を通すと、塔ノ岳登山1500回クラスの人が3人、居られることを知る。毎週土日に登って104回、それを10年続けても1000回ちょっと。1500回以上というのは、そう簡単にできるものではない。

 結局、夕方は、ほんの一瞬、西側の谷と山々が見えたぐらいで、富士山などの遠くの山々は、全く眺めることはできなかった。ということで、夕方の撮影は、中止。夕食の時間まで、日本酒(熱燗)を注文したりして、土間で過ごす。
 17:45、夕食。
 食後は、今日の山行をメモ帳に記録したりして、過ごす。就寝は、20:00時。
[ガスの中の塔ノ岳山頂]

<第2日>
 5:30、起床。6:05、外に出てみる。夜景は見えるものの、風は冷たく、強い。富士山あたりは、雲だらけ。東の空も雲がある。
 6:50、ご来光を撮影しようと、カメラを持って、三脚を立てるが、今日も元旦と同様、厚い雲のために、太陽が顔を出さなかった。結局、シャッターチャンスは、訪れなかった。
 だんだん明るくなってきたところで、東側の手前の斜面に霧氷ができていたことに気がつき、もっぱら、これを撮影する。
 手前に霧氷、その先に寿岳、さらにその奥に本間ノ頭というアングル、あるいは、手前に霧氷、その先に大山(写真下)のようなアングルである。

 7:30、小屋に戻って、朝食をとる。朝食は、持参したロールパン。(最近は、軽量で、嵩張らないため、こればっかり食べている)
 8:17、頂上を出発。
[早朝での霧氷と大山]

 8:59、花立山荘に到着。(写真下)
 富士山は、今日も見えず。
 まだ、時間が早いせいか、他の登山者を見かけることはなかった。
[花立山荘前]

 9:12、いつもの所
 尊仏山荘のボッカをされている「塔ノ岳世界チャンピオン」(尊仏山荘の雑記帳では、そう署名されてある)殿とすれ違う。(以前、「山と渓谷」誌でも、紹介された方である)
[いつもの所]

 フラットな山道に出た頃、小雪がちらつく。(写真下)
 この後、だんだん身体が暑くなり、冬用上着を脱ぐ。
[小雪が降る山道]

 9:38、堀山ノ家通過。
 堀山ノ家を過ぎたあたりで、小雪が止んだ。

 9:56、駒止茶屋通過。
 駒止茶屋下の階段を注意して歩く。長い階段なので、目がくらみそうになる。
[堀山ノ家を過ぎてフラットな道となる]

 10:04、ベンチで休憩している男性の外国人2名と挨拶。聞けば、富士山を撮影するために今日は、塔ノ岳(尊仏山荘)に泊まるとのこと。以前、丹沢山まで行ったことがあるという。明日は、晴れるでしょうなどと立ち話をする。

 10:09、一本松到着。ザックをおろして、デジカメ撮影を実施。(写真下)
 2本目のペットボトルを開けて、飲む。
[一本松にて]

 10:22、見晴茶屋を通過。手前のテラス工事のために前回よりも足場が広がっていた。
 10:51、ようやく車道に出る。この時、小雨が降り始めた。

 10:56、大倉バス停到着。今回も、無事、下山することが出来た。
 バスが、来る頃には、雨が、本降りになっていた。ちょうどよいタイミングでの下山だった。
 [大倉バス停にて]


 今回は、初日の夕日が、ガスでダメ、2日目の朝、御来光も雲に隠れてダメでした。このように両日、撮影にならなかったのは、初めてではなかったかと思っています。
 まあ、こんな時もあるさと思いながら、大倉尾根を下ったのでした。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。