トップページ山行リスト(日付)>高松山・第六天_記録20060211


高松山・第六天

 山行日
2006年2月11日(土)     晴   単独行
 コース
山北(7:10)〜(7:56)350m峰(工場)〜(8:10頃)388m峰横〜(8:28)林道合流点〜(9:21)一般登山道合流点(9:25)〜(9:34)ビリ堂(9:40)〜(10:10)高松山(11:11)〜(11:45)尺里峠〜(11:55)第六天(12:02)〜(12:35)川村小学校高松分校(12:41)〜(13:23)最明寺史跡公園(13:33)〜(14:16)ゴルフ場クラブハウス入口〜(15:38)籠場〜(15:53)松田
 約1ヶ月ぶりの山行になりました。今回の山行目的は、幾つかあります。
  目的その1:高松山を南西尾根から登ること
  目的その2:第六天に登ること
  目的その3:小学校(高松分校)を見ること
  目的その4:最明寺史跡を訪問すること
  目的その5:松田山から丹沢山塊を眺めること
など。(これらは、全て初めて経験するものばかりです) 
 さて、結果は、如何に。
 詳細は、以下をご覧下さい。


 東海道本線から御殿場線に乗り継ぎ、山北駅に着いたのは、7:03。ホームで車掌に切符を要求される。「あれ!山北駅も無人駅になったのかな」と思ったら、早朝だったため、駅員が不在だったということを改札口で知る。
 駅前で撮影(写真下)した後、朝日を浴びながら、松田方面に歩き始める。
 時刻は、7:10。本日の山行の始まりだ。駅前広場には、1台のタクシーがポツンと停車していた。
[山北駅前にて]

 地図を見ながら、北側の山の入口を探す。地図(山と高原地図28「丹沢」)上では、信号機のある交差点から登れるように記されている。まずは、信号機のある交差点を目指す。

 7:19、信号機のある交差点に着く。周囲を見回しても他に信号機が見当たらないので、ここが入口と確信する。(写真下)
 道路を渡り、階段を登って、北側の道を進んでいく。
[岸入口交差点]

 左手に山北の町並が見えた。(写真下)
 上空は、雲ひとつ無い青空。今日は、いい天気になりそうだ。

 急斜面のミカン畑を見た後、東名高速の下をくぐり、丁字路を左に曲がる。道は、登りとなり、そのうち東名高速を見下ろす高さとなる。
 その時、1台の軽自動車が追い越していった。その時、後部座席に犬の姿が見えた。「この辺りの地域でも狩猟が行なわれるのか?」と、ちょっとこれからのルートに一抹の不安がよぎる。
[山北の町並を眺める]

 坂を登っていき、ピークに到着。(7:40)ここは、丁字路になっており、直進側は、下り坂となっていて、右手の北側に道が続いている。
 その北側に進んでいく。後方から自家用車が追い抜いていく。意外にも交通量が多い。
[丁字路地点にて]

 7:56、人家が現れる。さっき追い越していった自家用車が停車していた。すると、すぐその先に何やら大きな建物が見えた。この突然の近代的な建屋の出現に唖然とする。このあたりは、細い道しかないと思われるのだが、「どうやって建屋資材等を運搬できたのだろう」と思えるような巨大で新しい建屋だった。
 1/25000地形図を見たら、工場の印がついている箇所のようだ。(帰宅後、調べてみたら、ここは、小型精密歯車に関する切削工具などを製造・開発している工場だと判明)
 道は、工場の西側に続いていたので、そちらを進んでいく。

 送電線通過。(8:00)
 ここで西側の視界が広がった。すると、そこには、ドンと鎮座した富士山の姿が。(写真下)
 山北駅からここまで富士山に気がつかなかったので、痛く感動。

 西側の谷(皆瀬川)の方から、銃声のような音が何度か聞こえた。どうやら、この地域では、狩猟が行なわれているようだ。
 388mの三角点は、知らないうちに通り過ぎてしまった。(地図で確認しながら歩いていなかった)
 8:23、左に下っていくような道あり。(1/25000地形図には載っていない)
[送電線の所で富士山を望む]

 8:28、Y字路に出た。地形図と照らし合わせると、ここが尺里から北西に滝沢沿いに登って行く滝沢林道との合流点だと判明。(写真下)
 左側に2台の軽自動車が停車していた。一人のハンターと一匹の犬と出会う。やはり、この辺りも狩猟エリアのようだ。
 滝沢林道は、地形図上では、はっきり車道として記されているが、この合流地点では、道に草が生えているような荒れた状態である。一方、こちらの歩いてきた道は、舗装路で道幅も変わりないが、破線で記されている。
 左側の舗装路を進んでいく。
[林道(右)との合流点]

 道は、地形図通り、緩やかな登りとなり、東に進んでいく。
 8:41、茶畑が突如、目の前に現れた。この情景にビックリ。いやはや今回は、巨大な建屋といい、茶畑といい、予想外なものが視野に飛び込んでくる。
 茶畑の管理用の小屋が端に建っており、その奥には箱根外輪山の一つ、明神ヶ岳が長い裾野を広げていた。(写真下)

 茶畑を過ぎたら、なんと今度は、人家が現れた。道の右側に2軒、左側にも2軒ぐらい見えた。
 水などどうしているのだろうと思わず、考える。そういえば、今まで歩いてきた道には電柱があったが、このためだったのかなと一人納得する。
[茶畑に出くわす(振り返って撮影)]

 8:57、メインの道路は、人家エリアが終わると同時に左にUターンするようにカーブしていたが、ここでは直進し、正面の植林の中に入ってみる。すると、植林の中に山道を発見。これを進む。
 山道は、尾根の南側斜面をほぼ水平に続いていた。
[直進し、植林内の山道に入る]

 さらに進んでいくが、状況は変わらず。
 左手の斜面を登れば、稜線沿いに歩き、638m地点を通ることが出来るようだが、ちょっと楽をして、この水平道を進んでみる。(写真下)

 9:12、植林帯が終わり、雑木林を同じようにトラバースしていく。
[植林内のトラバース山道]

 9:21、右手後方から山道が合流した。よく見ると、ここのY字路が一般登山道との合流点だった。「こんなところに出てくるんだ」と植林の中で、一人感動する。周囲を見渡すと、ここには道標が、ないことに気がつく。高松山からの下りの場合、ここは、ちょっと道標が欲しいところだと思った。
 
 そんな時、下から単独の中年男性登山者が登ってきた。挨拶した後、どこかで見たような人だと思ったら、今朝、御殿場線で一緒の車両に座っていた人だった。
[一般登山道に出る。左:尺里へ、右:歩いてきた道(振り返って撮影)]

 9:34、ビリ堂に到着。馬頭観音を撮影。そばにビリ堂を解説する立札があった。
 立札の説明によると、「ビリ堂のいわれ由来は、一番びり、最後にある観音堂のため、ビリ堂といわれる。この馬頭観音は、文化10年(1813年)に尺里の人々が近村の人と協力して、村内安全、五穀豊穣を祈って建立した12体の8番目に位置している」との事。
[ビリ堂に到着] [馬頭観音]

 徐々に暑くなってきた。途中で冬用上着を脱ぐ。
 植林の中の急斜面を登っていく。土が軟らかいのか、表土だけが流されて、植林の根が痛々しいほど露出していた。
[高松山への急な登り]

 10:02、ようやく稜線に登る。ここまで来れば、山頂は近い。北側は、植林のため、丹沢方面の山容は、見ることが出来ず。
 日陰のためか、残雪が目立つ。秦野峠の方に続く小道には、雪上に足跡があった。
 右折して、ゆっくりと山頂に向かう。
[稜線に出た]

 10:10、高松山頂上に到着。山頂は、芝生のような広場になっている。
 そこには、5,6人のパーティ、単独男性が2人、それに隅の方でアンテナを立ててアマチュア無線をしている一人のオジサンが居た。
 これで、今回の目的その1を達成した。
[高松山頂上] [山頂標識]

 久しぶりの高松山山頂である。以前は、手前の植林が伸びてしまい、富士山の姿が見にくくなっていたが、今回は、アッと思わず、声が出た。
 富士山が見えるように手前の植林が伐採されていたのである。これであれば、高松山に登ってくるハイカーも多くなるのではないかと思った。
 天気もよく、中型カメラを取り出す。富士山方面は、PLフィルターの効果大であった。

 撮影後、ちょっと時間的には早いがランチタイムとした。ロールパンにベーコンなどを挟んで食べる。富士山を眺めながら、食べるランチがうまい。丹沢っていいなと思えるひとときである。
 その後、テルモスの湯を使ってココアを作る。
 青空の下、今日は、それほど寒くなく、冬用の上着は、着る必要がなかった。
 ゆっくりと過ごした後、尺里峠に向かって出発する。(11:11)
[富士山を仰ぐ]

 「こんなに広い道だったっけ」と思いながら、植林の中を下っていく。(写真下)
 左手に廃車となったバスを見る。これは、以前通った時も見た記憶があった。
 丁字路にぶつかり、道標を見つける。
   [第六天:15分、尺里(高松山入口バス停):1時間10分、高松山:40分]

 尺里峠近くで、一人のハンターとすれ違う。このあたりも狩猟エリアなのだろうか。
[歩きやすい山道を下っていく]

 11:45、尺里峠着。しかし、道標には、「第六天」と書かれてあった。
 道標(写真下)を撮影し、登山ルートではないが、すぐ奥の斜面に入っていく。最初は歩きにくい木立の中だったが、踏跡を見つけた後は、比較的、楽に登っていけた。
[尺里峠にて(道標の奥を登っていく)]

 植林帯の斜面を進み、傾斜が緩くなったところで、前方に見えた真っ平な植林帯エリアが、第六天の山頂だった。この第六天には、三角点があるのだが、このような植林帯では、容易に見つけられないと思っていた。しかし、ほんの少し高い東の方へ歩いていくと、植林帯から出る所で、運よく、三角点を見つけた。(写真下)
 これで、今日の目的その2も達成できた。
[第六天の三角点を発見]

 ピーク周辺は、植林だけと思っていたら、東側は、草原状になっており、これから行く予定の松田山方面が見渡せた。
 足下に農道?があった。農道に下りて、少し戻るように歩き、左に折れて、下っていく。正面には送電鉄塔があり、その横を通っていく。鉄塔は、「田代幹線374」と記されてあった。
[第六天の東側から松田山方面を眺める]

 12:16、農道を下っていくと右手に富士山が目に入った。(写真下)
 この時間だというのにそれほど霞んでいなかった。

 12:18、丁字路に出た。傍に道標[最明寺史跡公園:50分、寄自然休養村:40分]が立っている。
 2月とは思えない、ポカポカ陽気の下、里山の中の道を下っていく。このあたりは、最明寺史跡公園と寄自然休養村を示す道標が分岐点に立っていた。
[高松集落に向かう]

 12:32、細い車道の交差点に出る。
 道標があった。(写真下)
  [尺里:1時間10分、最明寺史跡公園:30分、寄自然休養村:1時間10分]
 ここで、今日の目的その3である小学校に寄り道するため、尺里方面を進む。
[分岐点に出た(振り返って撮影)]

 12:35、小学校に着いた。
 グランド入口に立札があり、「山北町立川村小学校高松分校」と書かれてあった。
 里山の小学校という感じの木造校舎に懐かしさがこみ上げてくる。思えば、私が通った昭和40年代の頃の校舎といえば、このような木造だった。
 教室は、いくつあるのだろうか。左の方は、職員室のように見える。左側の窓には、人影が見えた。もう少し近づいて校舎の隅々まで確認したく、グランド内に入りたくなるが、(実際、道とグランドの間には、塀も門もない)不審者と見られるのが昨今ゆえ、道端からの見学にとどめる。
 デジカメ撮影し、ペットボトルの水を一口飲んで、出発する。
 これで、今日の目的その3も達成。
[寄り道した高松分校]

 再び交差点まで戻り、ここから最明寺史跡公園に向かう。
 12:50、山道の丁字路にぶつかる。ちょっと右手に入った所に馬頭観音が置かれてあった。
 ここが、どうも地図(山と高原地図28:丹沢 2005)でいう「(迷)石仏あり、直進する」と記された地点であることがわかった。
 地図の言う通り、直進する。
[迷いやすい丁字路] [馬頭観音]

 しかし、ここから不安が募る。あれほど車道で見かけた道標がひとつもないのである。
 そして、山道は、一部、荒れた箇所があったりして、本当にこのルートでいいのか全く自信が持てなくなってきた。
 
 13:07、地面に置かれた古い道標があった。
   [寄自然休養村:1時間20分、松田山入口:50分]
 「あれ!最明寺史跡は、どうなったのだろう?」とちょっと混乱する。しかし、地図を見る限り、道は間違っていないので、どんどん進んでいく。
 ここから、道は、下りとなり、正面の山を登るのではなく、右側を下っていくようになる。
[道は怪しくなる]

 「いったい最明寺史跡は、どこだろう」と思いながら歩いていると、左にカーブした後、突如、標柱が現れた。(写真下)
 これで、ようやく正しい道を歩いていたことを確信する。

 13:20、道標[最明寺史跡公園:3分、寄自然休養村:1時間30分、松田山入口40分]に出合う。
 ここで、最明寺史跡公園方面に向かう。
[最明寺史跡エリアに入る]

 道標のあるところから小さな階段を登ると、目の前に池が現れた。
 どうやら、史跡公園の裏口の方から入ってきたようだ。
[最明寺史跡公園内の池]

 最明寺とは、鎌倉時代の承久3年(1221年)、真言宗の名刹として、当地に源延という僧侶が建立したとのこと。(当時は、西明寺と書かれた)
 現在では、石碑だけが置かれてある。今では、春は桜、秋は菊の名所として有名になっているようだが、今日は、シーズンオフのせいか、観光客は、2,3人だけだった。
 13:33、公園を出発する。(これで目的その4も達成)
[最明寺史跡公園入口]

 車道をゴルフ場に向かって歩くが、まだまだ登りが続く。車道の登りは、キツイ。
 13:41、最高地点付近にて、振り返り、高松山方面を眺める。(写真下)

 13:48、道は、稜線の南側に位置するようになる。そして、左手にゴルフコースが現れた。しかし、北側の丹沢山塊は、手前のゴルフ場の方が高台となっており、このため、北側の山々は、見ることが出来なかった。
[高松山方面を眺める]

 13:56、「松明の由来」なる石碑が立っていた。
 その説明文を抜粋すると
  「いつの頃か、108体の松明が灯されるようになったらしい。
   ・松田城主と家来が落城の時、農民が道案内に送り火を焚いたとか
   ・五穀の豊穣を願う農民の素朴な祈りがこめられていたとか
   ・小田原藩主が城楼から望んで暑気払いをしたとか
   ・度重なる酒匂川出水の犠牲者慰霊のためとか
   いづれにせよ、108という数は、108煩悩に関連する」
などが書かれてあった。
 すると、道路の外側に松明台が連続して現れた。(写真下)
 現在は、これで松明を灯しているようだ。帰宅後、調べてみると、松田町のHPでは、イベント名を「百八ッ火」(「ひゃくはって」と読む)と呼び、毎年8月下旬、花火大会と同時に開催され、松田の夏の終わりを告げる一大イベントと記載されていた。
[松田山のたいまつ]

 このあたり、南側や西側の視界が広がる。
 富士山も雲に隠れることなく、姿を見せている。但し、この時刻ゆえ霞んでいる。
 見下ろすと、酒匂川にかかる橋が見えた。また、もう少し視点を上げると、真鶴岬や相模湾の方まで見渡すことが出来た。(但し、こちらもこの時刻なので、霞んでいるが)
[酒匂川を見下ろす]

 14:07、進路方向にゴルフ場のクラブハウスが見えてきた。
 この辺りもゴルフ場の方が高いため、道路から北側の丹沢方面は、見ることが出来ない。この点、期待していた分、ちょっとガッカリ。 
 よく見ると、南側にパラグライダーが飛んでいた。
[ゴルフ場のクラブハウスが正面に見えた]

 ゴルフ場の正門入口を過ぎると、ゴルフ場と道路の高さに差がなくなり、北側の丹沢方面が、見えるようになった。
 ゴルフ場越しに塔ノ岳方面を眺める。(写真下)
 これで、目的その5も達成できた。
[ゴルフ場の奥に塔ノ岳]

 左手のゴルフ場が、終わり、車道が、下りになる。
 まだまだ塔ノ岳方面が眺められるのではないかと思い、ここからも車道沿いに歩いていく。

 14:40、渋沢丘陵を眺める。この方向から、渋沢丘陵を眺めたことが無かったので、新鮮なアングルだった。手前には、去年訪れた頭高山が大きい。
[頭高山(手前)から渋沢丘陵方面を望む]

 車道を下り始めて20分、だいぶ高度が低くなった。
 だいぶ霞みがかかってしまったが、大山の姿が見事な三角形だったので、デジカメを取り出す。(写真下)
[三ノ塔(左)、大山(右)を望む]

 15:19、車道のヘアピンカーブの所で、右手の小道に入る。地図(山と高原地図28:丹沢2005)を見ると、こちらの方が、駅への近道になる。
 しかし、この先、道が未舗装になり、倒木が多くなったり、左側は、ガケだったりと、ちょっと不安要素のある道だったが、その後、再び舗装路となった。
[ヘアピンカーブで車道から脇の道へ入る]

 舗装路を歩いていると、視界が広がった。
 川音川とR246を見下ろす。(写真下)
 この後、ゴルフ練習場の前を通過し、R246に出た。
[渋沢方面を眺める(振り返って撮影)]

 東名高速をくぐり、車道を歩き続ける。疲れてきたせいか、ここから、JR松田駅までの距離が長く感じた。15:53、ようやくJR松田駅(新松田駅側出入口)に到着。(写真下)
 すぐさま、近くの食堂に入って生ビールを注文。今日は、2月とはいえないような暖かさだった。
 16:11、御殿場線に乗車。
 ビールのせいで、国府津までウトウトしてしまった。
 [JR松田駅に到着]


 こうして今回、冒頭の目的5つを達成することが出来ました。

 なお、この高松山コース(前半部:ビリ堂手前まで)は、少し前に「山の子」さんのHPにて、道があることを初めて知りました。情報ありがとうございました。帰宅後、再度読み返し、「山の子」さんが、植林内のトラバース山道から強制的に稜線に登られ、稜線伝いにビリ堂に到着されたことを知りました。私も、トラバース山道を歩き始めた頃、この左斜面を登れば、稜線に行けるなと思いましたが、水平に延びている、この山道の歩き易さの誘惑に負け、そのまま進んでしまいました。

 また、帰宅後初めて、「峠のむこうへ」さんのHPにて、同様なルート報告(前半部:高松山まで)があることを知り、楽しく読ませてもらいました。実際に自分自身が歩いた道ですと興味も一段と湧きます。私も、工場の先から、何故こんな道なのに1/25000地形図上では破線で記されているのか、地形図と実際が、だいぶ異なっていたことに驚きを隠せませんでした。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。