トップページ山行リスト(日付)>南山・旗立松_記録20070317


南山・旗立松

 山行日
2007年3月17日(土)  晴       単独行
 コース
鳥居原ふれあいの館(8:03)〜(9:15)権現平(9:30)〜(9:57)南山(10:08)〜(10:51)遊歩道入口(10:52)〜(11:25)志田峠(11:31)〜(12:08)旗立松(12:28)〜(13:02)三増合戦碑(13:13)〜(13:48)田代
 今回は、初訪問の低山をゆったりと歩いてきました。宮ヶ瀬湖北側に位置する南山です。春を思わせる陽気の下、宮ヶ瀬湖を眺める山歩きを期待したのですが、午前中は、何と雪が降ってきました。そんな訳で、午前中は、全く期待外れ。午後は、天気が回復し、戦国時代に武田軍と北条軍が戦ったと言われる三増合戦碑を訪れました。
 詳細は、以下をご覧下さい。


 前日の23時20分頃、新横浜にて新幹線から乗換え、家に向かったが、本日、5時46分、再び、新横浜を訪れた。そんな訳で、今回も眠い横浜線となった。だが、乗り過ごしてはいけないため、目を開けるよう努力する。長津田を過ぎた頃から、中年女性のハイカーが次々と乗ってくる。どうも同じグループらしく、乗車するこの電車(先頭車両)が集合場所のようだ。中央線沿線の山へのハイキングだろうか。
 橋本には、早めの6:32に到着。時間潰しに駅の周辺をコンビニなどを探すつもりで、ブラブラ歩く。
 6:45になり、バス停に向かう。鳥居原ふれあいの館行きのバスは、すでに到着していた。(写真下)
 6:55、バスが出発。バスは終点まで乗っていけばいいので、ここで一眠りする。だが、小倉橋あたりで目が覚める。考えてみれば、橋本から鳥居原ふれあいの館行きのバスに乗るのは、初めてだった。鳥屋に行くのも以前は、三ヶ木で乗り換えていた。そんな訳で、車窓の景色も新鮮である。結局、そこからは、眠ることなく、地図を見ながら、バスの位置を確認していた。(途中から知った道になったけれど)
[橋本駅北口にて]

 7:40、鳥居原ふれあいの館着。下車したのは、自分ひとり。(写真下左)
 今回、初めて南山に向かうのだが、この鳥居原も、初訪問である。朝が早いため、店は当然のことながら開いておらず、さぞかし静寂な中と思ったら、そうでもなかった。駐車場には、ドライブ中の車やバイクが既に何台か駐車していた。
 少し歩いた所に「南山遊歩道」の案内板が立っている。(写真下右)「5〜9月ごろ、ヤマビル注意」の文字が。やはり、このあたりもヒルが出るようだ。
[鳥居原ふれあいの館バス停にて] [南山遊歩道の案内板]

 せっかく見晴しのいい場所に来たので、ちょっと散策しようと、湖に近づいてみる。
 湖には宮ヶ瀬虹の大橋が、際立っていた。その奥には、栂立尾根が一直線に見え、さらにその先には、本間ノ頭がかすかに見えた。
 「う〜ん、天気が良ければ、スケッチしたくなるような眺めになるだろうな」と思いつつ、デジカメで撮影する。(写真下)
 しかし、今日は冷えるなぁと思っていたら、何と雪が降ってきた。駐車場にいたライダーも「雪かよ!」と叫んでいる。
 自販機で缶コーヒー(ホット)を購入。まさか、雪の中で飲むとは思わなかった。
 飲み終わって、いよいよ出発。(8:03)
[本間ノ頭方面を眺める]

 道標に従って、湖岸沿いの車道を下っていく。
 鳥居原橋、大沢橋、芋窪橋と3つの橋を連続して渡ると、左に登山口があった。(写真下)
 ここからいよいよ山道に入る。(8:07)
[山道に入る]

 約10分ぐらい、登りが続く。途中、宮ヶ瀬湖を眺める。
 登りきると、そこは、樹林帯。だが、道は、明確で、歩きやすい。
 8:21、小ピークに到着。ここから一旦、下りに転じる。ストックを取り出す。
 8:29、再び登り返す。
 8:35、小ピークに到着。
 結構、アップダウンがあるなぁと思いながら、どんどん進んでいく。湖沿いに歩いているものの、樹林が邪魔して、視界は広がらない。
[樹林帯を行く]

 8:45、3度目の小ピーク。(写真下)
 まだ、小雪がちらつく。

 8:52、送電線鉄塔に出会う。送電線のおかげで、湖への視界が広がった。
 しかし、ガスが出ており、湖面もパッとしない。
[小ピークを幾つか越える]

 8:58、分岐点に到着。道標もあった。山と高原地図28「丹沢」(2007)では、赤点線ルートとの分岐点である。
 よく見ると、隣に「サルにエサをあげないでください」という注意カンバンが。どうやら、このあたり、サルが出るようだ。
[サルが出没?]

 前方に小さな建屋が見えた。近づくとトイレだとわかった。しかしながら、このトイレ、「冬季期間中は、トイレを閉鎖しています。(凍結防止のため)」ということで、ドアには鍵がかかっていた。
 トイレ横のシカ柵を通過する。(写真下)
[柵を通過すると?]

 前方に東屋があり、ここが権現平とわかった。(9:15〜9:30)
 湖の見える方向に行ってみる。
 左右は、樹林だが、正面には、湖と仏果山方面の姿が現れる。晴れていれば、ダム下の半原方面の町並みも見えるだろう。だが、雪が降っているような今日の状態では、残念ながら、無理な話。(仏果山が見えているだけでもラッキーか)
 なお、仏果山方面をこの方角から眺めたことが無かったので、アングルは新鮮だ。結構、仏果山の稜線が高く見える印象を受けた。
[権現平にて宮ヶ瀬湖と仏果山方面の山々を望む]

 山道を進んでいくと、雪が止み、日が時々、差してきた。(写真下)
 チェーンソーの音が断続的に聞こえてくる。どこかで植林の伐採を行なっているようだ。
[植林帯の中を行く]

 9:55、右後方を振り返って、歩いてきた山々を見渡す。(写真下)
 その奥に薄っすらと、焼山の姿が見えた。
[歩いてきた山々を振り返る(振り返って撮影)]

 9:57、ここが南山山頂かなと思っていたところが、案の定、山頂だった。(写真下左)
 ここにも説明板があった。(写真下右)
 この説明板で感心したのが、「白馬をさがしてみよう」という文句。
 「山を駆け上がる馬のような模様が見えます。林に囲まれた草原が馬の形をしていたために見える「自然のいたずら」で、特に雪が積もると白馬のように見えます」という説明文があった。このように鬼ヶ岩ノ頭の尾根上に出来る馬の模様が重点的に説明されていた。

 この時間になると、さっきまで降っていた雪がウソのように消え、だんだん天気が良くなってきているのがわかった。だが、相変わらず、蛭ヶ岳にはガスがかかっていた。
 誰にも会わないまま、山頂を後にする。(10:08)
[南山頂上に到着] [蛭ヶ岳は、ガスで見えず]

 下り道をリズムよく進む。
 途中、小さなクサリ場があった。このあたりは、右手が湖なのだが、樹林のため、視界が遮られている。

 10:24、前方に東屋と送電線鉄塔を見る。
 鉄塔下では、鉄塔の周囲を金網で囲む工事が進行中だった。セキュリティ強化のためか、送電線鉄塔の下に進入できないようにするようだ。今後、全ての鉄塔がそうなるのだろうか。
 ちなみに鉄塔の銘板には、「宮ヶ瀬線3」とあった。
[前方に東屋と送電線鉄塔が出現]

 10:45、前方に車道が見えた。(写真下)
 ここにも南山案内板があり、じっくり眺める。
 10:51、車道に下りる。ここが地図上の南山遊歩道入口だった。
[車道に出る]

 車道を歩き、国道412号線の信号交差点に出た。左に清正光入口のバス停があった。ここは、右折し、すぐ次の信号を左折する。(写真下)(10:59)
 ここが、志田峠に続く道だ。他に道らしい道がないので、間違えることはないだろう。

 11:09、左手奥に建屋が見える。何かと思ったら、道路入口に「東京農工大学農学部附属広域都市圏フィールドサイエンス教育研究センター フィールドミュージアム津久井」というカンバンが出ていた。
[志田峠への道へ進む]

 11:19、右手が朝日寺という分岐点に到着。正確には、志田山朝日寺。今回は、寺には立ち寄らず、志田峠を目指す。
[道が分岐する(右手は、朝日寺)]

 山と高原地図28「丹沢」(2007)では、この道は、普通の車道のように記載されていたが、朝日寺から先は、林道(未舗装路)だった。周囲は、樹林帯で、視界は良くない。単調な歩行が続く。
[林道を歩く]

 11:25、峠だと思った箇所に志田峠の標識が立っていた。(写真下) 標高310mとあった。
 しかしながら、通常の峠のイメージとは違って、これから歩く方向の風景が見下ろせるような場所ではなかった。
 ザックを下ろして、ペットボトルで水分補給。まだ昼には、早いなと思い、出発することにした。(11:31)
[志田峠に着いた]

 最初は、細い林道だったが、11:43、舗装路になった。そのうち、人家が現れた。次の目的地、旗立松に行くため、左折する場所を注意しながら歩いていく。

 11:52、左折地点に到着。見過ごすことは、ないような大きなカンバンが出ていた。(写真下) さて左折して進もうとしたら、そこは、ゴルフ場への入口だった。ゴルフ場が用意したと思われるゲートもあった。(今は、開いているが)
 ここでいいのだろうかと思いつつ、ゴルフ場へ続く舗装路を登っていく。
[車道を左折(振り返って撮影)]

 ゴルフ場のクラブハウスに行く手前に旗立松への進路板があった。(写真下)
 しかし、どう見てもゴルフ場内である。まあ、いいかと進路板に従って進む。
 ゴルフカートしか走らないような車道を歩いていく。目の前にティーグランドが現れ、プレーヤーがドライバーショットをするところだった。思わず、足を止める。
 「いったい旗立松って、どこなんだろう」と考えながら進む。高台だとは、思うが、まさかあのピークではないだろう。そう思いながら、前方の木が茂っている小ピークを見上げた。
 車道から外れて山道を登っていく。だんだん、汗が出てきた。
 「ん、やはり・・・」
 結局、さっき見えた小ピークを登っていた。
[完全にゴルフ場の中]

 12:08、旗立松に着いた。南側の視界が広がる場所だった。
 ベンチもあり、ザックを下ろす。(写真下左)
 趾碑が建っていた。(写真下右)

 そもそも旗立松とは、以下の通り。
 『永禄12年(1569年)10月6日、三増の山野で、甲斐の武田信玄が率いる軍と、小田原の北条氏康の軍とが戦った。旗立て松は、この三増合戦のおり、信玄が、大将旗を立てたと伝わる跡である。
 北から西へ連なる三増の山並を越えて、甲州に通ずる道には、三増・中・志田の三峠があるが、そのうちで最も高く険しいのが中峠であった。
 史書によると、信玄は相模の原を一望するこの高台を中心にして鶴翼の陣を張り、中峠近く聳える松に旗を翻し、自らは麓の桶尻に本陣を置き、北条軍を迎え撃ったという。
 往時を知らす緑の松は、小学生が5、6人でとり囲むほどの太さであった。しかし、大正12年の失火により枯れて今はなく、ただ旗立て松2世と記念碑に、戦の跡をしのぶのみである。』

 ・・・・(登ってくる途中に立っていた説明板 「旗立て松の由来」 愛川町教育委員会より)
[旗立松にて] [址碑]

 ちょっと南西側を木立の間から望む。(写真下左) 仏果山の稜線が長く続いている。半原越の上には、ちょうど三峰山が見え、その奥に大山が高く聳えていた。だが、霞んでおり、カメラでは、うまく表現できなかった。
 南東の方を眺める。(写真下右)
 手前のゴルフ場のグリーンの向こうに何やら大規模な工場の建屋が見える。その奥は、関東平野だが、残念ながら霞んでおり、はっきりしない。
 武田信玄は、ここから北条軍を見下ろしていたのだろうか。しばし、見入る。
 昼食をとろうかと思ったが、今ひとつ腹が減らないので、食べずに出発することにした。(12:28)
[旗立松から仏果山方面を眺める] [旗立松から関東平野側を眺める]

 再び丁字路まで戻ってきた。ここで、左折し、南東に向かって歩いていく。
 車道の右側には、桜並木が続く。但し、開花には程遠かった。
 前方の視界が広がる。右手の畑に一部、菜の花が咲いていた。(写真下)
 さて、三増合戦の碑は、どこだろうと見渡すと、前方に何か碑のようなものが見えた。
[菜の花畑を手前に向こうは、仏果山]

 13:02、石碑の前に立つ。
 今から400年以上も前に武田軍と北条軍が戦った場所である。碑の後ろにある説明板では、武田軍2万、北条軍も2万という兵力であったと記載されている。
 ここで4万人が戦ったかと思うと、感慨深い。ちょっと石碑から離れて、周囲を見渡す。
[三増合戦場の碑]

 13:13、石碑を出発する。
 どういったルートで田代まで歩こうかと思っていったら、道標を見つけた。(写真下) 関東ふれあいの道で田代と書かれてある方向に進むことにした。

 しかし、この関東ふれあいの道の道標通りに歩いていったら、いつの間にか角田大橋の方に出てしまった。(途中、どこかで田代への分岐点があったのかもしれない) この後、関東ふれあいの道では、角田大橋経由でのルートで、平山に達するようだ。
 結局、車道を歩いて、田代に戻るように進む。
[関東ふれあいの道を歩く]

 13:48、田代バス停に到着。
 今朝、歩き始めた時、雪が降っていたとは、思えないほど、今ではいい天気になっていた。
 バス停にザックを下ろし、10分後にやってくるバスを待った。
 [田代バス停に到着]


 本日は、いきなり予想外の雪中山行で、始まりましたが、後半は、ゆったりとした歴史ウォークとなりました。そのうち、この頃の武田軍・北条軍の動きなどをもう少し調べてみたいと思っております。
 また、権現平や南山からの風景は、新鮮でした。ここには冬季に訪れ、是非、蛭ヶ岳や白馬模様を眺めてみたいと思います。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。