トップページ山行リスト(日付)>仏果山・秋葉山_記録20070520


仏果山・秋葉山

 山行日
2007年5月20日(日)    晴        単独行
 コース
仏果山登山口(7:37)〜(8:49)宮ヶ瀬越(8:55)〜(9:18)仏果山(10:16)〜(10:35)馬渡分岐〜(10:44)秋葉山(10:48)〜(11:14)390号鉄塔(11:16)〜(11:51)清雲寺入口
 丹沢の山並を中型カメラで撮りたくて、仏果山に登ってきました。今回は、5月というのに風が冷たかったせいか、霞むこともなく、遠くの風景まで眺めることができました。(中型カメラを担いだ甲斐がありました)
 その後、久々に(1999年7月以来)秋葉山を経由してみました。その時、ちょっと、驚いたことが。 
 詳細は、以下をご覧下さい。 


 本来ならば、本厚木で、始発の宮ヶ瀬行きバスに乗るつもりで、家を出たかったのであるが、今日は、ちょっと寝坊。
 結局、予定より20分以上遅れて自宅を出発。しかし、あれよあれよと電車の接続がよくて、本厚木に6:52着。
 「惜しかったなぁ。もう少しだったのに。」本厚木駅の改札口を出たとき、6:50発のバス時刻を思い出し、残念がった。
 だが、冷静に考えたら、半原行きが、6:50で、宮ヶ瀬行きは、6:55ではなかったかと、思い直した。自ずから、早足となる。駅前広場に出て、道の向こうにあるバス乗り場を見れば、宮ヶ瀬行きのバスが停車していた。
 「これは、ラッキー」
 しかし、時計は、6:54を指している。駅前交差点で赤信号を待つ間、鼓動が高まる。ここで、バスが発車したら、心情的に最悪の状態だ。
 青信号になって、駆けていく。
 無事、バスに乗車。車内は、20人ぐらいの乗客数。座ることも出来て、この幸先のいい状況に一人ほくそ笑む。

 7:36、仏果山登山口にて下車。他に中年ご夫婦ハイカーの1組。
 いつものように出発地点のバス停を撮影してから歩き始める。
 上空は、青い空が一面広がる。
 日差しが強く、夏が既に来てしまったようだ。思わず、道路を渡って日陰に入る。
[仏果山登山口バス停]

 日陰に入ると、予想もしなかったほど、涼しい。これは、歩きやすいと、ピッチが上がる。
[日陰となる植林帯を登っていく]

 石祠を過ぎると、道は、左手のピークをトラバースしていき、ほぼ水平になる。道が右に曲がろうとする所で、細い尾根に乗る。
 この場所は、冬であれば、湖側の風景が広がるのであるが、今は、葉が茂り、視界を塞いでいる。尾根を歩いていくと、少し先で、葉の茂みがぽっかり空いた箇所があった。
 そこから宮ヶ瀬湖と焼山を望む。(写真下)
[焼山を望む]

 8:21、本格的な登りとなった。(写真下)
 いよいよ息を切らしながら、登ることになった。
[本格的な登りとなる]

 登りの途中、息を整えるために立止まる。
 ⇒単に立止まるのは、もったいない。
 ⇒デジカメを取り出す。
 ⇒そんな訳で撮った大山三峰山と大山。(写真下)
[大山を遠望]

 そろそろ稜線に乗ると思うものの、足がなかなか進まない。
 8:49、ようやく宮ヶ瀬越に到着。
 何やら新しい標識が立っていた。(写真下)
[宮ヶ瀬越に新しい標識が]

 稜線に出たら、足取りは、順調。それでも仏果山頂上直下の登りでは、やはり息が切れた。
 9:18、仏果山山頂に到着。
 すぐに展望鉄塔に登る。
 誰もいない静かな展望台だった。中型カメラを取り出す。今日は、風が比較的冷たいせいか、この時間帯でも遠景まで見渡せる。重いカメラを持ってきた甲斐があった。
 大山から焼山までの丹沢山塊をコンパクトデジカメで撮影。
[仏果山頂上]

 関東平野を見渡せば、筑波山も薄っすらと見えた。
 中型カメラで撮影している間、続々とハイカーが登ってくる。
 「もうこのぐらいでいいだろう」と三脚を片付ける。
 気がつけば、40分以上、鉄塔上にとどまっていた。
 10:16、山頂を出発し、半原越方面に進む。
[筑波山まで見えた(この写真だと見えないけど)]

 ロープのある急な下り(大山や丹沢山が眺められる)を過ぎて、やれやれと思った時にヤマツツジが目に入る。
[ヤマツツジが咲いていた]

 10:35、馬渡分岐点に到着。(写真下)
 なんと、驚いたことに馬渡へのルートも正式な山道扱いになっていた。
 馬渡への分岐点は、その昔、たいした標識もなく、マニアックなルートだったのだが、一般ルートに格上げ?されていた。
 「いつからこうなったのだろう。今まで気がつかなかっただけなのだろうか。」
思わず呟いてしまう。とにかく、自分としては、今回、初めて気がついた。
 地元の愛川町が整備されたようだ。ちょっと複雑な気持ちで、左折し、馬渡バス停への道を進む。
[馬渡バス停方面に向かう]

 山道は、はっきりしている。新緑の中を下っていく。
[新緑の中を下っていく]

 やがて、緩やかな下りとなり、尾根の先端に到着した。
 すると、そこに標識が。これも宮ヶ瀬越と同様、初めて見るものだ。
 どうやら、ここが「秋葉山」のようだ。
 ザックを置いて記念撮影。(10:44〜10:48) 残念ながら、四方の視界は、樹林で塞がっている。
[秋葉山にて小休止]

 標識からほんの少し、下った所で、左側に石祠があった。
 ここは、見覚えがあり、初めて通った99年の時のことを思い出す。

 石祠の横に細野秋葉講記念碑がある。
 下記内容が、記載されていた。
 『江戸時代より馬渡、下細野、中細野、下新久、上新久、塚原の住民は、遠州秋葉神社を火伏の神として信仰し、秋葉講をつくり、毎年代参を行ってきた。社殿焼失に依る文久2年の再建に寄進し、明治15年には半原秋葉山にこの石祠を建立した。明治末より深沢尻、浅敷戸が加わり、大正2年には細野一円が講中となった。更に昭和60年の秋葉山上本宮再建に奉賛した。平成元年、講が永年続くことを祈念して祠域を整備し、この碑を建てる。 平成元年 11月17日』
[石祠と細野秋葉講記念碑]

 さらに下り道を進む。
 振り返ると、新緑が醸し出す色が何とも言えない。思わず、デジカメ撮影。(写真下)
[新緑の林を振り返る]

 11:06、林道に飛び出た。
 ここにも新しい道標が立っていた。
 林道を横断し、再び山道に入る。
[林道を横断する時に出会った道標]

 11:14、小広場かと思ったら、送電鉄塔下だった。
 鉄塔の番号を調べようと周りを歩くものの、それらしき銘板がなかった。
 また、左手に別の山道が続いていた。この道(送電線巡視路?)は、どこに続くのだろうか?ちょっと興味あり。
 鉄塔に出てきた方向から見て、小広場を直進するように下っていく。
[送電鉄塔(No.390)に出た]

 日差しが強くなってきた。殆ど手入れがされていない植林帯を下っていく。
 ここにも新しい道標が立っていた。
[下ってきた植林帯を振り返る] [新しい道標あり]

 11:26、目の前に林道が現れた。
 この合流点で、さっきの送電線鉄塔の小さな標識があり、あの鉄塔の番号が、「佐久間東幹線No.390」だと分かった。
 「あれっ。ここも佐久間東幹線だったっけ」
 最近、物忘れが激しい。
 佐久間東幹線。丹沢では、西群馬幹線と並んでポピュラーな幹線名だ。
 s-okさんのHP「ようこそ!山へ!!」での送電鉄塔物語を思い出す。
[林道に出た]

 合流点にあった道標に従って、舗装路の林道を下っていく。
 11:36、前方に小さなゲートがあった。(写真下)
 この先からは、民家が現れ、普通の車道を歩いていく。

 11:38、半原越からの南山林道と合流。
 中津川に向かって下っていく。途中、左手に車道が見えたので、左折し、バス通りに出た。
[ゲートを通り抜ける]

 11:51、清雲寺入口バス停に到着。
 次のバスは、12:26。まだ30分以上もある。次のバス停まで歩くかと思い、次のバス停を調べると、なんと半僧坊前。地図でみると、ざっと2km以上ある。という訳で却下。
 清雲寺入口というのだから、清雲寺でも行ってみるかと思い、地図を見るが、近くに寺の地図記号が見当たらない。500mぐらい離れたところに記号を見つけたが、こんなに離れているものだろうかと首をかしげる。尋ねたいが、周りに人など歩いていない。
 そんな訳で、結局、バス停で山行記録を書きながら、時間を潰すことに。
 [清雲寺入口バス停に到着]


 半日コースの山行でしたが、展望に恵まれ、風景写真としての収穫は、大でした。しかし、上述のように秋葉山へのルートが、一般ルートに格上げされ、ちょっと複雑な心境です。個人的には、仏果山から半原に下る道より静寂で、好きなコースです。

 今回、秋葉講記念碑の内容をじっくり読みましたが、このあたりは、江戸時代の頃、火災が多かったのでしょうか。こちらの郷土知識もないため、ちょっと不思議に思いました。

 【注意】
 秋葉山は、古いガイドブックを見ますと、上記馬渡分岐点の所を指しています。ですが、ここでは、新しい標識の立っている箇所を秋葉山と解釈しました。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。