トップページ山行リスト(日付)>大野山_記録20070920


大野山

 山行日
2007年9月20日(木)     晴     単独行
 コース
谷峨(7:25)〜(7:49)嵐[山道入口]〜(8:38)十字路[東屋]〜(9:08)休憩所(9:45)〜(10:07)大野山(10:35)〜(10:45)イヌクビリ〜(11:47)共和小学校〜(12:25)大野山入口〜(12:33)浅間山トンネル〜(12:50)山北
 8月下旬から仕事のヤマ場を迎え、東北の方へ出張しておりましたが、3週間ぶりに横浜へ戻ってきました。そんな訳で、急遽、9/20に休みを取り、丹沢へ。久々の山行ということで体力的に自信がなく、目的地は、軽めの山としました。
 候補で挙がったのは、焼山、仏果山、大山、高松山、大野山など。このうち、大野山は、調べてみると2002年以来、登っておりません。そんなこともあり、今回、選択してみました。


 9月は、20日になって、ようやく休みが取れた。ということで、何はともあれ、丹沢へ。東海道線に乗っている時でも久々の山行のせいか、興奮して眠くならない。
 谷峨に7:05着。秋とは思えない、強力な日差しが照りつける。
 小さな駅舎の中で朝飯用のオニギリを取り出す。ちょっと外に出れば、大野山の山頂付近が眺められる。
 「と、遠いな〜」、出発点からゴールの山頂を見てしまうと、いつも呟いてしまうセリフだ。

 駅前に送迎の自家用車が入れ替わり停車し、どんどん駅に人がやってくる。ちょうど、上りの電車がやってくる時刻のようだ。
  「そうだ。今日は、平日だったっけ。」
 オニギリを1個食べた後、すぐさま出発する。清水橋方面に向かって歩いていると、上り電車がホームに入ってきた。(写真下)
[谷峨駅を出発(中央奥が大野山頂上付近)]

 100m少しで右折し、R246を跨ぐ。(写真下左) 
 そこから酒匂川にかかる吊橋を目標に農道を歩いていく。「なんという暑さだ」とブツブツ言いながら、吊橋のところまで来ると、ちょうど日陰になった。(写真下右)
 意外にも日陰は涼しい。「さすがは秋だ」と、さっきまでの文句は、どこへやら。
[R246上から不老山方面を眺める] [酒匂川を渡る]

 車道の坂道を上っていくと、日陰といえども、背中は、汗だくになる。

 やがて、左手前方に富士山を発見。
 先月と同様、雪のない赤茶色の富士山だ。まだ時間が早いせいか、比較的クリアに見えた。
[富士山を発見]

 高速道路用の白い建屋の所で、道は、Uターンして上って行く。
 
 やがて目の前に民家が現れる。
 「このあたりで、民家の横の路地に入るはずだったな〜」と過去の山行を思い出しながら歩いていくと、左手に目立つ看板が。
 この角を見落とし、直進してしまい、コースを間違える人が多いためかもしれない。
 細い横道に入っていく。(7:49)
[細い横道に入る看板]

 ようやく山道に入り、登山らしくなった。ミンミンゼミの鳴声(9月も下旬だというのに)、東名高速の自動車音、秋虫の鳴声などが混じりあう。
 周囲も檜の植林から雑木林となる。日陰なので、歩きやすい。だが、視界は、途切れ、どの辺りを歩いているのか分らなくなる。

 8:07、車道に出た。と同時に車道の上を覆うように枝が伸びている大木が目に入る。近づくと、説明板が立っており、これが、「頼朝桜」なる木だと知る。
 枝振りは、見事だが、ちょっとバランスが悪いようにも見える。将来、道路の真ん中に添え木が必要になってくるのではないだろうか。そんな事が第一印象だったが、満開の時に大野山から下ってきて、帰り際に花見をするのも悪くないな〜と思った。

 ※都夫良野の頼朝桜 ・・・ 説明板による
 (前略)・・頼朝桜は、天保年間徳川幕府編さんに成る「新編相模国風土記稿」に挿絵と共に載っている。元樹は明治14年の台風によって倒損し、現在の木は、蘖(ひこばえ)の成長したものと伝えられる。樹高11.6メートル、根廻り2.4メートルである。(この付近は、桜平と呼ばれている。)・・(後略)

 なお、近くにあった別の説明板(かながわの古道50選「奥山家古道の都夫良野付近」)にも、この頼朝桜について説明があり、それによると、
  「昔、源頼朝がここを通った際、杖をついて休んだところ、その杖が根付いてこの桜になったと伝わっています。」
とのこと。
 ちなみにこの桜の木は、山北町指定天然記念物となっている。
[車道に出た所に頼朝桜あり]

 頼朝桜から車道を歩く。車道といえども、車とは遭遇しない静かな道である。
 ほんの数分、歩くと、見知らぬ新しい小屋が建っていた。よく見たら、トイレだった。(5年前には、なかったと思う)
 ここは、車道と登山道との分岐点で、右手の細い登山道(といっても舗装路)ヘ進む。
[何やら新しい小屋が?]

 「こんな道だったっけ。」と思いながら、全く記憶の無い舗装路を上っていく。
 「このあたり、山道を整備したのだろうか」、改めて己の記憶力の弱さを認識。
[直線の小道を上っていく]

 直線的な舗装路を上った後、再び、山道になる。このあたりは、雰囲気の良い林だ。鼻歌混じりに歩いていると、山道の両側に植樹がされていることに気がつく。見れば、桜のようだ。どうやら、何年後かは、ここを桜道にする計画があるようだ。(写真下)
[道幅が広めの山道]

 それほど急な登りでないので息も切れず、気分よく進んでいくと、再び車道に出た。(8:38)
 車道を横断し、その先の山道に入っていく。ここで目についたのは、新しい東屋。先程のトイレといい、この東屋といい、大野山のハイキングコースは、かなり整備されている。
[車道に出た地点にて新しい東屋を見る]

 この先から山道は、そこそこの登りになる。以前、このあたりは、下草が茂り、蛇が出てきそうで気味が悪かったものだったが、今は違った。キレイに草は刈られ、道は、明瞭で歩きやすい。

 8:50、ついに木陰が無くなり、日差しをモロに浴びるハメに。前方が、草原状態になった。(写真下)
[[ついに草原に出た]

 だが、その見返りとして、視界が広がった。箱根の山々や、富士山も眺めることが出来た。
 この時間帯でも、まだ富士山は、それほど霞んでいない。
[振り返ると、裾野を広げた富士山の姿が]

 視点をちょっと下に落とせば、山麓の一角に民家が密集しているエリアがあった。出発点の谷峨駅付近だ。
 「遠いな〜」と呟いたのは、ほんの1時間半前だ。
[谷峨駅方面を見下ろす]

 8:59、小さな囲いに到着。ホルスタイン系の牛が30頭強、詰め込めれていた。牧場の係員の方2名が、その囲いの中で作業をしていた。なるほど、今日は、平日。働く人が居てもおかしくない。
 牛の顔を間近に見るのは久々だ。
 大野山は、山頂周辺が牧場になっている。ここまで来たら、山頂は近い。
[牛と対面]

 ふと、牛とは、反対方向を眺める。(写真下)
 こちらは、鍋割山稜・大山方面だが、雲が出てきており、山のピークがはっきりしなかった。
[[北東側の風景(大山方面)]

 9:08、休憩所の東屋に到着。ペットボトルで水分補給。ここで、中型カメラ・三脚を取り出し、富士山方面を撮影する。この時間帯でもそれほど霞んでいないため、気分よくシャッターを押すことができた。
 9:45、カメラをしまいこんで、東屋を出発。
[休憩所からの富士]

 この後、山道は、フラットになる。左手には雄大な風景が広がる。大野山ハイキングで一番の展望箇所だろう。箱根、富士山、不老山、西丹沢の山々が一望できる。
[牧草地と富士]

 山頂まで、あと少しというところで、左手には、牧草地が広がる。すると、一台のトラクタ−が近づいてきた。今日は、平日なのだ。ここでも働く人が居た。
 (今回は、富士山の写真が多いな〜)
[1台のトラクターが牧草を刈っていた]

 トラクタ−を撮影していたため、山頂に着いたのは、10:07。ザックを下ろして、記念撮影。
 その時、「おやっ」と思ったのが、山頂のトイレ。ここも更新され、新しくなっていた。
 山頂の標識地点からは、さっきまで見えなかった丹沢湖や、檜洞丸方面も眺めることが出来る。だが、残念ながら、今日は、犬越路から東側は、雲が広がっており、檜洞丸のピークは、見れなかった。
 日陰を求めて、山頂の東屋に腰をおろす。海側からの風が濡れた背中を冷やしてくれ、心地よい。山頂に着いたら食事というのが、いつものパターンなのだが、今回は、さすがにまだ早い。そこで、地図を広げ、山座同定。意外にも、ここからだと、畦ヶ丸が大きい。屏風岩山の向こうに見えるピークが大界木山かな、など一人悦に入る。

 また、これからの下山コースを考える。結局、オーソドックスな山北への道を選択。今日は、久々の休日なので、ゆったり登山なのだ。
 10:35、出発。
[大野山山頂]

 林道・農道が交差しているイヌクビリまで下ってきた。(10:45)
 林道工事のカンバンあり。その時、赤土を積んだ大型ダンプが1台、イヌクビリから丹沢湖方面への林道に入っていくところに遭遇。この先の林道は、行き止り(山道は、続いているが)だが、その延長工事でも行なっているのだろうか。
[イヌクビリで見た林道工事のカンバン]

 イヌクビリの交差点では、山頂から直進するように歩いていく。
 下り坂を終えたあたりで、右手に山道を見る。(10:52) 右折するのが、山北へのコースだ。右側に道標が立っているのだが、ちょっと分かりづらい。(写真下)
[山北方面への分岐点(右に曲がる)]

 ここからは、一直線の下り道。途中、高杉・市間方面(大野山東方面の地名)への分岐点があるが、直進していき、一気に高度を下げる。
[一直線に下る]

 やがて、山道は、山腹を水平にトラバースするような道となる。あまり下っているという気がしない。
 やたらと蜘蛛の巣に当たる。平日は、誰も通っていないようだ。

 11:31、送電線鉄塔横を通り過ぎ、11:35、地蔵岩という地点に到着。ここで、車道に出た。(写真下)
[地蔵岩:ここで車道に合流する]

 車道を進むと、やがて民家が現れ、共和小学校の校庭横に出る。
 小学校横の道路の丁字路からも富士山が眺められた。(写真下)
[共和小学校から富士が見えた]

 校門にて、バックを大野山頂上とし、共和小学校をデジカメ撮影。
 校庭の奥には小さな校舎が建っている。児童数は、いったい何人ぐらいなのだろうか。
 ちょっとした癒しの風景だ。
[共和小学校校門から大野山を望む]

 小学校からの先は、昔歩いた記憶が殆ど残っていなかった。民家の横道を通り抜け、どんどん下っていく。相変わらず、日差しは強い。

 12:05、大野山登山口バス停の少し先(R246寄り)の車道に出た。(写真下)
 目の前は、大きな工場だった。広い車道を下っていく。
[広い車道に出た地点]

 東名高速の下をくぐり、R246に出た。(12:25)
 ここから山北駅まで、旧道を歩いていくのは、何度も経験しているので、駅の南側に出るようなルートを選択。
 R246の浅間山トンネルに向かう。(写真下)
[R246のトンネルを通過]

 トンネル通過後は、左に折れ、御殿場線沿いに歩いていく。ここは、桜並木で、花見のシーズンは、人出で賑わう所。こうやって、近くで桜並木を眺めると、皆、大木なのに気がつく。
 その後、鉄道公園に設置されている蒸気機関車D52の所で道草を食う。
 確か、この先に「さくらの湯」という公共施設があったことを思い出し、建屋に進むと、なんと本日は、休館日。毎週木曜が祝日で無い限り、定休日となっていた。あぁ残念。
[[「さくらの湯」は、本日定休日]

 そんな訳で、そのまま跨線橋を渡って駅に向かう。
 12:50、山北駅で列車を待つ。

 久々の山歩きを無事終えた安堵感と、今回の仕事のヤマもある程度越えたことの安堵感が入り混じり、精神的な安らぎを一人ホーム上で味わう。
 [山北駅にて上り列車を待つ]


 久々の休日で、体力が消耗しきっているのではないかと思っていましたが、意外にも体は、元気でした。お蔭で、登りでも息が切れることなく登れました。(出張中でのダイエット効果か?)
 さて、大野山ですが、5年ぶりに訪問しましたが、上記文中で示しましたようにトイレや東屋が更新・新設されており、山道も手入れが行き届いており、気分よく歩けるハイキングコースになっていました。
 冠雪した富士山がくっきり見える真冬の頃や、桜の咲く頃、季節を変えて再び訪れたいと思っています。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。