トップページ山行リスト(日付)>鍋割山・小丸_記録20080419


鍋割山・小丸

 山行日
2008年4月19日(土)・20日(日)  晴後曇・曇後晴        同行者:父
 コース
県民の森ゲート(11:01)〜(11:22)二俣〜(11:55)ミズヒ沢(12:25)〜(12:47)後沢乗越〜(14:17)鍋割山(泊)
鍋割山(7:35)〜(8:06)小丸〜(8:15)二俣分岐(8:31)〜(10:12)二俣〜(11:25)大倉
 久々に父(といっても、今年数え年で81になる爺さんです)から山への誘いがありました。具体的には、4/19・20、鍋割山荘でのイベント「花と緑の集い」に参加しないかというものでした。
 事前情報によりますと、このイベント内容は、
   土曜日夕食後  :絹川文仁さん(テノール)と市川尚子さん(ソプラノ)の共演の音楽会
   日曜日  :種まきと登山道補修ボランティア
とのことです。
 これは、楽しみなこと。(最近、何故かクラシック音楽に興味を懐き、CD等を買っております)
 ということで、即OKしました。
 父とは昨年11月以来の5ヶ月振りの山行となりました。


<第1日>
 今日は、ゆっくり出掛けることにした。
 ということで、渋沢には、10:32着。
 駅の出入り口には、看板がぶら下がっており、「秦野丹沢まつり」ということで、19・20日のイベント会場:西中学校、20日の山開き式の会場:県立秦野戸川公園となっていた。

 大倉から歩くかどうか迷った挙句、結局、タクシーで、二俣手前(表丹沢県民の森)のゲートまで行くことにした。大倉から歩くより、50分ぐらい林道歩きが短縮される。
 ゲートに10:55着。上着を脱いだ後、出発。(11:01)
 今日は、暑くなりそうだと、このときは、そう思った。父は、半袖になって歩いている。
 5ヶ月振りの同行だが、相変わらず、父の歩くペースは、変わらない。こっちがメモを取っていると、すぐ間隔が広がってしまう。
[渋沢駅にて] [二俣手前のゲート]

 11:11、道標に出会う。(写真下左)
 おやっと思った。何となく以前の道標とは違うような気がした。確か、以前は、3方向を示す道標だったはず。(写真下右)
 帰宅後、調べてみたら、やはりそうだった。
 栗ノ木洞へのルートは、どうなったのだろう。ちょっと疑問が残った。
[道標(現在)] [道標(過去)]

 勘七橋を渡り、近道(沢沿いに進む)をしようかと父が提案してきたが、昨日が雨だったことを考えると、安全策で林道を歩くことに。

 11:22、二俣で勘七ノ沢を渡る。やはり、普段よりいくらか水量は、多いように見えた。

 この後、前日の雨のせいか、そこそこ水量のある滝が現れ、思わず撮影に夢中になったり、間伐された植林帯をボケ〜と眺めていたり、新緑の木々を観賞したりと、余計な時間を費やしながらの歩行となった。
 そういえば父は、新しいデジカメを携帯していた。(これでデジカメ4台め?フィルムカメラの頃から、落下破損(あぁ、ニコンの一眼レフが...)、デジカメになってからも置忘れ(金峰山)、水没(丹沢:その後一時的復活)等、カメラとの相性が悪い父であった。)
[二俣で勘七ノ沢を渡る]

 11:55、ミズヒ沢に着いた。
 ここには、鍋割山荘へのボランティア用として水道水が入ったペットボトルが何本も置いてある。
 
 「ここで昼食にしよう」
という父の発言で、昼食とした。
 食べていると、体格のいい男性と小柄な若い女性の1組に追いつかれ、挨拶する。 ここで男性は、鍋割山荘ボランティア用の水場に置いてあった灯油用?の大きなポリタンと自分のザックを背負子に載せて出発して行かれた。
 その後すぐに、単独の中年男性が来られ、挨拶すると、
 「今のお二人が、今晩の歌手ですよ。」
と、男性から聞かされ、ビックリ。
[ミズヒ沢にぶつかる]

 昼食終了後、父は、今回、山荘用の2リットルぺットボトル2本をザックに入れている。こちらも、4リットルペットボトルなどをザックに入れる。一度、何キロぐらいまで背負えるか、チャレンジするのも面白いかな、と思う。(まあ自分の限界は既に分かっているのだが)
 12:25、ミズヒ沢を出発。

 小沢沿いを登り、植林帯に入る。いつものコースだ。
 気がつくと、上空は、完全に雲に覆われていた。これで、いくぶん涼しくなった。これで雨が降らなければ歩くコンディションとしては、最高だ。
 父の歩行ペースも調子がいい。
[植林帯の登り] [植林帯のトラバース]

 12:47、後沢乗越。
 まだ休憩するには早いということもあり、通過。
[後沢乗越を通過]

 12:54、約30分歩いた時点で小休止。
 13:01、赤ペンキで900mと書かれている木の幹を通過。
 13:35、西側の山々が見えてきたところで、休止。このペースで行くと山頂に早く着きすぎるということもあり、ちょっと長めの休止となった。
 ここから眺める檜岳山稜は、貫禄のある山容だ。

 約13分休憩後、歩き始めるとすぐに満開のマメザクラに遭遇。(写真下)
 (だが、曇空で暗く、ちょっと撮影屋泣かせ)
[マメザクラが咲いていた]

 フラットになった所で、東側の風景を眺めていると、単独の男性に追いつかれた。挨拶すると、鍋割山荘の常連の一人、Tさんだった。
 ということで、ここから3人で歩くようになる。(写真下)
[Tさんとともに歩く]

 14:17、鍋割山頂上に到着。
 早速、小屋に入り、草野ご夫妻に挨拶。そして、ロング缶を購入して、父と乾杯。曇ってきたせいか、山頂は思ったよりも気温が低い。ビールを飲むと身体が冷えてきた。
 残念ながら、西側は雲に覆われ、富士山の雄々しい姿は、見られず。
[鍋割山荘到着] [乾杯]

 小屋に戻って、夕食まで、一眠り。
 17:25、夕食の案内があり、テーブルにつく。今日は、「花と緑の集い」イベントということで、特別料理だ。冒頭、草野さんからのご挨拶があり、その後、皆で、「乾杯!」

 桜ご飯というのを初めて食べた。桜餅もあまり食べたことがなく、桜がこれほど香ばしいものと初めて知る。
 夕食後、外に出てみると、雲の間から日が差し込んでいた。

 夕食も一段落したところで、18:25、本日のメインイベントである音楽会がスタート。
 絹川文仁さん(テノール)と市川尚子さん(ソプラノ)の登場だ。宿泊者、約50人が観客で、小屋の受付付近のステージに皆の視線が集中する。
 絹川さんが司会も兼ねた楽しいおしゃべりの後、いよいよ一曲め。
 楽器は、絹川さん自ら演奏のキーボード。
   ・歌劇:椿姫 「乾杯の歌」
 絹川さんの声が響き渡る。司会の時の声からして、いい声だな〜と思っていたが、やはり、実際の歌声となると、それ以上の迫力だ。そして市川さんのソプラノ。夕食の時、草野さんと話をされているときの声を聴いていると普通の女性の声だったのだが、いきなり歌声を聴いて、これまた、声量の大きさとその澄み切ったソプラノの音域に度肝を抜かれた。
 (何たって、2mと離れていない正面の極上席で聴くことが出来たのは、幸いだった)
 その後、市川さんがフランス留学されていたとの関連か、曲目は、シャンソンに移る。
 市川さん独唱による
   ・バラ色の人生
   ・愛の讃歌
 また、絹川さんの進行役のおしゃべりが入り、今度は、日本語の歌詞ということで、
   ・ミュージカル:CATSより「メモリー」
など。
 その後、絹川さんが、草野さんを引っ張り出し、草野さんから「鍋割讃歌」が紹介され、皆で合唱。
 次に皆で 
   ・早春賦
   ・遠き山に日は落ちて
などを歌う。
 最後に絹川さん、市川さんの
   ・千の風になって
を聴かせてもらう。
 あっという間の1時間だった。いやはや、丹沢の山小屋で、このような音楽会が聴けるとは、感無量の境地だった。単に歌だけという訳でなく、歌詞の解説やエピソードを交えた、話し上手の絹川さんの進行役も最高だった。

 小屋の外に出ると、秦野盆地の夜景が美しいダイヤの輝きのように見えた。
[夕食のひととき]

<第2日>
 翌日は、5:50まで、ぐっすり眠り込む。普段、こんなに長い睡眠時間は、取ったことがないが、山小屋だとよく眠れる。何故だろう?
 6:00から朝食となる。
 しっかり朝食を食べた後、外に出てみると、愛鷹山手前に虹が出ていた。どうも今日の天気は、はっきりしない。上空は、雲に覆われている。

 その後、小屋の前のベンチで、ヨモギやススキなどの種を小さなビニール袋に分ける作業を手伝う。これが、本日のイベントの一つ、種まき用の袋となる。
[種を小さな袋に分ける] [分けられた袋]

 そんな中、昨日、お世話になった絹川さんと、市川さんが下山されるところだった。絹川さんは、ボランティアとして空のペットボトルが入った大きなビニール袋を持ち、皆に見送られながら、後沢乗越へと下って行かれた。

 既に別のグループが、登山道補修ボランティアとして小屋付近のロープを修理していた。
 草野さんご夫妻に挨拶し、我々は、登山道補修作業は辞退させてもらい、種の小袋をいくつか持って、小屋を出発する。

 鍋割山荘から小丸方面に向かう。(写真下)
 上空は、曇り空。特に北側の蛭ヶ岳方面は、山腹の半分は、ガスに覆われ、下部の玄倉川あたりだけが見える状況だった。
 だが、南側の相模灘の方は、まだそれほど雲に覆われておらず、秦野盆地も真鶴半島も眺めることができた。
[鍋割山を出発]

 「このあたりでもいいだろう」
と父が、ビニール袋から種を掴み、腕を伸ばして種を蒔く。今日は、裸地部分の土も湿っており、種蒔きとしては、条件がよさそうだ。
[種蒔き爺さんの図]

 歩き始めて30分過ぎ、北側のガスがこの鍋割山稜も覆うようになった。一瞬で、ガスに包まれる。
 これは、今日の天気は悪くなるのではないかと、不安になった。
 だが、そう思ったのも束の間、再び、ガスが切れて、海側の景色が見え始めた。
 「これだったら、今日の天気は、もつだろう」などの会話をしていたら、二俣分岐だった。
 今日は、ここを右折し、久々の訓練所尾根(最近の地図では訓練所が移転したためか「小丸尾根」と記載されている)を下る予定だ。
 右折した所で、すぐ秦野盆地や大倉尾根方面の視界が広がる。
 遠く三浦半島が浮かび上がっているように見えた。
[小丸ピークを通過] [ようやく二俣分岐]

 最初の下りは、小さなジグザグ。馬酔木の花に囲まれるようなゾーンを過ぎると、木立の間から栗ノ木洞方面を見ながらの下りとなる。(写真下)
 このあたりも歩きやすい山道だ。
[二俣への下り]

 植林帯の緩やかな斜面になる。

 その植林帯の途中で、「小丸まで1000m」という登り用立札を見る。「東京神奈川森林管理署」とも書かれており、この管理署が立てた標識のようだ。余り見かけない標識である。
[山道らしい道を歩く] [標識あり]

 10:09、二俣手前の林道に合流。(写真下)
 ここまで来ると、今日の天気が晴れであることに気がつく。
 左手から、鍋割山を目指すと思われるパーティが続々とやってくる。
[二俣手前にて林道に合流]

 10:12、二俣着。
 ちょうど林道を下ってきたパーティと一緒になる。(写真下)
 父のペースは、全く変わらず、順調そのもの。
[二俣にて(勘七ノ沢を渡る)]

 他のパーティは、尾関翁の所で小休止。
 よって、その先は、我々2人となるが、すれ違う人々が相変わらず多い。

 10:21、分岐点(出発点だったゲート方面)のところでオオシマザクラが見事な花をつけていた。今回の山行で一番見応えのある桜だった。
[オオシマザクラが満開だった]

 父と話しながら歩くので、あまり長くも感じないで、大倉到着。(11:25)
 今日は、丹沢まつりの一環だろうか、テントによる店が幾つか見られた。(写真下)
 こうして、今日も無事、下山となった。
 [大倉バス停に到着]


 今回は何と言っても、鍋割山荘での音楽会が印象的でした。
 確か北アルプスや八ヶ岳といった山小屋では、以前からそのようなイベントがあったような気がしていますが、そのような時期に行くチャンスもなく、今回が、自分自身にとって初めての体験でした。
 また、機会があれば、参加したいと思っています。

 父とは、5ヶ月ぶりの同行でしたが、以前と何の変化もなく、信じられないぐらい歩行ペースは、同じでした。母から私に与えられている父への丹沢引退勧告は、どうやらまだ先のようです。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。