トップページ山行リスト(日付)>第六天・高松山_記録20090607


第六天・高松山

 山行日
2009年6月7日(日)        曇        単独行
 コース
田代向(7:17)〜(7:33)寄自然休養村〜(9:15)第六天(9:23)〜(9:31)尺里峠(9:33)〜(10:19)高松山(11:06)〜(13:23)八丁橋〜(13:34)人遠橋〜(14:26)東名高速下〜(14:39)山北
 先月、高松山からの南西尾根を歩きましたが、その時、途中にあった八丁へのルートが気になりました。ということで、今日は、高松山から八丁に向かって下っていくルートの計画を立てました。
 事前に誰かが歩いているのではないかとネットでレポートを探すつもりでしたが、時間がなくて、結局、ぶっつけ本番となりました。
 地形図とコンパス、高度計を頼りに自己未踏ルートへ挑戦です。
 さて、結果は如何に。 


 今回、高松山へのルートは、田代向からの第六天経由でのルートとした。
 但し、田代向から竜王寺を経て尺里峠に向かう車道は、歩いたことがあったので、今回は、山と高原地図(丹沢)昭文社2009に記載されてある、田代向から寄自然休養村を経て第六天の南側を通行するルートを選択。(このルートは、今まで歩いたことがなかった) 
 山と高原地図では、どこからも第六天山頂に到達する登山ルートは明記されていない。だが、以前登ったことがあるので、この山頂付近の道から直登すれば、第六天に登れるだろうという楽観的な気持ちでルートを計画した。

 新松田駅前から寄行きのバスに乗車し、7:10、田代向にて下車。(写真下)
 ここで、自販機を見つけ、いつものように缶コーヒーを購入。飲み終わったところで、いざ出発。(7:17)
[田代向バス停]

 中津川の方へ向かっていく。田代橋を渡る手前に赤い旗が掲げてあった。(写真下左)
 うわ〜発砲とは。葉が茂る季節での狩猟は、ちょっと恐ろしい。
 ....バリルート派からみたら、危険この上なし

 でも、シカの駆除は、確かこの高松山エリアは、外れていた筈だが?と思いながら進む。
 (帰宅後、ネットで調べたら、やはり高松山周辺は、シカ捕獲エリアでは、なかった。この旗は、それ以外の駆除目的かもしれない。)

 田代橋を渡り、左折した後、直進していくと、右手に寄自然休養村の管理棟を見る。(写真下右)
 休養村では、マス・ヤマメの釣りや、バーベキューなどもできるようだ。

 その後、最明寺史跡公園へのハイキング用カンバンを見つけた。カンバンに記されているルートは、最明寺に向かう最短ルートのようで、山と高原地図(丹沢)に記載されているルートとは異なっていた。
 あれっ、これは、どういうことだろう?
 ちょっと自問自答するも、よくわからず。
 まあ、進んでいけば、いずれわかるだろう。最悪、最明寺まで行って、そこから第六天に向かうことでもいいかと思っていた。

 この先は、広場になり、駐車場のようだ。幾人かの釣人が、車から出て釣りの準備をしていた。
 その駐車場をどんどん進んでいく。
[田代橋にて] [寄自然休養村にて]

 7:39、駐車場奥の右手に遊歩道入口のカンバンを見つけた。
 ここから、ようやく山道になる。いよいよ、山歩きの始まり〜。
 樹林帯の中に入っていく。
[遊歩道入口]

 今日は、それほど気温・湿度が高いとは、感じられない。おかげで、汗も吹き出ていない。快適なコンディションと言っていいくらいだ。

 7:56、大きく右へUターンして上っていく所で、道が分岐していた。左は、最明寺史跡公園、右は、山北町高松と記されている。山と高原地図(丹沢)で確認すると、どうやら山北町高松方面のルートが掲載されているルートのようだ。
 ここは、右の道を進む。
[最明寺史跡方面と第六天方面との分岐点]

 目の前は、落葉の山道。ちょっと湿っている。
 これが、丹沢三峰あたりだったらと、昨年の7月、御殿森ノ頭での山道を思い出す。
  ....思い出しただけで、息が乱れる

 これほど条件が揃っているのに足下には、何も変化がなかった。
   ....気分は、最高
[植林帯を進む]

 尾根の背筋にぶつかった。
 左の下り道にも、踏み跡がうっすらとある。メインは、右の登り道だ。来た方向には、マスつり場の手製の道標が掛けてあった。(写真下)
 右折する瞬間、前方の植林の奥に送電線鉄塔が隠れていることに気がつく。
[尾根の背筋にぶつかる]

 緩やかな傾斜だったが、段々、きつくなってきた。だが、相変わらず一直線な登りだ。だが、8:21、左へ斜面をトラバースするように山道が曲がる。

 8:23、暗い植林帯の中から急に目の前が明るくなる。送電線の下に出たのだった。(写真下)
 思わず立止まって、目を凝らすと、江ノ島が見えた。
 こんな場所から江ノ島が見えるとは....
 ちょっと嬉しくなって、シャッターを押す。
[送電線の下に出た]

 山側には、送電線鉄塔が立っていた。その鉄塔の左側を通過する。(鉄塔は、田代幹線375)
 鉄塔を過ぎると、すぐに舗装路の終点に出た。(写真下)
[舗装路終点に出た]

 目の前にあった道標を見ると、右側の行先指示板での、第六天(「大六天」と記されているようだが)の文字の上には、テープが貼られてあった。(写真下左) 
 右手は、舗装路から未舗装路になるのだが、その先には、「私有地につき立入禁止」というカンバンがポツンと立っていた。道標に貼ってあるテープの意味がようやくわかった。

 「あらら....」
 ここで、地図を取り出す。
 山と高原地図(丹沢)では、どう見ても、この立入禁止の未舗装路ルートではなかった。
 むしろ、反対側の「最明寺史跡公園」側のようにも見えた。
 まあ、この先、立入禁止ならば仕方がないと、反対側の最明寺史跡公園と示された舗装路を進むことにした。(写真下右)
[道標には、テープあり] [振り返って舗装路を下っていく]

 舗装路を下っていくと、すぐさま丁字路に出た。(写真下左)
 ここを右折する。
 丁字路にあった道標には、「第六天」ではなく、「大六天」と記されてあった。(写真下右)
 確か「第六天」は、仏教に関わる言葉だと思っていたが....
 この前の高松山でもこの文字があったことを思い出した。
  ....やはり、第六天の誤りか。どちらが正しいのか。

 ちなみに左折方向の舗装路に対しては、道標がなかった。この方向に進んでも、寄自然休養村の方に行けそうだが、行き止まりなのだろうか。
[丁字路に出た] [丁字路にあった道標]

 最明寺史跡公園に向かって歩いていく。水平に進む林道で歩きやすい。地図を見て、第六天に対し、それほど遠回りしていないことがわかった。
 というか、これぞ山と高原地図(丹沢)に記載されているルートだと確信する。

 変則十字路に出たところで、前方の視界が広がる。(8:53)
 手前に牛舎の赤い屋根。その向こうには濃緑の松田山だ。(写真下)
 松田山は、本当に濃緑一色というイメージ。
[牛舎の向こうに松田山]

 変則十字路の横に立つ道標を見て、あれっ、ここは、以前、第六天から下ってきた時、通った道ではないかと思い、戻るようにして上り道を進むことにした。
[変則十字路で上り道に進む]

 やはり、記憶は正しかった。
 右手に送電線鉄塔(田代幹線374)を見る。先ほどの立入禁止の場所から続く送電線である。
 ここから見ると、あの立入禁止ルートは、第六天への直通ルートになっているようだ。

 その後すぐに、道が二分する。(写真下)
 左は、尺里峠へ。直進は、第六天ピーク方面。ここは、直進していく。
[前方が二手に分かれる]

 山頂下で、直登しようと、ススキ原に入ろうとしたが、ススキは、前日の雨のせいか、葉は雫だらけ。これは、入ったら、ビショ濡れになると思い、一歩踏み出した後、即撤退。
 結局、山頂手前で左折し、植林帯の中に入った後、山頂を目指した。

 9:15、第六天山頂(三角点)到着。(写真下)
 先ほどのススキ原を眺めると、意外にも丈が高く、これは強行突破しなくて正解だった。
 山頂といっても視界は、松田山方面だけが眺められる程度。それ以外は、植林に囲まれている。
 座る場所もなかったので、写真撮影を終えて出発することにした。(9:23)
[第六天の三角点]

 磁石を使って、西へと下っていく。すぐに踏み跡を発見。それにしたがって下っていくと、車道が見えた。(写真下)
 どうやら、峠よりも田代向寄りに出てきたようだ
[峠道に出た]

 9:31、尺里峠到着。(写真下)
 道標には、第六天と記されてある。ここは、尺里峠でいいのではないかと思っているのだが。
[尺里峠の道標]

 さて、高松山に向かうかと前方を見る。(写真下左)
 すると、目前に新しい手製の道標を発見。(写真下右)
 新しい道標には、手書きっぽい文字で、「虫沢古道を守る会」と書かれてある。 右手に上っていくのが虫沢古道のようだ。これは、自己未踏ルートゆえ興味深い。
 ということで、右手の階段を上り、古道を歩くことにした。
[峠から高松山方面を眺める] [新しい道標あり]

 階段を上ると、真っ先に目に入ったのは、観音像。
 頭の部分が欠けているのではっきりしないが、馬頭観音像のように見えた。おお!ここにもあったか、と思わず呟く。
 合掌後、像の背後に続く山道を進む。
[ここにも観音像]

 虫沢古道なる道を進んでいく。右手は、殆ど植林帯。
 それも年月が経っているため、植林は成長し、視界は、全く期待できない状態。
  ....ちょっとガッカリ丹沢方面の山並風景を期待したのだが。

 途中、右手の植林が少し離れ、自然林の中となった。
 昔は、どんな道だったのだろう。高松山周辺は、大昔、カヤトの山だったと聞く。このあたりもカヤトだったのだろうか。
[虫沢古道を歩く]

 9:51、左手から植林帯が近づいてきたと思ったら、一般登山道との合流点に当たった。ここにも虫沢古道の手製道標が立っていた。
 その後、周囲が全部、植林帯となる。他の登山者と出会うこともない。
 今日も、静かな山頂だろう。
 そんなことを思いながら、山頂手前のクサリのついた山道を登っていく。
[一般登山道に合流]

 10:19、高松山頂上に到着。ここは、一面、草原になっていた。
 富士山の眺めがポイントの場所だが、残念ながら、今日の富士山は、雲に隠れて、裾野すら見えなかった。また、予想に反して、山頂は、無人ではなかった。若い男性一人が既に休憩中だった。
 ここで、中型カメラを取り出し、撮影タイムとする。今日は、富士山が見えないゆえ、山頂の周りをカメラと三脚を片手にウロウロ。
 この後、中年ご夫婦が到着。やはり、高松山は、丹沢前衛の山として人気はあるようだ。
  ....でも、やはり富士山が見えないと、イマイチ
[高松山頂上にて小休止]

 11:06、高松山頂上を出発。
 途中でビリ堂への分岐点を直進し、西ヶ尾に向かうルートを進む。
 右手前方には、西ヶ尾が見えてきた。
 11:21、分岐点到着。(写真下)
 左を行けば、八丁。右を行けば、西ヶ尾である。ここで、いよいよ今日のメインである八丁への道(左)を進んでいく。
[西ヶ尾分岐点の道標]

 斜面を下っていき、前方に見える小高いピークを登る。(写真下)
 このピークにも赤頭白杭(No16)があった。このあたりで、チョコチョコと見られる赤頭白杭である。
[分岐点前の赤頭白杭]

 赤頭白杭のすぐ先が分岐点となる。(11:28) (写真下)
 左への道は、南西尾根と続く、先月歩いたルートだ。今日は、未知の直進していくルートをとる。目指すは八丁だ。
 ....さあ、ドキドキ。
[南西尾根(左)と北西尾根(直進)の分岐点]

 ここで、早くも疑問点が。
 西ヶ尾との分岐点には、手製とはいえ、立派な道標が立っていたが、前回の南西尾根は、決して明瞭な道とは言えなかった。それゆえ、こちらの北西に進むルートが正統な八丁へのルートだと思っていたのだが、全くの期待外れだった。南西尾根以上に道らしい道がなかったのだ。
 これだと、1/25000地形図と高度計と磁石だけが頼りだな〜と思いつつ、進む。
 すぐに前方に植生保護柵が現れた。(写真下)
 保護柵の左側を通過していく。
[直進していくと植生保護柵あり]

 高度計で、高度を確認。高松山頂上(801.4m)で、測定差を確認していたので、今日は、比較的、高度の精度は、いい方だろう。
 標高670m地点ぐらいで、ここが西尾根と北西尾根への分岐点だとわかった。
 1/25000地形図を見ながら、ちょっと悩む。
   ・北西尾根は、広葉樹林で、455m峰を経由し、尾根伝いで、最後に皆瀬川に下っていく。
   ・西尾根は、植林帯で短いため、皆瀬川手前で沢に下ってしまい、沢沿いに歩いて皆瀬川に出る。
 これだけならば、北西尾根をチョイスしただろう。
 だが、その北西尾根には、殆ど踏跡らしきものが見当たらなかった。
 それに対し、西尾根には、何となく踏跡があった。
 「ウ〜ム...」
 時が過ぎていく。
 距離は短いし、時間はタップリある。
 「ヨシ!」と、西尾根を選択した。足下の踏跡を信頼し、ダメだったら引返す覚悟で一歩、踏み出す。
 だが、現実は、そう甘くなかった。
 西尾根方面の踏跡も、すぐに薄くなっていく。
 「あれっ! これでは、ストーリーが崩れる。とにかく西に進んでみよう」
と強行に進んでいくと、下り斜面になった。
 適当に歩きやすい場所を選んでいくと、作業路に飛び出した。(写真下)
 「やはり、道はあったか!」
と、整備された作業路を下っていく。
[作業路を発見]

 植林帯の急斜面に続く作業路は、ジグザグに続いていたが、最後は、左側にトラバースしていくように進み、西尾根に乗った。
 だが、そこで作業路は、消えていた。
 「あれっ.....」
 ....ちょっと期待が外れた

 「まあ、いいや。西への斜面は、歩きやすいし」
 地形図を見ながら、西側に下っていく。すると、殆ど一直線の下りとなった。(写真下)
[西尾根に乗って下っていく]

 地形図通り、尾根の先端に到着。(12:11) (写真下)
 ....地形図の読み通りに地形が現れると、思わず口元が綻ぶ。

 周囲は、360度、植林帯。これは、地形図上からも判断できた。
 この先、地形図を見ると、進路は西ではなく、北西のようだ。ということで北西に進んでいく。
[尾根の先端に到着]

 植林を間伐した斜面に出た。
 このあたり、人が作業していたのは、わかるのだが、山道は、全く見つからなかった。
 とにかく適当に足が置ける場所を探しながら、下っていく。
[道なき斜面を下っていく]

 ついに急斜面となった。
 自分の位置が、地形図上でわかっているので、それほど不安は、なかったのだが、急斜面になっても、踏跡が見つからないと、ちょっと鼓動が高まる。
 ....でも、この緊張感がタマラナイ。
[急斜面となった]

 急斜面をゆっくりと下っていく。
 すると、ついに小沢に下り立った。(12:29)
 下り立つ少し前で、この小沢にトラロープが取り付けられているのに気がつく。何のためにあるのだろうと思ってロープに近づいて、その理由がわかった。
 左手(下流側)に小滝があり、その通過のためにこのトラロープがあったのだ。という訳で、このロープを利用して下流へと向かう。このロープのおかげで濡れることなく、小滝の下に出ることが出来た。
 ロープがあるということは、この辺り、人の手が入っているなと推察。
  ....この先の道をチョッピリ期待
[小沢に出た。(トラロープあり)]

 下流に向かうと左から沢が合流していた。まさに1/25000地形図通りである。
 右折すると、
  「うわっ!」
 と、ちょっとドッキリ。前方下流には、堰堤があったのだ。
 だが、冷静に左岸、右岸を見渡す。
  .....これは、鉄則。今まで何度失敗したことか。

 案の定、左岸に立派な巻道があった。巻道を見つけたところで、ちょっと小休止。(12:37)(写真下)
[堰堤の前で小休止]

 12:40、出発する。
 巻道にもロープが用意されており、安全に通過することができた。
  ....もう至れり尽くせりで、涙が出そう。

 振り返って、堰堤を眺める。(写真下)
[堰堤を振り返る(振り返って撮影)]

 12:48、前方にまたしても堰堤を発見。だが、右岸に鉄製の階段が用意されてあったことにすぐ気がついた。
  ....どうぞ歩いて下さいというようなルートだ。
[またしても堰堤]

 緩やかな沢沿いの径路を進む。前方に明るい河原が見えてきた。(12:52) (写真下)
 どうやら皆瀬川のようだ。 
[皆瀬川が見えてきた]

 12:57、皆瀬川に出た。(写真下)
 皆瀬川の水量は、少なかった。
 前回は、靴を脱いで渡ったが、ここは、石がそこそこ大きかったので、石伝いに進み、対岸に渡ることができた。
[皆瀬川に出た(下流側を撮影)]

 右岸を進むと、そのうち、未舗装路にぶつかった。(13:05) (写真下)
 遥か前方に見える山は、大野山だと気がついた。
 直線路を西へと、のんびり歩いていくと、左右に民家が現れた。長閑な風景だな〜と思うものの、意外に人影が多い。
   ....なんでだろう。
[未舗装路に出る]

 県道の舗装路に合流する。(13:12) 右側の先(山奥の方向)には、ゲートが見えた。
 木陰に入ると、風が涼しい。
 ここで、ネオプレーンのスパッツを外す。高松山頂上から、一応装着してきたのだが、ここまできたら不要だろう。
 このあたりが八丁かなと、周囲の開けた光景を眺めながら県道を進んでいく。
[県道に出た]

 その後は、ひたすら県道を歩く。
 八丁橋を渡り、人遠橋の手前で、大野山を眺める。
 板取沢橋、湯ヶ澤橋、市間橋と、たまに出てくる橋で、自分の場所を地形図で確認していく。

 14:26、恒例により、東名高速の橋の下から撮影する。ここからのアングルは、とても興味深い。(写真下)
  ....よくこんな場所に巨大な橋が架けられたものだ。
[東名高速の下を通過]

 テクテクと我慢強く舗装路を歩いて、14:39、ようやく山北駅に到着。
  ....やはり八丁は遠かった。
[山北駅に到着]

 今日は、初めて「さくらの湯」を訪問。日曜の午後でも空いていた。
 露天風呂で、まったりと過ごす。
  ....夏の丹沢では、最高〜
 [今日は、さくらの湯に立ち寄る]


 今日は、高松山から八丁への道を歩いてきましたが、上記のように、たいした道などなく、断続的に作業路があっただけでした。となりますと、あの西ヶ尾との分岐点に立つ「山北八丁方面(花女郎道)」の正式ルートは、どこでしょうか。
 南西尾根でしょうか。(但し、前回歩いた尾根ルートは違います)
 それとも、まだ踏破していない北西尾根でしょうか。(今回、踏跡が、よくわかりませんでしたが)
 そういえば、植生保護柵に当たったとき、脚立があったことを思い出しました。
 あの脚立を使っての北西尾根が、正式ルートだったのでしょうか。
 ウ〜ム。疑問だらけです。
 本格的狩猟シーズンの始まる前に、また出掛けたいと思っています。

 【追記】
 「大六天」の件ですが、いろいろと調べてみますと、「第六天」と同様な意味で、「大六天」と書かれている場所があることを知りました。
 ということで、誤りではないようですが、こちら丹沢の場合、
   丹沢山塊    (塚本閤治) 日本山岳写真書   山と渓谷社 (昭和19年9月発行)
   週末ハイキング (中村謙)   朋文堂 (昭和36年6月発行)
   丹沢       (奥野幸道) ブルーガイドブックス 実業之日本社 (昭和40年3月発行)
などの古い文献を見ても、全て「第六天」と記されてありました。
  丹沢の場合は、やはり、「第六天」の文字が一般に使用されているようです。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。