トップページ山行リスト(日付)>仏果山・秋葉山_記録20090920


仏果山・秋葉山

 山行日
2009年9月20日(日)        快晴  単独行
 コース
仏果山登山口(7:40)〜(8:43)宮ヶ瀬越(8:45)〜(9:05)仏果山(10:14)〜(10:31)馬渡分岐〜(10:42)秋葉山〜(11:26)390号鉄塔(11:31)〜(12:25)細野橋
 天気が良さそうなので、中型カメラを持って仏果山に向かいました。2年前と同様、秋葉山を訪れましたが、前回まで、気がつかなかったことが。
 詳細は、以下をご覧下さい。


 6:55、本厚木駅前から宮ヶ瀬行きの朝一番バスに乗車。
 バス車内に登山者風の客は、10人程度だったが、仏果山登山口で下車したのは私だけ。ここまでそれほど登山者は、降りておらず、残った乗客は、登山者ばかりだった。皆、丹沢三ツ峰、丹沢山方面への登山のようだ。
 7:40、バス停を出発する。
 朝日が眩しい。今日は、暑くなりそうだ。
[仏果山登山口バス停(背景は宮ヶ瀬尾根)]

 県道を渡って、登山道に入ると、いきなり顔に当たる空気が冷たい。まだこちらは、日陰のままで、気温が上がらないようだ。この気温であれば、このあたりのヒルも出てこないだろうと楽観的に考える。
 いつものように植林帯をトラバースしていくと、そのうち、左手にシカ柵が現れ、ジグザグに登り始める。登り終えたところで、石祠に出合い、手を合わせ、右下に植生保護柵を見ながら左上のピークを巻くように進んでいく。
 「この道の光景も、だいぶ覚えたな〜」と、呟きながら、次に現れるシーンを思い出す。

 ヤセ尾根を通ると左手に木立の間から宮ヶ瀬湖がチラッと見えた。(写真下)
 ここで、焼山と宮ヶ瀬湖を眺めながら、涼しい風に当たっていると、なかなか歩き出せなくなってしまう。気合を入れて歩き始める。
[いつもの場所で宮ヶ瀬湖を遠望]

 尾根の背筋沿いに登っていくと、すぐに目の前に植林帯の急登が目に入る。(写真下左)
 ここからが本格的な登りだ。
 ハアハアと息を切らし、途中で必ず一回は、立止まる。歳のせいか、どうも一気に登れない。

 その階段状の登りを終えると、左手に金網に囲まれた建屋を見る。ソーラーパネルの下にキャビネットが設置してあり、近寄ってみるが、説明板もなく、どんな機能を有しているのか、全くわからない状況だ。
 そのミステリアスな建屋を過ぎれば、すぐ尾根の先端に到着する。ここには、ベンチが用意されてある。(写真下右)

 「静かな山だ...」、そう思ってベンチに腰掛け、小休止。
 今日は、まだ登山道に入って、すぐに追い越された単独男性(おそらく自家用車利用と思われる)にしか会っていない。まあ同じバスで下車しなければ、この時間帯では、自家用車のハイカーしか会わないのだから、少なくて当然かと自問自答する。
 モミの木を見ながら、ザックを背負って出発。ここまで来れば、身体もだいぶ慣れてきており、後は、勢いで登っていける。
[本格的な登り] [尾根の先端にベンチあり]

 だが、現実は、甘くない。
 コンディションが良くないと、この先が長く感じるのだ。10分程度で宮ヶ瀬越に辿り着けるはずなのだが、今日は、長く感じてしまった。
 ようやく前方がフラットになり、宮ヶ瀬越が見えてきたところで、ホッとする。(写真下)

 8:43、宮ヶ瀬越に到着。 
 ここからは、関東平野が一望という訳でもないので、すぐに歩き始めた。
[前方に宮ヶ瀬越が見えた]

 左手に手前の半原方面や、遠く相模原方面の町並みを眺めては、時々、立止まる。この景色がなんとも言えず、いいのだ。
 今日は、思ったより暑くならないなと、宮ヶ瀬越からは、快適なペースで、仏果山に到着。(9:05)
 山頂には、誰もいなかった。すぐに展望鉄塔へ上る。
 今日は、9月の割には、空気が澄んでいると思いながら、大山を眺める。

 ここで、いつものように中型カメラをザックから取り出し、丹沢山や大山方面を撮影する。久々にPLフィルターを使う撮影となった。
[仏果山頂上にて]

 撮影が一段落した後、反対側の関東平野を手摺に両肘を置きながら、眺め続ける。
 ここから半原の町並みが見下ろせるかと思っていたのだが、手前の木々が伸びており、見えないことがわかった。
  ....以前は見えていたのだが


 かろうじて田代の町並みが見えるぐらいだった。田代の町並みから少し奥を眺める。三増合戦碑が立っているのは、どのあたりかなと目を細くしてみるが、よくわからない。

 「三増峠の戦い」について、2年前ぐらいにちょっと調べたことを思い出す。
 今から、440年前、あの三増峠付近で武田軍と北条軍の武力衝突があった。今の植林帯の三増峠と違って当時は、草原状態の峠だったらしい。
 北条軍は、2万といわれている。(6千から7千という説もあり)
 対する武田軍も2万といわれている。

 以前、山行記録2007-12-9「大峰・向山・富士居山」でも記載したが、
   山側(峠側)      :武田軍
   平野側(峠の南東側):北条軍
 の対陣だったのか、それとも、
   山側(峠側)      :北条軍
   平野側(峠の南東側):武田軍
 の対陣だったのか。
 いろいろ説があるようだ。そんなことを自分でも推理するのが、最近は、非常に面白く感じている。
 ....単なる詮索好きなだけか

 志田峠から武田軍の武将、山県昌景率いる別働隊が奇襲攻撃をかけ、北条軍は、大打撃を受けたとのことだが、結果的な勝敗は、はっきりしていないようだ。
 この史実に出てくる志田峠と今の志田峠は、果たして同一だろうか、違うとしたらどこか。そんなことを、ここの展望鉄塔上で、実際に地形を見ながら考えるのも興味深い。

 時間が経つのは早いもので、もう1時間以上、鉄塔上に留まっていた。
 10:14、山頂を後にする。
[展望鉄塔から三増方面を眺める] [半原・韮尾根方面を眺める]

 山頂から半原越方面に向かう。いきなり、急斜面の下りになる。いつの間にか、ここにはロープが付けられていた。そんな訳で以前よりは、楽に下って行ける。
 そんな折、正面の厚木方面を眺める。

 ヤセ尾根を進んでいくと、10:31、馬渡分岐点に到着。(写真下)
 ここで縦走路から離れ、左折する。
[馬渡分岐点にて]

 いきなりクモの巣攻撃の連発。
 ここを通る人は、いないようだ。だが、この辺りの道は、しっかりしているし、とにかく尾根の背筋に下っていけばよい。

 前方が尾根の先端になるなと思ったところで、「秋葉山」の標識が正面に現れた。(写真下左)
 残念ながら、周囲は、草ボウボウで、視界は広がらない。
 昔のガイドブックでは、先程の馬渡分岐点が「秋葉山」と記載されているのもある。もともと、このすぐ下に秋葉講の石祠もあることから、ここを秋葉山としたのだろうか。

 また、近くには、道標[←仏果山・経ヶ岳、上細野・愛川ふれあいの村→]も立っていた。
 この先、少し山道は、草木に蔽われているが、尾根の左側にほんの少し下っていくと、石祠に出合う。(写真下右)
 秋葉講の石碑も立っている。石碑には、江戸時代から地元住民が遠州秋葉神社を火伏の神として信仰してきたことなどが刻まれている。
 (石碑の文面は、前回の山行記録2007-5-20「仏果山・秋葉山」に記載)

 「さて、尾根を下っていくか。」と、1/25000地形図を取り出す。
 1/25000地形図では、尾根を下っていく破線が2本あり、一つは、北東に伸びていく尾根ルート、もう一つは、北東に伸びている尾根から、途中で東側の枝尾根に入っていくルートだ。今回は、この先の分岐点で、後者のルートではなく、前者の北東に伸びた尾根をそのまま直進して下ろうと思っている。
 10:48、尾根を下り始める。
 だが、3分と経たないうちにおかしいと気がついた。
 すでに今回の目的の北東直進尾根を下っているようで、地形図上の東側の枝尾根ルート分岐点が見つからないのである。
 だいぶ下ったが、右手に尾根などは、現れず、ちょっと立止まる。

 ここで、気がついた。
 おそらく地図上の東側の枝尾根ルートは、あの「秋葉山」の標識が立っていた尾根の先端から分岐しているのだと。つまり、この先で、ルートが分かれるはずだと思っていた出発地点(石碑のある場所)は、すでに北東尾根のルートに入り込んでいたのだ。
 今日は楽観視し、高度計を無視していたのが、痛かった。高度が低いとはいえ、完全な油断だった。

 そうであれば、2年前の5月に歩いた時と同じルートだと思いながら、下っていくことにした。
 相変わらずのクモの巣攻撃が続く。
[秋葉山の山名標識] [秋葉講の石祠と石碑]

 11:13、林道に飛び出た。(写真下)
 ここの道標では、馬渡バス停方面は、なんだか林道を歩くような方向を示しているが、実際は、林道を横断するように進むのが正解である。(ちょっとわかりづらい所)

 山道に再び突入すると、またしてもクモの巣攻撃。
 この後、シカ柵が現れ、扉のない箇所、扉のある箇所と通過していく。
[林道を横断]

 11:20、いきなり視界が広がり、送電線鉄塔が目の前に現れた。(写真下)
 「あれっ、こんな光景、あったっけ?」
 帰宅後、2年前の記録を調べたら、鉄塔直前まで樹林帯だった。その後、伐採されたようだ。
 そんな訳で、予想外の光景に思わず立止まる。
 デジカメ撮影後、ゆっくり景色を味わいながら、送電線に近づく。

 送電線鉄塔下で、1/25000地形図を広げ、左右の尾根の形状を確認。思った通り、ここは北東の直進尾根だった。右手に東側の枝尾根ルートの尾根が見える。

 鉄塔の銘板を探すが、今回も見つからなかった。
. ....前回も見つけられず
[前方の視界が広がる]

 植林帯の中を下っていく。
 下り終えたところが丁字路になっていた。ここは、2年前にも通った記憶があり、その時は、下草が茂った、手入れのされていない植林帯だったが、今回は、見事に下草が刈られてあった。
 丁字路を左折し、フラットな道を進む。
[植林帯を下っていく(振り返って撮影)] [2年前での同じ場所]

 すぐに林道に出る。(写真下)
 舗装路の林道だ。
 この合流点に先ほどの送電線の名称がわかる小さな標識を見つけた。
 「佐久間東幹線No.390」
と記されてあった。
  ....前回の時も記憶あり。
[林道に出た]

 1/25000地形図上では、林道が南側にV字に曲がった後、右手に先ほどの東側の枝尾根ルートが林道に合流している。
 「このあたりだな」と思ったら、小さな送電線鉄塔の標識を発見。
 この送電線鉄塔(No.391)は、先ほど、東側に見えた鉄塔だ。ここから巡視路が続いていた。
  ....このルートは、いつかチャレンジ
[隣の送電線鉄塔への標識を発見]

 車道に出てからは、注意が必要だ。
 住宅街の中、道があるようで道がない。行き止まりの可能性がある。左に曲がる箇所に注意して進むと、今回は、細野橋手前で、バス通りに出た。

 バス通りを半原方面に歩いていき、細野橋バス停に到着。
 バス時刻を見たら、なんと、ちょうど今の時刻だった。(12:25)
 急いでザックをバス停に置き、撮影していたら、すぐさまバスがやってきた。(写真下)
 山行の締めは、非常にラッキーだった。
 [細野橋バス停にて]


  今回は、予想外の好天気、澄んだ空気ということで、気持ちのいい山行でした。
 ....帰りのバスの待ち時間はゼロでしたし。

 馬渡バス停分岐点から北東側の尾根を下って行ったのは、今度で3回目(第1回:1999年、第2回2007年)ですが、過去2回とも1/25000地形図上の破線(東側の枝尾根ルート)と異なって歩いたことに全く気がついていませんでした。(少なくとも送電鉄塔後のルートで気がつく筈です)
 踏み跡を辿って能天気に歩いていたことは、大いに反省すべき点でした。
  ....今回、気がついたのが成長の証?



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。