トップページ山行リスト(日付)鳶尾山_記録20100316


鳶尾山

 山行日
2010年3月16日(火)        晴     単独行
 コース
鳶尾団地(10:00)〜(10:06)天覧台公園(10:10)〜(10:27)金毘羅宮跡(10:35)〜(10:40)鳶尾山観光展望台(10:57)〜(11:23)鳶尾山(11:39)〜(11:53)やなみ峠〜(12:06)大沢橋〜(12:23)八菅神社〜(13:06)展望台広場(13:11)〜(13:41)402号鉄塔〜(13:55)ゴルフ場クラブハウス〜(14:13)上荻野
 今回は、鳶尾山・八菅神社を初めて訪問しました。
 鳶尾団地行きのバスに乗ることも初めてでした。そんな訳で、見るもの全て新鮮な気持ちで歩くことができました。 
 詳細は、以下をご覧下さい。


 今日は、平日。だが、休暇を取って、鳶尾山・八菅神社ハイキングを計画した。
 新・分県登山ガイド「神奈川県の山」(山と溪谷社)を片手に、本厚木駅に9:08着。
 いつものようにホームから階段に下っていこうとすると、同じように下って行こうとする人、人、人。
 通勤ラッシュの時間帯だった。本厚木への下り電車でも、これだけの人が下車するのかと思わず足が止まる。
 朝食後、1番乗り場のバス停で鳶尾団地行9:30発のバスを待つ。1番乗り場のバスと言ったら、半原行きにしか乗ったことがないので、既にワクワクしてしまう。そのうち、鳶尾団地行きのバスが到着。乗客は、20人強といったところ。このバスは、工科大学経由ということで、学生風の乗客が目立つ。
 発車すると、いつも寝ているケースが多いのだが、今回は、しっかりと周囲の景色を味わう。住宅街が続く中、工科大学前バス停に到着。2/3ぐらいが下車。その後のバス停でも、乗客が降り、結局、終点まで乗った客は、自分以外に一人だけだった。

 9:57、鳶尾団地バス停到着。(写真下左)
 バス停の周辺は、文字通り、団地だ。ここで、小田急の中で読んでいた「神奈川県の山」(山と溪谷社)を取り出す。コースを説明する文中では、「バス停から戻り、駐在所のある交差点を直進」とあるが、この鳶尾団地行きのバスは、乗ってきた工科大学経由とそうでないルートと2通りあり、それによって鳶尾団地に向かうルートは、正反対となる。
 工科大学経由というバスルートは、新しいルートだろうと勝手に解釈し、「戻る」方向ではなく、反対の方向に進む。(10:00)
 すぐさま、交差点で駐在所を見つけた。これで進路方向に確信を持ち、そのまま直進していく。
 右手奥に冬枯れの林の山を見る。あれが、登山ルートかなと近づいていくと、山の斜面には、青く塗られた手摺のようなものが見えた。
 一戸建て住宅街が続く中、右手に小さな公園の入口に「鳶尾山ハイキングコース」と書かれた文字が目に留まる。(写真下右)
[鳶尾団地バス停] [天覧台公園]

 あそこがコース入口かと、道路を渡り、近づく。先ほど、見えていた青い手摺のようなものは、やはり手摺だった。右手にあった案内板を眺め、これからのルートを確認する。
[天覧台公園にあった案内板]

 青い手摺の階段を登りきると、石の鳥居が立っており、それをくぐると、光景がガラリと変わる。
 左右の住宅街が見えなければ、とても市街地の中とは思えない。(写真下)
[階段を登りきると山道が続いていた]

 山道を進むと、Y字型の分岐路となり、右は、小高い丘に続いている。左は、その丘を巻くように続いている。その右側進路の手前には、鳥居が立っていた。ここが、先ほどの案内板にあった金毘羅宮跡のようだ。
 右手を進む。
[金毘羅社と書かれてある]

 階段を登り終えた先は、小広場となっており、トタン屋根の小屋がポツンと建っていた。近づくと、小屋には、説明板が掲げてあった。
 金毘羅子世羅天由来記という題で、
 この金毘羅社は、慶安三年(約360年前)、心外悦和尚と言う人が建立。
 その和尚が、伝染病が流行る折、病魔を除くために祈念していると、金毘羅世羅天が現れ、・・<中略>・・伝染病は治まったという。
 その後、この神社は、江戸時代中でも何度か再興されてきたが、昭和30年代に失火し、全焼。
 その結果が、今の状態らしい。
 右手の斜面から遠く、街を眺める。手前は、樹林帯が広がりを見せていた。
[ポツンと小屋が建っていた]

 金毘羅宮跡を出発し、山道を進む。一瞬、ショベルカーのような機械が置いてあるのかと思ったのが、展望台だった。
 ....色が想定外。
 早速、展望台に登ってみる。大山方面を眺める。
 続いて、
 これから訪れる鳶尾山 
[鳶尾山観光展望台]

 展望台の背後には、石碑が建っていた。
 日清戦争の戦没者慰霊碑で、地元出身の戦没者を祀ったもののようだ。正面の文字は、「征清軍人陣亡之碑」とあり、その横には、陸軍大将正二位勲一等 ・・(よく読めず)・・ 大山巖 書と刻まれてあった。
[日清戦没記念碑]

 石碑のある場所から下っていくと、平地に出る。
 その平地で丁字路にぶつかると、小さな道標が立っていた。左:鳶尾山、右:神工大グランド・棚沢・八菅橋と書かれてあり、左を進む。

 小ピークを越えると、看板が立っている。
 「鳶尾山桜の名所づくり事業 (さくらの木 10,000本植栽計画)」
とある。メインの桜の木は、まだ蕾すらなかったが、その近くで、濃桃色の花が咲いていた。
 カンヒザクラのようだ。
[桜が植えてあった]

 11:23、鳶尾山頂上に到着。
 石碑が2つ建っていたが、左の大きな石碑は、全く読めず。右の石碑は、「桜の名所づくり事業 鳶尾山頂 愛川町」とあった。
 周囲には、桜の木が多い。だが、まだ開花には、程遠い。この桜が咲くのは、街の桜よりは、ちょっと遅めだろう。飯山観音の桜と同じ頃だろうか。
[鳶尾山頂上]

 山頂の真ん中に一等三角点。
 ここの三角点は、それなりの歴史があるのだ。
[鳶尾山一等三角点]

 鳶尾山の頂上を後にして、下っていくと、峠道にぶつかった。(11:53)
 「神奈川県の山」(山と溪谷社)では、鳶尾峠と書かれてあるが、現地では、やなみ峠と書かれてあった。左に下っていくと、まつかげ台団地、右は、八菅神社である。今日は、右に向かう。(写真下左)

 舗装路を下っていく。谷側には、金属パイプが取り付けられてある箇所が多い。不法投棄に対する対策のようだ。「この附近にごみを捨てないで下さい」の立札が目につく。

 12:06、沢に出た。大沢橋を渡ると丁字路になっている。左は、八菅山いこいの森、右が八菅神社だ。ということで、右へ進む。(写真下右)
[やなみ峠] [大沢橋]

 12:19、神社入口に到着。
 あたりに人影がなく、ちょっと時間が止まってしまっているような場所である。
 神社の境内に入っていくと、梵鐘が目に入った。なんで神社に梵鐘?と思ったら、説明板があり、
『八菅神社は、もと八菅山七社権現といい、別当寺光勝寺のほか院坊五十余をもふくめた修験の一大霊場として古くから続いていました。
 明治の初め、神仏分離の際、光勝寺は廃され、院坊の修験は帰農し、権現は八菅神社となりました。 ・・・・ (以下略)』

 なるほど、元々、寺院が存在していたという事が分かった。
 なお、この梵鐘は、地元における最古のものということで、太平洋戦争のときも供出をまぬかれたという。
[八菅神社入口]

 奥に進むと、ケヤキの大木が目に入った。
 「ふるさとの木 八菅神社のケヤキ」という標柱が立っており、
 樹種 ケヤキ(にれ科)  樹高 21.00メートル  胸高周囲 3,40メートル
 推定樹齢 280年 
との事。根元の幹の太さが印象的だった。
 やがて、目の前に歴史を感じさせる石段が現れた。(写真下)
[古い石段が現れる]

 それにしてもここは、いろいろと選定されている。階段入口には、
  かながわの美林50選  :八菅山のスダジイ林
  かながわの景勝50選  :八菅山と八菅神社
  あいかわ景勝10選  :八菅山と八菅神社
 の碑が建っている。
 スダジイ林といっても、肝心のスダジイがどれだか、わからない。葉は、高くてよく見えない。
 ....樹の幹で判断がつけば、最高なんだが。
[かながわの美林50選] [かながわの景勝50選]

 このうち、あいかわ景勝10選について、後日調べてみた。(愛川町観光協会サイトによる)
 <あいかわ10選>
   ・宮ヶ瀬ダムと新石小屋橋  ・経ヶ岳・仏果山・高取山にかけての山並み
   ・塩川滝飛沫   ・勝楽寺の山門と杉木立ち
   ・三増合戦碑と志田峠  ・箕輪耕地遠望
   ・八菅山と八菅神社    ・山十邸と中津往還
   ・工業団地といちょう並木  ・中津川の清流
 山や川などの自然、寺社仏閣、旧跡、建造物などの美しい景観は、町の財産。それら永遠に残したい誇れる風景を、広く町内外に紹介するため、平成12年度(2000年)に「あいかわ景勝10選」を選定したとの事。  
[あいかわ景勝10選]

 階段を上がっていく。すると、小広場に出る。 
 右手にクロガネモチの木が一本あった。

 さらに階段を上っていく。
 神社の建屋まで、もう少しだ。
 登り切った後、拝殿が結構、大きいことに驚く。あたりを見渡すが、やはり人は、居ない。
 参拝後、左に進む。(写真下)
 建屋の裏手に道が続いていた。
[八菅神社(振り返って撮影)]

 神社の裏手は、公園のようになっており、フィールドアスレチックの遊具が設置されている。ここで、掃除をされているお二人を見て、ホッとした。
  ....このまま誰にも会わなかったら気味が悪い。

 そのまま舗装路を歩いていく。このあたりは、山というより丘陵地のような感じだ。右手に展望台が見えてきた。(13:06)
 早速、登って眺めてみた。 
[展望台]

 展望台の少し先にあった東屋でランチタイム。ここで食事中にハイカー姿の人を何人か見る。こんないい天気でも、人が少ないのは、やはり平日だからか。
 ランチ終了後、舗装路が未舗装になり、林の中に続く道を進む。(写真下)
[北西へ歩く]

 やがて下り坂になると、丁字路に出た。ここで右折する。再び舗装路になった。左手は、すぐ先が、ゴルフ場だ。平日でもゴルファーは、多いかと思ったが、そうでもなかった。
 この先で、225.7mの三角点を探そうと思っていたが、左手のゴルフコースを見ていて、すっかり忘れてしまった。
[舗装路に出た] [左手は、ゴルフ場]

 やがて、道は、ゴルフコースから一旦離れ、目の前に送電鉄塔が現れる。銘板を見れば、「佐久間東幹線403号」とあり、仏果山から続いていることを知る。
  ....ここにも佐久間東幹線が。
[送電線鉄塔]

 ゴルフ場の中の道を突き抜け、坂を下っていけば、クラブハウスの前に出た。さらに進めば、平地になる。途中、分岐点は、いくつもあるが、道幅の太い方へと進めば、バス通りにぶつかった。
 上荻野バス停に到着したのは、14:13。
 ラッキーなことにバスは、2、3分後にやってきた。
 [上荻野バス停に到着]


 帰宅後、テレビを見てましたら、今日は、3月でも記録的な暑さだったということを知りました。(海老名で最高気温:25.1度) ですが、今日、花粉症の症状が出なかったのは、幸いでした。
 次回訪問する場合は、もう少し八菅神社周辺を歩いてみたいと思っています。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。