トップページ>山行リスト(日付)>白山・高松山(御幸山)_記録20110110
飯山観音前(9:02)〜(9:38)飯山観音(9:45)〜(10:17)白山展望台(10:25)〜(10:34)白山神社(10:37)〜(10:44)白山展望台(10:47)〜(11:11)物見峠(11:15)〜(11:50)順礼峠〜(12:40)七沢森林公園南口〜(12:50)若宮橋〜(13:02)愛名隧道〜(13:29)高松山(御幸山)(13:44)〜(14:12)小町神社(14:17)〜(14:34)小野神社(14:38)〜(14:53)津古久峠(14:59)〜(15:33)東海大病院〜(16:06)伊勢原 |
2011年2回目の山行は、低山歩きとなりました。
目的は、高松山。といっても厚木の高松山で、別名、御幸山と呼ばれる山です。この山は、丹沢を歩き始めた頃、実家にあったブルーガイドブックス丹沢(奥野幸道)実業之日本社(昭和40年3月発行)で知りました。
この高松山は、家族向きハイキングコースとして、下記のように2番目に記載されてあります。
1.日向薬師から広沢寺温泉へ
2.高松山から津古久峠へ
3.鶴巻温泉から弘法山へ
4.震生湖と渋沢丘陵
5.ヤビツ峠から菩提峠へ
6.大山からヤビツ峠へ
7.中津渓谷
8.大野山
9.高松山
この2以外は、既に訪れています。(7.中津渓谷は、宮ヶ瀬ダムに変わった後、訪れておりますが)そんな訳でいつかは、高松山と津古久峠訪れようと思っていました。また、このブルーガイドブックスに記載されているように津古久峠も訪ねてみました。 |
本厚木からのバスに乗ろうと考えたのは、小田急線の海老名を過ぎたあたりだった。
それまでは、伊勢原からのコース、つまり、訪れたことのない津古久峠、高松山を行った後、順礼峠を経由して飯山観音に抜けることを計画していたのだが、今、乗車している小田急ならば、本厚木にて、宮ヶ瀬行きのバスにちょうど乗れるタイミングだと気がついた。(8時台以降は、毎時40分だったことを思い出した)
そう思った瞬間、逆コースが浮かんだ。
そうだ。初訪問の楽しみは、後半にとっておこうと思い、急遽、下車駅を伊勢原から本厚木に変えた。
本厚木から8:40発の宮ヶ瀬行きに乗り込む。
9:00、飯山観音前にて下車。降りたのは、一人だけ。射し込んでくる太陽光線が眩しい。
橋を渡って飯山観音へ向かう。 |
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[今回のスタート地点:飯山観音前] |
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日陰の寒い車道を進む。
路面が白かったので、雪?霜?と一瞬思ったが、どうやら凍結防止剤が撒かれてあるようだ。誰にも会わずに石段を登っていく。振り返ると、細い谷間の先に建屋が見えた。(写真下) |
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[飯山観音への階段(振り返って撮影)] |
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イヌマキの大木に出会う。
厚木市指定天然記念物と書かれた標柱が立っていた。その隣の説明板によると、
『かながわの名木100選 飯山観音のイヌマキ
室町時代末期ごろ、多くの巡礼者の無事や、参拝者の長寿を祈願して植樹されたと伝えられている古木である。厚木市の天然記念物に指定されている。
樹高:17m、 胸高周囲:2.8m、 樹齢:約400年(伝承)
イヌマキは、関東南部から沖縄の照葉林帯に分布する常緑高木で沿岸地域では庭木として植えられることが多い。
樹高20メートル、胸高周囲7メートル、樹齢約600年に達するものもあると言われている。』 とある。
この樹木が、400年?と、見上げる。根元の幹が細く、枝振りは、ちょっと弱々しく感じる。 |
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[イヌマキ] |
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そのまま、階段を登っていくと、本堂の前に出た。ここで参拝。
日が照っている割には気温が上がっていない。 |
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[飯山観音を参拝] |
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本殿のすぐ裏手が分岐点。
ここで、男坂と女坂に分かれる。男坂は以前、歩いたことがあるので今回は女坂と決めていた。女坂には、今年の干支のウサギの像が立っており、縁起がいい。(写真下左) ちなみに男坂の方を見てみると、タヌキだった。(写真下右)
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[男坂と女坂の分岐点] |
[男坂はタヌキ] |
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こんな日は、誰も歩いていない。バス停で下車したのも一人だけだったし。そう思っていたら、背後から単独中年男性に追い越された。
. ....最近、追い越されることが多くなった。体力低下か。
ここまでは、ゆったりとした登りだった。確かに女坂らしい。だが、後半の尾根の背筋に乗った所で、傾斜は、急になっていく。 |
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[女坂を行く] |
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10:17、展望台に到着。
久しぶりの展望台だ。厚木方面の平野風景を見入る。驚いたことに展望台の南西側の木々が伐採されていた。おかげで、大山が見渡せた。何も、ここまで伐採しなくてもと思う半分、木は、すぐに育つかと複雑な心境。
ここまで来たので、ちょっと寄り道する。 |
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[白山展望台にて厚木方面を眺める] |
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白山神社の方に向かう途中にスダジイの大木がある。この木は、幹が途中から水平に伸びた後、上空に向かって枝が広がっている。それゆえ、ちょっと気になっていた。
だが、根元部分の幹半分が枯れてしまったようで、痛々しい。
どうして幹が折れないのか、とても不思議だ。根元部分の幹には、ものすごい張力がかかっている筈だ。そこにこのスダジイの生命力を感じる。 |
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[スダジイの大木] |
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さらに進んで、白山神社へ。 本殿の手前には、小さな池がある。説明板によれば、この池は、如何なる旱魃の時でも、池の水が涸れることがなく、それ故、人は、これを霊地と唱え、ここに古い石像、石碑が残存していると書かれてある。(そもそもこの池が神社の始まり)
稜線上にある池は、本当に涸れないのだろうか、科学的に見て説明がつくのだろうか、どうも思考がそんな方向に向いてしまう。
ここでも参拝する。 |
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[白山神社にて参拝] |
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再び、展望台に戻り、貉坂峠へと進む。 貉坂峠の石柱が立っている小ピーク手前の鞍部が、何となく十字路のように見える。ここが本来の貉坂峠かなと思う。
そこから、5分も歩けば、物見峠だ。ここも東側の関東平野が一望できる。横浜方面を眺めると、横浜ランドマークタワーが識別できた。今日は、かなり空気が澄み切っているようだ。
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[物見峠にて] |
[横浜ランドマークタワーが見えた] |
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11:50、順礼峠。 お地蔵さんを参拝。
. ....今回は、ひたすら参拝。この後も参拝が続く。
そのまま南下し、七沢森林公園に突入する。 |
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[順礼峠にて] |
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ここの森林公園の中を尾根沿いに進む。すれ違うのは、散歩する家族連れ、単独男性など。皆、登山姿ではない。地元の人たちのようだ。クヌギやコナラの木が多いな〜と思いつつ、雑木林を眺める。
目の前に東屋を発見。この先で森林公園は、終わるようだ。ふと振り返る。 |
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[七沢森林公園南端の東屋] |
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東屋を過ぎると下り坂となった。徐々に高度を落としていく。左手には、住宅街が広がっている。
12:40、森林公園南口到着。一歩進めば、住宅街の中の道路である。ここから、しばし山歩きから離れることになる。
住宅地と言っても、道路が格子状に走っているわけではないので、どこを歩いているのか次第に分からなくなった。とにかく北東へと進むと、幅広い車道に出た。
しかし、それでもどこか分からない。やがてバス停が現れ、そこが森の里一丁目だと判明し、ようやく現在位置を認識。 |
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[左手に住宅街が近づく] |
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そのまま進むと、橋を渡り、十字路に出た。
若宮橋交差点だ。ここで、振り返ってみる。
交差点を直進し、松蔭大学の横を通過。ひたすら、車道を歩く。 |
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[若宮橋交差点にて] |
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愛名隧道を通り、高松山入口バス停までやってきた。右手に登山道がないかと探すが、ここまで右折するような道がなかったので、さらに直進していくと、ようやく右折する道が現れた。親切にも、「高松山ハイキングコース」という道標が立っていた。
右折し、住宅地の坂を上っていく。 |
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[高松山への道標を発見] |
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やがて住宅地が終わり、雑木林の中を進むと丁字路に着いた。(写真下)
左に階段状の道が続いている。この先が、頂上のようだ。なかなか雰囲気のいい山道だ。 |
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[丁字路で左折する] |
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しかし、頂上直下の階段は、キツかった。今日一番の急登?だった。 13:29、高松山(標高146.5m)に到着。だが、高松山という標識は、見当たらなかった。高松大明神という石柱と天皇行幸之地と書かれた石碑が目につく。 三角点を見つけたので、まあここが頂上だろうとザックを入れて記念撮影。(写真下左)
振り返って、厚木方面を眺める。今では、周囲の木々が伸びてしまい、視界がだんだん遮られていくようだ。 1881年(明治14年)4月30日に明治天皇がここから近衛兵聯合野外演習を天覧されたという。 上空には、日の丸の旗が。
....旗の撮影がこんなに難しいとは思わなかった。
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[高松山頂上] |
[見上げれば、日の丸が] |
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このあたり、道標は、ないが、南方向には1本の山道が続いている。紛らわしい道がないので、これが小町神社に向かう道と判断。途中、散歩に訪れたと思われる普段着姿の中年ご夫婦とすれ違う。ここならば、登山姿である必要は、ないな〜と思いながら、雑木林の中を突き進む。
帰宅後、ブルーガイドブックス丹沢(昭和40年3月発行)を読むと、このあたりは、『踏跡はハッキリとつけられている。ヤブがうるさいが、踏跡をたどって軽い上下をくり返すこと30分で左方に下分の農家を見て、祠の前に出る。』と書かれてあった。 だが、今では、ヤブなんて全くなかった。 |
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[小町神社に向かう] |
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やがて小ピークに到着。小さな祠が建っていた。(ここが、ブルーガイドブックスに記載されていた祠のようだ)
立派な道標が立っていた。先程の高松山では見られなかった道標だ。この道標では、右手が小町神社。左は、見晴らしの丘となっていた。
西日が当たる斜面を下り、小町神社に向かう。(ちなみにブルーガイドブックスには、小町神社の記載は無かった) |
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[分岐点の秋葉神社にて(振り返って撮影)] |
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尾根の先端手前で左に曲がるように道標が立っていた。(写真下) 木立が途切れ、大山が見えそうだったので、尾根の先端に向かってみる。
ここでも大山の姿を篤と眺める。 |
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[雑木林の中にて] |
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14:12、小町神社に到着。ここも西日が当たり、眩しい。
拝殿の手前に立っている案内板によれば、
『平安初期の歌人として、また美人として有名な、小野小町の出生地と言われています。これが小町姫を祭る小町神社です。毎年四月二十一日が祭日になっていて、かつては近所からの人出で大いににぎわったようです。
(....以下、頼朝の側室丹後の局についての説明が続く)』 とある。
周囲は、密集した林でないため、開放感が漂う。南側を眺めれば、玉川沿いの車道が見下ろせた。 |
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[小町神社] |
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バス通りを横断し、玉川を渡る。ここでも大山の姿が見えた。
地図で確認しながら歩いていると、背後からの車が身体スレスレに追い越していく。ちょっとヒヤッとした瞬間だった。山の中より、町の中の方が怪我をする確率が高いかもしれない。 14:34、小野神社に到着。ここでも参拝。 この神社の歴史は古い。説明板によれば、
『この神社は、延長五年(九二七)の「延喜式」巻九に「相模国式内社の内愛甲郡一座小野神社」と書かれています。 ....<以下略>』 とある。
. ....小町神社、小野神社とややこしい。 |
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[小野神社] |
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小野神社から津古久峠に向かう。
舗装路をたどっていくと、目の前に造成地が現れた。建設重機が見える。どうやら、このあたりの山も切り崩され、ビルが建つのかな〜と思う。というのは、その奥には、日産自動車テクニカルセンターの巨大なビルが見えるからだ。
やがて、小高い丘のようなところを登っていくと、車道の分岐点に石の標柱が立っていた。近づいてみると、津古久峠と書かれてある。
どうやらここが、津古久峠のようだ。
見渡せば、何の変哲もない、ただの山の中の交差点である。
前述のブルーガイドブックスでは、『ゆるく登って行けば、馬頭尊の2基置かれた津古久峠に達する。』とある。だが、その馬頭尊なるものは、見つけることができなかった。
日陰に入ると、かなり寒く感じる。デジカメ撮影後、伊勢原の方に向かっていくことにした。
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[津古久峠に到着] |
[同じ場所から振り返って撮影] |
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津古久峠を下っていくと、一本道が続いている。
遥か向こうに巨大なビルが見える。地図で確認すると、東海大病院だった。周囲にビルがないため、とても目立つ存在だ。東海大病院まで行けば、バス停があるのではと思い、歩いていったが、ここまで来たなら、伊勢原まで歩こうと思い、そのまま南下していく。
R246に出たところで右折する。ここでも大山が見えた。(写真下) |
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[R246に出たところにて] |
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16:06、伊勢原駅北口に到着。
今日は、休みらしい休みをとらず、ひたすら歩き続けた山行?だった。結果的に大山を撮影しながらの楽しい山歩き・街歩きとなった。
....こんな山行も面白い。 |
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[ゴールの伊勢原駅北口に到着] |
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ようやく今回、高松山(御幸山)に登ることができました。
低山といえども、訪問回数の少ないエリアは、新鮮味があり、いろいろと楽しめます。それゆえ、何かの折に再び訪れたいと思っています。特に今回、津古久峠で、茶屋跡の標柱を見逃しました。帰宅後、地図を見て、その場所は、だいたい推察できましたので、そのうち訪問してみたいと思っています。
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※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。
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