トップページ山行リスト(日付)>半原高取山_記録20110306


半原高取山

 山行日
2011年3月6日(日)       晴           単独行
 コース
仏果山登山口(7:41)〜(8:26)宮ヶ瀬越〜(8:40)高取山(9:22)〜(9:38)分岐路〜(9:40)387号鉄塔(9:49)〜(9:53)分岐路〜(10:15)林道合流点〜(10:47)大平分岐路(10:51)〜(11:00)中尾山琴比羅神社〜(11:17)馬場
 前回、シモバシラを探しにAOKさんと高取山を訪問しましたが、今回は、(1)関東平野の眺望、(2)高取山北東側の尾根歩きを目的に中型カメラを背負って、行ってきました。このあたりは、何度も歩いているエリアですが、毎回、新たな発見があるので、全く飽きません。今回も新ルート(距離は、短いですが)を歩いてきました。その結果は?
 詳細は、以下をご覧下さい。


 毎度のことながら、仏果山登山口にて下車。
 日が射す割には、顔に当たる空気は冷たく、登るにはちょうどいいコンディションだ。
  ....でも下車したのは、自分ひとりだけ。
 バス停を撮影した後、すぐに歩き始める。(7:41)
[今回のスタート地点:仏果山登山口バス停]

 いつの間にか定点撮影地点となった所で撮影。正面に宮ヶ瀬湖、その奥に焼山が眺められる場所だ。いつもだと、ゼイゼイ言いながら、ここを登っていくのだが、今日は、中型カメラのせいでザックが重いにもかかわらず、ペースが速い。
[定点撮影点(宮ヶ瀬湖と焼山]

 植林の中の階段状登山道を一気に登れば、清川村の電波中継基地の小さな建屋が見えてくる。(写真下左) この先にベンチがあるのだが、今回は休憩せずに出発する。ここで休憩したいと思う時は、大抵、体調がよくない場合が多い。今日は、久しぶりに調子がいいようだ。
. ....だが、花粉は飛んでいる。

 その後の登りも、休むことなく歩き続け、8:26、稜線上の宮ヶ瀬越に到着。(写真下右)
 半原側の光景は、逆光になるため、写真にならず、道標だけ撮影してサッサと歩き出す。
[清川村電波中継基地] [宮ヶ瀬越に到着]

 8:40、高取山頂上に到着。
 すぐに展望鉄塔に上がってみる。誰もいない頂上だと思ったら、鉄塔下のベンチに中高年ご夫婦がすでに休憩中だった。展望鉄塔のてっぺんで、丹沢を見渡す。続いて三脚と中型カメラを取り出し、しばし撮影を楽しむ。
  ....久々にPLフィルターを使用

 ここで、もう一つの楽しみだった関東平野を遠望する。
 前回の1月にAOKさんと訪れた時は、靄がかかっており、橋本の市街地あたりまでの眺めしかなかった。今回は、前回以上に視界は良い。だが、それでも丹沢側ほどクリアではなく、やはり靄がかかったような光景となっていた。

 東京スカイツリーを探す。そう、今日は、これが見えるかどうかを楽しみにしていたのだ。
 薄っすらと見える新宿副都心のビル群を確認した後、視点をその右に向けると、煙突のような高い塔が、これまた超薄っすらと見える。どうやら、あれが東京スカイツリーのようだ。だが、あまりにも高く見えるので本当にそうなのか、それとも雲のイタズラなのか、ちょっと自信がない。別途、もっとクリアに見えたときに確認してみたい。
. ....確認できるのは、今年の年末以降か。
[高取山頂上手前(展望鉄塔が木に隠れている)] [展望鉄塔を上がる途中での半原方面の眺め]

 さて、本日の楽しみその2の高取山の尾根下りとなる。
 頂上から半原方面への登山道を下っていく。緩やかな斜面になると、自然林から植林帯に突入する。枝打ちされていない植林のため、太陽光が入らず、一気に暗くなる。
. ....本当に信じられないぐらい暗いのだ。

 植林帯を下っていくと、小さいなベンチのある丁字路に出た。
 ここで小さな送電鉄塔の標識を見つけ、登山道を離れ、送電鉄塔へ寄り道することに決めた
[高取山から下っていく] [送電鉄塔標識]

 ちょっとバックするように尾根を登り、鉄塔下に到着。
 北西側の山々を眺める。送電線の遥か向こうは、大菩薩嶺・雁ヶ腹摺山方面のようだ。
 鉄塔の銘板を探すが、大きくて目立つ銘板はなく、鉄塔に打ちつけてある小さなプレートを発見。(写真下) 昭和30年12月竣工とある。もう50年以上も前のことだ。
[佐久間東幹線 第387号鉄塔にて] [送電鉄塔プレート]

 9:53、斜面を下って、再び丁字路に戻った。
 道標が立っており、「左:馬場・大平、右:ふれあいの村・宮沢大橋」とある。ポピュラーなのは、右折で、山と高原地図28丹沢(昭文社2010)には、この右折のルートしか掲載されていない。
 今回は、ここを左折する。
  ....やはり、今日も花粉症爆裂。
[再び分岐点]

 植林帯の中を下っていく。
 1/25000地形図で確認すると、540m地点から北に続く尾根を下るように道が続いている。
 10:06、道標を発見。(写真下)
 このルートは、確か2回目だが、前回の時は、ここに道標は立ってなかった。
 左手を眺める。
 ここから北に伸びる尾根から直角に右へ曲り、山道は、尾根の腹をトラバースしていく。
[尾根沿いから直角に曲がる]

 10:15、林道に下り立つ。
 ここから林道を横断するように登山道は、続いている。だが、その方向には、貼紙がしてあり、「通行禁止」となっていた。(写真下) この先、ガケ崩れのために「ふれあいの村」まで行けませんとの書かれてある。ようやく、通行禁止の貼紙が出されたかと思った。
 というのも、2010年9月にふれあいの村側で、このルートが「ガケ崩れのため通行禁止」の貼紙を見ていたので、やっぱりそうかと思ったのだ。
 ここで林道を横断する方向に対してだけ、通行禁止にしているのは、ここで右折し、林道を歩けば、先程の丁字路で右折するルートと合流でき、宮沢大橋に行けるからだろう。(その結果、別ルートで、ふれあいの村に行くことができる)

 通行禁止区間は、ふれあいの村手前の筈で、そこまでの登山道にガケ崩れは、ないと思うのだが、ここで、通行禁止の登山道を辿ることは、ヤメとし、敢えて左折し、林道を進むことにした。
[林道に出た]

 すぐ先で左カーブとなり、ガードレールとカーブミラーがある。
 尾根の背筋を回り込む場所である。ここから、出発前からの目的であった尾根を下っていくこととした。尾根筋だから踏跡ぐらいあるだろうと思っていたが、案の定、踏跡があった。これは、歩きやすいと、スタスタと下っていく。
. ....だが、花粉症の症状は、酷くなる一方。
[尾根筋を下っていく]

 その後、右手からの山道が合流する。
 「あれっ!」、何のことはない。先程の通行禁止となっていた登山道に合流してしまったのだ。
 だが、すぐ先で、Y字路の分岐点があった。登山道は、右手のルートのようで道標が立っている。であれば、左の下り道を進んでみる。
[登山道に出たと思ったらY字路の分岐点]

 左手に隣の尾根のトンネル入口が見えた。この景色、なんか見覚えがあると思い、帰宅後、調べてみたら、前回は、2005年12月17日にここを下っていて、ふれあいの村を経由してバス停まで歩いていることがわかった。(登山道が崩壊しておらず、ふれあいの村まで歩けたのだ) 
 その時は、先程のY字路で、手製の道標があり、ふれあいの村は、左を指していたことを知る。つまり、今回、登山道を外れて左の道を初めて歩いたつもりだったが、前回もこの左の道を歩いていたのだった。
 やがて、右手シカ柵のすぐ反対側に登山道を見る。歩いていたルートも壊れたシカ柵の扉を通り、登山道に出た。何のことはない。再び登山道に合流である。
[隣の尾根のトンネル入口が見えた]

 登山道に合流したところで、登山道は、右にカーブしていたが、尾根筋は、左である。ということで、ここは、左の尾根筋に突入する。
 この先、踏跡は、見当たらなかった。こういう踏跡のない尾根を下ることに快感を覚えてくると、殆どビョーキの世界だ。
[登山道から外れて、尾根筋を下っていく]

 だが、その尾根下りもあっさり、終了した。右手から先程、分かれた登山道に飛び出してしまった。
 何のことはない。三たび、登山道に合流である。
 そして、前方に比較的新しい道標が立っていた。その道標によれば、この場所を「大平」と呼ぶらしい。だが、その道標を見て、愕然としてしまった。
 今回の尾根下りの楽しみは、今、下ってきた尾根を真っ直ぐ下っていき、ふれあいの村を通らず、半原の車道に出ることだったのだが、そのルートにしっかりと道標が進路を指していたのだ。ということは、登山道が既にあるということだろう。このため、地図を見ながら未知尾根を下るという楽しみは、一瞬のうちに霧消してしまった。
 道標の「馬場・半原市街地」と書かれてある方面に進んでいく。
  ....ここにも、一応、ふれあいの村方面には、通行止めの貼紙が欲しいところ。
[大平分岐点にて]

 殆ど使用していないようなキャンプ場の建屋の横を通り過ぎると、尾根が細くなり、本日の核心部となった。今までとは比較にならないほど、荒れている道だ。
 ちょっと草が茂っていて、道が消えているような箇所があったが、構わず尾根筋を進んでいくと、目の前に小さな建屋が見えた。
[細い尾根を進む]

 振り返って見てみると、どうやら神社の拝殿のようだ。奥に鳥居が見える。今、歩いてきた道は、神社の裏手に出るらしい。参拝して、すぐに歩き出す。
 ここから先は、神社への参道となり、歩き易い道となった。途中で、神社入口の標柱が立っており、先程の神社名が、「中尾山琴比羅神社」だったことを知る。
[神社の祠(振り返って撮影)]

 小沢を渡り、右岸沿いを進むと、道の左手に民家が現れ、右手が墓地となった。
 道は、舗装路となり、やがてバス通りを見下ろすような所に出た。(写真下) ここにも道標が立っており、この地を「馬場(ばんば)」と呼ぶらしい。

 時計を見たら、11:13。確か半原からのバスは、1時間に1本で、毎時20分前後に「愛川ふれあいの村野外センター前」のバス停を発車するダイヤだったことを思い出した。(旧市街経由のバスも1時間に1本で、半原バス停からは、結局、30分間隔で半原を出発する) 今の今まで、半原まで歩く気でいたのだが、バスダイヤを思い出した瞬間、半原と反対方向に向かう。こちらの方が、バス停が近いと思ったからだ。
[バス通りに出た]

  最悪、野外センタ−前まで歩かなければならないかと思ったら、すぐに「馬場」バス停を発見。ということで、11:22のバスに無事、乗車することが出来た。
  ....バスの中でも鼻水タラタラ。
  ....本厚木では、クシャミ連発で止まらなかった
 [馬場バス停にて]


 「関東平野の眺望」という今回の目的その1は、イマイチでした。これから、ますます遠望がきかなくなることを思えば、当分お預けのようです。一方、目的その2の「高取山北東側の尾根歩き」は、全くの予想外でした。これも、まあいい経験となりました。
 今回の山行も、花粉にやられました。特に下山時は、鼻水が止まりませんでした。
 この花粉シーズンが早く終わってくれないかと祈るばかりです。
. ....花粉が終われば、ヒルのシーズンとなりますが。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。