トップページ山行リスト(日付)>大野山_記録20120504


大野山

 山行日
2012年5月4日(金)       晴れ後曇り一時雨    単独行
 コース
谷峨(7:53)〜(8:17)嵐〜(8:35)頼朝桜(8:38)〜(9:08)十字路(9:13)〜(10:01)大野山(10:16)〜三角点探し〜(10:45)展望歩道橋(11:10)〜(11:50)イヌクビリ〜(12:51)共和小学校(12:56)〜(13:30)大野山入口〜(13:52)さくらの湯(15:02)〜(15:06)山北
 さて、ゴールデンウィーク後半の休みに大野山に行ってきました。目的は、以前、見つけられなかった三角点の探索です。今回は、1/25000地形図で事前調査を十分行い、大野山三角点の場所をほぼ確信を持っています。
 ただ、少し気になっていますのは、前回も確か、そのポイントを探していることです。おそらく、前回は、草等で隠れていたのではないかと思っているのですが、果たしてどうでしょうか。
 ちなみに前回、三角点訪問のために大野山を訪れたのが、2011年5月4日で、偶然にもちょうど同じ日の一年前でした。
 ですが、それ以上のトラブルが。今回は、少々冷や汗を掻きました。
 詳細は、以下をご覧下さい。


前日の5月3日に飲み会があり、寝過ごすことなく、無事帰宅したのだが、それでも今朝は、やや睡眠不足。
 谷峨、7:40到着。下車した登山者の姿があまり見られなかった。
 今日は、バスに乗る必要がないので、自販機で缶飲料を飲んだり、トイレに行ったりと、ゆっくり過ごし、7:53出発。

 清水橋方面に歩き出し、途中で右折し、谷峨跨線橋を渡り、御殿場線とR246を越える。
 その後、少し谷峨駅に戻るように進み、階段を下って田んぼの中の舗装路を進めば、酒匂川に架かる吊橋が見えてくる。
[今回のスタート地点:谷峨駅(振り返って撮影)]

 吊橋を渡り、左折し、県道727号線を進めば、右手に登り坂の分岐がある。
 これをせっせと登っていく。
 結構、高度が稼げるが、早くも汗が背中から噴出す。

 8:17、左手に大野山ハイキングコース入口という看板を見かけるが、ちょっと小さめな感じがする。(写真下左) ここには、以前、牛のイラスト付き看板がぶら下がっていたのだが、壊れてしまったのだろうか。(写真下右)
[嵐地区での分岐点] [かつての分岐点]

 車道から離れ、いきなり細い登山道になるが、それもやがて終わり、再び車道に飛び出す。(8:35) 正面には、頼朝桜と呼ばれる桜の大木が視界に入る。
 ここには、「かながわの古道50選:奥山家古道の都夫良野付近」という大きな説明板が立っている。それによると、「頼朝桜」は、『町指定天然記念物。昔、頼朝がここを通ったとき、杖をついて休んだところ、その杖が根付いてこの桜になったと伝わっています。現在の桜は、蘖(ひこばえ:切った株や根から生えた芽)が成長したものです。』と書かれてある。(※1)

 興味深かったのは、「都夫良野」の欄で、以下のように記載されてあった。
 『後醍醐天皇にまつわる話はいくつかありますが、都夫良野にもまた、後醍醐天皇にゆかりのある話が残っています。昔、後醍醐天皇が都(吉野)を逃れ、この地に寄られた時、酒匂川を望む景色が吉野に似ていたことから「おお、都よ、吉野よ」と言われたといいます。これを”都夫れ良野”と書いて都夫良野とこの地を呼ぶようになったと伝わっています。』
 そういえば、『大野山は、「王ノ山」の意味。王とは、後醍醐天皇のことで、山頂に後醍醐天皇をまつってあった』という文章(※2)を思い出した。

 (※1)頼朝桜については、「2007-9-20大野山」でも記載。
 (※2)「丹沢・山ものがたり」とよだ時(山と溪谷社:1991年)
[車道に出ると、正面に頼朝桜]

 トイレのある所で、車道から右の山道に入り、ひたすら登る。
 9:08、再び車道を横切る。前方に東屋が見える。(写真下左) このコースは、車道に出る度に休憩したくなる気分だ。
 その東屋の近くに木彫りの鳥を発見。(写真下右)
制作は、「NPO法人ウッドボイス」、平成24年3月と記されてあったので、まだ新しい作品だ。
[前方に東屋あり] [木彫りの鳥]

 桜の植樹を見ながら、山道を登っていく。10年後ぐらいには、見事な桜並木になっているだろう。

 標高634m地点にベンチができていた。(写真下左) 昨年も、この634m地点というキーワードに見覚えがあり、帰宅後、調べてみたら、昨年5月は(写真下右)のような杭だった。
 これは、スカイツリーに対抗するためのものだろう。山北町観光協会の標柱には、昨年6月設置と書かれてあった。
[634m地点でのベンチ] [赤文字の標柱]

 牧草地の中に続く山道を登っていけば、やがて牧場の舗装路になり、山頂に到着。
 今日は、残念ながら富士山も西丹沢の山々も姿は、見えず。
 こんな天気のせいか、登山者は、親子3人のグループが1組しか居なかった。

 「大野山」山頂標識が更新されてあったが、以前と同じように3本の丸太を立てたようなデザインで、形は継承されてあった。
 ここで木彫りのシカが目に入る。近くに小さな看板があり、制作は、先ほどの木彫りの鳥と同じで、NPO法人ウッドボイスだったことがわかった。また、
『神奈川県足柄上地域県政総合センターが地元産の間伐材等を活用したチェーンソーアートによる地域おこし”ASHIGARA Wood −ART事業”の一環として、足柄上地域1市5町にチェーンソーアート作品をサインアートとして設置したものです。』とも書かれてあった。
 他の場所でもこの作品を見ることがありそうだ。
[大野山頂上にて]

 頂上の東屋で早めの食事をとる。その後、早速、三角点探しに出発。
 まず、南東側の斜面を下り、展望歩道橋に続く舗装路を歩いていく。

 道が左に直角に曲がる地点でザックを下ろす。
 ここの先が、三角点の設置場所だと睨んでいるのだ。
 しかしながら、上空の天気が怪しくなってきた。
 箱根の山々にあった雨雲らしき黒い雲が小田原の市街地の方に流れ込んできたのだ。(写真下)
 幸い、この大野山は、まだ日が差し込んできたりしているが、そのうち、こっちも雨雲に覆われそうな雲行きである。
 さっさと、三角点を見つけてしまおうと、道の端に進む。
[小田原方面に雨雲が現れた(前方奥に展望歩道橋あり)]

 1/25000地形図から、三角点位置を推察すると、この道が直角に曲がる地点の南西側10m以内にあると推察できた。前回も見た場所だが、草が多かったため、見逃したのではないかと思ったのだ。
 道から外れ、西側のササヤブを掻き分けると、すぐに低い柵がある。その向こうは、牧草地だからだ。その柵の上から右側を覗く。(写真下)
 草が多いが、目を皿にして三角点を探す。
 草のせいで三角点が隠れているのではないかと、場所を変えていろいろと柵の上から眺めてみるが、見つからない。
 おかしい....想定外だった。てっきり、この場所だと思っていたのだ。
[三角点捜索地点(ミクロ) 柵の上から北西側を眺める]

 舗装路に立つ。
 (写真下)にて、左のササヤブの中に柵があり、そのすぐ先に三角点があると推察していたのだが、ものの見事に外れた。それ以外で考えられるのは、正面のササヤブの向こうだが、こちらも柵があるのと、ヤブの密度が濃い。
 下から覗いてみるが、ササヤブで完璧にふさがれている。
 仕方がないので、反対側の植林帯から入るかと、再度山頂に向かうが、植林帯の周りには、柵が続いている。オマケに、よ〜く植林帯の中を見ると、植林下のヤブには、雨後の水滴が多くついていたのが分かった。入れば、ビショヌレになるのは、必至だ。
 ということで、あっさり、植林帯の突入を諦めた。

 再び、さっきの直角路に戻ってきた。天気が怪しいので、ひとまず、この先の展望歩道橋まで進み、中型カメラでの撮影に入った。
[三角点捜索地点(道が直角に曲がる地点)(北西側に向かって撮影)]

まだ雨は、降ってこないが、雲の流れが早くなっている。だが、まだこちらの上空は、時々日が差し込んでくる。
 そんな状況で撮影する。

 撮影後、カメラをザックにしまって、山頂側に戻り、もう一度、三角点の場所を探ろうと、直角路に戻る。
 しかし、発見できない。
 そうしているうちに腰の辺りに違和感を感じる。痛みを感じ始めたと思ったら、徐々に痛みが増してきた。背筋を真っ直ぐ伸ばすことができず、前傾姿勢になってしまう。こうなってくると、三角点どころではない。探索は中断し、下山することにした。

 ここで下山路をどうするか考える。最短路は、来た道を下り、谷峨に出るコースであるが、歩けなくなるほど、深刻な痛みではない。かといって、固い舗装路を下っていくのは、腰に悪いような気がした。ここは、土の登山道が続くハイキングコース経由で山北駅に下ることにした。
. ....最悪、車道に出たらタクシーを呼ぶ覚悟。

 イヌクビリへ向かう下り道にて、イガイガさんに携帯でメール送信。腰痛のために聞きたい用事が別件で発生したためだ。
 すると、すぐに返信メールを受信した。
 そこで、今度は、電話を掛ける。
 呼出し音の後、すぐイガイガさんが出てくれた。
   「もしもし、花立小僧ですが...」
 と、今、大野山頂上で腰痛になったことを伝えると、
   「なに〜、大野山。だったら、山頂まで、今から車で迎えに行こうか。」
と、ありがたい言葉。
 まあ、ギックリ腰のように全く歩けない訳ではないことを話すと、電話の向こうから、何やら笑いを抑えている様子が伺えた。
 こちらも痛みが連続する訳ではないので、だいぶ落ち着いて話せるようになっていた。
 メール回答の御礼を伝え、電話を切る。

 とうとう上空にも雨雲がやってきた。
 すれ違う登山者が多くなり、挨拶する回数が増えてきた。
 時計を見ると、12時前である。
 やはり、昼食を山頂に予定して登ってくるハイカーがそれなりに多いことが分かった。

 慎重に階段を下っていると、背後から男女1組のパーティに追い抜かれた。(写真左)
 ストック1本を使ってみるが、あまり効果的でなかった。考えてみたら、両足の部分は、全く痛みが無いので、ストックで足を庇うような歩き方をしなくてもいいのだ。
 それよりも突然、腰痛が襲ってくると、腰砕けになり、尻餅をつくような体勢になってしまう。だが、常に痛い訳ではなく、断続的な痛みだったので、歩けるうちは、どんどん歩き、痛みが出そうになったら立止まるというような方法を採る。 
[山北に向かって下る]

 12:51、共和小学校到着。(写真下)
 ここまで、強烈な腰痛は、発生しなかったので、幸いにもそれなりに歩けた。

 実は、今回、この共和小学校に立ち寄りたかった。
 というのは、s-okさんのサイトで、この共和小学校が今年3月で閉校になったことを知り、その後の小学校の姿が見たかったのだ。
 共和小学校は、明治7年に開設され、この度、137年の歴史を終えることになったのだという。今年3月に6年生3人が卒業すると、在校生ゼロとなり、新1年生が当面入学しないということから山北町では昨年11月に閉校を決めた。(※3)
 目の前に広がる校庭、校舎は、変わらない姿を見せていた。門に掲げられた「共和小学校」の表札も、まだそのままの状態だった。

 (※3)タウンニュース足柄版(2012年3月12日号)
[閉校となった共和小学校]

 舗装路になったため、歩き方は、より慎重になった。
 普段より、さらに歩幅を狭くし、腰の上下幅変動を抑えた歩き方が、腰にいいようだ。

 途中、シャガの群落を見たり、路傍の馬頭観音様には、無事、駅まで歩けるよう祈ったりして、車道に出た。東名高速下に出る手前のY字路だ。このとき、タクシーを呼ぶか、一瞬考えたが、まだ大丈夫だろうと、このまま歩き出す。
[シャガと奥に竹林]

 山北駅前を歩いていた時、駅裏に「さくらの湯」があることを思い出した。
 今日は、風呂に入りたいと思い、寄り道。
  ....普段より、ゆっくり入浴
 ちなみにこういった風呂で楽しみなのは、湯上り時の足のマッサージ器。
 100円で5分から10分ぐらい、マッサージしてくれる。これが、疲れた足の裏を癒してくれる。
. ....ついつい追加料金してしまう。
[風呂に入ることに]

 風呂に入ったから腰痛が引いたという訳ではなく、山北駅までのほんの数分の歩きでも、相変わらず痛みは、出ている。
 だが、ここまで歩けたことに満足し、国府津行きの電車を待つ。
[ゴールの山北駅に到着]


 本日の花
[シャガ] [雨上がりのハルジオン?] [雨上がりのムラサキケマン]]

 本日は、腰痛トラブルで、三角点探索が吹っ飛んでしまいました。
 さすがにもう探す気力が萎えてしまい、後日、インターネットという第三者の力を借りて、大野山の三角点を検索してみました。その結果、大野山の三角点は、やはり、あの植林帯のあたりにあるようです。

 また、腰痛の方ですが、翌日の5日(快晴)、6日と、完全に家の中で、横になっていました。(腰が痛くて全く歩けない状況でした)
 7日朝の出勤もどうなることやらと思いましたが、どうにか歩いて電車に乗り、職場まで辿りつけました。(駅から職場までの歩きが、一番辛く、普段の3倍の時間がかかりました) 
 幸い、その日の夕方には、普段の1.5倍程度の時間は、かかるもの、どうにか歩けるようになってきました。
 ですが、腰に爆弾を抱えてしまい、ちょっと今後の山行に影響が出そうです。
 ....今後の丹沢山行は、どうなる?



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。