トップページ山行リスト(日付)>高松山_記録20120811


高松山

 山行日
2012年8月11日(土)       曇り        単独行
 コース
十字路(9:08)〜(9:10)川村小学校高松分校跡(9:12)〜(9:17)十字路〜(9:48)尺里峠(9:51)〜(10:51)高松山(11:55)〜(12:13)ビリ堂(12:20)〜(12:30)分岐路〜<作業経路>〜(12:44)林道合流点〜(13:02)滝沢林道合流点(13:10)〜(13:33)350m圏峰〜(14:10)山北
 今回は、久々に高松山を訪れました。(2010年1月以来でした)
 massyさんのブログ「丹沢ウロウロ」2012-6-30版(最明寺史跡公園〜高松山〜ビリ堂)にて、高松山頂上の木が伐採され、視界が広がったという情報を知り、そのうち行ってみようと思っておりました。
 結果的に後半のビリ堂からのルートは、massyさんと同じとなってしまい、自分にとっても2006年2月以来、2度目の訪問(前回の逆コース)で、ちょっと驚きながら、山北に下っていきました。
 詳細は、以下をご覧下さい。


 早朝から、ロンドン五輪サッカーの3位決定戦(日本vs韓国)をTV観戦していたため、出発が遅れてしまい、自宅を出たのは、6時半近くになってしまった。
  ....しかし、敗戦は、残念だった。

 山北駅に8:25到着。
 以前、ここからタクシーで尺里峠まで行ったことがあった。そのときは、空気の澄んだ状態のうちに、富士山を撮影したかったからだ。
 今回は、暑さに負けて、タクシーに乗ることに。
 ....軟弱な登山者になってしもうた。

 タクシーの運転手さんに「尺里峠」と行き先を告げると、「えー、行ける?通れるかな〜」と、逆質問されてしまった。聞けば、一度も今まで尺里峠には、行ったことがないという。本部に無線連絡し、道路が通れるかどうか確認してもらうと、大丈夫とのことで、ようやく発車。
[山北駅にて]

 クネクネした道を登っていけば、あっという間に平野を見下ろすところまで来てしまう。
 あれっ、今、小学校のような校舎の前を通ったような...すぐに地図で確認したら、尺里峠への道から外れていた。どうやら途中で追いついたトラックの後をついていったために、途中で左折する箇所を見落としてしまったらしい。
 「運転手さん、ここでいいです。」
と、十字路のところで降ろしてもらう。
 すぐそばに「虫沢古道を守る会」による道標があり、左は、「第六天・高松山」、右は、「最明寺史跡公園・松田山」とある。
 左の坂を登れば、高松山に行けそうである。だが、現在位置がよく分からない。そんな訳で、先ほど見た建屋が高松分校跡なのか確認すべく、タクシーで来た道を引き返すことにした。
[タクシーで降りた十字路地点。ここは、どこ?]

 2分程歩いたら、右手に見覚えのある小さな木造校舎が見えた。やはり、ここは、かつての山北町立川村小学校高松分校だった。この分校は、2010年3月に閉校になった。そういえば、今年3月には、隣の大野山山麓にあった共和小学校がやはり閉校になっている。

 手前の校庭には、盆踊りの櫓が組まれてある。日が落ちたら、盆踊りが始まるのだろうか。
 校舎は、以前のままで、今でも児童が出てきそうな雰囲気がある。そんな訳で、しばし立ったまま眺め入った。
[少し戻って分校跡に到着]

 再び十字路に戻る。ここが分校跡そばの十字路ということで、だいたいの位置がわかった。
 左の坂道を上っていく。ここでようやく、この坂道が以前、最明寺史跡公園に向かうとき、逆コースで通ったことのある道だと分かった。

 坂道を上がると、すぐに道は、Y字路となる。以前、歩いたのは、左だ。だが、ここにも「虫沢古道を守る会」の道標があり、第六天・高松山は、右の道を指している。しかも(近道)と書かれてある。
 それならば、右だということで、初めてのルートを進んでいく。
[再び十字路にて]

 10分ほどで、変則十字路に出た。(写真下)
 そうか、ここに出るのかと、このあたりの地理が理解できた。右は、寄(田代向)への道、左は、遠回りで最明寺史跡公園(先ほどのY字路に出る)、直進は、第六天・尺里峠だ。
 ここは、直進し、尺里峠に向かう。
 途中で、富士山のビューポイントがあるのだが、今日は雲のために全く姿が見えない。せっかく中型カメラを担いできたのだが、富士山撮影は、諦めざるを得なかった。
[この変則十字路に出て道がわかった]

 尺里峠に到着。(9:48) 
 ここまでタクシーで来るはずだったのに予定より、30分以上、遅れてしまった。
 ふと、峠の反対側(田代向方面)を見ると、「車両通行止」の看板が目に入る。「土砂崩れのため、松田方面への通り抜けはできません。」の看板も立っていた。
 タクシーの運転手さんの「通れるかな〜」のセリフは、確かに発してもおかしくなかったのだ。
 ここからは、「虫沢古道を守る会」の道を通るべく、尾根に上がる。
[尺里峠にて]

 尾根に上がれば、馬頭観音に出会う。参拝して出発だ。

 ガスのせいで遠景は、何も見えないので、自然と近場ばかりを見るようになる。そんな中、足元に説明板を見つけた。近づいてみると、植物に対するものだった。(写真下左)(写真下右)
 これらの説明板にも、「虫沢古道を守る会」の文字が記されてある。

 そういえば、ここに来るまでに「富士見台」、「桜平」など、場所を示す小さな立札があったが、これらも「虫沢古道を守る会」によるものだろう。
[虫沢古道にて説明板を見つけた] [真弓の説明板]

 植林帯の中をせっせと登っていく。
 高松山の頂上が近づいてきた段階で、道標を見つけた。左の直進は、男坂、右手の植林帯に入っていく道は、女坂とある。男坂は、以前からの登山道で、右手の女坂は、これまた以前からあった経路だが、目立たないものだった。それゆえ、この経路はどこに通じるのか、ちょっと興味のあった道だった。今回、女坂という登山道になり、どうやら頂上に向かう道だったと推理できた。

 男坂を進む。
 クサリの手摺が現れれば、もう頂上まで僅かな距離である。
 10:51、高松山頂上に到着した。
 見渡せば、グリーンの草原が絨毯のようだ。左手を見れば、massyさんの指摘通り、山頂周辺の木が伐採され、山北方面の視界が広がっていた。だが、遠く箱根の山々、富士山は、全く見えなかった。次は、富士がくっきり見える冬の頃に再訪してみたい、そう思った。

 山頂には、新しいベンチを見つけた。誰もいないので遠慮なく、使用させてもらう。ちょっと時間的に早いがランチタイムとした。
 酒匂川と山北の町並みを見下ろしながら、パンを口にする。
[高松山頂上] [山北の町並みを見下ろす]

 せっかく中型カメラを担いできたので、何か被写体はないかと頂上を散歩していると、合歓木の花が咲いていた。(写真下)
 これを被写体とし、三脚を立てて撮影開始。

 そうしているうちに中年男性3人組のパーティがやってきた。
 すこし賑やかになったところで、先に出発する。
[高松山頂上の合歓木]

 ビリ堂に向かう。
 途中、下っていく植林帯の中の山道は、土砂が流され、とても歩きにくい。ここも最近の風雨でだいぶ痛めつけられていた。
 下りが緩やかになったところで、ビリ堂に到着。(12:13) (写真下左)
 驚いたことに水道の蛇口があり、捻ると、水が出た。(写真下右)
[ビリ堂にて] [蛇口あり]

 ビリ堂から山北方面に一般登山道を下っていく。
 12:30、分岐点に到着。(写真下)
 道がY字状に分かれている。以前は、どっちが登山道ルートなのか、わかりにくい分岐点だった。それゆえ、ここには道標が欲しいなと思っていた。
 すると、どうだろう。目の前に道標が立っていた。これで右の道に進むハイカーは、居なくなるはずだ。
 だが、今の光景を見たら、道標がなくても、迷うことなく左の道を進むだろう。そう、右手の経路は、もう廃路のような状態だった。
 まだ時間は早い。そんな訳で右の経路を進むことにした。
[分岐点] [分岐点(2006年2月)]

 このルートは、2006年に歩いたことがあるので、この先、歩いていて不安要素は、なかった。
 植林帯のトラバース路を進む。途中、経路が不明瞭になる箇所があったが、ほぼ水平に進むことで、その先のルートを見つけることができた。
 後半は、歩きやすくなり、12:44、林道に出た。(写真下)
[林道に出た]

 林道に出た後は、民家が何軒か建っており、山の中というイメージでなくなる。
 左手に2階建の小屋が現れた。(写真下左)
 この光景には、記憶があった。確か小屋の前は茶畑ではなかったかと、帰宅後、画像を調べてみた。(写真下右:これも2006年2月のものだ)
 人の手が入らなくなってしまったのだろうか。あまりの違いに言葉を失う。
[建屋に見覚えあり] [2006年2月]

 結局、massyさんと同様のコースをこの後は、たどってしまった。
 ひたすら舗装路を歩き、13:26、左手を振り返ると、登ってきた高松山が見えた。(写真下)
 相変わらず、上空は、厚い雲が覆っていた。
[左手に高松山(中央奥)を眺める]

 途中、尾根の上に巨大な建屋(工場のようである)を見た後、南へと歩いていく。
 ....2度目だが、やはりビックリ。

 13:48、丁字路に出た。その真下は、東名高速だ。(写真下)
 正面に山北の町並みが見える。先ほど、高松山頂上では見下ろしていたエリアだ。ここまで来れば、ゴールの山北駅は、近い。下り坂を進み、東名高速をくぐり、山北駅へと向かった。
[山北の町並み]

 14:10、山北駅に到着。(写真下左)
 結局、ずっと曇りだったが、身体は汗ビッショリだ。
 せっかくなので、駅の反対側に回り、さくらの湯に立ち寄る。(写真下右)
 湯に浸かりながら、今日歩いたルートを思い出す。富士山は、見えなかったが、久々の再訪に満足のいく山行だった。
[山北駅にて] [さくらの湯]


 高松山西南部を久々に訪問しましたが、経路といい、茶畑といい、だいぶ様相が変わっていました。やはり、6年も経てば、景色は変わると言うことがよく分かりました。
 また、高松山頂上のベンチで、冬、富士山を見ながら鍋料理を楽しみたい、そんな企画を思いつきました。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。