トップページ山行リスト(日付)>頭高山・八国見山_記録20130512


頭高山・八国見山

 山行日
2013年5月12日(日)       晴れ         単独行
 コース
新松田(12:10)〜(12:43)神山滝バス停〜(13:25)頭高山(13:33)〜(13:55)雁音神社〜(14:21)八国見山(14:31)〜(14:51)栃窪会館〜(15:16)震生湖バス停(15:19)〜(15:32)震生湖入口交差点〜(15:39)踏切〜(15:54)秦野駅
 午前中の用事を済ませた後、時間が空いたので、頭高山・渋沢丘陵を走ろうとトレーニング姿で、家を出ました。背中のザックは、この間の鍋割山と同程度の軽量化を図っています。
 今回の目的は、下記の通りです。
 (1)神山滝を見物すること
 頭高山の麓にある滝ですが、まだ訪れたことのない場所でした。
 (2)八国見山(やくにみやま)を登ること
 この山は、渋沢丘陵で1番高い山として知られておりますが、場所がよく分かりませんでした。
ですが、先日、秦野市観光協会の土産物パンフレットを入手した際、その裏が秦野市の地図になっており、そこに八国見山が載っているのを発見しました。
 (3)関東大震災の供養塔を見つけること
 震生湖付近の峰坂を登ったあたりに供養塔があることを秦野市観光協会のサイトで知りましたが、未だ訪れたことがありません。今回、探してみることにしました。

 今回も新緑を味わいながらの山行となりました。


 新松田駅に小田急線で12:05到着。
 駅前にある「箱根そば」で、ちょっと食べたい気がしたのだが、空腹気味の方がいいだろうということで我慢し、まずは、川音川を渡るところまでの道筋を確認する。
 ....ちなみに箱根そばでは、「めかぶそば」が好きなのだ。
[新松田駅を出発]

 12:20、川音川を渡る。四十八瀬川と中津川が合流した川が、こう呼ばれているのを初めて知った。
 橋を渡った後、すぐに左折し、短パン姿になり、ゆっくり走り出す。だが、この後がいけなかった。道は、行き止まりとなってしまったのだ。
 地図で確認したら、神山滝に行くには、橋を渡って、すぐ左折ではなく、橋を渡り、小田急を越えた後、左折すべきだった。引き返すとなると、東名高速下まで戻らなければならない。
 どこか前進できないかと、左手の河原方面を見ると、小道があったので、そこを進んでみる。用水路のような小川に並行して進んでいくと、草茫々となるが、強行突破し、小田急線鉄橋の下をくぐる。もっと先に進んでみるが、ちょっと方向が怪しい。そう思ったら、右手に曲がる小道を見つけた。
 これだと思い、右折すると、どうにか民家のそばに出た。だが、湿地帯に気がつかず、右足をドボンさせてしまった。
 ....いきなり、障害走となってしまった。
[小田急線をくぐる]

 階段を上り、ようやく神山滝に通じる県道に出た。右足を濡らしたまま、その県道を進み、神山滝というバス停を右手に発見。だが、右折するような道は、見当たらない。仕方がないので、そのまま県道を歩き続けると、2、3分後、神山滝・頭高山の道標を見つけた。
 いよいよ山道歩きとなる。
[頭高山への入り口道標を発見]

 山道に一歩踏み込むと、地面が濡れていることに気がつく。昨日の雨だろうか。ヤマビルは、いないと思うのだが、本能的に不安になる。まして、今は短パン姿なのだ。
 数分間の緊張した歩行後、ヤマビルが出てこないので、ひとまず安堵感を覚える。
 尾根筋を歩いていくと、右下の沢からは、沢音が聞こえてきた。音が大きいので、滝から落ちる水音だろう。そうだとすると、ここが、滝に下っていくルートかなと、右手に分岐した経路を見る。
 沢の方を見下ろしてみるが、葉の茂った樹林帯のため、滝どころか、沢の姿すら見えない。もう少し先にあるのかもしれないと、そのまま尾根筋の道を登っていくと、突然、沢からの音が聞こえなくなってしまった。
 どうやら完全に沢から離れてしまったようだ。
 引き返そうかと迷ったが、滝見物は、冬の方がよさそうだと思い、今回は、諦め、そのまま頭高山を目指すことにした。
 ということで、初っ端から、今回の目的の一つが挫折してしまった。
[登山道を辿る]

 自然林の新緑の中を登っていくと、丁字路にぶつかった。道標が立っており、下道→東屋と記載されてあった。頭高山には、右へ行った方が近い筈だが、左方向の「東屋」というのが、気になり、ここは、左折することにした。
[丁字路に出た(振り返って撮影)]

 短パンなので山道に茂った草がモロに腿や脛に当たる。こんなに草が茂っているとなると、この先が心配になった。
 だが、茂っていたのは南寄りの方角だけだった。西に進むほど、草は少なくなり、北西あたりのところでは、草もなく、道幅が広がり、普通の歩きやすい登山道のようになっていた。
[経路が草で見えない箇所あり] [木の間からの丹沢方面]

 いったい「東屋」とは、どこにあるのだろうと思っていたら、突然、目の前に立派な未舗装路が現れた。なんだ、ここかと、ガッカリ。結局、「東屋」というのは、この頭高山入口の東屋のことだった。
 ここであれば、先ほどの丁字路で右折すれば、今の距離の半分ぐらいで来れたはずだ。あの道標の書き方は、問題だなぁと、ちょっと憤慨。
[頭高山入口に出た]

 気を取り直して早速、頭高山頂上を目指す。
 小さな神社の横を通り、奥に進めば、そこが山頂で、新しい東屋が建っていた。東屋の下では、中高年の夫婦が食事中だった。周囲は、モミジの鮮やかな新緑が目立つ。
 以前は、あまりパッとしない山頂だったが、新緑と新しい東屋のせいだろうか。今は、小奇麗な山頂に感じる。
 あまり長居は、できないので、13:33、山頂を後にする。
[頭高山頂上にて]

 頭高山頂上から、再び東屋のある入口まで戻ってきた。
 東屋でザックを置き、パンを食べる。早足だったせいか、あまり食欲がない。すぐに出発する。
 次なる目標は、八国見山頂上だ。
 頭高山から東に走っていくと、道が三分する。道標で確認し、真ん中を進む。このあたりの新緑は、特筆ものだ。ちょうど日が当たり、一層、緑が光る。
[道が3つに分かれる]

 13:49、左手に祈りの丘を見る。ここには、戦没者の慰霊碑が建っている。立ち寄って合掌。北側は、表丹沢・鍋割山稜が見渡せるのだが、今は、手前の木の葉でちょっと見づらい。

 さらに東へと進む。雁音神社に寄り道し、参拝する。ちょっと走っては、やたらと休むパターンになってしまった。
 この後は、平地なのだが、疲労感が溜まってきたせいか、今一つ走れず、テクテク歩く。
 やがて、東南の方向になだらかな尾根が見えてきた。あれが、八国見山だろうか。ここから眺めると、どこが頂上なのかよく分からない山だ。
[八国見山方面を眺める]

 頭高山ピークを過ぎてから、秦野観光協会発行のおみやげマップを取り出し、この裏面の秦野市の地図(八国見山が記されている)を見ながら進んでいく。現在地を確認し、この先の分岐点右折が、八国見山ルートだと思って進むと、案の定、丁字路となり、八国見山の小さな道標を見つけた。(写真下左)
 こんなふうに地図上から現在位置を確認し、その後のルートを予測するのが、非常に楽しい。特に今のように予測通りに分岐点が現れると、思わず一人ほくそ笑んでしまう。
[八国見山分岐点:矢印の下に手書き道標] [八国見山への手書き道標]

 右折し、秦野観光協会発行の地図を頼りに進んでいく。このあたりで右折路がある筈だと、右手を見ると、これまた、八国見山への小さな道標を見つけた。
 道標通りに小道に入り、竹林内を突き進んでいくと、左手に八国見山への道標を見る。
 左手のちょっとした高台(といっても、3mぐらい高いだけ)が、八国見山頂上だった。
 周囲は、樹林帯で、全くと言っていいほど視界は広がらない。
 正面の木の幹に山名標識がつけられてあった。(写真下左)
 また、少し手前には、石がいくつか置かれ、お地蔵さんのような像と、小さな刀剣のようなものが立っていた。(写真下右)
 想像していた以上に地味な山頂だ。
 だが、ここが頭高山よりも高く、渋沢丘陵で一番高い地点なのだ。
 そう考えると、ちょっと感慨深い。今度は、葉の落ちる冬に訪れてみたいと思った。
 これで、本日の目的の1つを達成することができた。
[八国見山の山頂標識] [刀剣?あり]

 来た道を引き返し、再び、最初の丁字路まで戻ってきた。
 右折して、東へと進む。
 この先は、いよいよ渋沢丘陵のハイライトゾーンだ。
 14:51、車道に出た。栃窪会館から再び走り出す。やがて、左手の視界が広がる。今日は、表尾根・鍋割山稜の上半分が完全に雲で覆われていた。晴れていれば、ここは、文句なしの丹沢のビューポイントである。
 その後、ゆっくり走っていく。
 今度は、南側の斜面の畑風景が広がり、遠くは、曽我丘陵なども見える。(写真下)
 この光景は、ここ何年も変わっていない。それが嬉しい。
[開放的な風景が広がる]

 浅間台と地図(山と高原地図:丹沢)上で書かれてある所は、厳重にロープが張られ、立ち入り禁止となっていた。よく見ると、ヤマユリが植えられているようだ。
 夏に大きな白い花が咲くかと思うと、これからが楽しみである。
[浅間台は、ヤマユリが植えられているようだ]

 15:16、震生湖バス停に到着。
 ここで、今日の目的の1つ、関東大震災の供養塔を探す。確か、峰坂を登ったバス道路わきにあると秦野観光協会のサイト(震生湖)で説明されていたことを思い出す。
 バス停左側の木が立っているエリアに入ってみる。すると、ちょっと小さめの石碑を発見。これかなと近づいてみると、「大震災埋没者供養塔」の文字が目に入る。
 意外と簡単に見つけてしまった。供養塔の文字の左右には、「仙顔妙蓉童女」、「殊顔妙艶童女」の文字が刻まれてある。これが、関東大震災で峰坂で行方不明となった小学校の女の子二人の戒名のようだ。思わず合掌。

※帰宅後、インターネットで調べたら、下記のような詳しい情報を得た。
『少女達は当時、南秦野尋常高等小学校の児童であった。同小学校は現在の秦野市立南小学校である。秦野市市史編纂室(1987)によれば、地震当日の9月1日は、土曜日で二学期の始業式の日であったが、少女2人の家があった平沢の小原地区では、少女達が学校から帰らないというので大騒ぎになった。すぐに目撃者を探したところ、地震の起こる少し前に少女が峰坂付近を登っているのを見たという人が現れた。峰坂は現在の南小から駐車場方面へ登る坂であり小原地区への帰り道にあたる。そこで、学校の先生や消防団、地元平沢の住民たちが、数日間にわたって土地を掘り起して捜索にあたったが、遺留品など何一つ発見できなかった。また、その後も在郷軍人会や青年団が10月26日から12日間、11月24日から10日間、崩落現場を約60間(約109m)の幅で発掘したが結果は同じであった。』
 出典: 歴史地震 第26号(2011)1-13頁
      [資料]神奈川県秦野市での関東大震災の跡 −さまざまな被害の記憶
      小堀鐸二研究所 武村雅之

[震生湖バス停にて] [大震災埋没者供養塔]

 これで、今回の目的は、神山滝を除いて完遂した。
 後は、駅に戻るだけだ。ということで、この震生湖バス停の先のカーブのところから、走ることにした。車道を走っていく。下り坂なので、走りたくなくても走ってしまう。
 坂を下りきると、震生湖入口交差点に出た。ここを横断し、右折&左折を繰り返せば、秦野駅に着くだろうと思っていたら、なんと小田急の踏切に出てしまった。
 せっかくなので、踏切を渡り、右折する。すると、偶然、住宅街の中で馬頭観音を見つけた。
 こんな場所で出会うというのも何かの縁だろう。手を合わせる。
[住宅街の中で馬頭観音を発見]

 こりゃ、えらい遠回りになってしまったと、踏切を渡ったことを後悔。
 左に水無川を見ながら走り、ようやく秦野駅に到着した。
 [左手に水無川を見る]


 この間のGWの鍋割山と同様、走りを中心にしたいと思っておりましたが、どう見ても歩いていた時間の方が長かったと思います。
 今回は、3つの目的のうち、2つが成就できました。残りの一つ、神山滝は、上述しましたように冬季(今年?)にチャレンジしたいと思っております。




※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。