トップページ山行リスト(日付)>塔ノ岳・大金沢左岸尾根_記録20141012


塔ノ岳・大金沢左岸尾根

 山行日
2014年10月12日(日)       曇り後晴れ         単独行
 コース
大倉(7:06)〜(8:06)駒止茶屋〜(8:21)堀山の家〜(9:04)花立〜(9:22)塔ノ岳(9:40)〜(9:52)不動の清水(10:03)〜<大金沢左岸尾根>〜(11:24)箒杉沢合流点〜<玄倉治山運搬路>〜(13:07)ユーシン分岐(13:25)〜<玄倉林道>〜(15:49)玄倉
 今日は、塔ノ岳から大金沢左岸尾根を下ってみることにしました。この尾根には、途中、石標があり、それを訪問するのが目的です。
 そして、初めての箒杉沢を訪れることも楽しみにしていました。
 詳細は、以下をご覧ください。


 今日のザックは、28リットルの軽量型だ。靴は、トレランシューズとした。これであれば、経験上、大倉尾根の登りもそれほど苦にならない。
 7:06、乗ってきた渋沢発朝1番バスの登山者とともに塔ノ岳を目指して歩き始める。よく見ると、裏手の駐車場の方から車利用の登山者も続々と歩き始めていた。この時間帯は、大倉尾根へのラッシュアワーだなぁと、目の前の行列に目を見張る。
[大倉バス停にて]

 上空は、登る前から曇りだったが、行動中も、全く変わらない天候だった。そんな訳で、周囲の景色もパッとせず、カメラを取り出す機会が少なかったこともあり、ひたすら歩くことに徹することができた。

 1本松跡までは、登山者が多かったが、駒止茶屋ぐらいまでになると、前方を歩く登山者が殆ど見かけなくなった。

 花立山荘下の階段は、気合を入れて登る。やはり、鍋割山のトレーニングと同様、背中のザックが軽いと、こうも歩行ペースが変わるものかと、しみじみ思う。ザックが重いと、どうしても途中で息切れし、立ち止まってしまうが、今日は、一気に登り、花立山荘の前に出た。
 ここは、長い階段の後なので、休みたい衝動に駆られるが、デジカメ撮影するだけで、すぐに花立を目指す。
 だが、花立への登りは、ペースダウン。息が苦しくなってきた。残念ながら、スタミナもこのあたりで限界のようだ。
 ....大倉尾根自己新記録ならず。

 9:04、花立頂上を通過。本来、目の前に塔ノ岳ピークが見えるはずが、ガスが立ち込め、360度、何も見えなかった。(写真下) 
[花立にて、塔ノ岳方面を眺める]

 9:22、塔ノ岳頂上に到着。(写真下左)
 高度が上がるにつれ、ますますガスが濃くなった。前方の尊仏山荘ですら、はっきり見えない。ちょっと休憩したかったので、山荘に入り、ホットコーヒーを注文する。(写真下右)
 山荘内でゆっくりした後、西側の玄倉方面の下りルートへと出発する。(9:40)
[塔ノ岳頂上にて] [尊仏山荘でのコーヒー]

 登山道を下っていくと、路上の落ち葉が濡れていることに気がつく。昨夜、平地では、雨は降っていなかったと思うのだが、この辺りだけ局所的大雨でも降ったのだろうか。木製階段の上も濡れていた。滑らないように慎重に下っていく。
 
 9:52、水場(不動の清水)に到着。ここでは、確か2箇所、水が湧いていたと記憶していたのだが、今は、1箇所だけだった。
 ....ちょっとウロウロ。
 ここで東丹沢詳細図をウエストバッグから取り出し、この先の目的の尾根:大金沢左岸尾根の分岐点を確認する。地図上から見て、ここから約60m下だと判断した。地図をしまい込んで、歩き始める。(10:03)
[水場(不動の清水)]

 尾根の分岐点を見落としたら、今日の目的である石碑訪問が泡となって消えてしまう。ここは、慎重に登山道を下っていく。そろそろ60mぐらい下っただろうと思って、周囲を見渡すと、右手に尾根らしき地形を発見。(写真下)
 詳細図を再び取り出し、ここが尾根の分岐点だと確認。
[大金沢左岸尾根を右に発見]

 一般登山道から目的の尾根筋に移動する。
 尾根筋は、自然林に囲まれ、紅葉のシーズンに来れば、もっと楽しみが増えそうな尾根だ。
 この先に目的の石碑があるだはずだ。なんだかゾクゾクしてくる。その興奮を保ちながら、左右を注意深く見ながら下っていく。
[大金沢左岸尾根を下っていく]

 10:25、あれっ、これかと、あっさり石碑を発見した。尾根巾が広くなかったのが、幸いだった。
 石碑は、そんなに大きいものではない。正面には
  「右 塔ヶ岳(塔ノ岳かも?) 左 ユーシン」
と書かれてある。
 背面を見てみると、なんだか人名のような文字が読み取れる。右には、日付のようで、「昭和四十四年」と記されているのでは、ないだろうか。ひょっとしたら、慰霊碑なのかもしれない。

 この大金沢左岸尾根は、大昔、塔ノ岳への登山ルートだったことが昭和の初めの頃の古地図や文献で確認されている。当初、この尾根がそういった塔ノ岳登山ルートだった頃に、この石碑が建てられたのかなと思っていたが、背面の「昭和四十四年」が正しく、これが慰霊碑だとすれば、この尾根道が廃れた後、誤ってルートを見失い、遭難となってしまったのかもしれない。そんな仮説を持った。

 帰宅後、調べてみたら、
 (1)昭和33年発行「丹沢の山と谷」(山と溪谷社)では、鍋割沢寄り(現在の登山ルート)
 (2)昭和19年発行「丹沢山塊」塚本閤治(山と渓谷社)では、本ルート
のように巻末地図(正確な地形を表現していないが)には、記されていた。
 また、昭和40年発行「ブルーガイドブックス丹沢」奥野幸道(実業之日本社)では、しっかりと鍋割沢寄りのルートが記載されている。昭和44年であれば、すでに新規ルート(現在の登山道)が出来ているので、上記の仮説が成り立ちそうだ。
[念願の石碑を見つけた]

 さて、今回の主目的を終えた。後は、この尾根下りを堪能するだけだ。
 何度かヤセ尾根部分を通り過ぎるが、大昔、登山道だった頃は、こんなにヤセていなかったのだろう。下っていくうちに尾根巾が広がり、歩き易くなっていく。
 ひと気を全く感じさせず、ストックに括り付けたクマ鈴の音だけが響き渡る。
[さらに尾根を下っていく]

 あちこちに同じような人工物を見つけた。緑色の細い柱3本に上部に輪が取り付けられているもので、何の目的で設置されたのか、よく分からなかった。だが、帰宅後、インターネットで丸い輪の上に白い網が取り付けられた画像を見て納得した。これらは、木の実や落ち葉等を取り込むための装置だったのだ。
 だが、目の前の人工物は、白い網が取り外され、採取すべきネット部分だけ持ち帰ったように見える。よく見ると、キチンと立っているものは少なく、斜面に倒れてしまったものが目立つ。毎年使用するのだろうか。だが、今の状態では、もうゴミ以外、何物でもない。
[尾根に人工物有り]

 尾根が終わりに近づいてくると、正面に箒杉沢方面の河原が見えてきた。(写真下)
 足下の尾根の左右は、沢が流れ、この先、無事降りられるか、ちょっとしたドキドキ感が漂う。最初、右手斜面寄りの方が歩き易いかと思ったが、結局、左手斜面の方を歩いていく。
 左手の堰堤横を通り、なんとか沢に降り立った。左は小金沢で、右は大金沢(竜ヶ馬場沢)となっており、すぐ先で合流していた。このまま合流した流れ沿いを下っていく。
[箒杉沢方面を眺める]

 11:24、箒杉沢の河原に出た。
 丹沢山付近の稜線から、箒杉沢の河原を見下ろすことができるが、実際、河原に立って眺めると、こんなに幅広い河原だったのかと、ちょっと感慨深く、薄灰色の石だらけの光景を眺めていた。
[箒杉沢下流方面を眺め]

 堰堤を越えながら、箒杉沢左岸を歩いていくと、目の前に現れたフジアザミ?だらけの光景にビックリする。シカが食べないからアザミだけ残ったのだろうか。これだけの群落となると、度を越えており、なんだか気味が悪い。(写真下左)

 やがて、前方に平らな林道跡を発見。これは、堰堤工事の時に使用されたトラック道路だろう。おかげで、歩き易くなった。
 左から鍋割沢が合流するが、その鍋割沢は、簡単に渡れた。道路跡の坂道を登ると、玄倉治山運搬路にぶつかる。左は、尊仏の土平方面、右は、玄倉方面だ。ここで振り返って、箒杉沢を眺める。(写真下右)
[アザミだらけ] [玄倉治山運搬路から振り返る]

 玄倉治山運搬路を歩くのは、久々だった。
 以前は、よく整備された未舗装路という印象しかなかったが、今回は、倒木、落石は、至る所で発生し、歩きにくい。さらに進んでいくと、道が完全に崩れていた箇所や、崖崩れで道が埋まっている箇所など、全く以前のイメージではなかった。
[倒木あり] [道が崩れていた] [崖崩れあり]

 12:30、熊木沢出合の道標を左に見る。
 
12:37、右手熊木ダムの湖面が美しい。どうしてこんな色になるのだろう。(写真下)
 この頃になると、天気が回復してきて、日が射しこんできた。
[ターコイズブルーっぽい湖面]

 熊木ダムの湖面に見とれていると、その先に素掘りのトンネルを見る。(写真下左)
 
 13:07、ようやくユーシン分岐までやってきた。道標には、玄倉10.0kmと記されてる。まだ10kmの林道歩きが残っているかと思うと、ここで小休止。

 この先は、もう落石などなく、歩き易くなった。同角沢のF1見物に右手小道に寄り道したりするが、あとは、ひたすら林道歩き。そんな林道歩きに楽しみなのは、度々出現するトンネル。立派なコンクリートで固められたトンネルだけでなく、素掘りトンネルもある。
 同角沢を過ぎて、すぐに素掘りトンネルをくぐる。(写真下中)
 その後、玄倉ダム手前でも素掘りトンネルが現れた。(写真下右)
[素掘りトンネル1] [素掘りトンネル2] [素掘りトンネル3]

 玄倉ダム前の湖面も美しい青色をしている。そんな景色を楽しんだ後、石崩隧道に突入する。今までのトンネルと違って、このトンネルは結構長い。遠く出口の光を見ながら進むが、足下が真っ暗になったので、ライトを点けて歩く。
 その後、新青崩隧道に入っていく。このトンネルは、確か2011年に完成したもので、今回、初めて通過する。旧トンネルと同様、途中でカーブしているので、目の前が暗闇の世界となる。ライトを点けて歩くが、やはり単独だと薄気味悪い。
 そんな新青崩隧道を通り過ぎてしまうと、境隧道に出会う。この先は、今年4月に歩いたルートと重なる。大勢で歩いた当時の光景を思い出す。

 この玄倉林道の先には、ゲートがあり、その先に駐車スペースの広場がある。ひょっとして今日あたり、イガイガさんが、この山域を訪れ、車を駐車しているのではないかと、それを楽しみにゲートへと向かう。
 14:57、ゲート前に到着。(写真下)
 さて、イガイガさんの車が駐車していないかなと、駐車場を見渡そうとゲートを通過した瞬間、目の前になんとなく覚えのあるナンバーの車が。
 おおっ、やっぱりイガイガさんの車だ。
 ....なんという出会率。
 小休止した後、ワイパーにメモを残して出発する。
[ゲート前に到着]

 丹沢湖が見えてきた。普段であれば、あたり一面、水面が広がるのだが、この季節、水面がかなり低くなっていた。今のうちに湖底の砂利を採取するということは、しないのだろうか。
[丹沢湖の湖面が下がっていた]

 15:49、玄倉バス停に到着。
 次の新松田行バスは、16:06。着替えたりすることを考えたら、ちょうどいいタイミングだ。バス停の写真を撮ったりしていたら、なんとイガイガさんの車が到着。
 ということで、イガイガさんの車に乗せてもらい帰路についた。
[玄倉バス停にて]

 そのまま真っ直ぐ自宅に帰らず、途中の駅にてイガイガさんと軽く一杯、本日の反省会。イガイガさんは、この日、熊木沢から蛭ヶ岳直登、朝日向尾根を下って来られたそうだ。山帰りのアルコールは、達成感、満足感と、味わい深いものがあるなぁと飲み続けた。
 [イガイガさんと軽く一杯]


 今回は、目的通りのルートが歩け、おまけに最後でイガイガさんと出会えて、楽しい山行となりました。箒杉沢の奥域に、これから足を延ばしてみたいと思います。

 イガイガさん
 本日は、お世話になりました。また、様々な大金沢左岸尾根ルートの資料の送付、ありがとうございました。




※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。