トップページ山行リスト(日付)>神縄界隈・塩沢の大滝_記録20141221


神縄界隈・塩沢の大滝

 山行日
2014年12月21日(日)         晴れ       同行者:AYさん、はっぴーさん
 コース
丹沢湖(8:21)〜(8:35)神尾田神社(8:41)〜(9:09)424m峰〜(9:20)三神峠〜(9:29)いぼ神様〜(9:33)三神隧道〜(9:38)三神峠(9:43)〜(10:05)480m圏峰(10:27)〜(11:58)神縄(12:03)〜(12:07)頼政神社(12:57)〜(14:00)清水やまなみ橋〜(14:40)塩沢の大滝(14:50)〜(15:32)清水小学校〜(15:59)谷峨
 今回は、AYさん、はっぴーさんとともに、かつて歩いたことのある神縄界隈の463m峰ルートを再確認してきました。その後、頼政神社に立ち寄り、トチノキを観賞したり、少し足を延ばして塩沢の大滝も見物してきました。
 他にもいろいろ調査・探索しております。詳細は、以下をご覧ください。


 今回の山行は、朝から大失態。
 なんとデジカメを自宅に忘れてしまった。気がついた時は、もう最寄り駅に近かった。たまに忘れ物をすると、最寄り駅からタクシーで自宅に戻ることがあったが、今回もそのパターンを利用し、駅に向かうと、なんと既にタクシーを待つ乗客が2人いて、タクシーは、1台も来ていなかった。
 ....万事休す。

 これでは、約束の集合時刻に間に合わないと、デジカメを諦め、電車に乗った。
 御殿場線の車内でAYさん、はっぴーさんと合流し、谷峨で下車。
 西丹沢行きのバスに乗車し、丹沢湖で降りる。ここで降りた乗客は、我々だけだった。民家は、あるのだが、ひと気のない車道を3人で歩いていく。 
[丹沢湖バス停が今回の出発点(H)]
 今回の画像は、(H):はっぴーさん、(A):AYさんから頂戴しました
....それゆえ今回は、花立小僧の画像多数のスペシャルバージョン

 丹沢湖バス停から戻るように歩き、丹沢のカリヨンの横を登っていくと、神尾田神社に到着。
 ここには、珍しく砲弾が二つ、神社の入り口付近に立っている。
 この砲弾に纏わる情報をネット等で調べてみたが、詳細な情報は、得られなかった。ちょっと謎めいたモニュメント?だ。
 また、境内には、震災記念碑も建っていた。震災と神社と何か関係があるのだろうか。
 ....ちょっとミステリアスな神社であった。
[神尾田神社(H)]

 神社を抜け、尾根筋に登っていくと、送電鉄塔(落合線No.8)が小ピークに建っていた。その後、尾根筋沿いに進むと、No.9、No.10と鉄塔が現れた。
 朝日が照らす尾根歩きは、気分がいい。特に今日は、曇り時々晴れといった天気予報だったが、それ以上に晴れているのが嬉しい。
[送電鉄塔の続く尾根を進む(H)]

 No.10の送電鉄塔が建っていた地点が、424m峰。このピークを過ぎると、急な下りとなる。この下は、神縄トンネルの筈だ。時々、自動車音が聞こえてくる。
 最後は、とうとうクサリ場となった。(写真下)
 下り切った所が鞍部となっている。どうやらここが三神峠のようだ。小さなベンチと道標が立っていた。
[クサリ場あり(H)

 三神峠に下り立つと、北の丹沢湖側には道標として下山路ルートの案内があった。だが、反対の神縄側には、道標の指導先もなく、踏跡も見当たらず、倒木だらけとなっていた。トンネルが出来る前には、峠越えの経路があった筈だが、その往年の姿は、全く消えていた。
 だが、はっぴーさんがその倒木の下に石仏3体があるということで、近づいていく。
 すると、3体の石仏を発見。(写真下)
 左側は、双体像の姿が見える。道祖神のようだ。真ん中は、単体像、右側は、背が低く、よく分からない。
 帰宅後、調べてみたら、下記の事が分かった。
 『(前略)...いちばん右側は、石が割れて小さくなっています。この割れてしまった神像が、大道祖神(オオザイノカミ)だといい、イボ取りに効験ある道祖神なのだそうです。この神に願をかけるには、まず荒縄でこの像をしばり、イボがとれるとほどいてやるのだといいます。つまり、神さまをおどかして願いをかなえさせるわけです。』(※1)

 (※1)出典 :いらすと・丹沢ものがたり(とよた時)山と溪谷社(1991年)
[三つの石仏(H)]

 峠から南の神縄側に進もうと、今は、完全に経路が風化してしまっている斜面を下っていく。
 イガイガさんのブログ(三神隧道の“イボ神様”)を読まれたはっぴーさんが、この下の旧道横にイボ神様の石仏があるということなので、3人で、そのイボ神様を探す。
 ....ちょっとした宝探し気分♪♪♪

 すると、すぐ旧道に出る前にポツンと立っている石仏を発見した。
 それは、落ち葉に囲まれた樹林帯の斜面に立っており、近寄ってよく見ると、石仏の横には、明治四十年二月二十三日と記してあった。

 帰宅後、これも調べてみた。
 上記のように峠にある石仏を調べると、イボ取りに効験ありとなっており、なんで峠下の旧道側にも同じような石仏があるのか、気になった。すると、下記文献を見つけた。
 『(前略)...その三神ずい道へ入るすぐ手前の道路右側の山林の中に「イボ神さま」が立っている。高さ約七十センチ。浮き彫りの石仏にはだれが掛けたのか、何本も荒縄がぐるぐる巻いてある。
 (中略)「道路わきのイボ神サンは私の家で建てたものだ。以前は切り通しの両側に三体が向き合っていたが、現在の県道になってからは、お参りするのに不便なので、新しい神サンだけ下におろした。三体のうちどの神サンに願をかけても不思議なほどよく治った」という。
 イボ神さまも県道沿いにあるのは、いわば二代目。話を聞きつけて、今でも横浜などから願かけにやって来る人もいる。(後略)』
(※2)
 なるほど、話の辻褄を合わせるように推理してみると
  ・大昔から三神峠に石仏が3体あった。  
  ・右側の1体が割れて小さくなった。
  ・新しいイボ神様の石仏を峠に設置した(おそらく明治40年)
  ・峠の下にトンネルが出来たとき、新しいイボ神様の石仏だけ、旧道横に移設
ということだろうか。

 (※2)出典 :丹沢湖(神奈川新聞編集局)神奈川新聞社(昭和53年)
[イボ神様(H)]

 すぐ下のトンネル(三神隧道)に出た。
 ダムができる前、玄倉に向かうには、このトンネルを通って行っていたのだろう。
 このトンネルは、昭和の初め頃、旧陸軍工兵隊がわずか1週間足らずで掘り上げたという。(※3)
 ということは、先ほどのイボ神様の石仏は、昭和の初め以降に移設されたということだろう。

 (※3)出典 :丹沢湖(神奈川新聞編集局)神奈川新聞社(昭和53年)
[三神隧道前にて(H)]

 トンネル内に3人で入っていく。
 
反対側に出ると、左手に新しい神縄隧道の出口があり、自動車がスピードを上げて通過していった。右手に道標があり、登山道が続いていた。先ほど峠で見た尾根筋から外れ、神縄トンネルバス停へ下っていくルートだ。
 ここを登っていき、再び三神峠に向かう。
[トンネルを抜けて反対側から再び三神峠へ(H)]

 三神峠で小休止した後、再び尾根筋を登っていく。登り側もいきなりクサリ場となっていた。三神峠の位置が、極端に落ち込んでいる鞍部であることがよく分かる。
 峠から神縄分岐点までは、標高差120mぐらいだ。結構な急登が続く。

 10:05、480m圏峰(神縄分岐点)に到着。(写真下)
 ここは、以前、もっとササが密集していたような気がしたが、今は、だいぶ薄くなったようだ。
 日当りのいい、この場所で小休止。
 ここから、いよいよ今回の主目的その1となる、神縄へのルート探索が始まる。以前は、神縄への標識が道標についていたのだが、今では、それが取り外され、柱に跡だけが残っている。
 ちなみに過去の丹沢の登山地図(昭文社エアリアマップ1980年版、1993年版)を見てみたが、ここから神縄に通じるルートは、記載されていなかった。どうも昔から登山道扱いでは、なかったようだ。

 お二人は、ここでチェーンスパイクを装着。そんな滑りやすい箇所があったかなと、自分には全く記憶がなかった。何せここを通るのは、2005年7月以来だ。
 10:27、出発する。
[神縄への分岐点(H)]
・・・ マウスポインタを画像の上に持っていけば...

 分岐点を出発し、下っていくと、右手に経路が分岐していた。(写真下)
 経路は、斜面を少し下っていくように続いていた。はっぴーさんとAYさんが、寄り道して経路調査を実施。
 どうもこの経路、一段低い箇所をトラバースし、そのまま三神峠に続くのでは、と想定された。無駄なアップダウンを繰り返すのではなく、昔の人が好んでつけた水平経路のようだ。

 一方、この右手分岐路のすぐ先で、今度は、左手の分岐路を発見。こちらの径路は、非常に明瞭で、滝口沢の右岸に下り立つのではないかと推察。
[右から合流する経路を調査(H)]

 続いて、463m峰の通過ルートを検証する。
 現在の神縄への径路は、463m峰の南側斜面をトラバースするように続いている。だが、私の記憶では、そんなトラバースに覚えがなかった。そんな訳で、2005年に初めて通った時、463m峰の北側を歩いたのでは?という疑問が湧いた。今回、それを個人的に検証してみたかったのだ。

 少し南寄りの斜面に続いている経路から外れ、463m峰ピークに続く尾根筋を歩いてみる。そこから、463m峰の北側を見渡すと、とても経路があるようには思えなかった。もし、経路があるとすれば、ピークを経由していくような尾根筋ルートだけだろう。だが、当時の自分の記録を読むと、「斜面のトラバースで道が消えかかっている」と書かれてある。そうなると、やはり、現行のルートである463m峰の南側斜面をトラバースしたのではないかと思えてきた。 
[尾根筋を調査後、トラバース路に合流する(H)]

 左下に滝口沢、右上は、463m峰という南側斜面をトラバースする経路を進む。しかし、この斜面、結構、急であるため、経路が風化されつつある。その上、落ち葉が大量に積もっており、殆ど経路が分からないような箇所もあった。落ち葉に足を取られ、左の谷側に滑落したら、非常に危険だ。お二人がチェーンスパイクを装着された意図が、ここで分かった。チェーンスパイクを装着していない私としては、落ち葉を蹴散らし、ストックを斜面に突き刺しながら、進んでいった。
[トラバース路を行く(このあたりは、安全地帯)(H)]

 463m峰の南側トラバースが終了した。
 振り返ってみると、463m峰ピークから続く尾根筋からのルートと合流していた。(写真下)
 ここから眺めても、北側からピークを巻いて、この辺りに合流するようなルートは、とても存在するとは、思えなかった。
 今、通ってきたトラバース路は、結構、崩れている箇所が多かったが、以前は、もっと歩き易かったに違いない。やはり、2005年に初めてここを通った時、今と同じように463m峰南側斜面をトラバースしたと考えるのが妥当のようだ。
 ....記憶がなかったので、今回、初めて南側斜面を通過した気分だった。
[尾根筋方面を振り返る(振り返って撮影)(H)]

 さて、463m峰の北側ルート検証が終わり、続いて、他の経路調査に入る。
 11:19、切通の丁字路に出た。(写真下)
 神縄へのルートは、直進だが、立派な経路が左から合流している。ということで、左側の径路が気になり、左折することにした。
[切通の経路にぶつかる(H)]

 右下に滝口沢を見ながら、進んでいく。
 滝口沢には、ナメ状の小滝がいくつか見えた。水流は、緩やかで、落ち着いた景観だ。
 経路は、だんだん不明瞭になっていく。結局、沢に下りることなく、途中で引き返した。
[ちょっと滝口沢右岸トラバース経路を探索(H)]

 再び切通の丁字路まで戻り、今度は、この先の390m圏峰の巻道ルートを検証。経路は、西側についているのだが、東側を回ることは可能かを確認する。
 結論として、東側は、急斜面となり、トラバースは不可能と判断。

 またしても切通の丁字路に戻り、今度は、西側経路を素直に通り、神縄に下っていく。
 2005年に初めてここを通った時、最後は、人家の庭の前を通って舗装路に出たような記憶があるが、今回は、そんなことはなく、無事、舗装路に出た。
 すると、目の前に大木が現れた。(写真下)
 ケヤキの巨木だった。しばし、3人で観賞。 
[立派なケヤキ(H)]

 神縄バス停で小休止した後、頼政神社に向かう。
 ここには、かながわ名木100選に選定された「トチノキ」があり、これを見物するのが、本日の主目的その2だ。
 12:07、頼政神社に到着。
 意外に小さな神社だ。
 神社の鳥居の横に「頼政神社のトチノキ」の説明板が立っていた。(写真下左)
 
『樹高 25メートル   胸高周囲 5.3メートル   樹齢 約350年(推定) 
 県内では珍しい樹種で、堂々とした巨木である。
 飢きんの際には、この実が人々の命を救ったということが今でも語り継がれている。』


 説明板の右後方に一本の木が立っていた。(写真下右)
 「これがトチノキ?」
 一瞬、えっと思ったら、AYさんが、
 「花立小僧さん。その木は、イチョウですよ。」
とのコメント。
 「ですよね〜」
 
....説明板の設置場所に異議あり。

 それでは、トチノキは、どこにあるのかと視線を正面に向けた。
 拝殿の後方に大木が見えたので、あれかなと、拝殿の裏に回る。
[トチノキの説明板(H)] [頼政神社(H)]

 頼政神社でランチタイムとし、ゆっくりと休憩。
 今日は、天気が良く、風も冷たくないので、それほど寒さを感じない。
 12:57、頼政神社を出発し、本日の主目的その3のボウズクリの滝に向かう。

 県道を南下していくが、意外に時間がかかりそうなので、ボウズクリの滝は、パスし、まだはっぴーさんが一度も訪れたことがないと言われた塩沢の大滝(本日の主目的その4)に向かう事にした。

 14:00、塩沢集落に向かう橋が新しくなっていた。平成26年3月に閉校した山北町立清水中学校卒業生6名が卒業記念にと、清水やまなみ橋と命名したとのこと。
 この橋を渡っていく。
[新しくできた清水やまなみ橋にて(H)]

 塩沢集落を抜けると、車道が終了。沢に下りる前にザックをデポし、空身で塩沢沿いに進んでいく。
 滝は、左岸にあるので、このまま左岸を進めればいいのだが、水流の関係から、そうはいかない。
 以前は、ガードレールを利用した小さな橋が架けられてあり、簡単に対岸に渡れたが、今回は、全く橋は、架けられてなかった。流れの中の石を利用し、ジャンプして沢を渡る。
 再び左岸に渡り、そのまま小さな沢へと進む。
 「この先ですよ」と、はっぴーさんを案内。
 右手にその滝が見えてきた。
[塩沢の大滝を目指す(A)]

 滝見物の帰りは、ジャンプする石が異なるため、不安だったが、どうにかドボンせずに沢を渡った。ここは、ガードレールは、あったものの、流されており、橋の機能をなしていなかった。
[塩沢の大滝の帰り(H)]

 来た道を引き返し、塩沢集落を抜けた後、河内川右岸の幅の狭い道を歩き、谷峨に向かう。
 途中、今年閉校となった清水中学校を左手に見る。
[閉校した清水中学校の校舎(H)]

 途中、川西橋バス停近くの酒屋で、日本酒などを調達。
 谷峨駅には、15:59到着。
 次の国府津行は、16:42。そんな訳で、先ほど買ってきた日本酒等で、AYさんと反省会開始。
 ....飲むには、ちょうどいい待ち時間。はっぴーさん、差し入れありがとうございました。

 駅に着いた時は、まだ明るかったのだが、電車に乗る頃は、とっぷりと日が暮れていた。
 [谷峨駅に到着(H)]


 AYさん、はっぴーさん
 ご同行、並びに画像のご提供ありがとうございました。
 今回、デジカメを忘れて、初めてカメラ無しの山行を経験しましたが、やはり、カメラがないと手持無沙汰で、歩くことだけに集中してしまい、自然を味わう楽しみが半減してしまうことがよくわかりました。
 今後とも宜しくお願い致します。


 補足
 文中、道祖神も「石仏」と表記しておりますが、ここでは、信仰にかかわる石造物を全て「石仏」と呼んでいます。




※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。