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大野山

 山行日
2016年9月18日(日)       雨         同行者:他事鉄さん、YANさん、MTTさん
 コース
谷峨(9:19)〜(9:48)嵐入口〜(10:07)頼朝桜(10:12)〜(10:47)十字路〜(11:44)大野山(12:08)〜(12:19)イヌクビリ(12:21)〜(13:23)旧共和小学校〜(14:01)大野山入口〜(14:29)さくらの湯(15:12)〜(15:38)山北
 今回は、「山の会2」のメンバーとともに、大野山に行ってきました。頂上の大野山乳牛育成牧場(県営牧場)は、今年3月末に閉鎖されましたが、個人的には、閉鎖前の今年2月に訪問して以来、登っておりません。今回は、閉鎖後の牧場を初めて訪問する機会となりました。
 ですが、天気は、雨となり、山歩きとしては、最悪の状況でした。
 詳細は、以下をご覧下さい。


 今回は、「山の会2」メンバーの方々(他事鉄さん、YANさん、MTTさんの3人)と大野山に登ることとなった。
 9:03、谷峨駅に下り電車が着いたら、意外にも、狭い駅舎の中に若い男女がドドッと一斉に入ってきた。どうやらキャンプ場に向かうグループのようだ。また、キャンプ場案内の女性も駅舎の中で待ち受けていて、「キャンプ場行きのバスは、既に到着しています。」とのアナウンスをしているが、雨が降っているので、男女は、なかなか外に出ていかない。
 そんなゴタゴタした状況で、我々4人は、全員集合したのだが、雨脚が強く、すぐには出る気がしなかった。
 「ゆっくり行きますか。」
と、多少、雨脚が弱まったところで出発。時刻は、9:19だった。
[スタートの谷峨駅から既に雨]

 雨の山行と言っても、話し相手がいる4人山行だと、だいぶイメージが違う。会話に夢中になると、雨が気にならなくなる。
 9:28、床が雨で滑りやすくなっている吊り橋を通過。渡り終えたところで、後方から若い男性5人ぐらいのパーティに追い越される。
 「こんな天気ですけど、大野山ハイカーがいるんですねぇ。」
と、追い越していくパーティを見ながら、別の話が始まる。
[吊り橋を渡る]

 酒匂川左岸の舗装路を進むと、Y字路となる。ここは、右手の上り坂を進む。
 だんだん息が苦しくなってくる頃、ふと足下を見たら、動くものが。
 何かと思ったら、サワガニだった。
 「こんな場所で、カニに出会うとは。雨のせいでしょうね。」
 一同、舗装路のカニに注目。
 ....ヒキガエルやヘビは、よく見かけるが、舗装路でカニは初めて。
[路上のサワガニ]

 左右に民家が現れた舗装路を進むと、左への細い路地に対し、「大野山ハイキングコース」の案内板を見つけた。
 昔は、乳牛のイラストが描かれていたことを思い出す。
[嵐入口から登山道へ]

 細い山道を登って行き、深い樹林帯の斜面を進む。
 先程、民家があったのが、ウソのような奥深い山中というイメージだ。だが、それも長くは続かない。10:07、車道に出た。

  目の前に立派に枝を広げた桜の大木がある。頼朝桜と名付けられた樹木だ。昔、源頼朝がここを通った際、杖をついて休んだところ、その杖が根付いてこの桜になったとの言い伝えがある。
 右手に説明板が立っていて、その内容によれば、
 「(前略)...頼朝桜は、天保年間徳川幕府編さんに成る「新編相模国風土記稿」に挿絵と共に載っている。元樹は、明治14年の台風によって倒損し、現在の木は、ひこばえの成長したものと伝えられる。樹高11.6m、根廻り2.4mである。...(後略)」
とあり、目の前の桜自体は、明治以降の樹木のようだ。

 ※ひこばえ ・・・「孫(ひこ)生え」の意。切り株や木の根元から出る若芽 (出典:デジタル大辞泉)
[車道に出た先に頼朝桜]

 頼朝桜を通り過ぎると、すぐに右手に細い分岐路が現れ、正面に小さな建屋(トイレ)が目に入る。
 大野山へは、右の細い坂を登って行く。
 すると、トイレの裏に東屋があることに気がついた。
 ちょうど雨が強くなってきたこともあり、ここで、小休止とした。
 「このまま転進と言うこともありますね〜。」
 と、強く降ってきた雨を見上げながら話す。
 「下ったら、山北のさくらの湯には、入れるかと思いますが、問題は、その先ですね。昼過ぎから飲める店が近くにあるかどうか....」
 ....下山後は、飲むことが第一目的である。

 そんなことを喋っていたら、雨が急に弱くなってきた。どうやら、山の神様は、我々を登らせようとしているようだ。
 10分ちょっと小休止し、10:26、歩き始めた。
[小さなトイレあり]

 再び車道に出る。(10:47)
 以前の丹沢の地図(昭文社)では、十字路と名付けられてあった場所だ。
 ここにも東屋が建っていたが、休憩せずに通過する。
 雨は、だいぶ弱くなっていた。
[十字路にも東屋あり]

 保護柵ゲートを通過すると、樹林帯から草原帯となり、葛折りの登り道をゆっくり進むと、南側の箱根方面の山々が見えてきた。(写真下)
 だが、平野部の酒匂川河口方面を眺めると、雨が降っているのだろうか。薄らとガスがかかったような状況で、全く見えない。
[振り返ると箱根方面の山々が見えてきた]

 傘を差しながら、草原状の斜面を登って行く。
 登山道の横には、有刺鉄線があり、これは、ちょっと危険だなと思いながら、黙々と進む。さすがにこの辺り、登りが続くので、息が切れてくる。
[牧場跡の中にある登山道を進む]

 「あらら」
 この先の登山道が、ススキなどで一面、覆われていた。
 手入れをしないと、登山道は、簡単に草ボウボウになってしまうということを改めて認識させられる。
 「この草ヤブとなった道は、牧場閉鎖と何か関係があるんでしょうかね〜。」
 そんな話をしながら、強行突破。
[なんと、登山道が草ヤブに覆われていた]

 11:44、大野山頂上に到着。
 晴れていれば、西丹沢の稜線が眺められるのだが、今日は、360度、白いガスの中。
 頂上の東屋には、吊り橋の先で追い抜かれた若い男性パーティが休憩中だった。
[大野山の山頂標識]

 東屋にてランチタイム。相変わらず、雨は降り続いている。既に到着済だった若い男性パーティが先に出発していった。

 ランチタイムを終え、東屋から南東側斜面を下ってみた。ここは、以前、階段があったはずだが、今は、チカラシバが密集状態で、足下は全く見えない。下の道に出て、右手を見たら、ゲートが閉じてあり、立入禁止となっていた。(写真下)
 「え〜!!」
 どうやら、牧場閉鎖と共にまきば館へ通じる牧場内の経路は、立入禁止となってしまったようだ。
 これで、大野山の楽しみは、半減してしまったと言っても過言ではない。極めてショッキングな発見となってしまった。
[展望歩道橋への道は閉ざされていた]

 12:08、頂上をスタートする。
 下山路は、地蔵岩コースというルートを選択し、旧共和小学校の方へ下り、山北に抜けるつもりだ。イヌクビリを過ぎて、そのまま直進していく。幸いな事に雨が上がり、傘を畳んで歩けるようになった。
[頂上からイヌクビリを経由し、地蔵岩コースを進む]

 地蔵岩コースを下っていく。
 正面は、小田原市街地方面なのだが、平野部は、ガスがかかっており、はっきり見えない。それでも、雨が止んだことで、歩き易くなったのは、助かった。
[牧場跡を左に見ながら、一直線の階段下りとなる]

 牧場跡の草原状を下り終えると、一転して自然林の樹林帯となる。
 一部、登山道が崩れかかっており、鉄パイプの手摺のある箇所を通過。慎重を要したが、それ以上に、山道に現れる一枚岩の上が雨上がりということで、滑りやすく、緊張してしまった。
[樹林帯の中の登山道となる]

 13:06、車道に出た。ここから先は、舗装路となる。
 逆コースで歩いてきても、ここは、「大野山ハイキングコース 地蔵岩ルート」という大きなカンバンが立っているので、見落とすことはないだろう。
[車道に出た]

 13:23、旧共和小学校にて、小休止。
 この小学校は、2011年3月で閉校となったのだが、校庭や校舎は、そのまま残っている。
 校庭の前には、未だ「山北町立共和小学校」の銘板が残っていた。
[旧共和小学校]

 下山時は、結果的に雨が止んだ状態が続いたので、4人でも話がしやすく、楽しく歩くことが出来た。
 山北駅に近づいた段階で、裏手の公園(D52蒸気機関車)の横を通り、「さくらの湯」へ直行する。
[さくらの湯に立ち寄る]

 「さくらの湯」でゆったりと過ごし、御殿場線を待つ間、前の酒屋にて缶ビールを購入。
 駅の改札口前のベンチで、まずは、乾杯。
 ....この後、全員、帰る方向が同じだったので、東海道線に乗り換え、途中下車し、長〜い反省会となったのだ。
 [山北駅で、まずは乾杯]


 今年2月に閉鎖前の大野山乳牛育成牧場(県営牧場)を訪問しましたが、今回、閉鎖後初めての訪問となりました。牧草地跡は、ススキや野草が伸び放題となっており、やがては、林に戻っていくのでしょうか。牧場が存在していたことを知っている身としては、寂しい限りです。

 他事鉄さん、YANさん、MTTさん
 今回は、悪天候の中、ご同行ありがとうございました。また、反省会もいろいろと話が出来て、楽しいひと時でした。今後とも宜しくお願い致します。




※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。