トップページ山行リスト(日付)>大野山_記録20161007


大野山

 山行日
2016年10月7日(金)       曇り         単独行
 コース
谷峨(7:16)〜(7:45)嵐入口〜(8:03)頼朝桜(8:06)〜(8:42)十字路(8:47)〜(10:18)大野山(11:21)〜(12:09)イヌクビリ(12:11)〜(13:38)旧共和小学校(13:42)〜(14:01)大野山入口〜(14:31)さくらの湯(15:05)〜(15:08)山北
 先月、大野山を「山の会2」のメンバー3人とともに登ってきましたが、天気が悪かったので、今回、単独で同じコースを歩いてきました。目的は、富士山撮影です。
 詳細は、以下をご覧下さい。


 前回と違って、今日は、早く自宅を出たので、7:04、谷峨到着。
 今日は、雨は降っていないが、上空は、雲が多い。果たして富士山や西丹沢の山々の眺望は、期待できるだろうか、ちょっと不安を感じながら、17:16、歩き始める。
[谷峨駅が今回もスタート地点]

 御殿場線の遥か向こうに大野山の頂上手前の斜面が見える。
 前回は、雨のせいで、全く見えなかったが、これならば、富士山も期待できるかなと、ちょっと期待が膨らんだ。
[大野山頂上付近を見上げる]

 吊り橋を渡った後、左折し、車道を登って行く。
 斜度がキツく、徐々に息が苦しくなってくる。
 ようやく緩やかになったと思うと、前方に民家が見えてきた。
 さらに進むと、正面に「大野山ハイキングコース」の案内板が視界に入ってきた。
[民家の先から左折し、山道に入っていく]

 今回も頼朝桜の前で撮影。
 そう言えば、大野山には、これまで何度となく登っているのだが、この桜が咲いている光景を見たことが無いなぁ...と言うことに気がついた。4月の山行は、どうしても違うエリアに行ってしまうようだ。 
[今回も頼朝桜を撮影]

 頼朝桜から、すぐ先にトイレがある。(写真下左)
 小さな建屋だが、周囲が木々しかないので、とても目立つ。
 そのトイレ右側の小道を進むと、トイレの裏手に東屋が現れる。(写真下右)
 今回も、ここで小休止とした。
[小さなトイレが見える] [トイレ裏の東屋]

 東屋を出発し、一直線の坂道を登って行く。やがて、道は、山道となる。
 山道の左右には、桜の苗木を植えた形跡(添え木やネットなどが残っている)があるのだが、まともに成長している苗木は、1割もないのではないかと思えるほど、殆ど育っていない。
 桜の苗木を添え木とネットで保護すれば、桜は、育つという考えが、全く通用しない事をまざまざと見せつけてくれた光景だった。
[山道を進む]

 十字路を通過し、いよいよ牧場跡に近づいてきた。
 保護柵のゲートを通過する。
[植生保護柵を通過]

 さあ、富士山は、見えるだろうか。
 恐る恐る箱根方面から、富士山方面に視点を移動していく。
 箱根の山々は、見えていた。そして、愛鷹山も見えていた。
 だが、富士山には無情にも、裾野から雲が湧いており、殆ど姿は見えていなかった。
 だめだ。こりゃ...
 登ろうというモチベーションが一気に縮退していく。
 登るペースがスローダウンとなり、近場の光景を見下ろす。
 すると、先ほどの東屋が見えていた。
[視界が広がるところで、トイレ裏の東屋を見つけた(画面右端)]

 ゆっくりと草原状態の斜面を登って行く。
 「あれっ、有刺鉄線がなくなっている。」
 思わず声が出てしまった。
 前回訪問した際は、有刺鉄線が山道の端に続いていたが、それが、見事に撤去されていた。
[前回の有刺鉄線が消えていた]

 ふと、山道の傍らを見ると、撤去された有刺鉄線が折りたたんで、整理されてあった。
 有刺鉄線を外すということは、もう牧場には戻すつもりがないのかなと思えた。
[撤去された有刺鉄線]

 牧草地跡を左に見ながら、山道を進む。
 このあたりの山道は、よく手入れがされて、歩き易い。
[牧草地跡を左に見ながら進む]

 相変わらず、山頂へ向かう途中の登山道は、ススキが繁茂して、足下が見えない状況だった。
 両手で、ススキを掻き分けながら、進んでいく。
[山道は、相変わらずススキ等で覆われていた]

 10:18、大野山頂上に到着。
 前回は、4人山行だったが、谷峨駅から2時間20分ぐらいで到着している。
 だが、今回は、約3時間かかった。どうも、今回は、前回よりも天気が良かったこともあり、撮影時間が多くなったことが、その理由のようだ。
 山頂では、西丹沢の山並みの眺望が得られた。雲は、幸いにも山にはかからなかった。
 そんな訳で、山頂標識の画像には、西丹沢の山々が背景となった。(写真下左)
 また、三保ダムも見下ろすことが出来た。(写真下右)
[大野山山頂にて] [三保ダムを見下ろす]

 山頂は、チカラシバだらけだった。
 膝下ぐらいまで伸びていて、非常に歩き難い。
 11:21、山頂を出発する。
[石祠から東屋方面を眺める]

 前回同様、イヌクビリを経由し、地蔵岩コースを下っていく。
 この山道、比較的、平らな岩の上を踏んでいく箇所が、何度も現れるが、これが非常に滑りやすい。おかげで、腿に力が入り、疲れが倍増してしまった。
[滑りやすい岩が多い] [手摺のある山道]

 13:13、地蔵岩コースの登山口に到着。
 ここからは、舗装路歩きになるので、緊張感が一気に消えてしまった。
[地蔵岩コース入口にて]

 旧共和小学校に近づいてきたとき、反対方向から、ハイカー姿の中年女性2人組とすれ違う。
 このとき、道を聞かれた。
 「大野山へは、この道でしょうか」
 大野山に登るつもりということで、雑誌に掲載されたイラスト風の地図のコピーを持って歩かれていた。そのコピーを見ると、なんと、進むべき道(深沢経由の車道コースで、山頂まで書かれてあった)だけが記載されており、分岐する道は、全く記載されてなかった。
 「今、我々は、この辺にいます。」
と、地図に書かれた道から外れた位置を説明する。
 「そうでしたか。やはり、違う道を歩いていたのですね。今日は、出発が遅かったため、手前で引き返します。」
 深沢三差路まで行けば、この地図の道路に出られることを説明し、別れた。

 あんなルート地図があるのだなぁと、ちょっとビックリ。
 分岐路を無視し、頂上まで1本道として記載されてあれば、誰だって、正しく歩ける訳がないと思う。

 振り返ると、ちょうど大野山の頂上が見えた。(写真下)
[大野山頂上方面を眺める]

 都夫良野入口バス停の前を通り、東名高速の下をくぐる。
 ここから山北までの舗装路歩きが、いつも長く感じてしまう。

 14:08、左手に馬頭観音2体を見る。左は、年号が宝暦、右は、明和と読める。宝暦元年は、1751年。明和元年は、1764年。ざっくり言って250年前の石仏である。参拝後、しばし、馬の頭の部分を見入ってしまった。
[旧共和小学校の角にて]

 今日も山北駅裏のさくらの湯へ。
 西丹沢は、さくらの湯に入るパターンが多くなったなぁと思いながら、湯船に浸かる。
 [さくらの湯に立ち寄る]


 本日も残念ながら、富士山は、雲の中でした。
 こうなったら、富士山の眺望が得られるまで登ってやると、秘かにファイトを燃やしております。




※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。