トップページ山行リスト(日付)>半原高取山〜荻野高取山_記録20170624


半原高取山〜荻野高取山 〜相州アルプス〜   

 山行日
2017年6月24日(土)   晴    同行者:「山の会2」メンバー5名→4名
 コース
仏果山登山口(8:46)〜(9:47)宮ケ瀬越〜(10:00)半原高取山(10:19)〜(10:27)宮ケ瀬越(10:32)〜(10:52)仏果山(11:09)〜(11:27)馬渡分岐〜(11:36)秋葉山(11:43)〜(11:52)馬渡分岐〜(12:03)ベンチ(12:35)〜(12:44)革籠石山〜(13:16)半原越(13:26)〜(13:54)経ヶ岳(14:04)〜(14:41)華厳山北峰(14:49)〜(14:51)華厳山(14:55)〜(15:13)荻野高取山(15:47)〜(16:18)高取山ゲート(尾根の上)〜(16:22)大沢登山口〜(17:00)上荻野
 「山の会2」の山行として、今回は、仏果山系の山々(いわゆる相州アルプス)を踏破するという目的の下、半原高取山から仏果山、秋葉山、革籠石山、経ヶ岳、華厳山を経て、荻野高取山まで歩いてきました。久々に長い山歩きとなりました。
 詳細は、以下をご覧下さい。


 本厚木駅7:50発宮ヶ瀬行きのバスに乗車し、仏果山登山口で下車。
 バス停にて、各メンバーがそれぞれのヒル対策を講じる。ヤマビル忌避剤をスプレーするだけの人、スプレー&スパッツを装着する人、ガムテープで靴とズボンの隙間をなくす人(これは、私だ)etc.
 準備が終了したところで、出発。(8:46)
[仏果山登山口バス停を出発]

 植林帯に入り、すぐに登山ポストに出合う。清川村が用意してくれているヒル忌避剤のスプレー容器は、2つとも空だった。
 この先の植林帯が、ヒルゾーンだ。この時季、ヒルが出てくるのは、必至だ。
 すると、案の定、列の前方で、「ヒル発見!」の声が。
 よく聞くと、メンバーのヒル発見は、靴に付いたから、発見という訳ではなく、地面にてニョロニョロ動くヒルを発見したものだった。だが、私の目には、地面にいるヒルが全く見えない。やはり、視野が狭いのだろうか。
 ....動体視力が衰えている?
 とにかく10匹以上いたことは、わかったのだが、私には、2匹程度しか分からなかった。ヒルに日頃、気がついていないことを客観的に教えられた気分だ。
 ヒルを発見するも、靴やスパッツに取りつかれたメンバーは、いないため、とにかく進んでいく。
[植林帯の山腹を行く]

 ベンチのある尾根の先端まで来たところで、ヒルゾーンを脱出したと判断。
 ここからは、針葉樹のモミが混じる自然林の光景が広がる。ルートは、殆どストレートに尾根を登って行くような感じで、いつも息が乱れるのだが、今日は、中型カメラ機材を背負っていない分、背中が軽い。お蔭で、他のメンバーと同じペースで歩けた。
 9:47、宮ヶ瀬越到着。
 半原高取山へ向かうために左折する。
[宮ヶ瀬越にて]

 左手のモミ樹林を見ながら、稜線を歩き、半原高取山に到着。
 展望鉄塔に上がってみると、
本間ノ頭の北側に見える山々(蛭ヶ岳方面)は、手前の雲で隠れていた。だが、全体的には霞んだ光景だ。季節柄、仕方がないかと思いながら、鉄塔を下りる。
 20分弱、休憩した後、宮ヶ瀬越まで戻る。
[半原高取山に到着] [展望鉄塔の上から]

 宮ケ瀬越に戻ってくると、ここでアクシデント発生。
 「半原高取山には行かず、ここで待っています。」と先程、言われたメンバーの一人、TEHさんが、体調不良ということで、一人下山ということになった。バス停に下りたら、連絡をもらうこととして、残りの5人で、縦走を続けることとした。
[宮ヶ瀬越に戻る]

 仏果山に近づいてきた時、以前、このあたりで、木の幹に樹木名のプレートが付けられていたのを思い出した。だが、それが今回、一つも見当たらなかった。
 ふと、地面を見ると、かつて幹に取り付けられたプレートを発見。全部のプレートが自然に外れたとは、思い難い。人的要因だろうか。
[地面に落ちていたプレート]

 10:52、仏果山到着。
 ここにも展望鉄塔が建っている。ということで、最上部へ。
 先程の半原高取山では、見えてなかった蛭ヶ岳方面が、手前の雲が消えたお蔭で、姿を見せていた。一方、半原高取山方面を眺めると、新緑の終わった濃緑の広葉樹林帯が目立つ。霞んだ遠景の丹沢と、この濃緑を見ていると、「もう夏だなぁ」と思わず声が出た。

 鉄塔から下りて、記念撮影。
 ....この頃は、まだ全員元気。
[仏果山頂上にて記念撮影]

 仏果山から、私が先頭となった。
 来た道を引き返すように進み、左へ曲がっていけば、大山方面の展望が広がる。だが、この先、ちょっとスリルな下りとなる。何分間か、足下注意のエリアが続く。

 ここで先程、別れたTEHさんから連絡が入り、無事バス停に下りたとの事。皆、一安心したところで再出発する。

 11:27、馬渡バス停分岐点に到着。
 手書きマジックで、「秋葉山分岐点」?と書かれた文字があったが、それに気がつく人は、そう多くは、ないだろう。ここで、秋葉山に向かうため、左折する。
 どうせ引き返すので、ザックを置いていこうかと思ったが、結局、全員、下ろすことなく秋葉山に向かう。
[秋葉山への分岐点]

 左折した直後は、経路らしき踏跡があるものの、そのうち不明瞭になってくる。だが、進路方向は、尾根筋をそのまま下っていくだけなので、迷う箇所はない。

 11:36、秋葉山の山頂標識に到着。(写真下左)
 この標識の裏手を左に少し下ったところに秋葉山という名に関係する秋葉講の記念碑があることを知っていたので、そこまで足を延ばす。
 石の祠の右手に石碑が建っており、そこには、以下のように書かれてあった。
『細野秋葉講記念碑
 江戸時代より馬渡、下細野、中細野、下新久、上新久、塚原の住民は、遠州秋葉神社を火伏の神として信仰し、秋葉講をつくり毎年代参を行ってきた。社殿焼失に依る文久二年の再建に寄進し明治十五年には半原秋葉山にこの石祠を建立した。明治末より深沢尻、浅敷戸が加わり、大正二年には細野一円が講中となった。更に昭和六十年の秋葉山上本宮再建に奉賛した平成元年講が永年続くことを祈念して祠域を整備し、この碑を建てる。
 平成元年十一月十七日』 
  (句読点は、花立小僧追記)

 江戸時代から火事が恐れられていたのは、住居密集地だった江戸の町だけではなかったようだ。そんなに人口が多かったとは思えない、ここ細野地区でも火伏の神が祀られていたというのは、ちょっと興味深い。やはり、木造建屋の心配事は、火事だということを改めて認識する。
[秋葉山にて] [石祠と細野秋葉講記念碑]

 秋葉山訪問後、下ってきたルートを登り返す。
 周囲は、広葉樹林帯で、木陰が多い。直射日光を浴びないのは、有難い。だが、直線登りは、やはり、キツイ。
 後で気がついたのだが、不思議なことに下っていった時間と、登り返した時間というのは、そんなに差が無かった。それだけ登りが速かったということのようだ。
[稜線に戻るまでの登り]

 再び稜線に戻ると、左折し、半原越方面へと歩き出す。
 12:03、ベンチが設置してあるところで、ランチタイムとする。日は、照りつけてくるが、ベンチは、ちょうど木陰となっていて、過ごし易い。約30分、休憩とした。

 歩き始めて約10分後、革籠石山に到着。
 正面の尾根筋には、ピンクのテープで進入禁止となっていた。一般ルートは、ここで右折となり、急な階段を下っていく。
 いつだったか、このピンクのテープの奥から登ってきたときがあった。(AYさんとミックスナッツさんとの山行:2010-1-10) ひょっとして、革籠石山ってそれ以来の訪問?と思い、帰宅後、調べてみたら、その通りだった。
 ....山行は、だいぶ仏果山周辺と、華厳山周辺に偏っている。
[革籠石山にて]

 革籠石山から、一気に高度を下げていく。
 だが、下った分だけ、経ヶ岳の登りになるのかと思うと、頭が痛い。
 中高年グループ4、5人とすれ違う。本日、初めての団体さんとのすれ違いだった。暑い時季のせいか、それほど登山者の姿は、見かけない。
 樹高のある植林帯の中を進む。枝葉が密集していないので、明るくて、歩き易い。
[植林帯の尾根筋を下る]

 13:16、半原越に下り立った。
 小休止していると、ロードバイクが法論堂側から、上細野側から、次々とやってくる。ライダ―は、皆、ツール・ド・フランス姿だ。この間の5月4日、華厳山山行で見た光景と同じだ。
 半原越は、いつのまにか自転車部隊のメッカになってしまったようだ。
[半原越で小休止]

 半原越を13:26、出発。
 左手に「清川宝の山」の石柱を見た後、いきなり経ヶ岳の急登が始まる。長い階段登りに大腿四頭筋が発熱しているような感じだ。それにしても長い。こんなにキツかったかなあと、思いつつ、マイペースで登って行く。
 ようやく登り終えたと、時計を見ると、たかだか10分程度の登りだった。そんなに短かったのかと、いささかガックリ。(標高差は、約80m程度)
[経ヶ岳への急登]

 経ヶ岳の手前で、経石を見学。
 経石には、下記のような案内板が立っていた。
『経石
 昔、弘法大師がこの岩(南側にある穴)に経文を納めたことから経石と、また経石のある山だから経ヶ岳と呼ばれるようになったと伝えられています。永禄十二年(1569年)、北条武田合戦(三増合戦)の際、武田氏に敗れた北条氏の落武者が、やっとのことでこの山にたどりつき法論堂を見下ろすと数多くの槍が立てられていました。落武者は、武田の軍勢がすでに法論堂までおいかけてきたのかと思い、経石付近で力尽き相果てたそうです。ところが落武者が見た槍というのは、収穫を終えたトウモロコシだったといい、それ以来、この地方では、トウモロコシを耕作しなかったと伝えられています。         環境庁・神奈川県』

 北条氏の落武者の内容は、特に経石とは、関係ない話となっている。経石についての逸話は、これ以上、見つからなかったのだろうか。単に経文が納められそうな形をした、珍しい穴があったということから、弘法大師の伝説が生まれたと推察すべきか。そう思っていたら、後日、ネットで経石に関する情報を得た。

 『経石(経ヶ岳)
 
清川村の北東部、愛川町とのに「経ヶ岳」があり、山頂からほんの少し下った所に「経石」(高さ4m、周囲12m)がある。
 (
中略
 ところで、この経石は、
弘法大師遺蹟である。大師は煤ヶ谷村で華厳経を研究して、その写本山上にある大石函めたので、この石を経石といい、その山を法華峯現在の経ヶ岳)とし、その研究地を法論堂んだ。
 (
後略)』
 <出典>
 http://swa.edu.city.atsugi.kanagawa.jp/901/tikuban/ogino/change04_01_01.html
  めざせ!厚木博士 地域版/荻野/荻野のいま・むかし/西山/経ヶ岳/経石 から

 他に下記のような記述もあった。
 『【荻野の華厳山と弘法大師の教え】
 今から約1200年前、大同年中の弘法大師は、この荻野に来られ、華厳山乗磧寺(松石寺)を創立された。裏山を華厳山と稱し、それを山号とされた。さらに大師は、華厳経を小石の一石に一字を書き写し、近くの盤石に納められた。この大石を経石と稱された。後に人々はこの山を経岳と呼び大師の遺徳を偲んだ。
 現在は、経ヶ岳と華厳山は別の峰を指していますが、経石についての記述などで、経ヶ岳と混同されている部分もあるようです。 』
<出典>
 http://swa.edu.city.atsugi.kanagawa.jp/901/tikuban/index2.html
 めざせ!厚木博士 地域版/荻野/荻野のいま・むかし/西山/華厳山 から

 う〜む。弘法大師は、本当にこの荻野に来られたのだろうか。
 経ヶ岳と華厳山が混同されているところも興味深い。
[経石を振り返る]

 経石を過ぎれば、すぐ先が、経ヶ岳頂上だった。(13:54)
 南西方面の丹沢表尾根方面は、もう白く霞んでしまっている。遠景を楽しむことはできなかった。
 ここで、約10分休憩するが、その間、他の登山者に一人も会わなかった。
[経ヶ岳頂上にて]

 14:04、経ヶ岳を出発する。
 半僧坊への下山ルートに進み、すぐ現れる分岐点(道標あり)で、右折し、半僧坊ルートから外れる。
 その2分後、左手にシカ柵が現れたところで、分岐路となる。手製の案内標識がシカ柵にぶら下がっている。左は、経ヶ岳の尾根を下って大沢登山口。右(直進)は、華厳山方面だ。ここは、右(直進)の華厳山方面へと進む。
 この後、経ヶ岳の急な下りとなる。固定トラロープが設置されていたが、確かに下りの時は、欲しいと思った。
[経ヶ岳からの急な下り]

 荻野越を通過した後、華厳山への登りに取り付く。荻野越との標高差は、約110mで、意外と急登が続く。これが最後の登りと、自分に言い聞かせて気合を入れるが、直線登りなので、アキレス腱が伸びそうだ。
[華厳山への登り]

 華厳山北峰に寄り道した後、華厳山頂上に到着。(14:51)
 前回訪問時(今年5月4日)に比べたら、周囲の樹林は、緑が濃く、夏模様。印象は、だいぶ異なる。なんだか、眺めているだけで、汗が出て来そうだ。
 北峰でも小休止しているので、ここ頂上は、軽く休憩した後、歩き始める。
[華厳山頂上にて]

 華厳山からは、緩やかな下りが続く。
 ここまで来れば、ゴールは近い。
 
15:13、最後のピークとなる荻野高取山頂上にたどりついた。
 ここで記念撮影をしたりして時間を潰す。
[荻野高取山頂上に到着]

 荻野高取山からは、大沢登山口へ下る。
 一本の尾根を素直に下っていくので、迷うこともなく、歩き易い。

 尾根が終わる頃に電気柵が目の前に現れる。そのゲートを通過して、ゴルフ場へ。
 ゴルフ場の中を進むと、メンバーの皆さん、「ここは、無事、下山したと思っても、絶対、ゴルフ場内で迷ってしまい、パニックになりますね。」と、ゴルフ場内の道に対しての感想。
 確かに国土地理院(電子国土Web)の地図を見ても、ここは、ゴルフ場の中、カートが走る道路としか思えないような道路記載となっている。だが、大沢登山口から用野の住宅街までのルートは、厚木市道だ。
 大沢登山口の立札から迷わずに用野の住宅街に出るためのポイントは、右手に川を見ながら、離れないように下流方向へと、歩き続けることだ。(なお、川は、水が流れていない時もある) これだけを忠実に守れば、ゴルフ場の中で、迷子になることはないだろう。
[ゴルフ場手前にて電気柵のゲートを通る]

 用野橋を通る。
 ここの「相州アルプス、西山三山」の案内標識も、6年の年月で、だいぶ色褪せてしまったようだ。(写真下左) 新品の時は、綺麗な色で目立っていた。(写真下右)
[用野橋を通過(振り返って撮影)] [2011年7月での案内標識]

 17:00ちょうど、上荻野バス停に到着。
 バス停でゆっくりすることなく、3分後には、厚木バスセンター行きのバスがやってきた。
[上荻野バス停に到着]

 本厚木駅そばの居酒屋で反省会。
 やはり、生ビールが旨い。
 ビール片手に、今日の山歩きの感想、今後の山行計画など、話は尽きない。山名がいくつも挙がり、まだまだ登りたい山は、数多くあることを認識。
 [本厚木にて反省会]


 「山の会2」の皆様
 本日は、大変お世話になりました。誠に有難うございました。
 これからも、丹沢、箱根や県北部の山々など、いろいろ県内を歩いていきたいと思います。
 宜しくお願い致します。




※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。