トップページ山行リスト(日付)>高松山_記録20170916


高松山

 山行日
2017年9月16日(土)       曇り後雨         単独行
 コース
(8:13)旧高松分校(9:19)〜(10:02)尺里峠(10:13)〜(11:12)高松山(11:37)〜(12:05)ビリ堂(12:09)〜(12:51)農道終点〜(13:22)東名高速下〜(13:48)山北
 天気予報では、午前中は、天気が持つような状況でしたので、高松山に行ってきました。
 高松山は、3年振りの訪問です。今回、まずは、高松分校からスタートすることにしました。
 詳細は、下記をご覧ください。


 山北駅に7:33、到着。
 曇り空だが、午前中は、まだ天気が持つだろう。そう思い、改札を出る。
 駅前広場には、タクシーがポツンと1台停車中だった。このタクシーで一気に高松分校に行ってしまおう。周りには、タクシーを待っているような乗客がいなかったので、問題ないだろうと、トイレに行ったり、自販機で缶コーヒーを買って飲んでいたら、あらら、目の前で、その1台が、走り出した。
 どうやら、無線で迎車依頼を受けたようだ。
 まあ、タクシーは、1台だけではないと思い、駅前で撮影したりして、タクシーを待つ。(写真下)
 しかし、なかなかタクシーが現れない。
 ....ちょっと焦る。

 待つこと約10分、ようやく別のタクシーが1台到着。
 結局、7:56、山北駅を出発するハメになった。
[山北駅前にて]

 今回は、まず旧高松分校に行ってみたかった。
 最近、訪問していなかったので、校舎がどうなっているのか、確認したかったのだ。
 
 8:13、旧高松分校に到着。
 校庭入口の銘板には、「旧高松分校」と記されていた。2006年2月訪問時の画像を見ると、その時は、「山北町立川村小学校 高松分校」と書かれてあり、まだ現役の分校だった。
 閉校したのは、2010年3月という。
 閉校後の2012年8月訪問時の画像を見ると、校庭の周りに滑り台、ブランコ、鉄棒、シーソーが写っていたが、今、目の前では、そのような遊具は、全て撤去されていた。

 木造校舎は、以前のままだ。私が通った横浜の小学校でも、小学校3年まで木造校舎だった。(その後、取り壊されて鉄筋コンクリートの新校舎となった)そういった思いがあるので、この木造校舎がとても懐かしく思えてくるのだ。
[旧高松分校にて]

 撮影している最中に雨が降ってきた。天気予報と違って、だいぶ早いタイミングの雨だ。だが、今日は、雨が想定されたので、自宅を出た後、コンビニにてビニール傘を購入していた。これが、重宝した。傘の面積が広いので、とにかく濡れにくい。買った時は、ビニール傘の割には、高いなと思ったのだが、ここで初めて、ワンタッチ傘だったことに気がつき、納得。

 その後、道路を挟んで、分校の反対側に石碑があることに気がついた。
 近づいてみたら、「開拓記念碑 高松山開拓農業協同組合」と刻まれてある。なかなか興味深い石碑だと思い、裏に回ってみると、碑文が書かれてあった。文章が長かったので、デジカメで撮影しておいた。(帰宅後、読もうと思ったが、画像では、ところどころ、判読不明な箇所があり、ちょっと残念な結果となった。別の機会にじっくりと取り組んでみたい。)
 石碑を9:19、出発する。
[開拓記念碑]

 大きめのビニール傘を差しながら歩く。
 今日は、今まで歩くいたことのないルート(最短ではなく、ちょっと西寄りを歩くルート)で、尺里峠に到着。(写真下左)
 ここから、虫沢古道を守る会が整備した尾根筋ルートに上がろうとしたら、正面に簡易トイレのような建屋があることに気がついた。ちょっと近づいてみると、果たしてそうだった。
 この簡易トイレの側壁には、
 
『ハイカーさん、おつかれさま、マナーを守ってきれいに使って下さい。  虫沢古道を守る会』
と書かれ、このトイレが虫沢古道を守る会が用意したものだとわかった。
 「う〜む。力が入っているな〜。」
と、思わず、守る会に脱帽。

 その後、尾根に上がって、いつものように馬頭観音を参拝。(写真下右)
[尺里峠にて] [馬頭観音]

 馬頭観音を出発する頃になると、幸いにも、雨が止んだ。
 ビニール傘を畳んだ状態で、富士見台を通過する。富士見台と言っても、今日は、ガスで何も見えなかった。そんな折、ふと、足下をみると、
 「ヒル〜!、ヒル〜だ!」
 チェックしてみたら、左靴に3匹、右靴に1匹発見。だが、いずれも、そんなに大きくない。1cm前後だ。幸い、被弾は、していなかった。
 そう言えば、先程の尺里峠で見かけた「ヤマビル注意」の松田町の立札を思い出した。今まで高松山は、比較的、春夏に訪れているが、ヒルに遭遇した記憶は、ない。そんな訳で、ヒルに対しては、全くのノーガードだった。
 ....覚えていないだけかも

 まあ、こんなジメジメした中では、出てきても、おかしくは、ないだろう。そう割り切って、先を進む。

 10:42、尾根筋に乗る。(写真下)
 前方は、植林帯が続く。足下をチェックしたが、ヒルは、見つからなかった。
[尾根筋に乗った]

 尾根筋に乗ると、登山道は、ほぼ直線状に歩いていく。
 途中、尾根筋が急登になるが、そこは、一度、左側に巻いた後、尾根を左斜面から登って行く。
 植林帯が続くので、ヒルがいないかと、度々ヒルチェックするが、幸いにも、見かけることはなかった。
 右手の植林帯が途切れた所で、ちぎれた雲が浮かぶ光景を目にする。(写真下)
 表尾根方面のようだ。
[表尾根方面と思われる]

 11:12、高松山頂上に到着。
 やはりというか、他に誰もいない。広々とした山頂の草原を独占していた。
 山頂の真ん中にあるベンチにザックを置き、早めのランチタイムとした。
[高松山頂上にて]

 かつて高松山頂上は、周囲の植林が育っていたが、富士山の眺めだけは、見られるようになっていた。それが、いつの間にか、南側の植林も切られ、相模湾や箱根方面の山々も眺められるようになった。一転して眺めのいい山頂に変わったのだ。
 だが、今日は、箱根の山々も雲に覆われ、平野が薄らと見下ろせる状況だった。
[箱根・真鶴半島方面の眺め]

 高松山頂上を出発する頃、再び、雨が降ってきた。大きなビニール傘を差しながら歩く。こんな天気なので、もう素直に山北駅へ下ることにした。
 ビリ堂と西ヶ尾との分岐点に到着。
 ここに虫沢古道を守る会による、はなじょろ道(西ヶ尾方面))への道標が立っていないのは、不思議だ。(写真下)
[ビリ堂と西ヶ尾との分岐点]

 ビリ堂に向かって斜面を下っていくが、道が荒れている。こんなに荒れていると、前方を撮影。(写真下左)
 だが、ちょっと左を見たら、道標が立っていた。(写真下右)
 「あれっ、撮影した箇所は、登山道でなかったか。」と思った時、思わず独り笑いをしてしまった。
 というのは、荒れた箇所を撮影した後、道標を撮影したのは、今回が初めてではない事に気がついたからだ。
 「また、同じことをしてしまった。全くルートファインディングに対し、向上していな〜。」と深く反省。
[荒れた道?] [道標あり(振り返って撮影)]

 12:05、ビリ堂に着いた。
 ここで、水道の蛇口を探す。以前、蛇口を捻ると、水は、出たのだが、酷く悪臭のする水だった。そのせいだろうか、蛇口が消えていた。どうやら撤去されてしまったようだ。
 「文化」という年号が読み取れる馬頭観音を撮影した後、出発する。
[ビリ堂にて]

 雨が本格的に降っている。もう、止みそうもないなと思っていると、舗装路に出た。
 この先は、ミカン畑だ。
[舗装路に出た]

 雨の降る中、東名高速が眺められたので、デジカメを取り出す。撮影アングルから、以前も、ここで東名高速を撮影した事に気がついた。どうも撮影ポイントは、同じになってしまうようだ。
[東名高速を見下ろす]

 丁字路にて直進しようと思ったら、工事中で、通行止めとなっていた。右手の看板には、登山者は、左折して、ミカン農道をそのまま下っていくルートを利用してほしい旨が記載されてあった。いったい何の工事かと思ったら、新東名高速のための工事用道路工事だった。平成30年2月27日までは、直進ルートが使えないとの事。
[直進ルートが塞がれていた]

 左折した後、雨が降る中、ツルツルの坂道を慎重に下っていく。両足が一度、同時に滑りそうになり、少々ヒヤリとした。濡れた坂は、これだから恐ろしい。

 13:12、無事、尺里峠から下ってくる道と合流した。ここからは、通常の平坦な道歩きだ。道路の傍には、ヒガンバナが咲いていた。
[道端にヒガンバナが咲く]

 13:48、山北駅に戻ってきた。
 ヒガンバナを撮影してから歩いた平坦な道が、結構、長く感じられ、結構、足に疲労感を覚える。
 朝とは、違って、駅前にはタクシー3台が、直線状に並んでいた。
 [山北駅前にタクシーが3台]


 今回は、初っ端からタクシー待ちで躓き、ヒルに取りつかれたり(実害はゼロ)、マイナス要素が多かった山行でしたが、高松分校の訪問や、他の登山者は、全く見かけず、静かな山行が出来たのは、収穫でした。
 ....でも、高松山頂上から富士山を眺めたいので、今度は、冬の晴天日に訪れてみたい。




※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。