トップページ山行リスト(日付)>不老山_記録20190519


不老山

 山行日
2019年5月19日(日)       曇り      同行者:「山の会2」メンバー2名
 コース
向河原(7:59)〜(10:48)林道横断点(10:55)〜(11:30)不老山(12:01)〜(13:20)大久保山(614m峰)(13:25)〜(14:00)谷ヶ山(14:17)〜(14:42)484m峰〜(15:15)R246陸橋下〜(15:51)駿河小山
 久しぶりに不老山を訪問しました。調べてみましたら、2011年以来、8年振りの訪問です。(そんなに行っていなかったのかと、ちょっとビックリです)
 不老山南峰から生土へに続く不老の活路ルートには、I翁のカラフルな手書き道標が何本も立っていましたが、現在、どうなっているのか興味がありました。
 詳細は、以下をご覧下さい。


 7:49、向河原バス停にて下車。以前は、「棚沢キャンプ場」というバス停だったが、キャンプ場が閉鎖されたため、バス停名が変更されたようだ。
 7:59、バス停を出発し、坂道を下っていくが、目の前に見える河内川には、その吊り橋が見当たらない。おかしいなと思い、坂道を少し下った後、下流側に続く、細い経路を進んでみる。
 すると、木立の間から、青い吊り橋を発見。ようやく、ホッとする。
[向河原バス停にて下車]

  河内川を渡り、植林帯の登り一辺倒となる。すると、今回の同行者の一人、他事鉄さんの歩行ペースが段々と遅くなっていく。どうも体調が悪いらしい。
 「先に行ってください。」と言われ、先に行っては、休み、他事鉄さんが追いついたら、再び歩き出すというパターンを何度か繰り返す。
[植林帯の登りが続く]

 10:28、他事鉄さんが追いつくと、「もう大丈夫。」ということで、ここからは、再び3人で歩き出す。
 すると、植林の根元で、小動物を発見。他事鉄さんが、「ヒメネズミですかね。」と一言。
 私自身は、丹沢で初めて見る小動物だった。確かに尻尾が長くて、歩き方が可愛らしい。野生のハムスターといったイメージだ。思わず、デジカメ撮影する。
[ヒメネズミ?]

 10:48、林道に出る。(写真下左)
 ここに「番ヶ平」という標識が立っている。ふと、この「番ヶ平」について思った。
 「番ヶ平」って、どこを指すのだろうか。
 帰宅して調べてみた。
 <番ヶ平を指している場所>
  @丹沢の山と谷(1958年)では、林道東側の小ピーク(867m峰)
  A西丹沢頂稜河川土地名称図(1960年)では、林道西側の小ピーク(894m峰)
  B丹沢を歩く(1995年)では、林道東側の鞍部
      但し、 「番ヶ平ノ頭」は、林道東側の小ピーク(867m峰)
  C丹沢山塊(ミウラ折り)(2000年)では、林道東側の小ピーク(867m峰)
  D丹沢(アルパインガイド)(2009年)では、林道合流点
      但し、「番ヶ平ノ頭」は、林道東側の小ピーク(867m峰)
  E山と高原地図「丹沢」(2002年版)では、林道東側の小ピーク(867m峰)
  F西丹沢登山詳細図(2013年)では、林道西側の小ピーク(894m峰)
  G山と高原地図「丹沢」(2019年版)では、林道東側の鞍部
 これらから見ると、「番ヶ平」と「番ヶ平ノ頭」とで、場所が異なり、これが、地名をより複雑にしているようだ。また、ピークで見ると、一番古い@では、東の867m峰だが、次に古いAでは、西の894m峰。こうなると判断が難しい。
 個人的には、「番ヶ平」という名称は、「平」の文字からして、林道東側の鞍部(平地)を指しているのではないかと思っている。
 ....まあ、「平」が当て字の場合もあるけれど。

 林道を左に少し歩いてみると、林道下から崩壊地となっている場所がある。(写真下右)
 この結果、大野山が眺められるのだが、それよりも足下の崩壊斜面が遥か先まで崩れており、こちらの方が、より印象的だった。
[番ヶ平の標識] [林道から大野山方面を望む]

 林道を横断し、斜面を登っていく。右は、植林。左は、自然林となっている。
 この林道から先のルートは、2010年に歩いているのだが、全く記憶が無かった。
[不老山頂上への登り]

 11:30、尾根筋を登り終えたら、そこが不老山山頂だった。
 既に単独女性がベンチで休憩中。時間的に見て、ここでランチタイムとする。目の前にあるサンショウバラの木々は、まだ開花には早く、花は、全く見られない。
 そんな緑一色のサンショウバラの木を眺めながら、パンを食べていると、世附峠の方から中高年の団体さん12人がやってきた。お蔭で頂上は、一気に賑やかになった。
 12:01、ランチタイムを終了。団体さんより先に出発することにした。
[不老山頂上にて]

 12:07、不老山南峰と言われた分岐点に到着。
 ここから南に下っていくルートが「不老の活路」と言われる道だ。
 久々に「不老の活路」と書かれた、I翁のカラフル道標に出会う。だが、道標は、壊れてしまい、その姿が痛々しい。また色が褪せており、長い年月が経ったということを教えてくれる。
[不老山南峰にてI翁の道標] [以前の道標(2010年)]

 南峰から南側に下っていく。この辺りは、以前、道の左右は、スズタケが茂っていた記憶があるのだが、現在では、全くスズタケが消えていて、何だか初めて通るようなルートのようだ。
[スズタケが消えていた分岐点]

 12:16、新しい林道を横断する。まだ地図にも載っていない林道のようだ。この林道は、どこに通じているのだろうか。登山ルートとしては、尾根筋に下っていく。
 ....スズタケの消滅や、新しい林道等、変化が著しい。
[新しい林道を横断する]

 さらに下っていくと、右手から新しい林道が並行していた。これが、先ほど横断した林道と繋がっているのかは、分からない。言えることは、この辺りも半原高取山や三ノ塔尾根と同様、林道だらけになったと言うことだ。
[右から新しい林道が並行してくる]

 12:43、正面に「新秦野線」送電鉄塔が見えた。右手を見れば、樹木が伐採され、視界が広がっている。この伐採光景は、初めて眺めた気がした。(写真下左)
 この後、道は、右折し、送電線沿いに下っていく。振り返って、送電鉄塔を見上げる。(写真下右)
 この送電鉄塔は、新しいようで、@鉄骨が、今まで見たことのない深緑色、A鉄塔の中心にハシゴが付いていた。
 注)手元の西丹沢登山詳細図(2016年:第2刷)では、この送電鉄塔は、新秦野線で「No.10」と記載されているが、実際のプレートには、「新秦野線9」となっていた。
[右手の視界が広がる] [新しい送電鉄塔を振り返る]

 13:06、分岐点に到着。
 右折すると、林道に出て、同じように駿河小山に下ることが出来る。ここは、直進していく。
[分岐点にて]

 13:17、登山路を外れ、左手の斜面を登っていく。この先、大久保山のピーク(614m)を目指す。
 この大久保山、どこが頂上なのか、はっきりしない。この辺りが、最高地点ではないかと思い、ザックを置いて、撮影する。(写真下) 
[大久保山頂上付近にて]

 再び登山道に戻り、南下していく。右手に送電鉄塔「田代幹線340」を見て、緩い下りを進む。

 13:45、植林帯の中にI翁の道標?を見つけた。(写真下左)
 これも経年変化が著しい。
 文字が読みにくくなっているが、よく見ると、これは、道標ではなく、和歌が記載されていた。
 「不老賛歌 
  ぬばたまの君が黒髪 霜降れど 不老登山し いのち紅い」
 帰宅後、I翁の和歌には、本歌があるだろうと思い、調べてみた。すると、万葉集に
  居明かして君をば待たむぬばたまの我が黒髪に霜は降るとも
  作者:磐姫皇后
 が見つかった。「ぬばたま」は、「黒」、「夜」など黒をイメージさせる言葉に掛かる枕詞。
 ぬばたま(射干玉)は、ヒオウギの黒い種子だ。I翁の道標には、ヒオウギの花が描かれている。
[現在のI翁の道標] [以前の道標(2010年)]

 周囲は、相変わらず植林帯が続くが、急坂はなく、非常に歩き易い。
 他事鉄さんは、午前中の登りの時の絶不調がウソのようだ。今では、全く問題なし。
[植林帯を進む]

 13:53、谷ヶ山に登る直前にI翁の道標を見る。(写真下左)
 すでに柱から落ちてしまい、地面に置かれている。
 道標表示には、進路方向が、生土(いきど)、反対側は、不老山と書かれてあった。
[現在のI翁の道標] [以前の道標(2010年)]

 上記の道標を見た後、登山道から外れて左手の斜面を登っていく。
 この上が、谷ヶ山だ。そんなに急登ではなく、植林帯を一歩一歩登っていく。木漏れ日の中、やがて広い頂上が見えてきた。

 14:00、谷ヶ山頂上に到着。
 フラット気味の頂上でも、何度か訪問したことがるので、三角点の位置は、分かっていた。
 植林帯ゾーンから少し離れた箇所にある三角点に到着すると、その上に小さな手書き山頂標識が立っていた。
[谷ヶ山にて]

 谷ヶ山からは、登ってきたルートを引き返し、再び登山路に戻る。

 
14:35、左手に植林帯の間から東名高速を見る。このコースは、殆ど遠望がきかないので、こういった眺めは、非常に目立ってしまう。
[東名高速を眺める]

 14:37、正面にI翁の案内板を見る。これは、コースに関係なく、ホトトギスについての説明板だ。
 説明板の裏を見ると、2008.4.8と書かれてある。この道標も10年以上経っているのだが、ペンキが違うのか、仕上げ方法が異なるのか、経年変化が見られなかった。
[現役のI翁道標(案内板)]

 14:42、484m峰を通過。ここで、単独のトレラン男性に追い抜かれた。不老山からの下り、右手に林道が並行する辺りで、後方から若い男女1組に追い抜かれたが、それ以来の登山者だった。

 15:04、急な下り階段となる。(写真下)
 手摺を使って慎重に下っていく。これを下り切れば、生土の住宅街だ。
[急斜面を下る]

 登山道が終わる所で、左手にI翁の道標を見る。(写真下左)
 「ここより不老山聖域に入る」のメッセージが面白い。
 I翁が、この不老山を神聖なエリアだと考えられていたのがよく分かる。
 だが、現状、道標の形を何とか保っているが、この道標もやがて地面に落ちてしまうのが時間の問題のように思えた。
[現在のI翁の道標] [以前の道標(2010年)]

 R246の下をくぐり、生土の住宅街を下っていく。
 向河原を出発した時は、曇り空で、天気が心配されたが、その後、雲が減っていき、青空が見え、天気の心配は、なくなった。今は、のんびりと、駿河小山駅へ向かう。
[舗装路を下っていく]

 15:51、駿河小山駅に到着。
 御殿場線ダイヤを全く意識していなかったが、タイミングよく、次の御殿場線は、15:58発だった。
 [駿河小山駅に到着]


 予想通り、I翁の道標は、経年変化が著しい状況となっていました。I翁の道標は、@既に柱だけ残っていて、道標の表示板が消えているもの、A道標の表示板が残っていても、殆どが色褪せて、読みにくい状況になっているもの、B道標の表示板が外れ、地面に落ちている(さらに表示板が割れている)もの等が殆どで、8年前と同じような道標は、僅か5,6本だったかと思います。
 過去を知っている者として、寂しさを禁じ得ません。
[かつてのユーモラスなI翁の道標(2005年)]



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。