トップページ山行リスト(日付)>八菅山・塩川滝_記録20211115


八菅山・塩川滝
 山行日
2021年11月15日(月)    晴      同行者:「山の会2」メンバー 2名
 コース
一本松(8:51)〜(9:02)八菅橋〜(9:26)八菅神社〜(10:11)八菅山展望台(10:14)〜(10:35)225.7m峰(三角点)(10:39)〜(10:53)幣山分岐点〜(11:24)石神社(11:35)〜(12:04)日月神社(12:10)〜(12:15)愛宕神社(12:19)〜(12:21)金刀比羅神社(12:24)〜(12:46)半僧坊入口(13:16)〜(13:23)沓掛坂(13:35)〜(14:18)塩川滝(14:32)〜(14:54)馬渡
 今回は、「山の会2」メンバー2名と八菅修験春の峰三十行所を訪ねるというテーマで、行者道を歩くことを計画し、今回は、その1回目です。
 スタート地点は、八菅神社で、今回は、下記5行所を訪問してきました。
 (1)八菅禅定宿(泊)    (2)幣山タテン岩屋(石神社)(修)    (3)屋形山(修) 
 (4)平山 多和宿(泊)   (5)滝本 平持宿(泊)
   (修):特別な修行や祈祷を行う場所
   (泊):祈祷や宿泊する場所。
詳細は、以下をご覧下さい。


 厚木バスセンターでお二人と集合した後、上三増行きのバスに乗り、一本松にて下車。
 八菅神社へは?とキョロキョロすると、すぐに「八菅神社」という大きな文字の看板を見かけた。
 十字路を右折し、中津川方面に進む。
[一本松バス停を出発]

 単に坂道を下っていると思っていたら、ここは、中津大橋という橋だった。
 ....帰宅後、撮った画像を見ていたら、中津大橋という標柱のようなものが写っていた。
 正面に見える小高い丘が八菅山のようだ。
[中津大橋を下る]

 中津川を渡り、十字路を直進していくと、八菅神社の鳥居の前に到着した。(写真下左)
 八菅神社の由緒は、下記。
 
中世に遡る関東でも有数の修験道の霊場であったが、慶應4年/明治元年(1868年)の神仏判然令で、神仏分離が行われ、さらには廃仏毀釈によって、神仏習合の修験は解体され、明治以降は郷社八菅神社となった。この地を拠点とした八菅修験は、正応4年(1291年)に熊野長床衆が峯入り修行をした巨大な碑伝(八菅神社蔵)が残り、天文21年(1552年)には、京都の聖護院門跡の道増がこの地に入峯した記録が残る。貞享4年(1687年)には聖護院末の本山派修験となった。中世には八菅山の神は「八菅山大権現」として祀られた。近世に至り、八菅山七社権現となり[3]、熊野権現を中心に、蔵王、箱根、男山八幡、山王、白山、伊豆走湯の七社権現を祀り、別当寺の光勝寺のもとに、本坊24坊、脇坊22坊が奉仕する修験者の一山組織をなし、修験集落として栄えた。(以下略)  (出典:Wikipedia)

 このどこかに禅定宿(八菅山合宿所)が存在したのだろう。
 そんな思いを抱きながら、奥に進んでいくと、ふるさとの木として、
   ケヤキの大木
   クロガネモチの高木
を見上げる。
 さらに奥に進み、横に長い社殿の前に出た。(写真下右)
[八菅神社鳥居] [社殿]

 社殿を抜けて、さらに奥へと進むと、展望台を発見。
 思わず、登って眺望を楽しむ。
 低い標高ながら、関東平野が一望できる。
[展望台からの光景]

 よく見たら、スカイツリーまで見えていた。
 ....すぐにスカイツリーを探してしまうのがクセとなった。
[スカイツリーが見えた]

 展望台を後にし、次は、二番行所である幣山(石神社)に向かう。
 だが、その前に三角点に寄り道することにした。
 道なりに歩いていくと、ゴルフ場横の道に出た。ここから、右手の斜面を見ながら歩くと、ちょっと高い箇所が見えてきた。その高い箇所を少し行き過ぎた後、ゴルフ場沿いの道から離れて、右手の斜面を戻るように登っていく。
 登り切ったところで、10:35、三角点(標高225.7m)に到着。
 三角点は、あるものの、視界は、広がらず、樹林に囲まれていた。
 八菅神社入口に立っていた「八菅山」という説明板に標高225mと書かれてあったのを思い出す。ということは、やはり、この山を指しているのかなと思えた。
[三角点に寄り道]

 再びゴルフ場横の道を歩いていく。
 左前方奥には、大山が薄らと見え、その手前に荻野高取山、華厳山が眺められた。この風景に出合ったことで、しばし立ち止まる。
[荻野高取山と華厳山]

 10:53、幣山分岐点に到着。
 以前からある分岐点だが、この右折路は、初めてだった。近くには、新しい「八菅修験ハイキングコース」(八菅神社〜石神社)の立札が立っていた。
[幣山への分岐点]

 この分岐点に初めて訪れた2010年、幣山というのは、そういった山があるのかと思っていたが、後日、地名だと分かり合点がいった。(この先は、中津川だ)
 幣山へと下っていく。道は、明瞭だが、急な下りだ。
[幣山へと下っていく]

 車道に出たところで右折し、歩いていくと、左手に鳥居が見えた。(写真下)
 鳥居の扁額には、「石神社」と書かれてあり、
ここが、二番行所幣山タテン岩屋(石神社)だと知る。
[石神社 社殿]

 鳥居の左には、説明板が立っていた。
 なるほど、岩屋に鎮座するから石神社という名なのかと勝手に納得。
[幣山 たてん岩屋の説明板]

 石段を登り、社殿に参拝した後、左側にある岩場に向かう。
 すると、「是より登山制禁」と書かれた石柱があり、えっ、登山禁止かと思ったら、石柱の側面に「文久」の元号が読み取れ、江戸時代末期に設置された石柱だとわかった。

 だが、その岩場以上に驚いたのが、この岩場の裏手である。
 垂直に近い急斜面で、下に中津川が流れていた。
 ここでは、説明板に記載されたように単に灌頂(水を頭に注ぐ儀式。修行者が一定の地位に上がる時に実施)だけではなく、この地形ならば、よく修験道に出てくる大峯奥駈修行:西の覗きのような修行がされたのかと思ってしまった。

[石神社 社殿] [社殿横の岩場]

 石神社の次は、三番行所である屋形山である。
 中津川の右岸を上流側へと歩いていく。角田大橋を右に見るが、橋を渡らず、右岸沿いを進む。
 『屋形山は、海底地区と平山地区の間の丘陵中にあったはずだが、採石場になって丘陵自体が消滅してしまった。』 
  出典:「丹沢の行者道を歩く」(城川隆生)白山書房 
 ということであったが、その辺りで何かないかと歩き回ってみた。
 すると、日月神社の前に出た。
 ここでは、立派なイチョウの大木が目に入る。
[日月神社]

 さらに日月神社より南下し、西側の採石場近くまで道が続いていたので、進んでみる。
 すると、神社が見えてきた。
 小さな拝殿には神社名が見当たらなかったが、鳥居の横に「愛宕神社」という石柱を発見。
 周辺に行場に関する説明板がないか探してみたが、特に行場と関連づけられるようなものは、見出させなかった。
[愛宕神社]

 愛宕神社から戻る時、東側の道に寄り道してみる。
 すると、ここにも神社が存在。金刀比羅神社とある。鳥居は、しっかりしているが、社は小さい。
 何か説明板でもないかと探してみたが、詳細情報を掴むことは、できなかった。 
 結局、採石場近くの神社は、見つかったが、それと屋形山との関連性は、見出せなかった。
 なお、この神社の右手には、南へ続く峠道(未舗装)があり、馬坂という標柱と馬頭観世音の石板が立っていた。
[金刀比羅神社]

 ということで、屋形山に関しては、神社を3箇所訪問しただけで、終わってしまった。
 次の目的地、四番行所平山 多和宿へと向かう。
 半僧坊に向かう途中、右手前方に三角形の山が見えた。富士居山だ。奥の丸い山は、向山だろう。(写真下)
 12:46、半僧坊入口手前で小休止。ここで軽くランチタイム。
 その後、半僧坊前バス停(厚木バスセンター行き)に向かう。
[富士居山を眺める]

 第四行所 平山 多和宿については、
 『正確な場所は、わからないが、全国の修験霊山に共通する「多和宿」という宿命から、平山地区が「タワ」(撓)、つまり、中津川沿いの丘陵と経ヶ岳を含む山塊の間にある鞍部(たわんだ地形)の宿として認識されていたことがわかる。』 
  
出典:「丹沢の行者道を歩く」(城川隆生)白山書房 

 半僧坊前バス停(厚木バスセンター行き)から、左の旧道に入ってみる。
 すると、沓掛坂という石柱を右手に見る。(写真下左)
 ここは、平山から荻野方面への道が続いている。(写真下右)
 このあたりが、平山 多和宿だろうか。
[沓掛坂の石柱] [坂の前方]

 この旧道を登っていくと、結局、バス通りの車道にぶつかった。バス通りに出たところで、来た道を引き返す。周囲には、神社も寺も見かけなかった。
 自転車から降りて、歩いてくる女性とすれ違う。どうやら、この旧道は、歩行者や自転車などが今でも使用している荻野方面への生活道だった。(写真下)
[坂を下り、半僧坊へと戻る]

 半僧坊前を通過し、バイパス路を歩き続ける。右手には、やはり富士居山の姿が。
 こんな風に眺めてみると、結構、目立つ山だと分かった。
[富士居山を眺める]

 バイパス路から右の観泉荘こまやへの道に入る。
 坂を下った後、左手の塩川滝への道に入ると、左手に紅葉が見られた。ちょうど西日が当たり、紅葉が強調されていた。 
[塩川滝に向かう途中にて]

 五番行所は、滝本 平持宿。
 ここは、宿泊所となっているが、塩川滝があることから、滝修行も実施されたのだろう。詳細な場所は、良く分かっていないが、昔の塩川鉱泉宿が建っていた場所であれば、江戸時代から延々と宿泊所が続いていたことになり、面白いなと思った。
 そこは、現在、更地になっており、立入禁止となっていた。(写真下左)
 対岸から、その更地を眺めると、不動明王像(?)が見えた。(写真下右)
 ....なんとなくミステリアス。 
[塩川鉱泉跡地] [不動明王像?(望遠で撮影)]

 塩川滝を見物しに、奥に進んでいく。
[塩川滝に向かう]

 塩川滝の前に到着。
 この時間帯では、陽が当たらず、飛沫が飛んでいるので、ちょっと寒気を感じる。
[塩川滝]

 塩川滝から少し戻って、塩川神社に参拝。
[塩川神社]

 塩川滝を後にし、またしても富士居山を眺めながら、中津川沿いをのんびり歩いていく。
[富士居山を見ながら歩く]

 右前方に馬渡橋が見えてくると、やがてバス通りにぶつかった。馬渡バス停は、左側のすぐ先だった。今日は、ここがゴール。お疲れ様でした。
 [馬渡バス停にて]


  今回、八菅修験春の峰三十行所のうち、5ヶ所を訪問するという事で歩きましたが、目的がいつもと違うので、結構、新鮮な気分で歩くことが出来ました。まだ残り25ヶ所あります。今後も楽しみです。

 <八菅修験 春の峰三十行所>
(1)八菅禅定宿 (2)幣山タテン岩屋(石神社) (3)屋形山 (4)平山 多和宿 (5)滝本 平持宿
(6)宝珠嶽 (7)山神 (8)経石嶽 (9)華厳嶽 (10)寺宿
(11)仏生谷 (12)腰宿 (13)不動岩屋・児留園地宿 (14)五大尊嶽 (15)児ヶ墓
(16)金剛童子嶽 (17)釈迦嶽 (18)阿弥陀嶽 (19)妙法嶽 (20)大日嶽
(21)不動嶽 (22)聖天嶽 (23)涅槃嶽 (24)金色嶽 (25)十一面嶽
(26)千手嶽 (27)空鉢嶽 (28)明星嶽 (29)大山寺本宮 雨降山 (30)大山寺白山不動



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。