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大山三峰山
 山行日
2022年2月23日(水)  晴  「山の会2」メンバー 3名 
 コース
煤ヶ谷(8:17)〜(9:51)物見峠分岐(9:58)〜(10:19)祠(10:24)〜(12:02)北峰下ベンチ(12:22)〜(13:31)大山三峰山(13:47)〜(14:12)七沢山〜(14:31)不動尻分岐点〜(15:05)865m峰〜(15:24)不動尻分岐点(15:32)〜(16:34)不動尻〜(17:00)山神隧道〜(17:56)広沢寺温泉入口
 今回は、「八菅修験春の峰三十行所を訪ねる」の3回目山行です。
 前回の続きで、下記行所を訪問する予定で、歩いてきました。
  (14)五大尊嶽(修) (17)釈迦嶽(修) (18)阿弥陀嶽(修) (19)妙法嶽(修)
  (20)大日嶽(修) (21)不動嶽(修) (22)聖天嶽(修)  
     (修):特別な修行や祈祷を行う場所
     (泊):祈祷や宿泊する場所。
※順序としては、(10)寺宿、(11)仏生谷、(12)腰宿、(13)不動岩屋・児留園地宿、(15)児ヶ墓、(16)金剛童子嶽がありますが、これらは、別途としました。
 詳細は、以下をご覧下さい。


 8:15、煤ヶ谷バス停にて下車。
 かつては、ここから、八丁経路、惣久経路、宝尾根、境界尾根など、大山三峰山に通じる経路や尾根を単独で歩き、ハラハラドキドキしながら、山行を楽しんでいたのだが、最近は、どうも、その活力が爆発せず、すぐ仏果山方面に足が向いてしまう。ということで、久々の煤ヶ谷下車となった。
[煤ヶ谷にて下車]

 同行者は、「八菅修験春の峰三十行所を訪ねる」シリーズでおなじみのメンバーお二人に、今回は、さらに1名追加となり、3人となった。
 8:34、登山準備を完了し、登山ポストの所を出発する。(写真下)
[登山ポストを出発]

 自然林の山腹を巻きながら、大山三峰山を目指す。
 今まで植林帯が続いていたので、この冬枯れ木立の光景は、新鮮だ。
[大山三峰山を目指す]

 9:51、物見峠分岐点にて小休止。
 ここで、ヒルチェック。幸い、ヤマビルは、発見されず。やはり、2月ということで、まだ安全な期間と言えそうだ。
[物見峠分岐点]

 大山三峰山に向かう途中、祠に立ち寄る。(10:19)
 何か行所と関係があるのだろうか。詳細は、不明。
[祠を参拝]

 10:41、物見峠からの登山道と合流する。(写真下)
 合流手前で登山道は、748m峰ピークの東側を巻いているので、748m峰ピークを踏まなかったが、このピークが、十四番行所「五大尊嶽」と言われる所のようだ。
 「丹沢の行者道を歩く」(城川隆生)白山書房では、下記のように記載されている。
『八菅の山伏は、おそらく物見峠近くの「岳の森」あたり(第14行所「五大尊嶽」、748メートル)から辺室山へ向かったと考えられている。』

 だが、帰宅後、別の文献(慶應義塾大学教授 宮家準編「修験集落八菅山」慶應義塾大学宮家準研究室)を調べてみると、下記のように書かれてあった。
『不動岩屋北方に竹の森山と呼ばれている山があり、山頂に荒井村の山神がある。ここが五大尊嶽であると考えられる。』
 不動岩屋は、まだ訪問していないが、谷太郎川の支流、不動沢の不動滝付近と言われているので、748m峰は、不動岩屋の西側(西北西)となり、十四番行所とは、ちょっと考えにくい。
 ちなみに北側のピークを探すと、436m峰がある。あるいは、もっと北に辺室山北部の503m峰や436m峰の北東の290m圏峰などが見つかる。
 ということで、
  ・北というのは、誤植なのか
  ・748m峰ではなく、北側のピークということで、
   436m峰、あるいは、503m峰、290m圏峰が行所だったのか。(竹の森山は、何処?)
 これは、そのうち、436m峰や503m峰あたりを訪問する必要がありそうだ。
 また、748m峰ではなく、先程通った祠のあった所が行所ということも考えられる。

 個人的には、436m峰や503m峰の方に行所が存在したという方が納得できる。これならば、その後の辺室山(児ヶ墓)、641m峰(金剛童子嶽)に対し、往復するルートにならず、周回するルートになるからだ。748m峰が行所だとすると、辺室山に向かった後、同じルートで戻ってくることになってしまう。同じルートを引き返すというのは、他の行所位置を見ると、考えにくい。
 ....う〜む。宿題が出来てしまった。
[物見峠からの登山道と合流]

 10:57、八丁経路(水の尻沢・不動沢間の尾根筋経路)と合流する小ピークを通過。
 11:16、惣久経路(不動沢・鳥屋待沢間の尾根筋経路)と合流する小ピークを通過。ここが、十七番行所「釈迦嶽」と言われている。以前の記憶では、ここは、スズタケが密集しており、惣久経路から直登できなかったピークだった。だが、今、そのスズタケが全く見当たらない。
 だが、ここは、ピークらしい場所ではないように思えた。むしろ、先程の748m峰が、「釈迦嶽」と言えないだろうか。(十四番行所「五大尊嶽」が、436m峰だとすれば)

 11:33、崩壊地から丹沢山方面を望む。(写真下)
 ここは、大山三峰山ルートで最高のビューポイントだ。
[塔ノ岳〜丹沢山〜丹沢三峰の眺望]

 12:02、大山三峰山北峰下のベンチに到着。(写真下) 
 崩壊地で撮影していた時、追い越された若い男女6人組が、ちょうど出発する所だった。入れ替わりにベンチにて、ランチタイムとした。テルモスの湯で作ったインスタント甘酒が美味しい。
[北峰下のベンチでランチタイム]

 12:20、ベンチを出発。このあたり、今まで以上の積雪量がある。
[北峰を目指して出発]

 12:45、急登を終え、大山三峰山北峰に到着。
 ここが十八番行所「阿弥陀嶽」と言われている。
 『通称、「風吹き山」と呼ばれている。この阿弥陀嶽、妙法嶽、大日嶽の三つの峰が連立していることからこの三つをあわせて三峰と呼んでいるが、阿弥陀嶽は、そのうちの北嶽である。』 
 引用文献:慶應義塾大学教授 宮家準編「修験集落八菅山」慶應義塾大学宮家準研究室

 振り返ると、木の間から仏果山方面の山々が見えた。(写真下)
[北峰にて仏果山方面を眺める]

 この後、アップダウンが続き、やたらとクサリ場が現れる。今回、積雪もあり、緊張して通過。
 木の根から土が落ち、露出した根に足を乗せて通る箇所があり、いつもハラハラするのだが、ここには、幸い、雪が付着していなかった。
[露出した根に足を乗せて通過]

 13:31、大山三峰山頂上に到着。
 ここが十九番行所「妙法嶽」と言われている。
 『「三峯、煤谷村西方に在、三山並び立てり、頂に三峯社ありしが、廃して神木の樫樹のみ残れり、八菅修験回峯の行所也」と「風土記」に書かれている。』 
 引用文献:慶應義塾大学教授 宮家準編「修験集落八菅山」慶應義塾大学宮家準研究室

 西側には、丹沢山方面の山並みが樹林帯の奥に見えるのだが、残念ながら今は、もう霞んでしまっていた。ベンチにて小休止した後、13:47、出発する。
[大山三峰山頂にて]

 相変わらずのアップダウン、クサリ場が続く。
 14:12、七沢山に到着。(写真下左)
 左下に宝尾根方面を見下ろす。(写真下右)
 ここが、二十番行所「大日嶽」と考えられている。
 『三峰の南峰と考えられる。この大日嶽下には、「地獄沢」と呼ばれる沢があるという。』 
 引用文献:慶應義塾大学教授 宮家準編「修験集落八菅山」慶應義塾大学宮家準研究室

 注)ミクロ的に見た時の三峰山は、北峰、中央峰、南峰とあり、南峰が934mの大山三峰山となるが、ここで言う三峰は、マクロ的に見て、北峰、大山三峰山(934m)、七沢山で、三つの峰を指すと考えられる。
[七沢山頂上にて] [宝尾根方面]

 14:31、不動尻分岐点を通過。
 今回は、このまま尾根筋を進み、大山方面に進む。実は、この先、山と高原地図「丹沢」での破線路は、自己未踏ルートなので、非常に楽しみな所だ。
[自己未踏ルートへ]

 880m圏峰への登りの途中、左手の視界が広がった。(写真下)
 薄らと江ノ島が見えた。習慣で江ノ島が見えると、カメラを取り出してしまう。
[江ノ島方面の眺望]

 880m圏峰を右から巻いていく。
 地図を見ると、このピークからは、尾根が西、南東と南西に分岐しているが、ピークを右から巻いていくため、南東尾根に入り込む事は、無いように思えた。
[880m圏峰を右から巻き、南西尾根に進む]

 今度は、ヤセ尾根に変わった。なかなか変化に富んだルートだ。
[ヤセ尾根を通過]

 15:05、865m峰は、左から小さくピークを巻く。
 その後、急斜面となり、ロープが出現。(写真下)
[急斜面の下りとなる]

 下っていく途中、アカガシの大木の横を通過する。
 幹の太さ、枝振りといい、地面に張った根といい、見事な姿。思わず何枚もシャッターを押下。
[アカガシの大木(振り返って撮影)]

 865m峰の下りが終わり、再び登りとなるが、これまた光景が一転する。
 幅広の尾根となったのだ。その先は、冬枯れ木立が広がっている。(写真下)
 この破線ルートは、短い距離だが、様々な光景を見せてくれ、気に入ってしまった。
 ....何で今まで歩いていなかったのか...
[一転して、幅広の尾根となった]

 15:24、840m圏峰に到着。ここで大山からの一般登山ルートと合流した。(写真下)
 日当たりが悪いのか、あたり一面、雪が積もっていた。
 ここが二十一番行所「不動嶽」と言われている。
 『大日嶽の南西、海抜八五〇米の峰が不動嶽である。通称「カシボッコ」「札カシの山」と呼ばれ、八菅修験が碑札を打ちつけたかしの木があったという。』 
 引用文献:慶應義塾大学教授 宮家準編「修験集落八菅山」慶應義塾大学宮家準研究室
[大山からの一般登山道と合流(振り返って撮影)]

 一般登山道で、不動尻に下っていく。
 最初の不動尻分岐点(七沢山を過ぎた後の分岐点)から下るルートと比べると、こちらの方が遥かに歩き易い。
[不動尻に下っていく]

 16:32、不動尻手前にて、右手にミツマタ群落が広がる。だが、開花は、まだ先だ。
[ミツマタは、これから]

 16:34、不動尻に到着。
 この辺りが、二十二番行所の「聖天嶽」と言われているらしいのだが、よくわからない。
 『不動嶽東方に仙人ヶ岩というところがある、そこが聖天嶽である。』 
 引用文献:慶應義塾大学教授 宮家準編「修験集落八菅山」慶應義塾大学宮家準研究室

 そもそも、仙人ヶ岩というのが、岩場なのかもよくわからない。
 不動尻から舗装路を下っていくと、右手に岩場が現れるが、至って小規模な岩場だ。(写真下)
 せめて、弁天岩(滑岩)のような岩ならば、有難いのだが。
 ....実は、方角的に見て、仙人ヶ岩が弁天岩?と思ったのだが、そうすると、次の涅槃嶽の位置が分からなくなる。
[不動尻の岩場?]

 今回は、聖天嶽までとした。
 予定では、次の涅槃嶽まで行きたかったのだが、時間の都合上、次回以降とした。
 17:56、広沢寺温泉入口バス停に到着。
 あたりは、だいぶ薄暗くなっていた。
 [広沢寺温泉入口に到着]


 今回のルートは、順番通りに歩いておらず、下記を飛ばしました。
 (10)寺宿(宿) (11)仏生谷(修) (12)腰宿(宿) (13)不動岩・児留園地宿(修・宿) 
 (15)児ヶ墓(修) (16)金剛童子嶽(修)
 これらは、別途歩く予定で考えております。

 なお、今回、不動尻分岐点(七沢山側)から不動尻分岐点(大山側)までの自己未踏ルートを歩きましたが、変化に富んだルートで、文中通り、大変興味深いエリアでした。ですが、1/25000地形図上からは、ここのヤセ尾根や幅広の尾根、急斜面等は、読み取れません。やはり、現地に行ってみないと、わからないというのが、実感です。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。