トップページ山行リスト(日付)>弁天見晴・778m峰_記録20220319


弁天見晴・778m峰
 山行日
2022年3月19日(土)   晴後曇  同行者:「山の会2」メンバー 3名
 コース
広沢寺温泉入口(8:05)〜(8:23)広沢寺温泉前駐車場(8:27)〜(8:34)大沢林道分岐点〜(8:51)大釜弁財天(8:56)〜(9:30)七沢弁天の森キャンプ場跡〜(9:43)東屋分岐点〜(9:47)五段の滝(9:51)〜(9:56)東屋分岐点〜(10:15)東屋(10:23)〜(10:49)弁天見晴(11:02)〜(11:11)見晴広場B(11:17)〜(11:25)見晴広場A〜(11:44)すり鉢広場〜(12:11)大沢分岐〜(12:25)778m峰(12:50)〜(13:23)893m峰(13:30)〜(13:48)唐沢峠(13:53)〜(13:59)840m圏峰(14:02)〜(14:55)不動尻(15:04)〜(15:38)山ノ神峠(15:41)〜(15:43)石祠(15:45)〜(15:48)山ノ神峠〜(16:31)大沢林道分岐点〜(16:38)広沢寺温泉前駐車場(16:42)〜(16:57)広沢寺温泉入口
 今回は、「八菅修験春の峰三十行所を訪ねる」の5回目です。
 (24)金色嶽(修) (25)十一面嶽(修) (26)千手嶽(修) (27)空鉢嶽(修)
 (28)明星嶽(修) 
   (修):特別な修行や祈祷を行う場所
 詳細は、以下をご覧下さい。


 最近、度々訪れている広沢寺温泉入口。今日も、ここで下車。
 上空には、一部雲があるものの、天気は良好だ。
[広沢寺温泉入口にて下車]

 広沢寺温泉方面へ車道を歩いていく。
 ZUND-BARの前にあるハクモクレンの花は、既に開花ピークを過ぎていたが、辺りに白い花がないため、際立っていて、とても印象的だった。
[ハクモクレンが美しい]

 広沢寺温泉前の駐車場で、多くの自家用車を目にする。これらは、弁天岩(滑岩)でのクライミング客?と思っていたら、駐車場入口の人から、殆どがミツマタ見物客ですよと教えてくれた。
 その教えてくれた女性は、ここでアンケートを実施している方で、私も回答。内容は、厚木の観光に関するものだった。
 「アンケートにご協力ありがとうございました」ということで、厚木名物の「やき鮎」を1つ戴く。
[広沢寺温泉前の駐車場]

 二の足林道からゲートを通過し、左の大沢林道へ向かう。
 大沢林道の上り坂が辛い。
 ようやく、滑岩(弁天岩)の前に到着。昨日が雨だったので、岩が乾いていないようだ。そのためか、クライマーの姿は見えない。
[滑岩(弁天岩)の眺め]

 8:51、大釜弁財天に到着。
 足下が濡れており、慎重に中に入っていく。中は、薄暗い。(写真下右)
 奥に何か蛇がとぐろを巻いたような置物が目に入った。どうも、中世以降の宇賀神と習合しているようだ。
 ここが、二十四番行所「金色嶽」である。
 『聖天嶽をさらに広沢寺へ向うとお釜弁天といわれるところがあり、弁天が祀られている。ここには、岩陰に小さな祠があり、その脇を沢が七つの釜を作って流れている。』
 引用文献:慶應義塾大学教授 宮家準編「修験集落八菅山」慶應義塾大学宮家準研究室
[大釜弁財天入口] [大釜弁財天]

 大沢林道を登っていく。
 次は、二十五番行所「十一面嶽」なのだが、これも、場所が良く分からない。
 文献:慶應義塾大学教授 宮家準編「修験集落八菅山」でも、具体的な場所は記載されていない。おそらく、今の弁天御髪尾根のどこかではないかと思われる。

 我々は、今回、七沢弁天の森キャンプ場跡地辺りを通過していく。
この辺りがキャンプ場跡だと思われるのだが、以前あったキャンプファイヤー場がどこなのか、建屋が取り壊されているため、サッパリ分からなくなっていた。
 ....このキャンプ場は、2008年秋にニカニカ集会を実施した懐かしい場所。
[キャンプ場跡あたり]

 キャンプ場跡地を通過後、分岐点に出合う。懐かしい道標が、今でも健在だった。(写真下)
 ここは、沢沿いに直進し、五段の滝に寄り道することにした。
[五段の滝・ひょうたん広場分岐点]

 分岐点から、左岸の植林帯を進み、4分程度で、五段の滝に到着。
 沢の本流にある滝ではなく、枝沢にある滝だった。昔は、五段に見えたのかもしれないが、今では三段ぐらいにしか見えない。
 ちなみに過去の記録を調べたら、2009年2月に沢の本流の上流から下ってきて、この五段の滝の前を通っているのだが、全く、この五段の滝に気づいていなかった。
[五段の滝]

 再び分岐点に戻り、尾根に取り付く。この尾根筋ルートは、キャンプ場があった頃、厚木市がハイキングコースとして整備したルートだ。だが、今では、登る人は、ほとんどいないだろう。
 だが、急斜面には、まだロープが設置されているので、登りやすい。
[ロープが設置してあった]

 急斜面の尾根筋を登り終えると、正面に東屋が現れた。
 懐かしい。何年振りの訪問だろうか。
 これもハイキングコースの名残だ。古びた道標には、ここが、「ひょうたん広場」と書かれてあった。
 東屋で休憩しようと思ったが、4本柱の下部には、補強材が取り付けられていた。(写真下右)
 しかし、どう見ても補強にはなっていないような気がする。強い台風でも来たら、簡単に潰れてしまいそうだ。そんな訳で、東屋の外で小休止。
[ひょうたん広場にて] [危険な東屋]

 ひょうたん広場を出発し、さらに上を目指す。
 ここでも固定ロープが取り付けられていた。有難く、使わせてもらう。
[ロープを使用しての登り]

 10:49、弁天見晴に到着。
 ここが、二十六番行所「千手嶽」と呼ばれているようだ。
 『ここは日向の行所では湯尾権現といわれているところであり、熊野湯之峰にちなむという三つの岩があり、冬でも雪がつもらないという。』
 引用文献:慶應義塾大学教授 宮家準編「修験集落八菅山」慶應義塾大学宮家準研究室

 今日は、曇っていて視界がちょっと悪い。晴れていれば、関東平野がクリアに眺められただろう。
[弁天見晴]

 11:11、見晴広場Bに到着。この名称は、ハインキングコース時代の名残だ。
 ここは、分岐点で、北側の尾根筋を下っていけば、鐘ヶ嶽に通じている。
 我々は、西へと、弁天御髪尾根を進んでいく。
[見晴広場B]

 11:25、見晴広場Aを通過。
[見晴広場A]

 11:41、すりばち広場に到着。
 ここが、二十七番行所「空鉢嶽」と呼ばれている所だ。
 『通称、「地蔵平」といわれる平地で、地蔵尊が祀られており、そばの大きな欅には札を打った跡がたくさんあったという。瓶子(平安末期、常滑焼)が出土し、水場も近い。ここは、明治年間まで、行者が庵を結んでいたと伝えられている。(『伊勢原町勢史』) 七宿の内の尾高宿であり、日向修験と共通の行所である。(以下略)』
 引用文献:慶應義塾大学教授 宮家準編「修験集落八菅山」慶應義塾大学宮家準研究室

 ちなみにこの鞍部には、ハイキングコースが存在していた頃、道標が立っていたのだが、今回、見つけることはできなかった。どうも撤去されたようだ。
[すりばち広場]

 すりばち広場から登り返すと、以前、東屋が建っていた箇所は、平地になっていた。こちらの東屋は、取り壊されたのに、ひょうたん広場の東屋は、なんで、まだ残っているのだろう。

 
12:11、大沢分岐を通過。
 初めてここを通ったのが、2005年5月だったが、この道標は、その頃から変わっていないと思えた。
[大沢分岐]

 12:25、778m峰に到着。
 ここで昼食とした。パンを食べた後、広沢寺温泉前の駐車場でもらった「やき鮎」を食べてみる。
 カステラ風の皮の食感がよく、中の求肥の味もいい。
 ....これは、ウマい。
[778m峰] [もらった「やき鮎」を食べる]

 778m峰を出発し、ガスの中、尾根筋を登っていき、893m峰手前で尾根筋と合流した。
 この辺りが、二十八番行所「明星嶽」と言われている。
 『明星嶽は馬の背、または、天下一と呼ばれているやせ尾根を通り、三ツ峰からの尾根が合流した地点で、以前は石仏があったという。』
 引用文献:慶應義塾大学教授 宮家準編「修験集落八菅山」慶應義塾大学宮家準研究室

 ここで、雨がポツリポツリと降ってきた。
 朝方の天気は、良かったのだが、天気は下り坂となっていた。
 予定では、一気に大山山頂へ行き、下社に下るつもりだったが、この雨のため、不動尻に転進することに。
[893m峰手前の尾根筋合流点(振り返って撮影)]

 ということで、893m峰分岐点から右折して、以前訪問した840m圏峰に到着。
 この2月に訪問した時は、雪に覆われていたが、今は、完全に雪は消えていた。
 (ここも、行所で、二十一番行所「不動嶽」と言われている)
 ガスは、濃かったが、雨は既に止んでいた。
[840m圏峰にて]

 不動尻に向かって下っていく。2月と違って、雪が無いと、ちょっと足の裏が痛い。
[不動尻に下っていく]

 14:55、不動尻に到着。
 2月の時は、まだ早かったミツマタの開花が見頃を迎えていた。
 ということで、何枚も撮影。
 周囲には、ミツマタを見学するためにやってきたハイキング姿の人たちを多く見かける。
[ミツマタ群落]

 花は、濃い黄色となって、ちょうど開花ピークを迎えていたようだ。
 花に近づくと、香ばしい匂いが漂う。
[ミツマタ満開]

 不動尻から、二の足林道を下っていく。
 この時、3回目の山行で訪問できなかった二十三番行所「涅槃嶽」に寄り道することとした。
 ということで、山神隧道手前で右折し、山ノ神峠(十字路)への道を進む。
[十字路への登り(振り返って撮影)]

 15:38、山ノ神峠(十字路)に到着。
 思えば、最近、鐘ヶ嶽で2回訪問したばかりなのに、また来てしまった。
[山ノ神峠(十字路)に到着]

 山ノ神峠から、鐘ヶ嶽への登山道を進まず、登山道左の尾根筋に登っていく。
 すると、2,3分で、石祠と石仏を発見。
 この辺りが、二十三番行所「涅槃嶽」だと推定されている。石祠の側面には、「天保二年」の文字が読み取れる。文化・文政の後で、1832年頃だ。
 『不動尻をすぎると死人沢と呼ばれている沢がある。その上が涅槃嶽である。』
 引用文献:慶應義塾大学教授 宮家準編「修験集落八菅山」慶應義塾大学宮家準研究室

 死人沢という沢名が今でも残っているとは思えないが、この沢が分かれば、場所は確定的だ。
[石祠と出合う]

 再び、山神ノ峠(十字路)に戻り、今回は、反対側の昔からある登山道を下っていく。
 結構、クサリ場が続いており、急だ。
 やはり、こちらの下山ルートは、小学生以下だと厳しいと思えた。鐘ヶ嶽が家族連れ登山コースとなるためには、この下りルートではなく、今回、登ってきたルートが、やはり必要だと感じた。
[クサリ場を下っていく]

 山神隧道の出入口に到着。(写真下)
 後方のトンネルの方から人の声がしてきたので出発する。(16:04)
 すると、後方から続々とハイカーがやってきた。どうもミツマタ見物帰り、大山三峰山帰りの人たちのようだ。女性3人、女性4人、女性2人、男性1人、それに男女1組にアッと言う間に追い抜かれる。
 こちらもそんなに足が遅いと思っていないのだが、とにかく皆、足が速いことは確かだ。
[山神隧道出入口にて(振り返って撮影)]

 16:57、広沢寺温泉入口バス停に到着。
 午後から、天気が下り坂となり、ハラハラしたが、無事に下山することができた。
 [広沢寺温泉入口バス停に到着]


 今回の5回目登山終了後、三十行所のうち、未訪問となっているのは、
  (12)腰宿
  (15)児ヶ墓
  (16)金剛童子嶽
  (29)大山寺本宮 雨降山
  (30)大山寺白山不動
となりました。
 まだまだ道は、遠いです。

 ですが、今回、久々に弁天御髪尾根を歩くことが出来たり、満開のミツマタに遭遇したり、なかなか楽しい山行でした。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。