トップページ山行リスト(日付)>桜山・白山_記録20221217


桜山・白山
 山行日
2022年12月17日(土) 曇      同行者:「山の会2」メンバー 5名
 コース
舟沢バス停(9:17)〜(9:20)蓮久寺(9:53)〜(10:32)桜山(10:49)〜(11:05)白山神社(11:9)〜(11:23)白山(11:29)〜(11:39)御門橋分岐点〜(12:13)尾崎〜(12:17)八幡神社(12:22)〜(12:45)清川村役場前バス停〜(13:15)煤ヶ谷バス停〜(13:23)清川村役場前バス停
 今回は、久々に「八菅修験春の峰三十行所を訪ねる」を再開しました。通算6回目となります。
 対象となる行所は、
  (11)仏生谷(修) (12)腰宿(泊) 
     (修):特別な修行や祈祷を行う場所
     (泊):祈祷や宿泊する場所
です。仏生谷は、2回目の訪問となります。(前回は、2022-3-10訪問)
 前回は、十一番 仏生谷から十二番 腰宿へのルートを諦めましたが、今回は、行所を繋げるように歩いてみました。
 詳細は、以下をご覧下さい。


 本厚木駅にて、8:40発宮ヶ瀬行きバスに乗車。
 8:11、舟沢バス停にて下車。
 今日は、ここから蓮久寺を訪問し、白山の稜線に登る予定だ。蓮久寺は、(11)仏生谷の行所に近い場所であり、白山の稜線は、(12)腰宿が存在したといわれている場所である。
 準備終了し、8:17、バス停を出発。
[舟沢バス停にて下車]

 9:20、日蓮宗蓮久寺(寛文6年(1666)建立)の境内に入る。お寺の方々に挨拶した後、本堂にて参拝。その後、墓地のある右奥に入っていく。そして、正面の沢を眺める。
 文献(慶應義塾大学教授 宮家準編「修験集落八菅山」)では、
 『蓮久寺裏に明神沢という沢があり、山神の祠がある。行所の跡と考えられている。』
 と書かれてある。そんな訳で、寺の右手にある沢を眺めたのだが、今は、植林帯となっており、特に道や祠があるようには見えなかった。
 やはり、行所は、前回訪れた寺奥の高台ではないかと思えた。少し戻って、墓地の石段を直登していき、前回の高台に向かう。
[蓮久寺を訪問]

 以前、訪問したことのある寺の高台に到着。ここには、3つの建屋があり、左から七面山という扁額のある御堂(『七面山は、法華経を守護するとされる七面大明神(七面天女)を祀る信仰の山。日蓮の高弟である日朗が開いたと言われる』(Wikipedia))、稲荷大明神、明神神社と並んでいる。また、その建屋の前には、石柱、石祠などが点在している。石祠は、大正という年号で比較的新しいのだが、他は、もっと古そうだ。(年号は不明)
 ここからは、大山の頂上が望める。なんとなく大山頂上が見える場所というのは、行所っぽく感じてしまう。
[蓮久寺奥の高台にて] [大山頂上が見える]

 高台の右手に進むと、シカ柵のゲートがあり、このゲートを通過して、次の行所、腰宿があると言われている白山の稜線を目指す。
[シカ柵の扉を通過]

 右手の沢の方に経路があるかと思ったのだが、ゲートの先で踏跡は、不明となった。沢を横断するより、進み易い方向は、左のササヤブ(と言っても激ヤブでない)なので、ササを掴みながら、斜面を登っていくことにした。
[ササヤブを突破]

 10:02、フラットな尾根の先端のような箇所に出た。
 ここで、振り返って撮影。(写真下)
 この先は、ササヤブは消えており、植林帯の歩き易い斜面となった。
[ササヤブが終了(振り返って撮影)]

 カラスザンショウの木を見上げたり、シロダモの横を通ったりして、前方の斜面を登っていく。すると、シカのフンを発見。ということで、予想していた通り、夏であれば、ヒルが出てきそうだ。だが、この季節ならば、気にせずに登っていける。
[この先の斜面]

 スギ植林帯を終え、10:17、尾根の背に到着。(写真下)
 ここで右折し、尾根筋に進んでいく。
[尾根筋に上がる]

 10:25、尾根筋の先端部に到着。ここには、道標が立っていて、左の斜面から桜山へのハイキングルートが合流していた。この先からは、桜山へのハイキングルートを進む。
[桜山へのハイキングコースに合流]

 ハイキングコースという割には、結構、荒れているという印象を受ける。そんなに多くのハイカーが通っていないような感じだ。
[桜山への道]

 10:32、桜山に到着。ここでも左斜面から登山道が合流している。
 紅葉も殆ど終わってしまい、冬枯れの木立が目立つ。ここからは、歩き易い稜線となった。
[桜山に到着]

 11:05、白山神社に到着。
 行基は、この山を登り、霊水の湧き出る清浄な霊地であることを発見して、この山を霊地と定め、加賀国白山妙理大権現を勧請したと伝えられている。(神社の説明板から)
 ここには、昔より旱魃の時でも涸れることない池がある。池の周りは、殆ど池と標高が同じなのに水が溜まっているのは、この池の下が固い地盤となっているせいだろうか。不思議な事象だ。

 次なる行所について、文献(慶應義塾大学教授 宮家準編「修験集落八菅山」)では、下記のように記されてある。
 『白山北方中腹に山神の祠がある。七宿のうち腰宿があったところである。』
 これは、具体的にどこだろう。この白山神社と白山頂上の間の稜線にあったのだろうか。
 だが、江戸時代後期には、もう宿の大半は、壊れていて、不動岩屋・児留園地宿だけが存在という説があり、そうだとすれば、この腰宿が存在した時代というのは、だいぶ時間軸を遡る必要があるようだ。
[白山神社] [白山池]

 白山神社から、ほぼフラットな稜線を南下していく。
 11:13、絶妙なバランスで、倒れそうで倒れないスダジイの大木の横を通る。根本付近の幹は、左側が空洞化しており、右側だけで、枝葉等の荷重を支えている。
 ....毎回、通る度に痛く感動
[倒れそうで倒れないスダジイ]

 11:23、白山頂上に到着。展望台に上がって、東側の厚木方面の光景を眺める。(写真下)
 残念ながら、今日の遠景は、はっきり見えない。
[白山頂上の展望台から]

 白山頂上から下った後、順礼峠方面への尾根筋を歩く。
[順礼峠方面に進む]

 右手に変わった樹木を発見し、思わず撮影。なんだかロボットのように見える。タブノキではないかと思えた。
[変わった樹木に遭遇]

 11:39、分岐点に到着。直進の順礼峠方面に向かわず、今日は、ここで右折し、御影橋方面に下っていく。
[分岐点で右折]

 植林帯ばかりと思っていたら、一部、広葉樹エリアがあり、落葉の斜面を下る。(写真下左)
 11:56、民家の前に出てきた。(写真下右)
[御門橋へ下っていく] [民家に出てきた]

 住宅地の丁字路にて、御影橋に向かう右ルートから外れて、反対側の(13)不動岩屋・児留園地宿のある煤ヶ谷方面に歩いていく。
 すると、庚申供養塔の前に出た。(写真下) 塔の側面には、「寛政」の年号が読める。江戸時代後期の修験者もこの前を通ったのだろうか。
[庚申供養塔]

 尾崎バス停を通過し、次の別所温泉入口バス停まで来た。
 ここで、右手の八幡神社に寄り道する。目の前にある建物の本殿は、享保11年(1726)11月15日の造営であると説明板には、記載されてあった。神社自体は、治承年間(1177〜1181)の創建と云われている。(清川村Webサイトより)
 なお、この八幡宮には、かつて八菅山光勝寺と日向山霊山寺の修験者が納めたという碑伝が保存されていたと言われている。

 ※碑伝(ひで)
 修験者が峰入り修行の証として宿(行場)に建てた木や石の角柱。板碑の起源になったとの説もある。(出典:世界宗教用語大事典)
[八幡神社]

 その後、バス通りを歩き、煤ヶ谷まで歩いてきた。
 これで、(10)寺宿(但し、推定地だが)〜(11)仏生谷〜(12)腰宿〜(13)不動岩屋・児留園地宿と歩行ルートが繋がった。
 ....ここから先は、メンバー間でバラバラとなり、解散となった。
[煤ヶ谷に到着]

 煤ヶ谷でバスを待つとなると、腰を下ろす場所がないので、結局、道の駅清川まで戻ってきた。
 ここの2階にて、ゆっくりとコーヒーを飲み、バスの待ち時間を過ごす。
 14:15、清川村役場前バス停から、本厚木駅行きのバスに乗車し、帰路につく。
 [道の駅清川まで戻る]


 久々の八菅修験者春の峰三十行所歩きでしたが、いつもの山行とは違った視点での山歩きですので、飽きない山行でした。このシリーズ山行は、来年中には完遂したいと思っております。
 「山の会2」の皆様、ご同行有難うございました。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。