トップページ山行リスト(日付)>弁天御髪尾根・大山_記録20230304


弁天御髪尾根・大山
 山行日
2023年3月4日(土)  晴       同行者:「山の会2」メンバー 2名
 コース
広沢寺温泉入口(7:41)~(7:37)広沢寺温泉前駐車場(7:41)~(8:26)大釜弁財天~(8:46)林道ゲート(8:54)~(9:34)下弁天~(9:54)中弁天~(10:05)上弁天(10:14)~(10:34)弁天見晴(10:43)~(10:52)見晴広場B(11:00)~(11:43)大沢分岐~(11:59)778m峰(鍵掛)(12:20)~(12:53)893m峰(12:55)~(14:07)見晴台分岐点~(14:33)大山(14:44)~(15:23)16丁目(15:25)~(15:49)かごや道分岐~<かごや道>~(16:09)下社~(16:13)阿夫利神社駅(16:20)=(ケーブルカー)=(16:25)大山ケーブル駅(16:29)~(16:49)大山ケーブルバス停
 今回は、「八菅修験春の峰三十行所を訪ねる」の8回目です。
 2022‐3‐19に大釜弁財天~七沢弁天の森キャンプ場跡~ひょうたん広場~弁天見晴~778m峰(鍵掛)~893m峰という経路を歩きましたが、今回は、大釜弁財天~下弁天~中弁天~上弁天~弁天見晴~778m峰(鍵掛)~893m峰というルートで歩いてきました。これは、前回歩いてみて、行所(25)十一面嶽の場所は、下弁天~上弁天辺りの可能性もあるのではないかと推察したためです。
 また、八菅修験者ルートして、今回、893m峰~見晴台分岐点間が未踏でしたので、今回、歩いてきました。
 詳細は、以下をご覧下さい。


 厚木バスセンター7:00発、七沢行のバスに乗車し、7:37、広沢寺温泉入口に到着。厚木バスセンターで乗車した他の単独男性登山者2人も、ここで下車した。
 7:41、本日の同行者、TEHさん、SASさんとともに出発する。
[広沢寺温泉入口バス停]

 7:59、下向き地蔵を撮影。(写真下) いつの間にか、「広沢寺→、玉翠楼→、ますや↑」の道標がお地蔵さんの前に立っていた。
[広沢寺駐車場前にて]

 二の足林道と大沢林道の分岐点にて、左の大沢林道を進む。
 8:18、右手に弁天岩が見えてきた。(写真下) 岩の上部には朝日が当たっている。誰もいないと思っていたら、岩の下には何人かの人影が見えた。どうやら登攀準備中のようだ。
[弁天岩(滑岩)]

 舗装された林道を登っていき、8:26、大釜弁財天の前に到着。(写真下)
 文献(慶應義塾大学教授 宮家準編「修験集落八菅山」)では、ここを二十四番行所「金色嶽」としているが、他の文献(「厚木の地名」厚木市文化財協会編)では、日向山山頂付近に弁財天があったとされていて、大釜弁財天以外の説も出ている。
[大釜弁財天]

 今回は、自分が修験者だったら、どういうルートで歩くかと思い、仮説として選んだのが、この弁天御髪尾根を下弁天から登っていくルートだ。この先は、急斜面とピークが続き、修験道として、ふさわしいと思えたからだ。
 林道ゲートを通過し、小休止の後、尾根の登山口を出発する。(写真下) ここには、道標[←見晴広場]が立っていた。(8:54)
[林道ゲートを通過し、登山口を出発]

 いきなり植林帯直登の洗礼を受ける。
 ジグザグ路といった甘やかしは、一切なし。(写真下)
[植林帯の急登]

 壊れたシカ柵ゲートを3ヶ所通過し、尾根の先端のような所に到着。そこには、1本の道標がポツンと立っている。(写真下) 道標の柱には、「見晴広場」と記されている。ここが、登山口の道標に記載されてあった「見晴広場」だということが分かる。
 進路方向には、「すりばち広場」、登ってきた方向には、「キャンプ場」とある。すりばち広場は、第二十七番行所「空鉢嶽」と推定されている場所で、今回も通る予定だ。「キャンプ場」とあるのは、先ほど小休止した道標[←見晴広場]の200m手前で左折した所に、かつて存在した七沢弁天の森キャンプ場だろう。

※この辺りは、厚木市エリアで、七沢弁天の森キャンプ場が営業していた頃は、弁天御髪尾根周辺のハイキングコースが整備され、今回のような道標がいくつか立っていた。だが、キャンプ場が閉鎖されると、急峻なコースは、廃れてしまい、今では、道標が撤去されている所が出ている。
[見晴広場]

 見晴広場からは、植林帯が消え、周囲は、自然林(冬枯れ状態)となる。
 急登を終えて、下弁天に到着。(9:34) 標識がないかと探したら、昔と同様、土管に手書きで「下弁天 P515」と書かれてあった。(写真下)
[下弁天にて]

 下弁天からも植林帯は、現れず、ケヤキなどの広葉樹がメインの林を進む。傾斜は、緩くて歩き易い。振り返れば、樹林の間から相模湾が見渡せ、江ノ島まで見えた。まさにハイキングコースだ。(写真下) だが、進むにつれて、傾斜は、急となり、中弁天が遠く感じるようになる。
[中弁天に向かう]

 9:54、中弁天への急な登りが続く中、左には、大山の姿がよく見えるようになった。(写真下) こんなに大山の眺望がいいのと、修業に相応しい、この急登であれば、やはり、このルートが修験道ではないかと思えてしまう。
[大山を眺める]

 9:54、中弁天到着。以前は、中弁天と手書きで書かれたカンバンがあったのだが、今回そのような山頂標識は、見つけられなかった。また、頂上のシンボルだった松の木が以前より目立たなくなっていた。
 中弁天から下った後、ふと右後方を眺めると、鐘ヶ嶽が目に入る。その奥には、経ヶ岳や仏果山方面の稜線が見えた。(写真下)
[鐘ヶ嶽方面]

 鞍部を登り返し、ハアハア言いながら登りきると、10:05、上弁天に到着。(写真下)
 プラスチックの白杭の上部には、手書きで小さく「上弁天」と記されてある。ここは、関東平野側の眺望が広がるのだが、残念ながら霞んでいてはっきりしなかった。
 小休止後、10:14、出発する。
[上弁天にて]

 上弁天から一旦下り、登り返す。(写真下) ここも急登で、古いロープが設置されてあった。滑りやすい土と岩の急斜面を進んでいく。
[弁天見晴への登り]

 弁天見晴に近づくと、左手に平塚あたりの平野部と相模湾が見渡せた。高麗山も見える。ここの標高は、600m弱だが、意外と視界は、広がっている。
 頂上直前まで急な登りが続き、10:34、弁天見晴に到着。(写真下) 
[弁天見晴]

 弁天見晴から振り返ると、やはり視界が開け、眺めがいい。(写真下) ただ今日は、上弁天の時と同様、すでに霞がかかっていて、遠景は、今一つ。
[弁天見晴からの眺め(厚木方面)]

 弁天見晴からは、昨年3月に歩いたコースと893m峰まで重複するが、前回よりも天気がいいので、歩いていて、とても気分がいい。
 弁天見晴からは、崩れそうな岩場の横を登ったり、固定ロープの助けを借り、さらに高度50mを上がり、見晴広場Bに到達する。(写真下)
 右に鐘ヶ岳への分岐路が続いている。ここで、同行して戴いたSASさんは、鐘ヶ嶽の方へ下り、バス停に戻るということで、お別れとなった。この後は、TEH さんと二人山行となる。
[見晴広場B]

 見晴広場A(674m地点)を通過し、道は、松林の下りとなっていく。
 11:26、すりばち広場に到着。ここが、昔、ヌマノカヤノと呼ばれた場所らしい。二十七番行所「空鉢嶽」と推定されている。
 ここには、かつて道標が立っていて、左折して大沢川(二ノ足沢)沿いに下っていき、キャンプ場へ続くハイキングコースがあったのだが、今では、全くその形跡が消えていた。
[すりばち広場]

 植林帯を登っていく。かつて東屋があった箇所を振り返って撮影。(写真下)
 結構しっかりした造りの東屋だったと記憶しているが、取り壊されてしまった。
[東屋跡(振り返って撮影)]

 大沢分岐を通り過ぎて5分後、人の声が聞こえると思ったら、若い女性2人組とすれ違う。聞けば、これから梅の木尾根を下って、クアハウス山小屋で、お風呂に入る予定とのこと。このルートも随分、メジャーになったな~と思えた。
 ....もうマイナールートとは言えない。
 11:59、778m峰(鍵掛)に到着。(写真下) ここで、前回同様、ランチタイムとした。食事を終え、TEH さんから甘酒を御馳走してもらった後、893m峰に向かう。
[778m峰(鍵掛)にて]

 男性3人組や単独男性と2度すれ違う。
 ....もはや、マイナールートでないことを強く確信。
 12:53、893m峰横の合流点に到着。(写真下)
 この時、見晴広場Bで別れたSASさんからTEH さんに連絡が入り、無事バス停まで着いたとのこと。こんな場所でも連絡が取れるのは、有難いことだ。
[稜線に合流]

 合流点から大山へと向かう。道の両側にクサリの柵が続く細い尾根を通過すると、尾根幅が急に広くなる。
 ふと右を見ると、石祠を発見。(写真下)
 屋根が落ちてしまい、バラバラの形となっていた。年号を確認すると、嘉永二年二月と読めた。江戸時代末期だが、修験道と何か関係があるだろうか。ひょっとして、893m峰付近と言われている二十八番行所「明星嶽」は、この辺りだったのかも?と思えた。
[石の祠を発見]

 久々に、この893m峰から大山に続く尾根筋を歩いている。左側の光景は、弁天御髪尾根や梅の木尾根が見下ろせる。こんなに視界が広がる尾根だったかと、ちょっと想定外。(写真下)
 また、この稜線でも下山者と結構すれ違う。不動尻に下るのは、かなり遠回りになると思うのだが、ミツマタ狙いだろうか。
[東側の光景を眺める]

 途中、小休止した後、14:07、見晴台ルートと合流。(写真下)
 これで、辺室山周辺の修験道を除き、ほぼ八菅修験道の踏破ルートが、ほぼ繋がった。
[見晴台ルートと合流]

 見晴台ルートに入ると、大山から下ってくる登山者がますます多くなった。すれ違う度にカウントしていたら、見晴台合流点から大山頂上まで、45人とすれ違った。
 14:33、大山頂上に到着。頂上には、15人ぐらいの登山者が休憩中。
[大山頂上にて]

 いつものように御神木のブナを撮影。
 この時間帯で撮影するのは珍しい。たいてい午前中の撮影だ。
[御神木]

 頂上からは、表参道を下っていき、十六丁目からは、蓑毛越方面を進む。(写真下)
 今回は、かごや道を下りましょうと、TEHさんと話をしていた。
[蓑毛越への道を下っていく]

 15:49、かごや道分岐点にて左折し、かごや道経由で下社へと向かう。(写真下)
 かごや道は、確かに土の道が続き、歩き易いのだが、十六丁目からかごや道分岐点までの登山道は、小石が多く、個人的には歩き難い。そのため、十六丁目~下社間トータルで見たら、歩き易さは、表参道を下るのと、たいして変わらないように思える。
[かごや道を行く]

 16:09、下社に到着。
 参拝後、TEHさんと話し、今回は、ケーブルカーを利用して下ることにした。
[下社に到着]

 下りに使用したストックをザックに括り付け、ケーブルカーに乗車。(写真下)
 今日は、天気のいい土曜日なので、乗客は多い。
[阿夫利神社駅からケーブルカーに乗車]

 今回のお楽しみは、筑波山ケーブルカーで発覚したケーブルカーのポイント構造確認。
 中間駅の大山寺駅手前にて車内からポイントを撮影。(写真下)
 やはり、ポイント部分のレールは、不連続だった。筑波山のと同じだ。これで、ケーブルカーの内側(すれ違う時に相手のケーブルカーに近い側)の車輪は、真っ平であることが判明。それゆえ、レールが不連続でも問題なし。一方、外側の車輪には、溝が入っていてレールを挟むようになっている。つまり、大山ケーブルカーの車輪も、筑波山と同様、左右非対称となっているのが分かった。
[ケーブルカーのレール]

 バス停50m手前にて、ちょうどバスが発車していくのを見てしまったので、トイレ入口にて靴を洗ったり、自販機で缶コーラを買って飲んだりして、大山ケーブルバス停に到着。(16:49)
 17:02発、伊勢原駅北口行きのバスに乗車し、帰路につく。
 [大山ケーブルバス停に到着]


 弁天見晴が二十六番行所「千手嶽」では、ないかと思っていましたが、帰宅後、文献(「厚木の地名」厚木市文化財協会編)をよ~く見ると、「ユノトヤ:僧の修業場だったという」という伝承地名が図示されていました。その場所は、七沢弁天の森キャンプ場跡の少し先で、ひょうたん広場に登っていく尾根の取付き点あたりでした。ここが千手嶽と見られているようです。
 ということで、どうやら、修験者ルートは、当初の通り、
  大釜弁財天~七沢弁天の森キャンプ場跡~ひょうたん広場~弁天見晴~778m峰~893m峰
ではないかと思えてきました。(但し、二十五番行所(十一面嶽)の場所は不明)
 どうも今回歩きました下弁天~中弁天~上弁天~弁天見晴のルートは、ボツのようです。
 ....二十五番行所(十一面嶽)が、下弁天~弁天見晴の間にない限り、完全に空振り!
 しかし、そう考えてきますと、修験者は、苦行をして山を駆けていないと思えてきました。極端な話、修験者は、そもそも尾根筋を通らず、
  大釜弁財天~七沢弁天の森キャンプ場跡~<大沢川(二ノ足沢)沿い>~すりばち広場
ではないかと思えてきました。(最後に、沢の源頭から尾根筋に上がるルート)
 このようにいろいろと仮説を立てるのも面白いものです。

 また、別件ですが、今回は、筑波山ケーブルカーと大山ケーブルカーの車輪は、同じ構造か否かという宿題がありましたが、今回、同じ構造であることが分かりました。
 ....確認出来てスッキリ。

 ご同行いただきましたTEHさん、SAS さん、有難うございました。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。