トップページ山行リスト(日付)>蓑毛越・下社_記録20230328


蓑毛越・下社
 山行日
2023年3月28日(火)  曇一時雨後晴        同行者:「山の会2」メンバー 5名
 コース
蓑毛(9:02)〜(9:04)大日堂(9:17)〜(9:22)常夜燈〜(9:28)元宿跡(9:36)〜(9:39)常夜燈〜(10:31)大山分岐点(10:40)〜(10:48)蓑毛越〜(11:25)下社(11:38)〜(11:49)阿夫利神社駅(12:00)=(ケーブルカー)=(12:02)大山寺駅(12:05)〜(12:17)大山寺(12:21)〜(12:43)ねぎし旅館(14:16)〜(14:35)大山ケーブルバス停
 今回は、ピーク登山ではなく、蓑毛周辺の史跡を散策した後、蓑毛越を通り、下社、大山寺を参拝するというゆるゆるの山歩きです。そして最後は、メンバーとともにねぎし旅館にて食事をしてきました。
 詳細は、以下をご覧下さい。


 秦野駅北口を8:35に発車し、蓑毛には、8:55に到着。上空は、雲に覆われ、今一つ暗い。折り返し、秦野駅北口に戻るバスの前で、出発の準備を進める。(写真下)
 GPSの設定を確認後、出発。(9:02)
[蓑毛にて下車]

 蓑毛のバス停からヤビツ峠方面に進むと、すぐに右手に山門が見える。(写真下)
 ここが、仁王門と呼ばれる。説明板には、『朱塗りの単層仁王門で、大日堂の正面に建ち、建立年代を示す資料はないが、正面中央間の水引虹梁に渦を浮彫にする手法などから十九世紀前半の建築と推定される』と書かれてある。
 何度も蓑毛を訪れているのだが、この大日堂に足を踏み入れるのは、今回が初めて。ちょっと緊張気味。
[仁王門]

 仁王門の左右には、仁王像が立っている。日向薬師にある仁王像と比べると、今一つ怒りの迫力がないなと思って説明板を読む。
『 木造二王立像 (秦野市指定重要文化財)
 本二王像は、蓑毛大日堂仁王門の左右に安置される阿吽一対の像であり、向かって右に阿形、左に吽形を配する。両像とも寄木造り、彫眼で彩色を施しており、上半身は裸形で下半身に裳をつける。
 作風は鎌倉期の慶派系のような力強い二王以前の穏やかさが見られ、制作が平安後期に遡ることを示す。面貌には藤原期彫刻としては、強い表情が見られることから、制作時期は十二世紀半ば頃と推察される。
 平安期に遡る作例としては、県下においても現存最古の本格的作例といえ、東国の遺例としても福島県法用寺などに続く古像ということができ、その存在は彫刻史上極めて重要である。
 令和元年十月                 秦野市教育委員会』

 制作時期は、十二世紀半ば頃? そんなに古い立像だったかと、いささかビックリ。慶派系前なので、顔の輪郭が丸いのかと納得。
[吽形] [阿形]

 仁王門を通ると、正面に小さな御堂が見える。近づいて説明板を読み、これが、大日堂だと知る。
 曇り空の下、何となく地味な雰囲気を醸し出す大日堂の前に立っていると、その手前には、桜がちょうど満開であることに気がついた。思わず幽寂閑雅な心境に浸る。(写真下)

 大日堂は、別当寺院で臨済宗鎌倉建長寺の末寺で、開山は仏国応供廣濟国師、本尊は仏頂尊(大日如来)である。縁起には天平十四年(742)聖武天皇の勅願所として造営されたとある。(説明板より抜粋)
 今の御堂がいつ建てられたのかは、説明板には書かれてなかった。だが、秦野市教育委員会著 「秦野市文化財調査報告書」によると、現在の大日堂は、享保14年(1729年)に再建されたことが棟札で確認されているとのこと。
[大日堂の前にて]

 大日堂の隣には、不動堂が建っている。
 縁起には7世紀の頃、朝鮮半島からの渡来人である秦氏がその守り本尊である不動明王像を祀ったのが始まりとされ、後に五大尊(不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王)を祀ったものとされている。現在は、江戸時代の作と推定されている不動明王像が祀られている。(説明板より抜粋)
 中を覗くと、火炎光背が独特の形状をしている不動明王像が見えた。
 その後、茶湯殿、木食光西上人入寂地の前を通り、さらに進んでいくと、山道となった。(写真下)
[春岳沢沿いに進む]

 春岳沢の右岸から左岸に渡ると、舗装路に出た。その舗装路を登っていき、常夜燈に到着。ここは、ヤビツ峠と蓑毛越の分岐点。(写真下)
 今回は、まず左の道に進んでいく。
[常夜燈のある分岐点]

 このヤビツ峠に続く道は、舗装してあるのだが、傾斜は、きつい。アキレス腱が伸びそうだ。やがて右手に階段状の平地が続くようになる。
[元宿に寄り道]

 左手に元宿の説明板を見る。
 『元宿(もとじゅく)
 元宿には、かつて大山参拝に向かう道沿いに十数軒の宿があり、東地区最古の元禄2年(1689年)の絵図において、15軒が書き込まれています。詳しい資料がないので時期を特定できませんが、その後、大山詣が衰退して下流の集落に移転し、明治時代に作られた地引絵図(1876〜78年作成)には、すでに住居の記載はなく、今は苔むした石垣が歴史を伝えています。 秦野市』

 このような箇所に大山詣の宿が存在していたのだろうか。ここから蓑毛越(下社)に向かうのは、少し遠回りではないかと思えた。(結局、常夜燈まで戻っていたのだろうか?)
[元宿の説明板が立っている]

 再び常夜燈まで戻り、今度は、蓑毛越へのルートを進む。
 舗装された林道を横断したり、未舗装の林道を歩きながら、蓑毛越を目指す。
[林道を進む]

 10:31、大山頂上との分岐点に到着。ここで小休止とする。
 蓑毛越まで、もう少しだ。だが、出発時に雨が本格的に降り始め、傘を差しながら歩く。
[大山頂上との分岐点]

 1048、蓑毛越到着。ここは、大山頂上、弘法山、下社、蓑毛の十字路となっており、いくつかベンチが設置されている。休憩するには、いい場所だが、今日は、平日の火曜日。ましてや、この天気では、他の登山者の姿は、見られない。
 ちょうど着いた時、雨が一層激しく降ってきた。休憩する気になれず、すぐさま出発。
[蓑毛越に到着]

 石垣のある参道山道を進む。この辺りは、歩き易い水平道だ。幸い、歩き続けていたら、雨がいくらか弱くなった。
[石垣が続く]

 11:10、クサリ場を通過。大昔は、荷車でも通れた道だと思われるが、今では、崩れてしまい、ハイカーのためにクサリが付いている。
[クサリ場あり]

 再び歩き易い水平道となる。かごや道との合流点を過ぎれば、もうすぐ下社だ。(写真下)
 右下からケーブルカーの走行音が聞こえてきた。
[水平道を行く]

 11:25、下社に到着。幸いにも、雨は完全に止む。
 この先、男坂も女坂も雨上りに下るのは、滑りやすく、ちょっと危険と判断。
 ということで、ケーブルカーで下ることに。
[下社を参拝]

 ケーブルカーは、中間駅の大山寺にて下車。何度も利用しているケーブルカーだが、大山寺で降りたのは、初めてではないかと思った。
 ここで、登ってくるケーブルカーが発車する際、じっくりと車輪を注視。やはり、手前の車輪は、溝がなく、フラットな車輪だった。
 ....ようやく、ケーブルカーの車輪に対し、現物確認出来て、大満足。
[大山寺までケーブルカーを利用]

 大山寺を参拝。
 今まで何度も訪問しているのに、ここには、普通の絵馬の他、ペット絵馬もあることに初めて気がついた。ペットの健康を願う愛犬家や愛猫家が数多く訪れているようだ。
[大山寺] [ペット絵馬が並ぶ]

 大山寺からの下りでは、そんなに危険個所は、ない。のんびりと下っていく。そろそろ終わりに近づくミツマタが咲いていた。(写真下)
[女坂を下っていく]

 12:43、ねぎし旅館に到着。今日は、ここで豆腐料理のランチタイム。
 ここは、江戸時代(もっと前からかもしれないのだが、資料は火事で焼失してしまったらしい)から続く宿坊なので、立派な神棚があるのだ。まずは、食事の前に神棚へ案内していただき、参拝。
 座敷のテーブルに戻ると、次から次へと豆腐料理が出てくる。
 ...ついでに日本酒も
 メンバーとの会話を楽しみながら、しっかり飲んで食べ終わった後、外に出たら、いつの間にか日が照っていた。どうやら、天気が回復したようだ。
[旅館「ねぎし」を訪問] [酒と豆腐料理を戴く]

 ゆっくりと大山ケーブルバス停へと下っていく。
 途中、正面右手の桜が満開だった。(写真下)
[桜が満開]

 すでに伊勢原駅北口行きのバスは、到着していた。(写真下)
 ほろ酔い気分で、帰路につく。
 [大山ケーブルバス停に到着]


 今回は、初めて大日堂を訪問したり、大山寺でのペット絵馬の発見、ねぎし旅館で豆腐料理を堪能したりと、リラックスした山歩き?となりました。何度も歩いている大山界隈ですが、まだまだ知らない世界がたっぷりとあることを知らされました。
 御同行の皆様、有難うございました。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。