トップページ山行リスト(日付)>鐘ヶ嶽・福神山_記録20240210


鐘ヶ嶽・福神山
 山行日
2024年2月10日(土)  晴       単独行
 コース
広沢寺温泉入口(8:10)〜(8:33)鐘ヶ嶽登山口〜(9:06)上杉公内室の墓(9:12)〜(10:26)浅間神社(10:35)〜(10:38)鐘ヶ嶽(10:58)〜(11:57)福神山(12:11)〜(12:51)石切場跡〜(13:18)291.4m峰(13:29)〜(14:44)道の駅清川〜(14:47)清川村役場前
 今回は、ヤマビルの出ないこの時季に2年振りに鐘ヶ嶽に行く計画を立てました。ルートは、鐘ヶ嶽を登った後、北上し、福神山経由で清川村役場へ向かうというものです。このルートは、後半自己未踏ルートで、ちょうど右膝の痛みが再発していないのでチャレンジしてみました。
 詳細は、以下をご覧下さい。


 伊勢原駅北口から7:35発七沢行のバスに乗車。出発時に乗客は5人。その後、乗客は入れ替わったりしたが、「次は、広沢寺温泉入口です」という車内アナウンス時に車内を見回したら、もう他の乗客はいなかった。
 7:59、広沢寺温泉入口バス停にて下車。軽く準備運動して、いざ出発。(8:10)
...でもすぐ先の自販機で温かい飲料の誘惑に勝てず、いきなり小休止。
[広沢寺温泉入口バス停にて下車]

 坂道を登っていき、正面に鐘ヶ嶽が見えてきた。手前の鐘ヶ嶽バス停を入れて撮影。(写真下) 鐘ヶ嶽バス停は、厚木バスセンター発の広沢寺温泉行きという超ローカル路線。(現在、平日は2本/日、土休日は4本/日)
...おまけに神奈川リハビリと七沢温泉を経由するので終点広沢寺温泉までには時間が結構かかる。
[鐘ヶ嶽バス停と鐘ヶ嶽]

 8:33、鐘ヶ嶽登山口に到着。
 目の前に鳥居が見える。(写真下左) 階段の右手には、一丁目の石柱が立っている。(写真下右) 鳥居を潜ると、登山道が植林帯の中に続いているのが見える。夏に通ったらヤマビルが出てきそうな道だ。だが、この季節ならば、心配することなく余裕で歩ける。
[鐘ヶ嶽登山口の鳥居] [一丁目の石柱]

 七丁目で暑くなり、ダウン上着を脱ぐ。冬枯れの木立の奥に鐘ヶ嶽のピークが見えていた。そのまま歩き続けて、9:04、十三丁目の石柱に到着。左手には「上杉公内室の墓3分」という道標が立っている。この墓は以前から気になっていた場所だったので、今回、寄り道して左の山腹に続く踏跡を進んでいく。
[上杉公内室の墓分岐点]

 ほんの1、2分程度で墓碑に出合う。(写真下) 墓碑の中央には「長皎院孤月了圓大禅定尼」と書かれてある。右側には「延徳」という年号が読める。室町時代の年号だ。この墓碑が後世に建てられたものではなく室町時代に建てられたものであれば、結構珍しい。左下には、「上杉定正公奥」という文字が読める。上杉定正といえば扇谷上杉家の当主だ。だとすれば、内室もそれなりの人物だったと思えた。しかし、上杉定正と言えば、当時人気のあった家宰・太田道灌を暗殺したことが有名で、何となくダーティなイメージを持ってしまう。
 参拝した後、引き返す。
[上杉公内室の墓]

 再び登山道に戻り、鐘ヶ嶽頂上を目指す。
 9:25、十七丁目石柱に到着。 この十七丁目付近には、平安時代以前の山寺の遺跡があり、古代寺院の瓦が発見されたとの事。そう思って十七丁目の石柱背後を見渡す。(写真下) この辺りは、緩斜面になっているのだが、ここに寺院が建っていたのだろうか。
[十七丁目石柱]

 9:47、二十二丁目石柱に到着。立ち止って南東側の光景を眺める。ここよりも低い単独峰が見下ろせる。見城(375m)のようだ。その東側は、平野が広がっていた。
[二十二丁目石柱(右)他]

 なかなか辿り着かないなと思っていたら、ようやく石段が現れた。(写真下) ここまで石段らしきものが全くなかったのに頂上に近づくと石段が現れるという、ちょっと予想外の展開が面白い。
[石段が出現]

 10:26、浅間神社に到着。参拝後、右手の視界が広がる方向へ進む。だが、手前の植林が伸びてしまい、平野部の眺めは今一つとなってしまった。植林の上にランドマークタワーが現状は見えているのだが、そのうち植林によって隠れてしまうだろう。
 10:35、頂上に向かう。
[浅間神社]

 拝殿の左側から頂上に向かうと、いきなり雪が目に入る。今までと違って、雪がかなり残っている。10:38、頂上に到着。(写真下) ここでベンチに座り、テルモスの湯でカフェオレを作って飲む。最近は、テルモスを断熱用の袋に入れておくと、保温力がより高まることに気がついた。それ以降、断熱用の袋が手放せなくなった。
 休んでいると、続々と単独登山者がやってくる。だが、頂上でじっくりと腰を下す人は少ない。皆、初めての頂上ではないのだろう。
[鐘ヶ嶽頂上]

 10:58、頂上のベンチを出発する。少し山神峠側に進んだ後、右折して植林帯に突入し北尾根を進む。(写真下) ここからは、自己未踏ルートだ。植林帯は、最初倒木があったりして歩き難かったが、倒木ゾーンを抜けると緩い下りとなり、歩き易くなった。
[北尾根に入る]

 すると、残雪の上に人の踏跡を発見。(写真下) だが、今日の足跡ではなさそうだ。
[先行者の踏跡を発見]

 北へ進んでいくと、雪が消え、斜面が急になった。(写真下) ここからは、歩き易い箇所を探しながら下っていく。
[雪が消えて急斜面になる]

 どうも尾根筋よりも西側を下っていたようで、東側にトラバースしようと思ったら、シカも同様に考えたようで、シカの足跡も東側にトラバースするように続いていた。(写真下) しかし、トラバースと言えども急斜面なので、シカと同じルートを取らず、斜めに登るようにして進む。
[急斜面のトラバース]

 下っている途中、視界が広がった。(写真下) 自己未踏ルートなので、目に入る光景が新鮮だ。立ち止ってどの辺りが見えているのかと思ったら、白山から物見峠に続く稜線だということが分かった。
[白山から物見峠への尾根]

 急斜面が続くので左手に続いているシカ柵を掴みながら下っていく。
 やがて傾斜が緩くなると雪が消え、経路を発見し、それを辿っていく。ようやく下りが終わりフラットになったところで、石祠を発見。(写真下) 側面を見たら「寛保三年」と読めた。調べてみたら、寛保は将軍吉宗の頃だと知る。丹沢の中では、江戸時代でも古い方だと思えた。
[石祠あり]

 緩い直線状の斜面を登っていく。この先がどうやら福神山のようだ。(写真下)
 近づいていくと人影が見えた。
[福神山への登り]

 11:57、福神山頂上に到着。単独男性がちょうど出発するところだった。これから少し北上して谷太郎川の方に下っていきますとの事。「お気をつけて」と今回、鐘ヶ嶽頂上から初めて出会った登山者の後姿を見送る。
 ここには、赤い文字の手書き山頂標識が掲げてあった。(写真下)
[福神山]

 福神山頂上で小休止した後、北上を再スタート。
 30分程度歩いた後、先ほどの男性とは別の単独男性とすれ違う。このルートは、意外と人気があるようだ。
 ...お互いにドッキリしたけど。
 すると、今までとは異なり、ヤセ尾根で急斜面が出てきた。(写真下)
[急な下り]

 下り終えると、右手に石切り場跡を発見。事前に石切り場跡の画像を見た訳ではないが、これがそうだろうと察しがついた。(写真下)
[石切り場跡]

 石切り場跡を過ぎると、再び急登となる。(写真下) このルート、標高が下がった方がアップダウンとヤセ尾根などの変化が出てくるようだ。
[急な登り]

 13:13、立派な道標に遭遇。道標には、「福神山」「三角点」「原植栽地」とある。地理院地図で確認すると、破線ルートは三角点側についているので、そちらに進むことにした。
[分岐点に道標あり]

 13:18、三角点のある地点に到着。ここで291.4mの手書き標識を見つけた。(写真左下) その先に三角点あり。(写真下右)
[291,4m峰] [三角点]

 三角点のある所は、予想に反して展望のいい場所だった。遥か遠くに仏果山、手前に経ヶ岳、華厳山が見える。(写真下) だが、ここからだと仏果山よりも、その手前の八州ヶ峰か熊古谷山のピーク(どちらかはっきりせず)の方が目立っていた。
[右から華厳山、経ヶ岳、仏果山方面の稜線]

 13:29、三角点を出発。目に入った経路を下っていく。
 下っていくと右手に鐘ヶ嶽が見えた。(写真下) ピークが二つ見えている。手前のピークは、福神山かなと思えたが、帰宅後カシミール3Dで調べたら、福神山手前の尾根の先端部で、福神山自体は、2つのピークの間にある全く目立たないピークと判明。
 う〜む。
 人間の目だけでの山座同定は難しいことを実感。
[鐘ヶ嶽方面]

 13:43、尾根筋を下っているのだが、進路方向が違うことに気がついた。北側に進んでいないのだ。GPSを取り出し確認すると、なんと三角点の位置から間違った方向(東側)に下っていた。このまま、この歩き易い経路を下っても車道には出そうだったが、まだ時間もあることから三角点に引き返すことにした。
 しかし、いきなり三角点位置から間違っていたとは、情けない。最近、目の前に現れた経路が目的のルートだと簡単に信じ込む傾向がある。加齢のせいか深読みしなくなったためと思われた。
...オレオレ詐欺に引っ掛かる前兆かもしれない。
[三角点に引き返す]

 13:52、再び三角点に到着。(20分ちょっとのタイムロスとなった)
 GPSを取り出し、地図上の北側への破線路を探す。だが、北側は、単なるヤブになっていた。進路方向には間違いないので、強行突破することにした。(写真下) ヤブの中、倒木を乗り越え進んでいくと、2,3分で経路に当たった。これが探していた北側径路と判断。興味があったので三角点側に戻る様に進むと三角点の北側というより東側にその経路入口があった。これでは、ちょっとわからないなと納得。
[三角点から北側へ強行突破]

 引き返して、北側への径路を下っていくと、樹林の間から稜線が見えた。(写真下) 白山から物見峠に続く稜線のようだ。こんな光景を眺めたのは初めてだ。珍しいアングルだったので何枚も撮影。
[白山方面への尾根筋]

 その後、急斜面を下っていくが、途中で経路を見失ってしまった。(写真下) GPSで確認すると北側への破線ルートから大きく外れてはいない。西側は急斜面なので東側にシフトしてみたら無事経路を発見し、軌道修正できた。
...やはりGPSは神様。
北側に下っていく]

 その後は、経路が明瞭になり植林帯を下っていく。(写真下) ここまで来れば、もう迷うことはないだろう。
[経路を下る]

 尾根筋に突如、石祠を発見。いつの時代かと年号を探すが分らなかった。
[石祠を発見(振り返って撮影)]

 14:22、ゲートに到着。(写真下) ゲートを通過したら、シカのフンがやたらと目立つようになった。シカ柵のために里に出てしまったシカが戻れなくなったのだろうか。
[ゲートに到着]

 シカフンを避けながら下っていくと車道に出た。(写真下) 地理院地図で確認すると、最後の最後で破線ルートを間違えていた。まあ、この程度のズレならば、許容範囲だろうと甘い自己評価を下す。その後、左折して車道を歩くが、全く知らない道路だった。だが、目の前に小学校が見えたので、小学校裏手の道だと分かり、地理感覚が戻った。
[車道に出た]

 緑小学校の角を右折し、バス通りに向かう。
 バス通りに出たら左折し、北上すると見覚えのある道の駅「清川」の建屋が見えた。そこで小休止後、14:47、今回のゴール清川村役場前バス停に到着した。
 バス到着までまだ時間があったので、道の駅に戻り、腰を下してコーヒーを飲みながら時を過ごす。下山後の至福のひと時だった。
 [清川村役場前バス停に到着]


 今回の鐘ヶ嶽北尾根ルートは、適当なアップダウンがあり、右膝の調子を見ながら歩くには最適な道で、ヤマビルがいない時季にもっと歩き回ってみたいと思いました。
 しかしながら、文中の通り加齢のせいか、どうも方向感覚が鈍化したのは否定できません。これが未知の山域だったらと思うとゾッとします。緊張感を持続することが課題と認識しました。
 なお、右膝痛は、全く出てきませんでした。大山三峰山山行から約2週間経ち、この程度の標高差であれば問題ないようです。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。