トップページ>山行リスト(日付)>大山参り簔毛のみち_記録20250118

簔毛(8:03)〜(8:55)蓑毛越〜(9:00)浅間山(9:02)〜(9:06)蓑毛越(9:09)〜(9:48)下社(9:54)〜(10:58)見晴台(11:06)〜(11:34)勝五郎地蔵〜(12:19)登山道分岐点〜(12:30)石雲寺(12:44)〜(12:56)日向渕ノ上石造五層塔旧所在地〜(13:19)日向薬師バス停 |
今回は、関東ふれあいの道16ということで、簔毛バス停から日向薬師バス停まで歩いてきました。何度も歩いたことのあるルートですので、途中、今まで訪問したことのない石雲寺、日向渕ノ上石造五層塔旧所在地((伝)大友皇子之陵)などに寄り道しながら歩いてきました。
詳細は以下をご覧下さい。 |
7:43、終点簔毛にて下車。(写真下) 前回の関東ふれあいの道15(弘法大師と丹沢へのみち)で、簔毛まで歩いてきたが、今回は、その続きで、日向薬師バス停まで歩くルートだ。 |
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[簔毛にて] |
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出発する前に関東ふれあいの道の案内板で大山参り簔毛のみちのルートを確認。(写真下) |
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[簔毛での関東ふれあいの道案内板] |
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簔毛でバスから降りた時は、他に11人の登山者を見かけたのだが、最後の出発者となってしまった。8:03、簔毛を出発。常夜燈の分岐点でヤビツ峠への道を左に見る。(写真下) |
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[常夜燈の横を通過] |
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1月と言えども、そんなに寒くないので、登山には絶好のコンディション。登りでも汗をかかず登り易い。左手の樹林の間から真っ白な富士山をチラリと望む。(写真下) |
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[富士山を見る] |
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ようやく蓑毛越が見えてきた。(写真下) この時、このまま下社に向かっても面白くないので、浅間山に向かう事にした。
8:55、簔毛越を通過。ここで右折して、浅間山へと向かう。 |
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[蓑毛越が見えてきた] |
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蓑毛越から歩くこと2分程度。浅間山分岐に到着。道標に浅間山への指示板は付いていないが、道標には浅間山分岐点と書かれてある。(写真下) ここで左折し、斜面の経路を登っていく。 |
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[浅間山分岐点] |
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9:00、浅間山頂上に着いた。(写真下) 三角点と山頂標識を見つけた。(写真下) |
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[浅間山頂上] |
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浅間山の傍には、電波塔が建っているのだが、アンテナが一つも付いておらず、単なる鉄塔となっている。(写真下) 確か東京都の電波塔だったと記憶しているが、電波塔としての役目を既に終えているようだ。 |
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[浅間山の傍にある電波塔] |
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浅間山から簔毛越に戻り、下社へと向かう。途中、江ノ島が見えている事に気がついた。(写真下) |
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[江ノ島を望む] |
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9:48、下社到着。(写真下) 今年初めての訪問なので、しっかりと参拝。 |
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[下社] |
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下社石段を降りた所で下社方面を振り返る。既にモミジの木々は、完全に葉を落としていた。(写真下) 前回訪問は昨年12月15日。この時は、まだ最後の紅葉が見られたことを思い出す。 |
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[下社石段下にて] |
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下社から見晴台へ。ここからは、前回12/15の逆コースとなる。途中、かながわの美林50選「大山のモミ林」の標柱を発見。(写真下) こんな場所に立っているこを初めて知った。(と思う) |
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[かながわの美林50選 大山のモミ林] |
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10:24、二重滝の前を通る。だが、二重滝は、滝ではなく、単なる岩壁だった。(写真下) 水が全く流れていなかったのだ。初めて見る光景だ。(と思う) |
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[二重滝(水が全く流れていない)] |
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10:58、見晴台に到着。(写真下) ここで小休止とした。この時間帯でも頂上から下ってくる登山者が目立つ。 |
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[見晴台] |
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11:06、日向薬師方面に下っていく。その時、正面の相模湾の光景(奥に大島が薄っすらと見えている)を撮影したのだが、実は、高取山と鷹取山を同時撮影している事に気がついた。(写真下)
...声もあげず、小さく感動。 |
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[高取山(手前)と鷹取山(奥)] |
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勝五郎地蔵を参拝し、この先、一気に下っていく。(写真下) |
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[勝五郎地蔵] |
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12/15での登りの時は長いな〜と思ったが、今回の下りでは、背中の荷が軽いせいか、膝に負担がかからず、割と楽に下ることができた。でも結果的にはコースタイムをオーバーしていてガッカリ。
11:31、車道に合流した。
車道を渡ると目の前に「日向の文化財めぐり」という案内板が目に入る。(写真下) ここで、「(伝)大友皇子の墓」という文字に着目。この墓には、まだ行ったことがないなと思い、石雲寺の先で右折し、日向川を渡れば行けることを記憶し、出発。 |
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[車道に出た所に立つ「日向の文化財めぐり」の案内板] |
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12:30、石雲寺の前まで歩いてきた。(写真下) この寺も今まで訪問していないと思い、入ってみることにした。(ひょっとしたら桜が咲いている頃、訪れたことがあるかもしれない)
入ってすぐ左に日向渕ノ上石造五層塔の説明板が立っており、それを読むと、なんと大友皇子の墓と伝承されている石造りの五層塔は、石雲寺境内に移されていることを知った。
石雲寺を通過しなくてよかったと思いながら、奥の石段を登っていく。 |
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[石雲寺] |
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石段を登ると、石造りの五層塔は簡単に見つかった。(写真下)
ここにも説明板があった。
『伊勢原市指定文化財 有形文化財 日向渕ノ上石造五層塔
旧所在地 日向渕ノ上1800番地の口
塔高 149m(相輪除く)
指定日 平成17年4月26日
この石塔は壬申の乱(672年)で敗れた大友皇子の墓との伝承があり、通称「大友皇子の墓」と呼ばれています。かつては、石雲寺から東へ400mほど下り、御所の入橋を渡った日向川の右岸にありましたが、貴重な層塔を適正に管理するために、本体は令和2年にこの場所に移し、旧地にはレプリカを設置しました。』
なんと旧設置場所には、レプリカが設置されているとは、凝った演出だなと思い、どんなレプリカなのか興味が湧き、別の意味で訪問したくなった。
なお、先ほどの入口にあった説明板では
『(前略)..石塔そのものは鎌倉時代末から南北朝の初め(14世紀前半)に造られたものと考えられます。..(中略)..この石層塔は、伝承の大友皇子とは時代的に隔たりがあり直接的な関係を論じることはできませんが...(後略)』
とある。後世、墓が造られることはよくある話(そのため、墓は一つとは限らない)なので、時代的なズレは個人的にあまり気にしないが、なんで大友皇子の墓と伝承されているのかが分らない。この説明板はないかと境内をウロウロする。 |
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[石雲寺に移された日向渕ノ上石造五層塔] |
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すると、なんど石雲寺入口の外の車道沿いに石碑を発見。(写真下)
ここに以下の文章を見つけた。
『石雲寺(曹洞宗)
山号は雨降山、寺伝では壬申の乱に敗れた大友皇子が日向の地に隠れ住まわれ没後皇子の菩提を弔うために養老二年(718)華嚴法師がこの地に開創した雨降院が石雲寺の前身とされる(以下略)』
なるほど、それで大友皇子の墓がこの日向にあるという伝説が生まれたのかと一人納得。 |
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[石雲寺入口手前の石碑] |
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石雲寺を出て、舗装路を進む。(写真下) この後は、日向川右岸のレプリカを見に行く。 |
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[日向薬師バス停への道] |
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途中で日向川右岸に渡り、旧所在地の大友皇子の墓に寄り道する。ここには「(伝)大友皇子之陵」と書かれた立派な石柱が建っていた。(写真下) 遠くから見ると五層塔はレプリカと分らない。だが、近寄ってみると、とても年月の経った五層塔には見えず、レプリカだとすぐ分かった。 |
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[大友皇子之陵] |
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大友皇子の墓のレプリカを見た後は、ゆっくりと日向薬師バス停への道を歩いていく。1月なのに途中のキャンプ場ではBBQしている家族連れがいた。今日は暖かいので冬でも快適だろう。実際、日なたを歩いていると暑く感じる。
13:19、日向薬師バス停に到着。(写真下) |
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[日向薬師バス停に到着] |
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バス停の傍にある関東ふれあいの道の案内板は、以前も見ているが、今回のコース(大山参り簔毛のみち)を再確認。(写真下) その後、すでに到着していた伊勢原駅北口行きのバスに乗車した。 |
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[日向薬師バス停での関東ふれあいの道案内板] |
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今回は、何度も歩いているルートでしたが、途中、かながわの美林50選「大山のモミ林」の標柱を見つけたり、高取山と鷹取山が重なる様に見えたり、大友皇子の墓の件で興味深く歩けました。見慣れたルートでも、キョロキョロしながら歩くと寄り道したくなるような場所が出てくるということを実感しました。
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※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。
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