トップページ他山域山行リスト>曽我丘陵(不動山)_記録20120218


曽我丘陵(不動山)

 山行日
2012年2月18日(土) 晴 単独行
 コース
下曽我(12:42)〜(12:50)城前寺(13:03)〜(13:48)宝筐印塔(13:52)〜(14:11)六本松跡(14:20)〜(15:03)不動山(15:17)〜(16:29)十字路(16:33)〜(17:06)下庭入口バス停〜(17:20)上大井
 今日の午前中は、家の用事があり、外出できませんでしたが、午後、フリーとなったところで、天気は上々。これは、外出せねばと、まだ訪れたことのない曽我丘陵を訪問してきました。
 今年は、梅の開花がだいぶ遅く、曽我の梅林には、早過ぎた訪問となりました。ですが、いろいろと予想外の楽しみがありました。
 詳細は、以下をご覧下さい。


 東海道線から乗換え、国府津12:32発の御殿場線に乗車。進路方向右手の車窓を眺める。
 「う〜ん...」
と思わず唸ってしまった。まだ梅林は、早かったようだ。ネットで調べた時は、5日前で1分、2分咲きとの情報があったので、そろそろ3分咲きぐらいには、なっているかと思ったのだが、考えが甘かったようだ。
 曽我梅林は、どういう訳か、まだ一度も訪れたことがなかった。
  ....そういえば、小田原城にも行ったことがない。


 気がつくのが遅く、いつも桜が咲く頃になって、そういえば、今年も曽我梅林に行かなかったな〜と、なるのだ。ということで、今年こそは、と思っていたら、例年と違って開花がかなり遅れていた。
 どうも相性がよくないようだ。

 下曽我には、12:36に到着。
 梅の花目当ての観光客が、ドドッと下車。やはり、皆、考えることは、同じで、この時季に天気が良ければ、曽我梅林ということになるのだろう。
 見上げれば、素晴らしい青空が広がっている。
 駅前広場の先にある観光案内板をじっくりと眺める。(写真下左)
 小田原梅祭りのメイン会場である別所梅林は、先ほどの車窓から見て、まだ開花には早過ぎたと判断し、今回は、パス。目指すは、城前寺とした。
 歩き出す前に振り返ると、先ほど一緒に下車した人々の姿は、殆ど見えなかった。(写真下右)
[下曽我駅前の案内板] [下曽我駅を出発(振り向いて撮影)]

 駅前を出発し、5分後には、道が分からなくなった。ザックの中から地図を取り出すが、縮尺が1/30000で、これでは、まだよく分らない。そこで、先ほど駅前で撮影した案内板の地図をデジカメ上で選択し、ズームアップする。
  ....スマートフォンを持っていないので、こういうときは、本当にデジカメって便利だと思う。

 おかげで、無事、宗我神社入口の鳥居までたどり着いた。だが、ここでも進路方向が分らなくなり、再びデジカメを取り出す。どうも道が、ややこしい。道標を見つけて、ようやく城前寺に到着。

 城前寺。(写真下左)
 ここには、仇討ちで有名な曾我兄弟の墓がある。それが目的で訪問してみた。
 Wikipediaによれば、
 『曾我兄弟の仇討ち(そがきょうだいのあだうち)は、建久4年5月28日(1193年6月28日)、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我祐成と曾我時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件。赤穂浪士の討ち入りと伊賀越えの仇討ちに並ぶ、日本三大仇討ちの一つである。』
 とある。
 仇討ちといえば、忠臣蔵の赤穂浪士が、ダントツで有名だろう。伊賀越えの仇討ちとは、鍵屋の辻の決闘の事で、荒木又右衛門が登場する仇討ちだ。現在での有名度合いから言うと、赤穂浪士がダントツな感じだ。荒木又右衛門は、古い時代劇映画でよく名前が出てくる。
 以前、何かの本で、曾我兄弟の仇討ちについて読んだことがあるが、確か仇討ちされる方にも同情の余地があり、ちょっと複雑な構造を見せていた記憶がある。
  ....もう一度、読まねば。


 左手から本堂の奥に進む。正面に2対ずつ経っている五輪塔のようなものが見えた。(写真下右)
 左側の2対に対し、手前には、「曾我兄弟之墓」と書かれた石柱が立っている。右側の手前には、「祐信満江之墓」と書かれてあった。祐信とは、曾我祐信のことで兄弟の継父であり、満江とは、兄弟の母である。ここだけ常緑樹が立ち込め、日陰となっていた。参拝して立ち去る。
 後で、いろいろ調べてみたら、曾我兄弟の墓というのは全国に10箇所以上あるようだ。
[城前寺にて] [曾我兄弟の墓]

 いよいよ不動山に登るルートを進む。住宅街の中を進むと、自宅(農家)の前でミカンを売っていた。1袋100円ということで、思わず衝動買い。市価の半値以下という感じだ。(写真下左)

 途中、梅林が左右に現れた。だが、花をつけている木は、1割も満たない程度で、満開には、程遠い状況だった。先を急ぐと、ミカン畑の道端に白梅を発見。(写真下右)
 思わずデジカメ撮影。
[ミカン購入] [白梅が咲いていた]

 アップで白梅が撮影でき、気を良くしているところで、ふと右手を見る。
 結構、いいことは続くものである。
 ここで、水分補給の代わりに先ほど買ったミカンを食べる。日の当たるザックの外にぶら下げていたのだが、冷えていて美味しい。こんなことなら、もっと買っておけばよかったと後悔。
 この辺りは、ミカン畑で、軽トラックが収穫用に入るためか、舗装路となっている。何の変哲もない農道だが、すれ違うハイカーの多いこと。どうやら、この先の宝筐印塔からの帰りのようだ。

 その宝筐印塔に到着。
 手前の案内板には、
 『小田原市指定重要文化財(昭和36年3月30日指定) 曽我祐信宝筐印塔』
と書かれてあり、内容は、以下の通りである。
 『昔から土地の人々に「祐信さんの供養塔」と呼ばれています。銘をもたないので、造塔の意図、年時、造立者、大工名など、一切不明ですが、死者往生を本願としたものと思われます。
 塔の高さは220センチ(基壇を除く)に達し、基壇の上に蓮座、基礎、塔身、笠、相輪の順で積み上げられています。
 関東における基本的な様式を備えた大宝筐印塔で、県下においても屈指の貴重なものです。 小田原市教育委員会』

 今は、ミカン畑農道の傍らにひっそりと立っているだけだ。ちなみに曽我祐信は、曽我兄弟の養父として知られている。
[宝筐印塔]

 宝筐印塔手前の農道は、高台になっており、南側の視界が広がる。さらに東へと続く緩い登り坂を進む。地図で確認すると、途中、左手に曲がる道を進めば、北東へ直進でき、不動山への近道となるのだが、せっかくなので、峠となる六本松跡を経由すべく、道なりに東へと歩いていく。
 この先もミカン畑が続き、白いコンクリート舗装路が眩しい。ここのミカンだけ、色が若干違うな〜と、近づいてよく見たら、紡錘形の実だった。どうやら檸檬のようだ。

 日陰に入る。路面が凍結していた。試しに足を乗せると、ツルツル滑る。今日は、替えのズボン等を持ってきていないだけに、ちょっと慎重になった。
 コンクリート橋をくぐった先が、尾根の最高点で、反対側の鎌倉方面の相模湾が見えた。
 こんな光景が見れるとは意外で、しばらく眺め入る。
[六本松跡への坂道(一部凍結状態)]

 右手に六本松の標柱を発見。隣の案内板には、以下のように記載されている。
 『六本松跡
 古代千代台地は師長国の府中で、この地方の文化の中心地であったので、西からの旅人は、皆ここに寄って、この道を、目指す坂東や奥羽へと向かったと推定(弓削道鏡等)される。
 その後、源頼朝が鎌倉に幕府を開き、上洛や富士の巻狩などにこの道を通り、いまも鎌倉山、将軍山また豪族中村氏がお出迎えした所を「大迎え」などの地名が残っている。
 また、この地の豪族が鎌倉に馳せ参じた鎌倉街道でもあり、坂東三十三番観音の五番勝福寺から六番長谷寺に詣る巡礼道でもある。
 戦国乱世のころ、京の聖護院准后道興は、「答えする 人こそなけれ 足曳の 山彦山は嵐吹くなり」。を詠み、降って元禄のころ、松尾芭蕉は「ほととぎす 鳴き鳴き飛ぶぞ いそがわし」。門人の白雄は「人の知る 曽我中村や 青嵐」 その後 蕪村も「雨ほろほろ曽我中村の田植かな」と詠んだ。
 この、六本松の地名となった最後の松の大樹は、明治の終わり頃惜しくも長い一生を終わっている。』

 西から鎌倉に向かう場合、足柄峠越えのコースであれば、今の国府津駅まで行かずに、手前のこの丘を越えて鎌倉に向かったのかと判断。地図で確認すると、直線コースで考えたら、確かにこの六本松経由の方が短く、平地の国府津駅経由は、遠回りだ。
 なお、坂東三十三番観音の五番勝福寺は、JR鴨宮駅付近の酒匂川に近い場所にあり、六番長谷寺は、鎌倉の長谷寺ではなく、厚木の飯山観音の方だった。
[六本松跡にて] [六本松跡での石碑]

 コンクリート橋を渡り、不動山方面に続く一本道を進む。この辺りもミカン畑が続いている。
 右手には、先ほどの六本松よりも視界が広がっていた。

 目の前には、電波塔が見える。尾根沿いに舗装路が続いているので、その一本道を進む。
[不動山へ向かう]

 送電鉄塔を一つ、右に見る。やはり、黙って素通りできない。ちょっと送電鉄塔に寄り道。シンプルな鉄塔だなと思ったら、電力会社のものではなく、JRの鉄塔だった。

 さらに進んでいくと、十字路に出た。(写真下) 左右の道は舗装されていたが、直進は、未舗装だった。ようやくここで未舗装路に入ることになった。
[十字路となる]

 やがて、山道は、どんどん細くなり、人一人が通れる程度の道幅となった。雪が解けて地面がドロドロしており、緊張しながら進む。(写真下左)
 山道を進んでいくと、左手に尾根筋を見るようになり、山腹をトラバースしていく。このまま進むと、不動山のピークを巻いてしまうのではないかと思えた。
 ピークを過ぎてしまったかもしれないと思ったとき、左手に分岐路があり、小さな標柱(不動山山頂入口)が立っていた。これが、頂上への道だと、左折し、斜面を登っていく。
 ものの4,5分登ると、小広場に出る。ここが不動山の山頂だった。

 山頂には、山名標識だけが、ポツンと立っていた。(写真下右)
 頂上から尾根筋に南東方向に踏跡が続いている。これが、どこまで続いているのか興味あるところだ。持参した「神奈川県の山」での不動山には、三角点と石祠が山頂にあると記載されていたので探してみる。だが、10分ぐらい探しても見つからず、諦めた。(その後、調べたところでは、山頂の三角点と石祠は、なくなってしまったらしい)
 山頂で三角点を探している間、中年ご夫婦が到着。
 「今年は、梅がまだまだですね〜」
などと挨拶。ご夫婦は、北西側から来たということで、そのまま尾根筋の南東への踏跡を進んでいった。こちらは、来た道を引返し、再び山腹のトラバール路に戻った。
[細い山道となる] [不動山頂上にて]

 山腹のトラバース路に戻ったところで、さらに北西に向かう。
 トラバース路に戻ってから、ほんの2,3分で、十字路に出た。(15:22) 前方も左右も全部、未舗装路だ。ここは、尾根筋を進むため、直進し、登り斜面を登っていく。
 15:28、右に分岐路のある丁字路に出た。ここも直進していく。すると、すぐ左手に分岐路が現れた。この辺り、縦走用の道標はないが、尾根沿いに進むつもりでルートをとれば、間違えないだろう。

 15:31、電波塔を見る。(写真下(その1))
 すると、すぐにまた電波塔を見る。(写真下(その2)) この先に給水塔のようなコンクリート製の円柱の建屋が現れる。このあたりが、緩やかな山ではあるが、ピークらしい。
 「神奈川県の山」では、このピークを浅間山と記載しているが、現地には、山名標識のようなものには、見つからず、いつのまにかピークを下ってしまったという感じである。
 下り始めたとき、別の電波塔を見る。(写真下(その3))
 すると、すぐに4つめの電波塔を見る。(写真下(その4))このあたりは、立て続けに電波塔が現れ、電波塔マニアには、たまらないエリアだろう。(たぶん)
[電波塔その1] [電波塔その2]
[電波塔その3] [電波塔その4]

 徐々に標高が下がっていく。そのうち、正面に西日に光る山々が見えてきた。

 西日が眩しい。前方左奥にテニスコートが見えてきた。これが、いこいの村あしがらのテニスコートだと分った。そろそろ左折しようと、次の十字路で左折した。(写真下)
 しかし、日が傾いてきたかと思うと、風が冷たくなった。ここで、白梅を撮影するときに脱いだダウンウェアを再び着込む。
[丘陵を下る]

 信じられないぐらい気温が急激に下がってきた。ここは、何も考えず、とにかく下ることを優先する。すると、左手に何故か2頭の山羊が。そんな訳で、ちょっと撮影タイム。
[左折して、上大井駅を目指す]

 富士山を見ながら下っていくと、立派な車道が現れた。(写真下)
 この車道は、車が1台も走っていないな〜と思っていたら、まだ工事中で通行止だった。
 この後は、車道をひたすら歩いていく。
 [立派な車道が現れた]

 17:20、上大井駅に到着。
 御殿場線上りダイヤを見たら、17:26。本数の少ない御殿場線で待ち時間が6分とは、なんとラッキーなことだろう。
 ホームで国府津行きを待つ。まだ日は暮れていなかった。だいぶ日が延びてきたな〜と思えた一瞬だった。
 [日が暮れる前に上大井駅到着]


 前半では、どうにか白梅の花が見れてラッキーと思っていましたが、後半、大山〜塔ノ岳〜檜岳山稜の眺めは、この時間帯でよく見えたな〜というのが正直な感想です。邪魔する雲もなく、霞んでもいないというのは、本当にツキがありました。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。