トップページ>他山域山行リスト>富士山五合目_記録20150906
2015年9月6日(日) 曇後雨 |
同行者:「山の会」メンバー 8名 |
馬返(9:57)〜(10:13)一合目〜(10:55)二合目〜(11:28)三合目(11:42)〜(12:24)御座石(井上小屋跡)(12:29)〜(13:07)五合目佐藤小屋(13:41)〜(14:09)五合目バスターミナル |
富士山は、世界遺産と言いましても、「自然遺産」登録の白神山地、屋久島などと異なり、「文化遺産」として登録されています。その構成資産(「文化遺産」としての価値を証明する文化財)は、山そのものだけでなく、湖や風穴や神社、それに登山道が含まれます。中でも吉田口登山道は、北口本宮富士浅間神社を起点とし、富士山頂上まで、その全区間が資産範囲となっています。
そのような吉田口登山道を今回、馬返から五合目まで、山の会の山行として歩いてきました。
詳細は、以下をご覧ください。
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富士急の富士山駅に9:00、集合し、馬返行きのバス乗り場に向かう。
9:10発のバスは、何とジャンボタクシー(乗客9人乗り)だった。
これでは、乗れない乗客が出てしまうのでは?と、バス乗り場での乗客を数えたら、やはり、9人以上、いるではないか。
だが、問題は簡単に解決した。もう一台のジャンボタクシーが到着したのだ。
そんな訳で、ジャンボタクシーが連なって出発した。 |
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[富士山駅からジャンボタクシーに乗車] |
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北口本宮富士浅間神社の横を走っていた頃は、なんでジャンボタクシー?と思ったが、中ノ茶屋を過ぎていくと、だんだん道幅が狭くなっていく。このため、ジャンボタクシーなのかと、納得がいった。
9:40、馬返到着。
ここには、自家用車の駐車場や仮設トイレが用意されてあり、利便性は良い。道標には、富士山山頂、10.6km、515分(min)と、いきなり頂上までの距離・時間が記されてあった。ここが、まだ一合目手前ということを考慮すれば、一合目とか五合目までの距離・時間表示でもよさそうなのに、いきなり富士山山頂とは、さすが日本一の富士山と妙に感心してしまった。
....このコースが、富士登山競走に使用されているからだろうか。
準備運動をした後、出発する。(9:57) |
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[馬返にて] |
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歩き始めて、すぐ気がついたのは、道幅が広いということだ。
う〜む。歴史を感じさせる古道だ。 |
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[さすが歴史的古道で、道幅が広い] |
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この山道に時々、現れる石のプールと四角い穴。(写真下)
これは何だろうと、帰宅後、調べてみたら、浸透桝と呼ばれるもので、どうやら、山道に雪解け水や雨で土砂が流れてきたときの対処用らしい。四角い穴の用途は、何となく理解できるが、下流側の石のプールは、何だろうか。 |
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[浸透桝と呼ばれる人工的な設備] |
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二合目に到着すると、左手に廃屋が建っていた。
御室浅間神社奥宮らしい。
帰宅後、冨士御室浅間神社のサイトを見ると、この二合目奥宮は、
『699年(文武帝3年)に奉斎したと伝えられています。その後708(和同1)年に祭場の形を造り、720(養老4)、807(大同2)年に雨屋、社殿を造ったが、富士噴火のため焼失したといわれています。現在は本宮本殿は永久保護のため里宮地に遷座していますが、拝殿は当時のまま、奥宮社を新たに建立しており、毎年6月に奥宮祭を斉行しております。』
http://fujiomurosengenjinja.jp/visit/okumiya/index.html
との事。この廃屋が拝殿のようだ。
建屋の右手に回ると、建屋の板壁の一部がなく、風が通り抜けるような状態だった。この建屋が倒壊するのは、時間の問題だろう。 |
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[倒壊寸前の二合目奥宮] |
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11:02、ガスが漂う針葉樹林帯の中を進む。
登山道の幅が広いと、視界が広くなり、解放感が味わえるなぁと思ったが、それだけではないようだ。そう、道に迷わないという安心感も生成されるようだ。そのせいか、リラックスして歩けるような気がした。 |
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[樹林帯の中を進む] |
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登山道は、細尾野林道を横断し、再び針葉樹林帯の中に続いていた。
すると....
ついに雨が降り始めた。メンバーは、傘を差しながら歩くようになる。
11:28、三合目到着。
ここには、左手に立派な案内板が立っていた。
内容は、以前、この地にあった見晴茶屋の説明で、以下のように書かれてあった。
『三合目の茶屋で、茶屋の名は、富士五湖などを一望できたことに由来する。隣接する茶屋「はちみつ屋」と合わせて、江戸時代から続く小屋である。
この見晴茶屋は、享和元年(1801)に江戸の八丁堀・築地・麹町の人々が奉納した弁財天像を祀ることから弁天室(べんてんむろ)ともいう。この弁財天像は、河口湖の「仙元弁財天」を模したもので、子授けを願う女性はこの像をなでて信仰した。 平成25年7月1日 富士吉田市』
付近には、いくつか木造の廃屋がある。登山シーズン中は、人通りが多かったのだろう。これらを眺めていると、賑わった往時が偲ばれる。
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[三合目に立派な案内板あり] |
[三合目の廃屋と小広場] |
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道幅の広い山道が続く。
階段状の登山道が現れるが、丸太が大きすぎて、歩きにくい。この丸太は、付近で採取されたものだろうか。
周囲の木々にコメツガや、ダケカンバが出てきた。だいぶ標高が高くなったようだ。 |
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[丸太が大きい階段] |
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12:24、井上小屋跡に到着。
ここで昼食と考えていたが、軒下が小さく、雨宿りにならない。そんな訳で小休止となった。
立ち止まっていると、背後から単独男性が追いついてきた。なんと会のメンバー、STKさんだった。
STKさんは、我々よりも早く富士山駅をスタートし、そこから歩き続け、ここで追いついたのだ。ちょうど我々が、馬返までジャンボタクシーに乗っている時、STKさんは、車道隣の登山道を歩かれていた訳だ。 |
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[井上小屋跡にて小休止] |
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この吉田口登山道には、三合目のような立派な案内板の他、もう少し小さい説明板も所々、設置されてあった。
12:47、中宮にて、説明板を撮影。(写真下左右)
記載内容は、以下の通り。
『ここからの先の一帯は、「中宮」「天地の境」と呼ばれる領域で、富士山を三区分する草山・木山・焼山のうち、木山と焼山の境界にあたります。
ここから連続して四軒あった山小屋は、江戸時代には総称して中宮役場と呼ばれていました。それぞれの小屋では、登山者から山役銭(入山料)を徴収していましたが、後には麓で前払いすることになり、その証明として交付された登山切手を改める場所となりました。
四軒の中宮役場の先には、江戸時代まで中宮社があり、そこには浅間・大日・稲荷が祀られていました。』
このように歴史を教わりながら歩くというのは、ここ富士山ぐらいだろう。 |
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[登山道の標識] |
[五合目の中宮の説明板] |
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相変わらず、雨が降り続けているが、風がないので、傘を差して歩き続ける。
三合目で見かけたような立派な案内板が、ここ五合目では、早川館、たばこ屋、不動小屋など続々と現れた。これらは、皆、江戸時代から続く山小屋で、案内板にある写真を見ると、昭和初めでも、営業が成り立っていたようだ。 |
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[たばこ屋の案内板に立ち止まる] |
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12:56、滝沢林道に出た。ここからは、舗装された林道を歩く。
樹林帯でなくても、結構、前方が見えにくい。だいぶガスが濃くなっているようだ。 |
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[滝沢林道(舗装路)に出た] |
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再び登山道に入り、その後、滝沢林道を横断すれば、五合目の佐藤小屋に到着。(13:07)
小屋の中は、混んでいたので、外の屋根付きベンチにて、遅めのランチを取る。
さすがに雨が降って、この標高だと身体が冷えてくる。ダウンの上着と薄型ウィンドブレーカを着用して、ちょうどいいくらいだった。
食事後、出発前にメンバー全員で記念撮影。(写真下) |
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[佐藤小屋にて記念撮影] |
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13:41、佐藤小屋を出発。五合目バスターミナルに向かう。
相変わらず、ガスが濃い。
泉ヶ滝にて、左から六合目からの登山道が合流するが、こんな天気ということもあり、下山者が多数、合流してくるようなことはなかった。 |
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[五合目バス停に向かう] |
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14:09、五合目バスターミナル到着。
バス停の先頭に並んでいると、こんな悪天候にもかかわらず、観光バスが次から次へと、到着する。降りてくる乗客を見ていると、どうやら中国人団体のようだ。ここ富士山五合目という観光ポイントは、結構、人気があるようだ。
14:50、富士山駅行バスに乗車し、帰路につく。
....発車してすぐ、五合目駐車場での観光バスの台数を数えていたら、20台オーバーとなり、超ビックリ。 |
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[五合目バス停にて] |
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今回は、登山道の歴史を教えてくれる案内板が充実していました。富士山が文化遺産だという事を実に感じさせる山行でした。
今度は、晴れた日にバスで五合目まで行き、遠くの景色を堪能しながら、五合目から富士急富士山駅まで、下りだけの山行を実現したいと思っております。
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※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。
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