トップページ他山域山行リスト>妙義山中間道_記録20160423


妙義山 中間道

 山行日
2016年4月23日(土) 曇後晴 同行者:「山の会」メンバー 7名
 コース
石門入口(9:43)〜(9:55)第1石門〜(9:57)カニの横ばい〜(10:37)石門広場(10:48)〜(10:52)大砲岩分岐点(10:58)〜(12:01)東屋(12:37)〜(13:18)第二見晴(13:30)〜(13:49)第一見晴(13:55)〜(14:09)妙義神社〜(14:47)もみじの湯
 山の会山行で、妙義山の中間道を歩いてきました。個人的には、妙義山は2回目で、前回は、相馬岳の稜線を歩きましたが、今回は、危険箇所の少ないハイキングコースです。
 スタート地点は、中ノ嶽神社とせず、石門入口として、前半にクサリ場のミニ体験を取り入れたコースとしました。
 詳細は、下記をご覧下さい。


 前回は、自家用車で来訪したが、今回は、電車でJR松井田駅で下車した後、予約しておいたタクシーに乗車し、石門入口に9:29到着。(ちなみにタクシー代は、4,060円だった)
 ...意外と横浜から近い。

 天気予報(本日5:00AM発表:前橋)では、降水確率が、6-12時:20%、12-18時:10%ということで、それほど雨を心配しなくてもよさそうに思えたのだが、上空の雲を見る限り、雨が降ってきてもおかしくない状況だった。先程、松井田から乗ったタクシーの運転手さんの話では、昨晩19:00から24:00ぐらいまで雨が降っていたとのことだった。
 出発前に軽く準備運動をしたり、今後のスケジュールを確認して、曇天の下、出発する。(9:43)
[石門入口にて]

 石門入り口をスタートすると、すぐに短いクサリ場が現れる。「かにのこてしらべ」という銘板が付いていた。「なかなか洒落た名前がついているね。」と同行者の一人、NASさんと話す。
 まずは、クサリ場の準備運動という感じで、各自クリアしていく。
[かにのこてしらべ]

 9:46、分岐点に到着。左は、第一第二石門を経由して大砲岩、右は、大砲岩近道と書かれてあった。今回は、クサリ場目当てなので、左の第一第二石門ルートを選択する。
 第一石門を通過するところで、岩にレリーフを発見。
 なにやら老婦人の顔に見える。
 すると、傍に説明板が立っていた。以下は、その説明文。
 ■妙義公園
 妙義公園は、表妙義の金洞山の南ふところにある奇岩、怪石で著名な石門一帯の32.1ヘクタールの地域である。妙義公園は、赤城、榛名両公園とは異なり、一篤志家により民有地の寄付というきわめて興味深いケースをたどって、昭和29年8月1日に設置された歴史の新しい公園である。
 ■柴垣はるさん
 石門一帯は、以前、民有地であった。その所有者が柴垣はるさんである。
 柴垣はるさんは、明治16年1月東京に生まれた。義兄に東北大学の本多光太郎博士を持つ家柄である。結婚後医師である夫がまもなく死去したことによって、両親と三人で所有していた妙義山に移り住むこととなった。大正念4年のことである。当時とすれば東京から妙義の山里に住むことは、かなりの決断があってのことだったようだ。
 その後、親子三人の石門での生活が始まるが、昭和9年に母が、2年後には父が死去し、いよいよ柴垣はるさんは孤独の身となった。一本杉に居をかまえた柴垣はるさんが、ハイカー達から「妙義のおばあさん」と親しまれたのは、その後のことである。
 その柴垣はるさんが、終生の事業として、県に対して土地の寄付を申し出たのは昭和29年のことである。県立公園が設置されてからも引きつづき一本杉に居をかまえ、妙義山とともに過したが、昭和37年に79才でその数奇の生涯をとじた。


 妙義山には、こんな歴史があったのかと、しばし、柴垣はるさんのレリーフを眺める。
[レリーフを発見]

 9:57、「かにの横ばい」と呼ばれるクサリ場にやってきた。ここは、スンナリと通過できるレベルだったが、その後の直登ルートとなる「たてばり」では、足場が確定せず、最初の一歩に苦労した。
 ....やはりメタボ体型には、キツイ。
[かにの横ばい] [たてばり]

 第二石門をくぐり、下りとなるが、この下りのクサリ場(つるべ下り)は、上から見下ろすと、いささか緊張感が走った。意外にも、長くて、急な下りとなっていたのだ。それに岩が濡れていて、ツルツル状態の箇所があり、足場が確保できず、クサリに頼るようなケースが何度かあった。
[つるべ下りにて]

 「つるべ下り」の後、「片手さがり」というクサリ場の下りを終えると、クサリ場ゾーンは、終わってしまった。「これで、今回の楽しみは、終わってしまった」とNASさんが呟く。
 10:37、石門広場にて小休止。第四石門の向こうに大砲岩が見える。
 こんな不安定な天気だったが、ハイカーは、多く、30人ぐらいの人たちが休憩中だった。
[第四石門]

 大砲岩分岐点に到着。(10:52)
 大砲岩までは行かず、手前の視界の広がる箇所にて、他の山々を眺める。
 雲が上から触れるように平らな山が見えた。荒船山のようだ。
 「次は、あの荒船山を登るぞ〜」と、メンバー全員がその方向へ指差す。(写真下)

 大砲岩分岐点に戻り、妙義神社を目指して出発する。(10:58)
[大砲岩分岐点付近にて]

 この中間道にある道標を見ると、このルートというのは、関東ふれあいの道となっていた。それならば、完璧に整備されたハイキングコースの筈だと思っていたのだが、長い鉄の階段を下っていくとき、足を置く鉄の部分が、板状ではなく、殆ど棒状なのには、目が点になった。(写真下)
 関東ふれあいの道であれば、もう少し予算をつけて欲しいなぁと思ってしまった。
[鉄の階段]

 12:01、東屋が見えてきた。
 ここで、正午となったこともあり、ランチタイムとした。
 東屋の中で、メンバーのTOIさん(ちなみに男性)から、「高崎駅でどうにか買えました。」と、キティちゃんだるま弁当を取り出す。すると、近くに座っていた他のハイカーの女性陣が、集まってきた。皆、関心があるらしい。 
 ....容器は、そのまま弁当箱で再利用できそう。
[キティーちゃん弁当]
・・・ マウスポインタを画像の上に持っていけば...
[東屋にてランチタイム]

 ランチタイムを終えると、上空がだいぶ明るくなり、天候が回復してきているのがわかった。
 「これで雨の心配は無くなりましたね。」と、メンバーと話す。
 12:37、東屋を出発し、本読みの僧(自然の岩が、あたかも僧が本を読んでいるような姿に見える)を通過する。(12:57) ここは、中間道の中間点との事らしい。

 13:18、第二見晴に着いた。分岐点にザックを置いて、見晴に向かう。
 ここは、金鶏山や、鷹戻しの頭などの光景が、素晴らしい。
[第二見晴分岐点]

 第一見晴を経て、14:07、車道に出た。
 左折すると、奥に妙義神社の拝殿が見える。拝殿にて参拝後、石段を下っていく。
 天気が回復したのは、ラッキーだったが、その分、だいぶ暑くなってきた。
 ここまで来たら、早く温泉に入りたいと、少しピッチを上げて、日帰り温泉「もみじの湯」へ向かう。
[妙義神社拝殿]

 「もみじの湯」の手前にある「妙義ふるさと美術館」付近で、記念撮影を実施。
 よく考えたら、今回、全くピークを踏んでいない。ということで、全員の記念撮影を妙義山をバックに撮影することとした。(写真下左)
[全員での記念撮影] [妙義ふるさと美術館と菜の花畑と妙義山]

 「もみじの湯」での食堂で、風呂から上がった後、無事の下山を祝って、乾杯。(写真下)
 一風呂浴びた後の生ビールは、最高に旨い。

 その後、行きに利用したタクシー会社に電話予約し、JR松井田駅に戻ることとした。(ちなみに松井田駅までのタクシー代は、2,440円だった)
 [もみじの湯の食堂にて、風呂上りに乾杯]


 今回、高崎から湘南新宿ラインで帰路につきましたが、そのため、高崎駅で酒やツマミを買い込み、ボックスシートを2つ占有し、ずっと新宿まで飲み続けておりました。
 ....今回も、何故か酒好きのメンバーが多かった。

 妙義山は、眺めているだけでも飽きない山域で、季節を変えたりして、何度でも訪れたいと思っております。
 ....でも、荒船山にも行ってみたい。




※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。