トップページ>他山域山行リスト>高麗山・湘南平_記録20170218
2017年2月18日(土) 晴 |
同行者:「山の会2」メンバー 4名 |
大磯駅(8:28)〜(8:51)高来神社(8:56)〜(9:15)東天照〜(9:22)高麗山(9:27)〜(9:30)八俵山(9:32)〜(9:48)浅間山(9:51)〜(9:59)湘南平(10:20)〜(10:43)東小磯配水池〜(10:50)羽白山の手前〜(11:00)大磯駅裏〜(11:17)大磯港(12:17)〜(12:37)地福寺(12:41)〜(12:47)大磯駅 |
今回は、「山の会2」メンバー4人の方々と、神奈川県大磯町にある高麗山に行ってきました。私にとって、この高麗山は、初訪問となります。一方、湘南平は、小学校高学年の頃、一度だけ車で連れていってもらったという記憶がありますが、どんな景色だったかとなりますと、今となっては、全く記憶が飛んでいる状態です。
そのような状況の下、「神奈川県の山」(山と溪谷社)のガイドブック程度の知識で行ってきました。詳細は、以下をご覧下さい。
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西丹沢に行く時、東海道線を利用して、国府津で御殿場線に乗り換えるが、今日は、途中の大磯で下車する。改札口を出て、駅前の光景を見た瞬間、大磯駅で降りたのは、ひょっとして生まれて初めて?という気がした。全く駅前の記憶が無かったのだ。
そういった意味で、今日は、スタート時点から新鮮だった。
8:28、全員が揃ったところで、駅前を出発する。
手持ちの「神奈川県の山」(山と溪谷社)(2017年3月:発売ホヤホヤ))では、大磯駅から途中で、東海道線の北側を歩くように記載されてあったが、皆は、逆の海側を歩いていく。他の資料では、どうやら海側を歩くようになっているようだ。
そんな訳で、途中、東海道線をトンネルでくぐって、東海道線の北側に移る。 |
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[大磯駅を出て、東海道線の下をくぐる] |
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トンネルを出て、直線路を進む。ここは、旧東海道。今でも並木道となっており、往時を偲ばせる光景が目に入る。江戸時代の頃、ここを人馬が往来したと思うと、感慨深い。 |
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[旧東海道を歩く] |
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旧東海道が現国道一号線と合流した後、前方に高来神社入口の信号が見えてきた。
ここで左折し、2つの鳥居をくぐって、神社の境内に入る。この神社裏手が、高麗山の登山口となっている。 |
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[高麗山の入り口、高来神社] |
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こじんまりとした拝殿にて参拝後、高麗山の登山道に入る。
すぐに男坂と女坂の分岐点に出合う。今日は、女坂を選択する。
驚いたことに高麗山は、山麓から一面樹林帯となっていた。常緑広葉樹が多く、鬱蒼とした林の中を登って行く。道は、明瞭だ。
左手の樹林が一瞬なくなり、相模湾の眺望が開けた。
山に登って、海が見れるというのは、神奈川県の山の特徴だろう。
....とても、気分爽快。 |
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[相模湾を望む] |
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途中、山道が二分しており、右手が東天照となっていた。他メンバーと分かれて、他事鉄さんと私は、東天照というピークを目指す。東天照への道は、今までと違い、細い山道となったが、5,6分も歩けば、尾根の背に出た。そこで左折し、尾根の背筋沿いにほんの少し進んでみると、東天照の立札が見つかった。
ここが、どうやら東天照のピークのようだ。だが、この立札が無ければ、ここがピークとは分からないような場所だった。
立札には、
「東天照 標高135m 高麗山の三峰のうち最も東側に位置する峰で東の展望台の役目を果たしていました。鎌倉時代には白山社がまつられていたという記録が残されています。 神奈川県自然環境保護センター」
と記載されてあった。だが、今では、この尾根一帯は、樹林に囲まれ、展望台としての往時の面影は、見当たらない。 |
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[東天照のピークにて] |
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西側へ続く尾根筋を進む。辺りは、常緑樹林帯で、町並みを見渡すようなビューポイントは、なかった。石段を登り、9:22、高麗山の頂上広場に到着。
ここで、もう一組のメンバーと合流する。ここも樹林に囲まれ、大磯町や、相模湾を見渡すような所ではなかった。
広場には、高麗山の説明板(下記)が立っていた。
『高麗山 標高167.3m
高麗(こま)と若光(じゃくこう)
昔から日本と朝鮮文化交流は深く、相模国をはじめ東国七州の高麗人を武蔵国に移して高麗郡をおいたと「続日本記」(注1)には、書かれています。
奈良時代のころ高句麗は唐・新羅に滅ぼされ、日本に難を逃れた人も多くその中に高句麗王族のひとり高麗若光もいました。若光は一族をつれて海を渡り大磯に上陸、日本に帰化してこの山のふもとの化粧坂あたりに住み、この地に大陸の文化をもたらしました。
高麗若光と高句麗の人たちが住んでいたことから、この地が高麗と呼ばれるようになりました。
環境省・神奈川県
自然環境保護センター自然保護公園部自然公園課 』
(注1):「記」は、「紀」の誤字と思われる。
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[高麗山の頂上広場にて] |
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高麗山を出発し、すぐに八俵山に到着。ここには、「高麗山県民の森案内図」の大きな説明板があるので、立ち止まる可能性が高いが、ここが八俵山の頂上ということに気がつく人は少ないのでなないだろうか。
八俵山の小さな銘板には、下記のように記されてあった。
「八俵山(はっぴょうやま) 標高160m
八俵山・大堂・東天照の高麗山の三峰のうち、最も西側に位置する峰で、”八俵”は仏教用語の八表(隅の意味)から転じたと考えられます。古くは毘沙門堂がここに建てられていたと、記録されています。」
ここも、大堂(高麗山)、東天照と同じく、樹林のため、展望は、きかなかった。 |
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[八俵山頂上にて] |
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登山道は、尾根筋に西へと続く。
右手に目を向けると、冬枯れの大木が目についた。このあたりは、木の幹に名札がついており、素人でも何の木かが分かるのが嬉しい。近づいて見たら、エノキだと分かった。
思わずデジカメ撮影する。
歩きながら、イヌシデ、クヌギ、タブノキ、ツバキ、ミズキなど樹木の名札を読み取る。 |
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[右手に冬枯れのエノキを眺める] |
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9:48、少し登った所が、高麗山より標高のある浅間山の頂上だった。山の頂上というよりは、平らな丘の上といった感じだ。
ここには、石の祠(浅間神社)と、黒い枠に囲まれた一等三角点がある他、ここにもエノキの大木が鎮座していた。太い幹が何本と天に向かって伸びているのが印象的だ。 |
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[浅間山頂上] |
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さらに西側へと続く道を進む。
浅間山から10分弱で、湘南平に到着。
紅白の電波塔が一基建っている。ここで、ちょっと撮影タイム。大山・丹沢方面を撮影する。
残念ながら、丹沢方面は、霞んでおり、富士山は、肉眼でどうにか見えるくらいのレベルだった。 |
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[大山、表尾根を望む] |
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南側の相模湾方面も同様に霞んでいるものの、三浦半島や、江ノ島の姿を確認する。
こんなに海岸線の眺めがいい場所だとは、知らなかったので、丹沢側より、こちらの方の撮影に時間を費やす。
小学校高学年の頃、横浜から平塚の方に引っ越していった元クラスメイトのK君から、「遊びにおいでよ。」と言われ、友人と共に平塚まで足を運び、K君のお父さんの車で連れていってもらったのが、ここ湘南平だった。
それ以来、K君とは全く会っていないが、元気にしているだろうか。相模湾を眺めているとき、ふとK君の甲高い声を思い出した。 |
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[江ノ島方面を望む] |
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一通りの周辺風景を堪能した後、湘南平を出発する。(10:20)
広場には桜の木が並んでおり、花見のシーズンは、見応えのある光景となるだろう。 |
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[湘南平を出発する] |
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湘南平から来た道を少し戻り、南側にのびる尾根筋を進む。
この先は、下りだけかと思ったら、予想外にアップダウンが多く、途中、息が切れること、何度か発生。 |
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[南側の尾根筋を進む] |
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尾根筋の登山道は、歩き易く、よく整備されてあった。
やがて、民家の横に出た。
今回は、羽白山・高田公園の方には向かわず、左折し、大磯駅方面に下っていく。 |
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[この先で、民家エリアに出る] |
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住宅街を下って、大磯駅北側に出た後、海側に進み、大磯港まで歩いてきた。
本日のランチタイムは、ここで魚料理を予定していたのだ。
すでに10人ぐらいの待ち行列が出来ていた。
30分ぐらい待って、店に入る。人気の刺身定食は、すでに品切れとなっていたので、まあじの焼魚定食を注文。出てきた盆の上には、焼魚の他、ブリ刺身や水カマスのフライなどあり、ボリューム満点。
....美味しく戴く。
食事が済めば、後は、大磯駅に戻るだけだったが、途中、新島襄終焉の地や、島崎藤村夫妻が眠る地福寺等に寄り道しながら、大磯駅へと向かった。 |
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[大磯港でランチタイム] |
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初めての高麗山を味わってきました。
常緑広葉樹の多い高麗山や、視界の広がる湘南平は、地元の人々の散歩道のようで、すれ違う人たちは、殆どザックを背負わず、手ぶらで歩かれてました。
なお、今回の山行は、4月に行われる「山の会2」高麗山山行の下見のために行ってきました。その時は、湘南平が花見の時季と重なるので、今からが楽しみです。
ご同行の皆様、本日は、誠にありがとうございました。
次回の4月も宜しくお願い致します。
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※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。
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