トップページ他山域山行リスト>高麗山・湘南平_記録20170415


高麗山・湘南平 〜神奈川県の山々〜

 山行日
2017年4月15日(土) 晴 同行者:「山の会2」メンバー 23名+α
 コース
大磯(10:29)〜(10:54)高来神社(11:05)〜(11:28)高麗山(11:37)〜(11:43)八俵山〜(12:06)浅間山(12:10)〜(12:22)湘南平(13:30)〜(13:51)東小磯配水池〜(14:00)羽白山〜(14:06)高田公園(高田保公園)〜(14:19)妙大寺〜(14:25)大磯
 今回は、「山の会2」メンバー23名+αで、高麗山を訪問しました。前回は、2月、今回は、4月と、季節が異なったため、同じ山とは、思えないほど印象が変わりました。
 詳細は、以下をご覧下さい。


 大磯駅改札口に参加メンバーが集まり、10:29、駅を出発する。
 今日は、前回と異なり、参加人数が多いため、長い列となってしまう。これだと、前回と、だいぶコースタイムが違ってくるかなと思えた。
[前回同様、今回も好天気。大磯駅を出発。]

 前回同様、旧東海道を進む。
 江戸幕府を開く前の家康の時代から東海道は、整備されたらしい。
『慶長5年(1600)の関が原の合戦に勝利をおさめた徳川家康は、慶長6年には東海道に宿駅の制度を設け、その整備を行っています。 次いで慶長9年には36町を1里(約3.9キロメートル)として一里塚をつくり、街道筋にはマツやエノキなどが植えられました。』
 出典:大磯町の観光情報サイトisotabi.com(イソタビドットコム) 東海道松並木

 だが、満開の桜などが見られ、前回とはだいぶ印象が変わった。
[旧東海道を歩く]

 10:54、高来神社に到着。
 ここでも満開の桜が出迎えてくれた。境内の一角を借りて、今回山行のオリエンテーションが開かれた。今回予定コースの確認、並びにグループ分けを実施。

 帰宅後、何気なく高来神社を調べてみたら、歴史ある神社(寺でもあった)であることが判明。
『縁起
中世に書かれた「箱根山縁起」には、神功皇后の三韓征伐(新羅出兵)に勝利した際に、重臣の 武内宿禰(たけうちすくね)が高麗大臣和光を奉ったとされています。
漁民により海中から引き揚げられた千手観音を高麗権現の本地佛として定め、山頂の高麗権現と下宮の千手観音を併せ祀り、高麗寺別当(高来寺)の司る所になりました。
鎌倉時代には北条政子の安産祈願のため神馬を賜り、寺背後にそびえる高麗山中には24の末院がありました。
   ...途中略
江戸時代
徳川家康より寺領百石と山林を賜り、東照権現を併せ祀ります。東照宮は徳川家康の神影であるため、参勤交代の諸大名は高来神社の前を通る際には下馬して参詣しなくてはなりませんでした。
   ...途中略
明治時代
神仏分離により、高来寺の寺物は移され、高麗神社と改称、明治30(1897)年に高来神社と改称され、現在に至っています。』

 出典:大磯町の観光情報サイトisotabi.com(イソタビドットコム) 高来神社(高麗神社)
[高来神社の境内を歩く(1)] [高来神社の境内を歩く(2)]

 高来神社を出て、登りが続くが、歩き易い登山道になっているのが有難い。
 ここは、登山ルートが多く、分岐点が多い。だが、道標が必ず立っているので迷うことはないだろう。
 前回同様、鬱蒼とした樹林帯の中を歩く。
 帰宅後、高麗山を調べてみたら、何故、樹林帯の山となっているのか、理由が判明。

『高麗山は、標高約160m、相模湾より相模一国をことごとく見渡すことができ、三峰からなります。江戸時代末期までは、山全体が高麗寺の霊領域として保護され樹木の伐採が禁じられていました。明治期には宮内省官吏の御料林となり、昭和13年に神奈川県に下賜されてからも引き続き保護されてきました。

しかし、戦中・戦後の資材確保のため山の北から東斜面の樹木は伐採されてしまい、江戸(時代)から続く植生は、南斜面に残っています。』

 出典:大磯町の観光情報サイトisotabi.com(イソタビドットコム) 高麗山
[男坂と合流]

 11:28、今回は、東天照を通らず、女坂ルートをそのまま歩いて高麗山(大堂)に到着。
 ここで、小休止。常緑樹が多いせいか、着いた瞬間は、前回とあまり変わっていない印象だったが、周囲をよく見ると、北側に新緑の木々があり、ここでも季節の違いを感じた。
[高麗山のピークにて]

 八俵山ピークを通過し、緑一色の樹林帯を眺めながら、歩いていく。
 右手斜面には、シャガの群落あり。
[シャガが咲く]

 12:06、浅間山頂上に到着。
 神社から少し離れた所に浅間山の案内板が立っていた。近づいて見ると、タイトルは、浅間社と記載されてあった。以下は、その内容。
 『江戸時代、雲をぬいて天高くそびえる富士山を神とした浅間信仰が広まりました。
 白い衣装をまとい、口々に「懺悔懺悔、六根清浄」と唱えながら登る。六根とは眼、耳、鼻、舌、身、意のことで、「六根清浄」が登山の精神であり、富士山は信仰登山のあこがれでした。
 しかし、富士登山は費用と日数がかかり、女人禁制でもあったため、浅間社を富士山の見える高台や山頂にまつり、そこにお参りすることにより願いが富士山に通じると、庶民の間にひろまり厚い信仰を集めました。
 浅間社は木花佐久夜毘売命を主神とし、美しい富士山を桜の花にたとえた名前と伝えられ、浅間社を祀った山であることから浅間山と呼ばれるようになりました。
 環境省・神奈川県 自然環境保全センター自然保護公園部自然公園課』

 そういえば、丹沢にも大山の南側尾根に浅間山という名の山があるが、そこでも、昔は、富士を眺めたのだろうか。
[浅間神社]

 もうすぐ湘南平というところで、右手に諸葛菜の群落を見かける。先程のシャガといい、2月とは全く趣が異なる光景が続く。
[諸葛菜の群落]

 いよいよ湘南平に近づいた。既に前方には、満開の桜が見えている。この先がワクワクする瞬間だ。
[湘南平へ]

 湘南平で、ランチタイムとなったが、その前に電波塔に登ってみた。
 眼下の桜は、全て満開状態だった。その光景は、圧巻だったが、ここでは風が強く、桜を観賞するには、ちょっとツラい。今まで縦走していた時は、そんなに気がつかなかったが、ここ湘南平は、とにかく風が強かった。
 その風のせいか、花見客も予想したほど、多くなかった。
[電波塔から望む]

 電波塔から降りて、今度は、展望台から丹沢・大山方面を眺める。
 春霞がかかった状態で、遠景は今一つだった。この点は、2月の時の方がまだクリアだった。
[大山・丹沢方面を望む]

 昼食を終え、メンバー全員の集合写真を撮影したりして、過ごす。人数が多いので、記念撮影だけでも結構、時間がかかる。
 相変わらず風が強い。13:30、出発する。 
[湘南平を出発する]

 前回同様のコースを通り、南側の尾根筋を進む。新緑が素晴らしい。
 また、湘南平と違って、尾根筋を歩く時には、風は、全く気にならなかった。
[前回同様、南側の尾根筋を進む]

 左手に住宅街が見えてきたところで、前回は、左折して下ってしまったが、今回は、直進して坂を登る。
 この先の羽白山を訪問するためだ。
[羽白山へ向かう]

 この辺りが、羽白山の頂上だと思うのだが、何の標識も見つけることはできなかった。
 羽白山は、別名坂田山で、昭和7年に起きた心中事件で当時、一躍有名になった山だ。
 事件からわずか1ケ月後に松竹蒲田撮影所より映画『天国に結ぶ恋』が、監督五所幣平之助、主演川崎弘子、竹内良一で封切られ、大当たりした。主題歌のレコードも大ヒットし、当時の売り上げ枚数の記録を更新したという。
 出典:大磯町の観光情報サイトisotabi.com(イソタビドットコム) 坂田山(羽白山)
[羽白山頂上付近]

 羽白山を下っていくと、小さな公園の前に出た。ここも桜が満開で、1組のグループが、花見の真っ最中だった。湘南平と違って、ここは、全く強風が吹いていない。さぞかし旨い酒が飲めるだろう。
 公園の隅には、高田保公園の説明板が立っていた。
 帰宅後、高田保を調べてみた。
『【高田保(1895〜1952)】
 高田保は明治 28 年 3 月 28 日茨城県土浦町生まれ。大磯には太平洋戦争が激戦を極めていた昭和 18 年 2 月から住み始めました。
 昭和 20 年に東京日々新聞に連載された「ブラリひょうたん」では、占領下の政治・経済・社会・文化の百般にわたる風刺的評論執筆が世の好評を得ました。
 また、昭和 24 年からは島崎藤村亡き後の町屋園 ( 藤村邸 ) に住み、大磯町の社会教育に力を尽くし教育委員長を務めましたが、昭和 27 年 2 月 20 日午前 11 時 15 分行年 57 才の若さで亡くなりました。葬儀は地福寺で行われました。
 代表作に『天の岩戸』『馬鹿』などがある。』

 出典:大磯町の観光情報サイトisotabi.com(イソタビドットコム) 高田公園
[高田保公園]

 住宅街の坂道を下っていくと、目の前に相模湾や大磯の町並みが広がる。
 皆、その光景にしばし見入った。
 ジグザグに車道を下っていきながら、大磯駅に向かっていく。
[住宅街を下っていく]

 大磯駅前で解散し、平塚にて反省会。
 やはり、下山後のビールは、格別。メンバーの皆さんと、ワイワイ、次回山行計画など、次から次へと興味ある話が出て、会話が弾んだ。
 [平塚にて反省会]


 満開の桜、新緑、春の花と、2月では味わえない光景を楽しめた山行でした。
 今回は、20人超の団体でしたが、この場合、トランシーバの利便性が高いことを再認識しました。
 メンバーの皆様、いろいろとお世話になりました。ありがとうございました。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。