トップページ他山域山行リスト>大高取山_記録20181028


大高取山 〜奥武蔵〜

 山行日
2018年10月28日(日) 晴 同行者:「山の会2」メンバー 多数
 コース
ゆうパークおごせ(9:03)〜(9:15)展望台(9:17)〜(9:55)七曲り峠〜(10:04)車道出る〜(10:15)桂木観音下の駐車場(10:22)〜(10:26)桂木観音(10:32)〜(11:03)大高取山(11:33)〜(11:54)白石様(12:03)〜(12:33)高取城跡(12:37)〜(12:49)越生神社(12:51)〜(13:00)越生観光案内所手前の広場
 今回は、「山の会2」で、バーベキュー、飲み会の後、翌日に奥武蔵の大高取山を登ってきました。前日に越生町の「ゆうパークおごせ」に宿泊したのですが、かなり飲み過ぎました。どうやって寝たのか、全く覚えていません。そんな訳で、ちょっと二日酔い気味での登山となりました。
 詳細は、以下をご覧下さい。


 「ゆうパークおごせ」を9:00過ぎに出発した。今日は、「ハイキングのまち」越生町の大高取山を目指す。標高は、376.2mという低山だが、初めての山なので、非常に興味津々。
 歩き初めてすぐ、案内板の前で、本日のコースを確認する。
[「ゆうパークおごせ」付近の「ハイキングのまち越生町」の案内板前にて]

 斜面を登っていくと、「ゆうパークおごせ」を見下ろせる展望台に出た。真っ平な関東平野が広がる。埼玉県は、全く土地勘がないので、見えているのが、どこなのか、よく分からない。川越方面だろうか。 
[展望台にて関東平野を望む]

 植林体の中を進む。いくつか分岐路を通過する。この辺りは、経路が、かなりあるようだ。
 9:55、七曲り峠に到着。ここも植林帯の中だ。
[植林帯の中の七曲り峠]

 左側に緩い斜面を下っていくと、何やら黄色い果実が生っている木が目立つ。
 「柚子ですよ。」と教えてもらう。まだ収穫には、早いようだ。
[柚子畑が目立つ]

 10:04、車道に出た。
 ここから、しばらく舗装路を歩いていく。辺りは、まだ柚子畑が続いている。ここの柚子は、桂木柚子として有名らしい。
[車道に出た]

 10:15、車道を登っていくと、桂木観音前の駐車場に到着。ここには、トイレもあり、小休止。
 駐車場からも、関東平野の眺めがいい。遠くに高層ビル群が見えるが、残念ながら、どのあたりのビル群なのかが、よく分からない。
[桂木観音駐車場からの眺め]

 今日は、ハーフマラソンの大会があるということで、駐車場には、スタッフが立っていた。今、歩いてきた登りの車道が、ハーフマラソンのコースで、この駐車場が折り返し地点となっていた。
 「まもなくランナーが来ます」と、スタッフの声がすると、トップランナーの男性がやってきて、折り返し地点を回っていった。
 小休止を終え、駐車場前の階段を登っている最中、振り返ると、2番目のランナーが見えた。(写真下左)

 階段を登ると、桂木観音の本堂が目の前に現れた。(写真下右)
 「桂木」の地名は、行基菩薩が東国行脚をしたとき、大和の葛城山に似ているところからカツラキと名付けられたと伝えられ、元旦には、都心の高層ビル群の向こうから昇る日の出を拝もうと、毎年多くの人が集まるスポットとの事。(出典:毛呂山町サイト「桂木展望台」より)

[桂木観音前の階段を登る(振り返って撮影)] [桂木観音]

 桂木観音の奥から再び、登山道になった。相変わらず、植林帯だ。
 地図で確認すると、このあたりが桂木山かなと思うのだが、山頂標識らしきものは、なかった。(写真下)
[桂木山?]

 11:03、大高取山頂上に到着。
 早めのランチタイムとなった。ザックからカステラを取り出す。一口食べてみると、食欲が戻ってきたことが分かった。ようやくアルコールが抜けてきたようだ。

 そんな食事中に、トンビのような鳥が何羽も上空を飛び交っていたのだが、鳥に詳しい人の話だと、ノスリとの事だった。そんな名前の鳥が存在することを初めて知る。
 調べてみたら、ノスリは、漢字で書くと、「狂」の下に「鳥」と書く。ちょっと可哀想な鳥だ。
[大高取山にてランチタイム]

 大高取山からも、関東平野が一望できる。ここからだと東側方面の眺めとなる。見事な程、平らだ。やはり、登山は、快晴が最高だと思う瞬間だった。
[大高取山からの眺望]

 大高取山を出発し、越生駅の方に下っていく。
 やはり、奥武蔵の山だと思うほど、植林帯が続く。以前歩いたことのある、近くの関八州見晴台や顔振峠あたりと、よく似ている。
[植林帯を進む]

 11:54、白石様に到着。
 貼り紙がしてあり、下記のように記載されていた。
『白石様(石灰岩の露頭)
 この岩は、「しらいしさま」とよばれて、信仰の対象となっている。石灰岩の表面をよくみると、ウミユリの化石をみつけることができる。この石灰岩は岩塊として泥岩層の中に含まれ、北へ津久根の長久保へと連続する。かつて、ここの石灰岩は切り出され、大宮神社や虚空蔵尊の石段などに使われた。(越生町教育委員会「越生の自然2008」より)』

 奥武蔵・秩父エリアは、石灰岩の山といった武甲山があったり、石灰岩とは、縁が深い。そんなことを再度、教えてくれる白石様だ。
[白石様]

 植林帯の下りが続いた後、世界無名戦士之墓への分岐点を直進し、越生神社の方へ進む。
 この分岐点前にも、地図には載っていない分岐路があり、道標をよく見てないと、迷ってしまいそうだ。
[世界無名戦士之墓への分岐点]

 尾根沿いに下っていった後、少し登り返すと、小ピークに出た。
 ここが高取城跡ということで、小さな神社(後で、越生神社の奥宮と知る)があった。
 ここには、スダジイの大木が2本、並んでいてその樹高に驚く。
[スダジイの大木2本]

 途中、越生神社に寄り道して、「越生神社と高取山」の案内板を読む。(写真下)
 先程の高取城跡というのは、南北朝期での越生氏の「物見砦」や「詰城」であったという説。あるいは、室町期後期から戦国期で、太田道真・道灌父子と長尾景春の戦いを中心とした時期のものとみる説もあるらしい。
 [越生神社にある説明板「越生神社と高取山」]

 越生神社から車道に入り、平地の住宅街に下りてきた。
 13:00、越生観光案内所手前の広場にて、山行は、解散となった。

 この広場には、「ハイキングのまち」越生、越生町観光マップ、太田道灌生誕の地、太田道灌ゆかりの史跡といった大きな看板が立ち並んでいる。これらを見ていると、ハイカーと歴史ファンを呼び寄せるために越生町がハイキングと太田道灌に注力していることがよく分かる。
 ....う〜む。山と歴史なんて、いいじゃないか、越生町。 好きになりそう。
     ちなみに太田道灌は、現在の神奈川県伊勢原市で暗殺されている。
 [越生観光案内所手前の広場にて]


 今回は、飲んで歩いてと、充実した2日間でした。「ゆうパークおごせ」という施設も充実していましたし、越生町の魅力も感じ取りました。同行メンバーの皆様には、厚く御礼申し上げます。

 前にも書きましたが、奥武蔵エリアは、標高は低いものの、寺社や史跡、逸話といった歴史・文化に関する情報は、とても豊富なので、その方面に興味がある私としては、とても関心の高いエリアとなっています。




※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。