トップページ>他山域山行リスト>乳頭山・畠山_記録20190907
2019年9月7日(土) 晴 |
同行者:「山の会2」メンバー 17名 |
東逗子(9:30)〜(9:35)沼間小学校〜(10:37)馬頭観音(10:44)〜(10:57)京急田浦分岐点〜(11:10)田浦梅林分岐点〜(11:30)乳頭山(12:05)〜(12:08)茅塚分岐点〜(12:57)畠山(13:06)〜(13:46)三浦按針夫妻墓〜(14:43)十三峠〜(14:56)田浦 |
今回は、「山の会2」メンバーとともに三浦半島の乳頭山・畠山に行ってきました。私にとって乳頭山、畠山は、約9年振りということで、懐かしさを感じながら、歩いてきました。
詳細は、以下をご覧下さい。 |
東逗子駅を9:30出発。今日の参加者は、18人。
上空は、快晴。最高の天気となった。 |
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[今回の出発点:東逗子駅(振り返って撮影)] |
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住宅街の中を進む。グランド横を通過。右は、沼間小学校だ。(写真下左)
そんな中、二子山へのハイキングコースのカンバンを見る。(写真下右)
これだけ大きいと、見落とすことは無いだろう。
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[小学校のグランド横を進む] |
[裏山に入っていくイメージ] |
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住宅街だと思っていたら、いつの間にか樹林帯に入った。近くには、住宅街があるのだが、住宅地が全く見えなくなると、そうとは思えない。何だかすごい山奥を歩いている気分になる。 |
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[樹林帯に入る] |
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左手に稜線を望む。鷹取山のピークが見えた。展望台があるので、すぐに分かった。
よく見ると、ピークの右に横浜ランドマークタワーが建っている事に気がついた。このタワーは、約300m弱の高さがあり、丹沢からでも、よく目立つ。ここでも、文字通りランドマークとなっていた。 |
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[鷹取山を眺める] |
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途中、以前、通った道だと気がついた。昨年12月に鷹取山、神武寺から二子山へと歩いた時だ。
だが、途中の二子山分岐点で、そのルートから離れ、今日は、馬頭観音へと向かう。
10:37、馬頭観音到着。
ここには、下記のような説明板が立っていた。
『馬頭観音と桜山大山
人里はなれた山中にあるこの馬頭観音は、浮き彫りの観音像を中心に向かって右側に「牛馬安全」、左側に「文政三辰八月吉日」(1820年)、台座には「櫻山村』と刻まれています。
馬頭観音は馬が農耕、交通、運搬に盛んに使われた江戸中期頃から昭和の始め頃にかけて通行の安全を願い、また、病気や事故で死んだ大切な馬の供養などのために、路傍に建てられました。
ここの馬頭観音は逗子(沼間)から横須賀(田浦)へぬける道に建てられており、田浦方面との往来や、桜山村の飛び地「桜山大山」から、薪・炭・萱(屋根葺き、田の肥料)を桜山村や沼間村に運び出すのに、人や馬たちに大いに役立った道の証しと言えるでしょう。
なお、森戸川の上流を中心とする桜山大山地域は、平成4年に「かながわの探鳥地50選」に選ばれている一方、サンコウチョウ、オオルリ、キビタキなどの繁殖地として鳥獣保護地域に指定されてます。
逗子市・自然の回廊プロジェクト』
ちょうど馬頭観音には、スポットライトが当たるように陽が差し込んでいた。(写真下左)
この馬頭観音は、今から約200年前に建てられたことになる。文政三年を調べると、11代将軍・徳川家斉の時代で、どうも景気のいい時代ではなかったようだ。
ここで、小休止とした。(写真下右) |
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[馬頭観音] |
[馬頭観音の前で小休止] |
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馬頭観音からさらに東へと進み、分岐点に出た。
ここを左折すれば、京急田浦、右折すれば、乳頭山だ。「FK3」の文字が目立つ道標を目にする。その下には、地図が貼り付けられてあった。これを見ると、赤茶色で、道迷いエリアというのが地図上に掲載されてある。どうも中尾根あたりのエリアが該当するようだ。ルートは、破線で描かれているものの、分岐点の説明等の記載は、無い。この辺りは、尾根が細く、沢が入り組んでいるので、確かに迷いやすい。どうも、道迷いエリアには、入らないで欲しいというメッセージのように思えた。 |
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[乳頭山へのルートに合流] |
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11:22、「FK2」の文字が目立つ道標を発見。ここは、田浦 梅の里への道が左へ分岐していた。
だんだん登りが厳しくなる。岩場の左右に固定ロープが設置され、結構、急登となった。(写真下)
乳頭山って、そんなにピークが目立っていたっけと思ってしまった。 |
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[乳頭山への登り] |
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11:29、道迷いエリアへの分岐点である「FK1」の道標を見た後、ひょいと登ったところが、乳頭山の頂上だった。
11:30、乳頭山頂上到着。ここで、ランチタイムとした。
この山頂は、樹林に囲まれ、視界は、それほどいい訳ではなかった。だが、木陰があるため、休憩には、ちょうどよい。 |
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[乳頭山頂上にて] |
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頂上での樹木が途切れた箇所から、東京湾方面を眺める。追浜の造船所のクレーンや、みなとみらいのランドマークタワー等が見える。空と東京湾の青色による風景を眺めていると、爽やかな気分にさせてくれる。 |
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[乳頭山頂上からの眺望] |
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乳頭山からは、畠山へ向かう。
ピークを下っていいくと、すぐに丁字路にぶつかる。道標の柱には、手書きで「三国峠」と書かれてあった。ここで、道標の左折方向に書かれてある「畠山」へと進む。
続いて、また丁字路にぶつかる。(写真下) ここでも、「畠山」の方向へ歩いていく。
その道標の横に石標が建っていた。石標には、「東京湾要塞第一区地帯標」と書かれてあり、側面には、「海軍省」や「昭和十六年七月三十日」の文字が読めた。ネットで調べてみると、これは、明治32年(1899)要塞地帯法が公布されたことで、三浦半島は、全域が要塞地帯に指定され、要塞地帯の区域を示すために石標が建てられたと知った。なお、まだ見たことが無いのだが、横須賀や鎌倉の街中にも多数あるらしい。
....「東京湾要塞第一区地帯標」でネット検索すると、結構、引っ掛かる。 |
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[畠山に向かう] |
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人がまともにすれ違えないぐらい、細い道幅の一本道をひたすら歩いていく。左右は、樹林帯で、葉があるため、遠景が見えない。
すると、樹木に引っ掻いたような横筋模様を見掛ける。(写真下)
ここでも、タイワンリスがいるらしい。 |
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[幹には、横筋模様あり] |
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樹林帯の鞍部で小休止。やがて、ロープが現れ、急登となる。(写真下)
この先が畠山と思ったら、手前の小ピークだった。ここでも、東京湾要塞第一区地帯標を見掛けた。その後、一旦下りとなる。 |
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[ロープが現れる] |
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再度の登りで、畠山頂上に到着。(12:57)(写真下左)
乳頭山と同様に、頂上と言えども、視界が広がらない。ちょっと地味な山頂だ。ただ、三角点を見つけた。(写真下右) ここは、標高205.0m。 |
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[畠山に到着] |
[畠山頂上にて] |
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畠山頂上から少し戻って、東へと進むと、急斜面の下りとなる。
やがて、横浜横須賀道路の下をくぐり、その横横道路から分岐している高架道路(本町山中有料道路)の下を進む。(写真下) |
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[本町山中有料道路下を行く] |
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塚山公園へと、階段を登っていく。階段の奥行が微妙で、歩幅のリズムが悪いと片足ばかりが疲れる。 |
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[塚山公園に向かう] |
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登り切ると、すぐ先が三浦按針夫妻墓だ。右の重量感のある墓が按針で、左が妻の墓との事。
三浦按針(本名ウィリアム・アダムス)は、1600年、台風に遭い、豊後国臼杵に漂着。その後、徳川家康に高く評価され、この逸見村に250石領地を与えられた。だが、家康が亡くなると不遇となり、元和6年(1602)、平戸の豪商木田弥次右衛門宅で病死。(享年57歳)
この地に供養塔が建てられたのは、按針の要望だったらしい。 |
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[三浦按針夫妻墓] |
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夫妻墓から少し下って、塚山公園内の東屋にて小休止。ここは、休憩するには、ちょうどよい場所だ。 |
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[塚山公園の見晴台にある東屋] |
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塚山公園から十三峠へ向かう。
地図で十三峠を探すと、「十三峠」という文字はあるものの、実際には、峠を示すような標識は、見当たらない。道沿いには、一戸建て住宅が続いており、ちょうど家から出て来られた地元の人に聞いてみたら、この辺り一帯が十三峠という地名で、十三峠という特定の鞍部を示す峠は、ないらしい。
帰宅後、「かながわの峠(植木知司)かもめ文庫(神奈川新聞社)」で調べたら、やはり、「地元の人は、このあたりを総称して、十三峠と呼んでいる。」と記載されてあった。 |
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[十三峠を探している途中にて、東京湾方面を望む] |
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十三峠の尾根筋水平道を通り過ぎ、下り坂になったところで、道標を発見。(写真下)
浦賀道(十三峠)と記載されてあった。
側面には、『この尾根道は十三峠ともいわれ、古道(浦賀道)で陸路の難所でした。昔は木がおおい繁り淋しい道であったと伝えられています。』と書かれてある。
幕末に黒船が浦賀に来航したとき、坂本竜馬は、浦賀まで行き、実際の黒船を見たと言われている。坂本竜馬もこの坂道を歩いたのだろうか。そんな事がふと思い浮かんだ。 |
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[十三峠の標柱] |
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その後は、坂をどんどん下っていき、周囲は、完全に住宅街となった。
国道16号線を横断すれば、本日のゴール、JR田浦に到着。(14:56)
ここで、山行の解散宣言をして、駅の改札口に向かう。 |
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[JR田浦駅前にて] |
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その後は、有志が大船で、途中下車。
反省会がスタートした。(写真下) |
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[途中下車し、乾杯] |
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今日は、天気にも恵まれ、長閑なハイキングとなりました。9年振りの訪問となりましたが、正直なところ、畠山の記憶は、脳裏にありましたが、乳頭山の記憶は、飛んでしまい、初めて訪問した気分でした。
三浦半島は、奥が深いです。まだまだ未踏のルートがあり、富士山がクリアに見える頃、何度も通ってみたいエリアです。
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※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。
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