トップページ他山域山行リスト>金時山・湯坂路_記録20191116


金時山・湯坂路

 山行日
2019年11月16日(土)・17日(日) 晴・晴
同行者:山の会メンバー 8名(11/16)・7名(11/17)
 コース
2019/11/16:乙女峠バス停(10:32)〜(11:17)乙女峠(11:27)〜(11:52)長尾山(12:00)〜(12:48)金時山(13:31)〜(14:09)矢倉沢峠(14:17)〜(14:44)金時登山口(14:46)〜(14:51)仙石案内所(15:07)=(バス)=(15:28)桃源台(15:37)〜(15:42)芦ノ湖キャンプ村(泊)
2019/11/17:芦ノ湖キャンプ村(8:50)〜(9:00)桃源台(9:30)=(海賊船)=(9:58)箱根町港(10:15)=(バス)=(10:28)湯坂路入口(10:32)〜(10:53)鷹巣山(11:03)〜(11:29)浅間山(11:55)〜(13:24)湯坂城跡(13:27)〜(13:59)蕎麦屋(14:36)〜(14:39)箱根湯本
 「山の会」メンバーで、箱根に行ってきました。昨年も、この時季、明神ヶ岳を登っていますが、今年は、金時山です。昨年同様、芦ノ湖湖畔で宿泊し、2日目は、湯坂路を歩いてきました。
 詳細は、以下をご覧下さい。


<第1日>
 「山の会」メンバーの殆どは東京在住なので、箱根/乙女峠には新宿からの高速バス利用となるが、SAQさんと私は、神奈川県なので、JR御殿場駅で下車し、御殿場駅始発のバスで、集合場所の乙女峠に8:40、到着。
 新宿7:05発のバスは、時刻表通りであれば、9:05到着なのだが、いつも遅れるので、9:30集合としていた。しかし、今回は、新宿発のバスに乗っているメンバーから東名が大渋滞で、かなり遅れそうとの連絡をLINEで知る。
[乙女峠バス停にて]

 そんな訳で、SAQさんとは、「乙女の鐘」という展望台に行ってみたり、2人で茶店のダンゴや草餅を食べながら、富士山を眺め続けた。こんなに長いこと、富士山だけを眺め続けたのは、初めてだ。
 お蔭で、富士山の斜面にて、宝永山あたりの色が他と比べ、際立って黒いことに気がついた。
[富士山をじっと眺めていた]

 新宿からのバスが到着したのは、10:19。定刻より1時間14分の遅れだった。
 9:30には、到着のつもりでいたが、大幅な遅延となり、すぐに乙女峠に向かって出発した。今回の金時山参加メンバーは、9人。一列になって進む。
[乙女峠に向かう]

 11:19、乙女峠到着。ここで、小休止。振り返ってみると、あいにく、富士山の頭には、手前に小さな雲が湧いてしまい、景観としては、今一つ。だが、上空は、青空が広がっており、少し先のベンチまで行くと、反対側の明神ヶ岳や神山方面は、くっきり見渡せた。 
[乙女峠にて小休止(振り返って撮影)]

 登り続けた後、長尾山頂上にて小休止。周囲は、樹林帯で、視界は広がらないが、広場になっているので、なんとなく休憩したくなる。
[長尾山にて]

 長尾山頂上を出発して、4分後、右手前方に金時山が木立の間から見えた。(写真下)
 肉眼では、山頂に建つ3軒の建屋が見える。(中央は、トイレ建屋))
[金時山頂上を望む]

 やがて、右手の樹林が無くなり、ササ原となったので、仙石原あたりの平野部と内輪山、外輪山、芦ノ湖の光景が広がった。前回訪問の時も、眺めた記憶がある。それだけ印象深い光景だ。
[仙石原方面の眺め]

 12:48、金時山頂上到着。
 残念ながら、富士山の頭には、まだ雲がかかっていた。
 ここは、塔ノ岳や鍋割山と同様、人気が高く、いつもハイカーで賑わっている。我々は、ここで遅めのランチタイムとした。メンバーの何人かは、小屋に入ってなめこ入り味噌汁を堪能。
 ....隣のNASさんは、いつも通り、カップヌードルをバリカタで。
[金時山頂上光景(振り返って撮影)]

 金時山でのランチタイム終了後、矢倉沢峠に向かう。
 昨年の明神ヶ岳も好天だったが、今年の金時山も素晴らしい秋晴れだ。紅葉した樹木を観賞しながら、遠く神山方面の山並みを眺める。
[矢倉沢峠に向かって下っていく]

 矢倉沢峠で軽く休憩した後、金時登山口に向かって下っていく。
 別荘地横の登山道を下っていき、舗装路に出ると、緩やかな坂道となった。(写真下)
[別荘地内を下る]

 金時登山口のバス停で、日帰りメンバーのKAIさんを見送った後、仙石案内所バス停まで歩く。
 次の桃源台行きのバスは、定刻15:12だったが、遅れてきた高速バスがやって来たので、結果オーライで、乗車。(ガラガラだったので、ゆったりと座れた)
 
※台風により、宮城野〜仙石間が通行止めだったこと、迂回ルートで対応していたバスの運行状況が分からなかったので、KAIさんは、御殿場経由で帰京。
[仙石案内所前バス停にて]

 桃源台に向かうバス車内から右後方に金時山が見えたので、思わずデジカメのシャッターボタンを押下。
 相変わらず、雲一つない空だった。
[金時山(バス車内から)]

 終点、桃源台にてバスを降り、キャンプ場に向かう。
 今回は、昨年と異なり、テント泊を無しとし、全員ケビンで宿泊とした。
[桃源台からキャンプ場へ]

 一風呂浴びた後、昨年同様、夕方は、BBQ。ここは、室内なので、寒さに関係なく、快適だ。但し、煙が結構、溜まるので時々、屋外に通じる入口を開ける必要あり。
 ここで、金時山に登らず、キャンプ買い出しを担当していただいたメンバー2人が参加。
 キャンプ場にて予約したメニュー以外に買い出しで得た肉や魚介類を追加し、兎に角、飲んで食べる。飲んで食べる。飲んで食べる。。。
 ....こんな調子では、ダイエットは、絶対無理。
[定番のBBQ] [今年もパエリアに挑戦]

<第2日>
 7:00起床。今日も天気は、最高。
 ケビンで、ゆったりと、皆で朝食。至福のひと時。(写真下左)
 その後、出発前に、ケビンをバックに全員で記念撮影。(写真下右)
 この後、買い出しを担当していただいたTOIさんと別れる。
 ....TOIさん、買い出し有難うございました。
[朝食は、全員で] [出発前に全員で記念撮影]

 TOIさんに見送られ、桃源台から9:30発の海賊船に乗って、箱根町港へ移動。
 朝一番の船だったせいなのか、乗客は、殆ど外人でビックリ。日本語は、我々以外、聞こえてこない。この海賊船上は、完全に海外旅行気分。
[海賊船上にて]

 もうすぐ箱根町港に到着というところで、後方に富士山が見えた。
[振り返って富士を眺望]

 9:58、箱根町港で下船し、バス乗り場に移動。10:15発の箱根湯本駅行きに乗車する。
 10:28、湯坂路入口で降り、2日目の登山がスタート。
[湯坂路にてバスから下車]

 登山と言いっても、急な登りが無い。緩やかな登山道で、防火帯なのか、幅広い草地を進む。
 時々、紅葉した樹木が目に入った。なんて長閑な歩きだろう。
[緩やかな登り道を行く]

 10:53、鷹巣山到着。
 ベンチがあったので、小休止とした。近くには、鷹巣城跡という説明板が立っていた。
『鷹巣城跡
 鷹巣城は、秀吉の小田原城攻めに備えて、後北条氏が建築した箱根山の諸城のひとつである。
 天正18年(1590)秀吉の小田原攻めが始まり、同年3月下旬には、秀吉軍は箱根山に入ったと思われるが、この時、秀吉に従って参陣した家康も、しばらくこの城に滞在したという記録がある。しかし、その城跡については位置、規模など不明の点が多い。』

 国土地理院の地図上にも、ここが、鷹巣山と記載されているのだが、本当にここを鷹巣山と呼んでいいものか、ちょっと気になってしまった。(まあ、鷹巣城の位置=鷹巣山とは限らないとするならば、矛盾しないのだが)
 実は、この頂上少し手前の左側が、城跡と言われているとの事で、寄道して眺めてみたが、単なる植林帯の斜面で、どこが城跡なのか、サッパリ分からなかった。
 ....やはり、素人に城跡位置の特定は、難しい。
[鷹巣山頂上にて]

 一旦、下って、林道を横断した後、浅間山に到着。(11:29)
 ここで、ベンチを利用して、ランチタイム。

 他にも15人ぐらい休憩中だったが、比較的、静かな山頂だった。
 ここには、浅間山という説明板が立っていた。
『浅間山(804m)
 昔は下鷹巣山といわれてました。江戸時代富士山への信仰から浅間信仰が起こり、この山の中腹に浅間神社を祭ってから、浅間山と呼ばれるようになりました。鷹巣城があったのはこの山と思われます。』

 なんと、この山に鷹巣城があったと思われると言う説明板だった。だとしたら、先ほどの鷹巣山手前にある城跡と言われているエリアは、何だったのだろう。(別の城跡だろうか)
 ....やはり、城跡位置の特定は、難しい。

 11:55、浅間山を出発する。
[浅間山の説明板] [ベンチでランチ]

 箱根湯本を目指して、尾根筋を下っていく。
 山道は、幅が広く、歩き易い。これは、トレラン向きの道だと思えた。
[緩やかな下りを行く]

 尾根をゆったりと下っていくと、紅葉のモミジに遭遇。
 本日一番の紅葉だった。
[紅葉のモミジ]

 尾根を下っていく途中、湯坂山には、三角点があるということで、GPSを使って探してみたが、見つけることが出来なかった。三角点は、登山道から少し外れた箇所にあるのだが、ササヤブで簡単には、突入できない。ただ推定した場所には、ササヤブの中に倒木があり、ひょっとしたら、倒木の下に埋もれている?とも思えた。
 13:13、石畳が現れた。いつ頃、出来た石畳なのだろうか。
[石畳が現れた]

 13:24、湯坂城跡に到着。
 傍の説明板には、以下の記載あり。
『湯坂城跡
 今から600年ほど前の室町時代の終わりに、このあたりを治めていた大森氏により、ここを通る湯坂道を押さえるために築城された山城である。戦国時代になり、大森氏に代わりこの地を支配した小田原北条氏は、防衛の拠点として整備し、箱根山中のほかの山城と合わせて、西からの侵攻に備えた。
 当時とは地形が変わり、その規模や施設など不明な点も多いが、整地された郭や、郭を仕切る土塁や堀切に当時の面影を見ることができる。』
 メンバーのSAQさんが城マニアなので、さらに解説が続く。
[湯坂城跡にて]

 石畳が崩れてしまったエリアを通過する。もうだいぶ前から、こうなってしまっているのか、この間の台風の影響なのかは、よく分からない。
 13:46、車の走行音が聞こえ、前方に民家が見えた。ようやく国道1号線に近づいたようだ。
 13:50、箱根駅伝のルート、国道1号線に下り立った。(写真下)
[国道1号線に下りてきた]

 箱根湯本駅に近づくと、一気に観光客だらけとなった。
 国道沿いの蕎麦屋に入り、無事下山を祝って、ビールで乾杯。
 [箱根湯本で、蕎麦屋に入り、乾杯]


 2日間、秋晴れの下、気持ちのいい山行でした。湯坂路は、自己未踏ルートでしたので、ワクワクしておりました。実に歩き易い山道で、周囲の樹木も自然林が多く、期待通りの道でした。
 箱根は、まだまだ行っていないルートが多くありますので、実に楽しみです。




※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。