トップページ他山域山行リスト>大丸山_記録20210512


大丸山 〜円海山周辺の市民の森〜

 山行日
2021年5月12日(水)  曇     単独行
 コース
港南台(11:35)〜(11:56)横浜栄高校〜(12:15)池の下広場〜(12:37)中尾根休憩所〜(12:43)いっしんどう広場(12:47)〜(12:51)円海山無線中継所〜(12:56)いっしんどう広場〜(13:08)ふじづか休憩所〜(13:22)氷取沢神社(13:28)〜(13:46)横浜横須賀道路料金所下トンネル〜(14:16)しだの谷〜(14:25)ひょうたん池分岐点(14:29)〜(14:42)陸橋〜(14:55)関谷奥見晴台(15:01)〜(15:09)大丸山(15:29)〜(15:38)ひょうたん池〜(15:50)清戸の広場〜(16:06)光明寺方面分岐点〜(16:11)見晴台休憩所〜(16:15)馬頭の丘休憩所(16:17)〜(16:24)馬の背休憩所〜(16:36)みどりが丘東〜(16:44)光明寺〜(17:01)横浜栄高校〜(17:22)港南台
 コロナ禍で運動不足に陥っているため、近場のハイキングに行ってきました。
 この横浜市南部のハイキングエリア(円海山周辺に市民の森が、いくつか存在)は、今まで、単純にJR根岸線港南台駅からJR鎌倉駅の方へと、尾根筋を南下するメインルート程度しか経験が無かったのですが、今回は、横浜市のWebサイトから「円海山周辺マップ」をプリントアウトし、それを見ながら、メインルート以外の周辺ルートを歩いてきました。
 詳細は、以下をご覧下さい。


 出発点は、横浜市南部にあるJR根岸線港南台駅。平日の昼間でも人出は多い。
 ここから、さらに南側へと出発する。(11:35)
[JR根岸線 港南台駅]

 環状3号線に出たら、左折し、港南台5丁目交差点へと向かう。
 この交差点で右折すると、横浜栄高校の前を通る。
 あれっ、ここは、以前から横浜栄と言う高校だったっけ?という疑問が湧いたので、スマホで調べてみた。すると、この横浜栄高校は、2009年に港南台高校と上郷高校が統合されてできた高校で、場所は、以前の上郷高校のあった所だと分かった。

 以下余談。
 少子化の進展から、県立高校は、再編・統合が継続的に行われていて、調べてみたら、横浜市南部だけでも、2003年:横浜日野+野庭→横浜南陵、2004年:大岡+清水ヶ丘→横浜青陵総合、東金沢+富岡→金沢総合、2008年:六ッ川+外語短大付属→横浜国際、2020年:氷取沢+磯子→横浜氷取沢などが実施されていた。
 ....横浜市内で統合された高校名は、どうも頭に「横浜」を付けるパターン、「陵」の字を使用するパターンが多いような気がする。
[神奈川県立横浜栄高校]

 横浜栄高校から坂道を下り、左折し、細い道へと進んでいく。
 今日の予定では、まず、自己未踏領域である瀬上市民の森を訪問することにしていた。

 やがて、民家が消え、先程の住宅街から一気に光景が変わってしまった。(写真下左)
 未舗装路沿いには、小川(瀬上沢)が流れている。(写真下右)
 このあたりは、ホタルの生息地らしい。6月初旬からゲンジボタル、6月中旬からヘイケボタルの乱舞が観賞できると案内板には、書かれてあったが、最近でも、そうなのだろうか。
[湿地帯のようだ] [瀬上沢沿いに進む]

 さらに進んでいくと、前方に東屋が見えた。
 ここが、瀬上市民の森での池の下広場だと分かった。東屋の下では、中年男性ハイカー2人組が休憩中だった。
[池の下広場]
 さらに進んでいくと、池の前に出た。
 これが、瀬上(せがみ)池だと知る。「上郷(かみごう)」という地名は、町名なので、昔から知っていたが、「瀬上」という地名は、全く知らなかった。
 ここで、瀬上池から発する瀬上沢は、この後、何処に向かうのか、気になったので、スマホで調べてみたら、瀬上沢→いたち(「けものへん」に「由」)川 →柏尾川 →境川となって、江ノ島近くで相模湾に流れ込むことを知る。
 ....恥ずかしながら、柏尾川が境川に合流することを初めて知った。(横浜市南部に何十年と住んでいるのに)
[瀬上池]

 池を見物した後、いっしんどう広場に向かうことにした。いっしんどう広場は、港南台から鎌倉への尾根筋メインコース上にある場所で、何度も行っている所だ。
 すると、池から離れてすぐ、目の前にハルジオン(たぶん)の群落が目に映った。(写真下)
 ちょうど、お婆さん団体(10人ぐらい)とすれ違う。瀬上池周辺の散歩だろうか。
[ハルジオン(たぶん)群落]

 緩やかな登り斜面を進んでいく。ふと左を見ると、植林帯なのだが、下草は、シダ類がビッシリ。この光景は、逗子市の森戸川の上流域とそっくりだ。やはり、ここも三浦半島の一部だという気がしてきた。(写真下)
[シダが繁る]

 尾根筋を登り切り、いっしんどう広場に到着。ベンチで休憩中のハイカー1人を見かける。(写真下)

 ここで、港南台側へ少し戻り、円海山無線中継所の電波塔に寄り道する。というのは、以前からこの電波塔の所有者が気になっていたのだ。だが、今回じっくりと見回しても、鉄の扉には、「円海山無線中継所」のプレートしかなく、分からなかった。
 その後、再び、いっしんどう広場に戻ると、5、6人のハイカーを見かけた。
[いっしんどう広場]

 いっしんどう広場からは、メインルートの鎌倉方面ではなく、今回の計画では、自己未踏ルートということで、東(氷取沢方面)へと向かう。(写真下)
 少し進むと、左手に円海山の頂上に向かう道が分岐する。だが、その分岐点から立入禁止となっているので、円海山頂上訪問を諦め、直進していく。
 ....「横浜市の最高地点は、円海山」と小学校で教えられた世代なので、この聖地を開放して欲しいところ。
[いっしんどう広場から東へと向かう]

 NHK FMや、東京ガスなどの電波塔を続けて右に見た後、13:08、ふじづか休憩所に到着。
 小さな休憩所だ。視界は、樹林のため、残念ながら広がらない。
 テーブルやベンチが置いてある。また、「コンロの使用厳禁」の立札が立っていた。この辺りのハイキングコースは、火気厳禁ということで、テーブルの上でも、コンロの使用が禁止されている。
 左手には、「円海山周辺の市民の森 案内図」(注1)と道標が立っている。(写真下) この案内図を見て、この先も山道かと思っていたのだが、実際は、住宅街となっていた。

(注1)
 この案内図の記載内容は、持参した「円海山周辺マップ」と殆ど同じである。イラスト図ではないので、距離や位置関係は、正確。但し、@高低は、分からない。A宅地と山林の厳密な区別は、無し。
[ふじづか休憩所(左が「円海山周辺の市民の森 案内図」)]

 緩やかな下り坂を進む。
 目の前には東京湾と、対岸の千葉の製鉄所あたりが薄らと見えた。(写真下)
 住宅街の中、坂道をどんどん下っていく。、
[笹下釜利谷道路へと下っていく]

 笹下釜利谷道路に出た後、すぐ右折し、氷取沢神社に寄り道し、参拝する。
 神社内には、説明板が無く、神社の詳細は、わからずじまい。

 昔から、氷取沢という地名には、興味があったので、帰宅後、調べてみた。
『古くは鎌倉時代より氷取沢とよばれる。当時は火取沢とも表記されることがあった。
 当地内の沢より氷を取って北条高時に献上したことから。 確認されている文献中での最古の「氷取沢」表記は1322年。
 また、「火取沢」と言う呼び名に関しては、 武器を作る鍛冶屋が多く存在した事が関係している様で、 歴史書『吾妻鏡』1213年(建保元)9月22日の条に、源実朝(頼朝の次男)が火取沢を訪れた、と表記されているのが最古と言われている。 読み方は同じだが、相反する火と氷と言う表記は、とてもめずらしい。』  
Wikipediaより引用
 う〜む。氷取沢は、やはり、文字通り、氷が取れた沢だったからか。一方、火取沢というのは、初耳だった。
[氷取沢神社にて]

 笹下釜利谷道路を釜利谷(金沢区)側へ少し歩いた後、ゴルフ練習場のある看板手前で右折する。この辺りを訪れるのは、本当に久しぶりだ。
[笹下釜利谷道路から右折する(奥は、二本松トンネル入口)]

 細い舗装道を進んでいく。ゴルフ練習場の分岐点を過ぎると、最初は民家が見えていたのが、いつの間にか一軒も見えなくなった。但し、道には、電柱と電線が続いている。(写真下)
[細い舗装路を進む]

 どんどん進んでいくと、未舗装路になり、目の間に横浜横須賀道路下のトンネルと右手に階段があり、そちらには、「←氷取沢市民の森」の貼り紙があった。(写真下)
 ここで、手許の円海山周辺マップで、現在位置を確認してみる。
 「あれっ、
違った道を歩いていた!」
 思わず、天を仰ぐ。
 どうもマップ上でのハイキングルートではなく、その南側に細線で記されているルートを歩いてきたことが判明。
 「しかし、どこで、ハイキングルートに入る右折の分岐点を見落としたのだろう。」
という疑問が湧く。そんな分岐点、本当にあったのだろうか。

 当初の計画ルートでは、前方右手の階段を下り、左のトンネルをくぐる予定だった。それが、結局、階段を下らないで、トンネルをくぐることになってしまった。まあ、今後のルートには、影響がないと割り切って、トンネルに向かう。
[トンネルと階段の分岐点]

 しかし、どこに右手の分岐点があったのだろう...
 考えている事は、相変わらず、先程の右折点を見落としたことだ。(注2)
 横浜横須賀道路沿いを進んでいく。(写真下)

(注2)
 後日、グーグルのストリートビューを見たら、この歩いてきたルートが載っていて、見事に右折する分岐点があったことを画像で確認。また、そこには、背の低い道標が立っていた事も確認。
 ....新たなる宿題が発生。
[横浜横須賀道路に沿って進む]

 その後、左折して、階段を登っていく。(写真下)
 この先は、金沢自然公園エリアだ。
[金沢自然公園エリアに突入]

 だが、この金沢自然公園エリアは、樹林帯そのものだった。
 おもしろ自然ルート(途中の案内板にそう記載されてあった)を進む。
 そろそろ左に「ののはな館」への分岐点がある筈だと思っていたら、案の定、分岐点に出くわしたが、今までと違って道標がなかった。これは、ちょっと注意した方がよさそうだと気を引き締める。
 今回は、「ののはな館」は、パスする予定だったので、ここは、直進する。

 視界が広がる箇所は、全く無く、せっかく登ったのに、下っていくことになった。(写真下) こりゃ、面白くないなと思っていたら、樹木に名札がついていることに気がついた。「クヌギ」、「コナラ」、「マルバアオダモ」等。
 ということで、樹木を観察することに楽しみを覚える。
[登った後は、下りとなる]

 その後、横浜横須賀道路の高架下沿いに進んでいく。

 14:25、分岐点に到着。(写真下左)
 手許の円海山周辺マップを取り出し、左は、市境広場経由で鎌倉天園方面。右は、ひょうたん池方面であることを確認。
 道標をよく見ると、左も、右も、行先が「横浜自然観察の森」となっている。確かに左は、市境広場手前で右折すれば、「横浜自然観察の森」に行ける。右は、ひょうたん池と大丸山経由で、「横浜自然観察の森」に行ける。ここまでは、OKだ。
 だが、今歩いてきたルートの方向にも、「横浜自然観察の森」と記されている。(写真下右)
 これは、おかしいのでは?
と、疑問が湧く。
 ここは、「横浜自然観察の森」ではなく、「金沢市民の森」ではないだろうか。
[ひょうたん池分岐点にて] [変な道標]

 分岐路を左折し、鎌倉天園方面へと進む。
 途中、横浜横須賀道路を渡る。(写真下)
 今回は、この高速道路の下をくぐったり、上を渡ったりと、付き合いが続いている。
[横浜横須賀道路を渡る]

 今回は、鎌倉市には、行かず、市境広場の遥か手前で右折し、関谷奥見晴台に向かう。
 14:55、関谷奥見晴台に到着。(写真下)
 ここには、ベンチがいくつか用意されており、単独男性と、男女1組が休憩中だった。
[関谷奥見晴台]

 関谷奥見晴台からの眺望。(写真下)
 いったいどのあたりが見えているのだろうか。よ〜く眺めると、ベイブリッジらしき物が見えていた。磯子区を越えて、中区・鶴見区の方まで見えているようだ。
[関谷奥見晴台からの眺め(望遠)]

 関谷奥見晴台から、港南台〜鎌倉天園のメインルートに合流し、北上していく。
 15:07、大丸山分岐点に到着。(写真下)
 大丸山に寄るために右折する。この後、長い階段登りが始まったが、今回は、荷が軽いせいか、息を切らすことなく、さっさと登っていけた。
[大丸山分岐点]

 15:09、大丸山頂上に到着。
 大丸山の山頂標識には、「横浜市最高峰 大丸山 156.8m」とある。そう、現在の横浜市最高峰は、円海山(153.1m)ではなく、この大丸山なのだ。ところが、ややこしいことに横浜市最高地点は、この大丸山ではなく、市境付近の大平山の尾根筋(山頂は、鎌倉市域)で、159.4mとなっている。
 つまり、大丸山は、横浜市最高峰だが、横浜市最高地点ではないのだ。
 う〜む。ちょっと大丸山の気持ちを考えると、複雑だ。個人的には、3mぐらい盛土して、最高峰&最高地点になってもらいたいところだ。
 ....今の横浜市の小学生は、最高峰と最高地点を個別に覚えるなんて、大変だ。(でも試験には、出ないな。たぶん)

 先客は、海を見ていた単独男性だけだった。
 ここで、ベンチに腰掛け、遅めの食事をとることにした。
 菓子パンを食べていると、一瞬、目の前が暗くなった。
 「えっ!」
  :
 「何だ?何だ?」
 と思ったら、一羽の鳶が、正面から急降下してきたのだった。
 もう少し、パンを高めに持っていたら、取られていただろう。初めての経験で、ビックリ。
 これは、油断できないと、その後は、上空を見ながら、パンを食べる。
[大丸山頂上]

 大丸山からは、ひょうたん池に向かう。
 せっかく登ったのだが、この先、一気に下っていく。(写真下)
[ひょうたん池に向かって下っていく]

 下り終えて、ようやくフラットな歩きとなったが、ひょうたん池は、まだ見えない。(写真下)
[下り終えると...]

 ひょうたん池が現れた。
 アングルを探し、結果的に振り返っての撮影となった。(写真下)
 ひょうたん池は、先程の瀬上池とは違って、小さな水溜りといった印象。昔、こんなところで、ザリガニを獲っていたなぁと、小学生の頃を思い出す。
 ....ザリガニ釣りは、タコ糸に駄菓子屋で買った酢イカの足を結ぶだけでOK。
[ひょうたん池(振り返って撮影)]

 周辺が工事中のようで、完全に囲まれた通路を通っていく。
 途中、丁字路となった所で左折する。(写真下)
 左折すると、左の壁に「清戸の広場→」の貼り紙あり。
[囲まれた通路を左折]

 左右が塀で囲まれた道を進むが、登り階段だ。(写真下左)
 その階段を登り切ると、さらに階段が続いていた。(写真下右)
[再び登りとなる] [更に登り階段が続く]

 2つの階段を登り切ったのだが、さらに階段が続いていた。(写真下左)
 だが、それを登り切っても、まだ階段が続いていた。(写真下右)
 ....まあ、それでも高低差は、50mぐらいだろう。
[まだ続いていた] [もう一つ階段が]

 ようやく階段が終わったと思い、先を進むと、小さな広場に出た。清戸の広場だ。
 ベンチが設置されてあったが、人影は見られなかった。ここは、展望がよくなかったので、休憩せずに通過していく。
[清戸の広場にて]

 15:57、鎌倉天園〜港南台のメインルートに合流し、北上していく。
 この辺りは、フラットで歩き易い。(写真下)
[メインルートの尾根道]

 ふと左手を見たら、樹林の間から、大規模な一戸建て住宅街が見えた。さらにその奥には、富士山の姿が薄らと見えた。(写真下では、はっきりと写っていないが)
 やはり、富士山が見えるとなると、何枚も撮影してしまう。
 ....だが、今回も、富士山撮影は、不発に終わりそう。
[左手に住宅街]

 16:06、分岐点到着。(写真下)
 ここで、右の港南台へのメインルートから離れ、左の瀬上市民の森エリアの南端尾根道で光明寺方面へ進んでいく。
[光明寺方面と港南台方面との分岐点]

 16:11、見晴台休憩所に到着。
 小さなベンチが用意されてあった。
[見晴台休憩所]

 ここは、左手の景色が見渡せた。はるか先に鎌倉のゴルフ場のクラブハウスが見える。左右に広がる尾根筋は、鎌倉の天園ハイキングコースのようだ。
[鎌倉天園方面の眺め]

 尾根道を進むと、今度は、馬頭の丘休憩所の前を通る。(写真下左)
 この休憩所は、特に景色がいいという訳ではなかった。なんで馬頭の丘なのかと、不思議に思っていたら、端っこに馬頭観世音の石碑を発見。(写真下右) これが、馬頭の丘という名の理由だろう。
 石碑には、慶應(たぶん)の年号が読めた。ここは、昔から馬車道だったのだろうか。
[馬頭の丘休憩所] [馬頭観世音]

 左手に住宅街が広がる。
 その奥には、丹沢の山並み。ここからだと、大山と塔ノ岳が、どうやら重なって見えているようだ。このため、ピークがよく分からない。
[左前方に丹沢が見えた]

 道は、下り坂が続き、左は、住宅街が近づいてきた。
 どうやら、ハイキングコースが、終わりに近づいたようだ。
[左手は住宅街]

 住宅街に出た。
 ちょうど正面からバスがやってきて、目の前で右折したので、こちらもバスルートに従って歩いていく。
[住宅街に出た]

 住宅街を下っていき、光明寺丁字路で、環状4号線に出た。
 4号線をひたすら歩いた後、右折し、坂を登っていく。(写真下)
 右手奥には、横浜栄高校が見えてきた。
[ひたすら舗装路を歩く]

 17:22、再び港南台駅に戻ってきた。
 住宅街からの長い舗装路歩きで、足の裏が痛くなってきたところだった。
 [港南台駅に戻ってきた]


 今回は、「円海山周辺の市民の森」ということで、瀬上市民の森、金沢自然公園、金沢市民の森あたりを中心に歩いてみました。
 この他、大岡川源流域の氷取沢市民の森や、釜利谷市民の森、能見堂緑地(六国峠ハイキングコース)などが、自己未踏の地となっており、まだまだ楽しみが残っています。
 それに、今回、氷取沢市民の森の一部で、ルートミス(右折分岐点を見落とした)をしており、是非とも、再度、現地検証する必要があります。ということで、自己未踏ルート、宿題ルートを反映して、再度、訪問ルートを立案してみたいと思っています。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。