トップページ他山域山行リスト>石垣山_記録20220313


石垣山

 山行日
2022年3月13日(日) 晴     同行者:「山の会」メンバー 6名
 コース
根府川(8:37)〜(9:03)牧谷川橋〜(9:16)米神水源地〜(9:38)文三堂〜(9:41)ねじり畑〜(9:45)佐奈田霊社(9:49)〜(9:51)石橋山古戦場石碑〜(10:31)大平橋〜(10:53)石垣山一夜城歴史公園(11:27)〜(12:13)小田原魚市場〜(12:23)小田原さかなセンター(13:40)〜(13:49)早川
 今回は、小田原南部の早川・片浦ウォーキングトレイルを歩いてきました。このルートには、いろいろと史跡がありますので、歴史の微風を感じながら、歩いてきました。
 詳細は、以下をご覧下さい。


 JR東海道線根府川駅にて下車。
 駅前正面にバス停があり、その隣に早川・片浦ウォーキングトレイルの色褪せた案内板を発見。この案内板の状況から見て、だいぶ前から、このウォーキングトレイルがあることを初めて知る。
 8:37、メンバーが揃い、準備完了したところで出発。
[根府川駅] [根府川駅前]

 駅前の歩道橋を渡り、県道よりも一段高い車道を小田原方面に歩いていく。
 すると、地元の人から、「この先は、行き止まりですよ」と、声がかかる。
 「えっ」と思い、引き返すと、小さな案内板を見つけた。(写真下)
 このヒルトン小田原リゾート&スパに向かうのがルートだったようだ。だが、早川・片浦ウォーキングトレイルの文字が見当たらなかったので、直進してしまったと分かった。
 ....これは、誰もが間違えるのではと思う。
[ヒルトン小田原リゾート&スパ方面に向かう]

 駅前道路よりも2段高い道路に出たら、右折して、北上していく。

 牧谷川を渡る直前にウォーキングトレイルの案内板を見る。その後、
坂道を登っていく。この辺りになると、分岐点には、道標があり、迷わなくなってきた。
 左右にはミカン畑が続いている。ミカンの大きさから見て、夏ミカン系の果実のようだ。中には、ネットで覆われた木もあった。いろいろ調べると、これは、防鳥対策、防虫対策のようだ。
[ミカン畑にはネットで覆われた箇所あり]

 高台から、新幹線と在来線の線路が見渡せた。
 しばし、眺望を楽しむ。すると、新幹線や在来線の電車が通過していくのが見えた。動的なものは、その2本しかない。それ以外は、風が無いせいか、時間が止まったような光景だった。
 ....人や自動車の姿が見えない。
[新幹線と在来線を見下ろす]

 その後、在来線のレール(まさか、ここまで下ってくるとは思わなかった)と並行して歩き、再び登り坂を進む。いやはや、このウォーキングトレイルは、アップダウンが多い。
 やがて、目の前に満開の桃色の花が現れた。これが、オカメザクラだった。
 『オカメザクラ
  イギリスの桜研究家コリングウッド・イングラムがカンヒザクラとマメザクラを交配して作出。
  (中略)
 神奈川県小田原市根府川地区では本品種を中心に、桜の里作りで地域活性化に取り組んでいて、毎年根府川おかめ桜まつりが行われている。』

 (Wikipediaより)
 ネットで調べたら、今年の根府川おかめ桜まつり(2/26〜3/21)は、観賞のみで、イベントは中止となっていた。
[オカメザクラが満開]

 オカメザクラの花は、一重で花弁は5枚。色は、濃いピンク。
 葉が無く、見た目は、濃いピンク一色になるので、遠くからでも目立つ存在だ。
[別の角度から撮影]

 9:38、文三堂を訪問。
 ここから平安時代末期の史跡が始まる。
 『石橋山の戦い
 平安時代末期の治承4年(1180年)に源頼朝と平氏政権勢力(大庭景親ら)との間で行われた戦いである。源氏軍は300騎が石橋山に陣を構え、対する平氏軍は3000騎が谷を一つ隔てて布陣して戦い、源頼朝は大敗し箱根山中へ敗走した。』

 (Wikipediaより)
 文三堂は、文三家康を祀っている。
 頼朝方の先鋒である佐奈田与一義忠の家臣、文三(豊三)家康(安)は主人の討死後、敵陣に斬りこみ、8人を討ち取って壮烈な戦死を遂げたという。
[文三堂に向かう]

 続いて、佐奈田与一義忠討死の地(ねじり畑)を訪問。
 石橋山の戦いにて、治承4年(1180)8月23日、頼朝方の先鋒である佐奈田与一義忠は、敵の豪将俣野五郎景久を組み伏せたが、駆けつけた敵方長尾新六に首を切られ、この地で討死にしたと伝えられている。
[佐奈田与一義忠討死の地]

 9:45、佐奈田霊社を参拝。
 ここは、石橋山の戦いにて、頼朝方の先鋒として討死した佐奈田与一義忠を祀っている。
 「源頼朝ゆかりの地 小田原市」の幟が立っていたが、そこには、今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のロゴも記載されてあった。
 ....でも、残念ながら、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にて、佐奈田与一義忠は、登場しなかった。
[佐奈田霊社を参拝]

 佐奈田霊社を出て、近くの石橋山古戦場の石碑に寄り道する。
 石碑には、「源頼朝挙兵之地」と書かれてある。
[石橋山古戦場の石碑]

 佐奈田霊社の前を再び通り、丘を登っていくと、再び満開のオカメザクラと出合う。
 北側には、相模湾が薄らと見える。
[オカメザクラがここでも満開]

 坂道を西へと下っていく。正面には、オカメザクラが何本も咲いていた。
[オカメザクラが満開]

 玉川を上流に進んだ後、大平橋から道幅のある立派な道路となり、北上していく。
 10:49、緩い坂を登り切った所で、丁字路に出た。左は、箱根登山鉄道の入生田駅、右は、石垣山一夜城歴史公園に続く道だ。という事で右折する。すると、下り坂となった。

 10:53、ようやく石垣山一夜城歴史公園に到着。
 ここからは、安土桃山時代の史跡だ。
 『石垣山一夜城
 豊臣秀吉が天正18年(1590年)の小田原征伐の際に小田原城の西3kmにある笠懸山の山頂に構築した。秀吉は北条氏の本拠であった小田原城を攻略するために、大軍を動員して包囲中であったが、小田原城を見下ろす山上に城を、構築中は小田原城から見えないように築き、完成後に周囲の木を伐採したため、北条氏側にまるで一夜にして築城されたかのように見せて驚かせ、戦闘意欲を失わせる効果を果たした、とする話が残る。一夜城の名もこれに由来する。(以下略)』

 (Wikipediaより)
[石垣山一夜城入口]

 本丸に向かう途中、物見台で石碑を見る。(写真下左)
 物見台の手摺の向こうには、大きな案内板があり、北条氏vs豊臣氏の小田原合戦について、合戦攻防図や説明文が記載されている。
 『豊臣方の軍勢は、水陸あわせて約22万。中世最大規模を誇った小田原城には、約6万とも伝わる人々が籠り、3か月余りに及ぶ攻防戦を展開する。』(案内板の説明文抜粋)
[石垣山の石碑] [物見台にて]

 物見台からは、小田原市街が見下ろせるが、春霞で、はっきり見えてなかった。特に遠方は、曽我丘陵ぐらいまでで、その先は、雲と見分けがつかない。
[物見台からの眺め]

 本丸から戻って、石垣山一夜城歴史公園を出発し、小田原漁港へと向かう。
[小田原漁港への下り]

 坂道を下っていき、小田原魚市場までやってきた。(12:13)
 ちょうど昼食時となってしまい、2階にある有名な魚市場食堂には、長い待ち行列が出来ていた。ということで、この食堂は、諦めることに。
[小田原魚市場に到着]

 近くの小田原さかなセンターに入り、中にある食堂で昼食。
 皆は、鯵三昧(たたき、フライ、南蛮)&ビールを注文したが、私は、刺身定食&ビール。
 ....美味しく戴きました。
[小田原さかなセンター内で、昼食(刺身定食)]

 昼食を終え、ほろ酔い気分で、最寄りの早川駅まで歩く。
 [早川駅にて本日のハイクは終了]


 本日は、ウォーキングトレイルを歩くという名目の下、実際は、小田原漁港で旨い魚を味わうのが目的でした。このため、早めの根府川駅集合となったのですが、意外と時間がかかり、小田原漁港に11時到着というのは、ムリだという事が、佐奈田霊社を出た頃には分かってしまい、その後は、ゆっくりと歩いてきました。
 ですが、結果的には、ビール&魚を味わうという楽しみは、達成できました。
 たまには、皆で、こんな山行もいいなと思っています。
 ....最近、この手の山行が多くなったような気が...ところで、今回、石垣山って登ったんだっけ。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。