トップページ他山域山行リスト>鐘撞堂山_記録20220424


鐘撞堂山 

 山行日
2022年4月24日(日) 曇 同行者:「山の会」メンバー 7名
 コース
寄居(9:40)〜(10:07)大正池(10:17)〜(10:45)高根山分岐点〜(10:51)円良田湖分岐点〜(10:56)鐘撞堂山(11:33)〜(11:36)円良田湖分岐点〜(11:58)少林寺分岐点〜(12:01)円良田湖(12:04)〜(12:06)少林寺分岐点〜(12:13)羅漢山(12:18)〜<羅漢石仏群>〜(12:31)少林寺(12:37)〜(13:09)藤田善導寺(13:20)〜(13:47)寄居
 「山の会」の月次山行で、埼玉県寄居町の鐘撞堂山という低山に行ってきました。
 あいにくの天気でしたが、興味深い山行となりました。
 詳細は、以下をご覧下さい。


 池袋から東武東上線で小川町経由で寄居にやってきた。東武東上線に乗車したのは、20数年振りではないだろうか。また、寄居で下車したのは、生まれて初めてだった。
 集合時刻より、だいぶ前に着いたので「ようこそ寄居へ」という観光案内板を見ていたら、
  寄居北條まつり (注)
という文字が目に留まった。ここでも北條氏の名が出てくるのかと興味津々。
 9:40、寄居駅北口を出発する。上空は、相変わらずの曇り空だ。(写真下)

(注)
『寄居北條祭りとは
1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原攻めの時、鉢形城に陣取った郷土の武将北条氏邦は、5万人の豊臣勢を相手に、わずか3500人の兵力で1ヶ月余り攻防戦を続けました。この時の戦いを再現したものが「寄居北條祭り」です。祭りの当日は、大勢の武者隊たちが登場。市街地をパレードした後、北条・豊臣の両軍に分かれて、荒川を挟んで攻防戦を行います。その様子は、戦国時代の合戦さながらの迫力です。』

 (出典:Webサイト「寄居町観光協会」)
[寄居駅を出発]

 まずは、大正池に向かう。
 町の中に道標が立っており、その指示通りに歩いていく。
[大正池に向かう]

 大正池の横には、東屋とトイレがあり、小休止。
 形状が人工的と思ったら、やはり農業用の貯水池だと、後日、知った。
 10分休憩して、10:17出発する。出発後、大正池の東屋方面を振り返る。(写真下)
[大正池]

 道がいつの間にか、山道っぽくなっていた。
 気がつけば、民家が見当たらない。
[鐘撞堂山への道]

 完全に山道となり、突然、左手の視界が広がった。
 すると、目の前に「東京←スカイツリー」という立札を見つけた。どうやらスカイツリーが見えるようだが、今日は、完全に曇っており、遠景は、霞んでよく見えない。
[スカイツリー方向の展望]

 10:45、高根山分岐点に到着。
 ここを右折して、鐘撞堂山へ向かう。
[高根山分岐点]

 やがて、前方に階段状の登りが見えてきた。登り切れば、頂上のようだ。だが、その階段を使用しないで、緩やかに登っていく登山道が右手にあり、そちらを選択して頂上に向かう。
 すると、登山道の周辺には、タイミングよく、ツツジが満開だった。
[ツツジが咲く頂上付近]

 10:56、鐘撞堂山頂上に到着。頂上には、展望台のような建屋があり、その近くに山頂標識が立っていた。(写真下左)
 ここで、早めのランチタイム。
 展望台の横には、東屋が建っており、その先には、釣鐘を発見。(写真下右)
 また、下記のような説明板あり。
 『鐘撞堂山
 ここは寄居町、花園町、美里町の分岐点で、標高330.2メートルの山です。
 戦国時代は鉢形城の見張り場で、事あるときには鐘をついて合図したことからこの名が付いたといわれています。この鐘撞堂は、北条氏邦の義父、康邦が造ったものといわれています。
 一説には、鎌倉時代に建造されたものだとか、猪股小平六範綱による造堂ともいわれています。
 この鐘撞堂の堂守は鐘打鐘阿弥で、この鐘阿弥は飛脚も兼ねており、天正年間には鐘打は20人で、敵襲来!ともなれば、戦国編成の守備隊によって、命令一下、鐘阿弥をしてこの鐘が撞き出されました。そして、鐘から鐘へ信号が伝達され、隣接の諸城にまで非常事態勢に入る仕組となっていました。
 天正18年、豊臣秀吉の小田原城征伐のとき、前田利家、本多忠勝などの軍勢などに攻撃され落城した折、ここの鐘も取り去られたといい伝えられています。  寄居町・埼玉県』

[山頂標識] [釣鐘]

 鐘撞堂山から南東方面を眺める。だが、大正池は、確認できなかった。
[鐘撞堂山からの光景]

 鐘撞堂山から下って、円良田湖の湖畔までやってきた。
 この湖は、人造湖で、湖の一角に釣り堀のような桟橋が見えた。釣人の静かな動きや釣竿から察して、ヘラブナ釣りのようだ。だが、少林寺に向かうため、駐車場まで来たところで、引き返す。

 ※帰宅後、調べたら、下記文章を見つかた。
 『へら鮒の放流は古く、湖完成の昭和31年より今日まで続いており、魚影の濃さが四季折々の釣り人を満足させます。』 (出典:Webサイト「寄居町観光協会」)
[円良田湖を訪問]

 少林寺に向かう道標を見て、前進。
 単純にフラットに進めば、寺かと思ったら、そうではなく、山登りの道で、羅漢山に到着した。
 ここにも鐘撞堂山と同じような説明板が立っていた。(写真下)
[羅漢山に登る]

 釈尊に参拝し、文殊・普賢の二菩薩と十六羅漢の周辺を一周する。
 この後、下山コースは、羅漢石仏のコースと千体荒神の石碑コースに分かれるが、我々は、羅漢石仏を選択する。
 ....メンバーの一人だけ、千体荒神へ。
[釈尊、及び文殊・普賢の二菩薩]

 ジグザグに山道を下っていくが、山道横には、羅漢石仏が並んでいる。
 その数、510余体といわれているが、確かに延々と表情の異なる石仏が続いているのは、天晴れというしかない。
[羅漢石仏群(1)] [羅漢石仏群(2)]

 山から下りてきたところが、少林寺だった。
 ここで小休止。
 曹洞宗の寺である少林寺は、永正8年(1511年)、開山したという。
[少林寺に到着]

 本堂の前を出発し、南下して、寺の入り口に向かう道を進む。
 道の左右には、ツツジがちょうど満開だった。
[少林寺を出発]

 道の横には、満開のツツジが続いている。
 木自体が、人の背よりも高く、ボリューム感がある。さらに小道を進むと、ツツジのトンネルになった。これだけ満開の赤いツツジを数多く見たのは、初めての経験だ。
[満開のツツジ(1)] [満開のツツジ(2)]

 少林寺を出た後、駅に向かうが、途中の藤田善通寺に寄り道。
 本堂に入って、「百人一首画格天井」を見物させてもらった。
[藤田善導寺]

 13:47、寄居駅に戻ってきた。
 天気は、どうにか保てたということで、ホッとしながら、駅の階段を登っていく。
 [寄居駅に戻ってきた]


 本日山行のベスト印象は、一つに決められず、ツツジ満開と、少林寺の五百羅漢の二つでした。
 今回は、五百羅漢だけ見物しましたが、再び寄居に来ることがあれば、少林寺の千体荒神の石碑(960余)と鉢形城跡を見物してみたいと思っています。
 ....北条氏ファンとしては、鉢形城跡は、外せないので。そのうち再訪したい



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。