トップページ>他山域山行リスト>箱根旧街道(西坂)_記録20220507
2022年5月7日(土) 曇後晴 |
同行者:「山の会2」メンバー他 14名 |
箱根関所跡(9:37)〜(10:14)挟石坂〜(10:29)箱根峠交差点〜<迂回路>〜(11:16)山中新田一里塚〜<大枯木坂>〜(12:24)山中城跡入口(12:30)〜(12:42)西の丸見晴台(13:15)〜(13:56)山中城跡入口〜(14:37)笹原一里塚〜(14:39)笹原 |
以前、箱根旧街道の東側(神奈川県側)を歩きましたが、今回は、その続きで西側(静岡県側)を歩いてきました。(といっても三島までは、歩いておりませんが)
また、旧街道とは、関係ありませんが、途中の山中城跡に寄り道してきました。
詳細は、以下をご覧下さい。
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前回、東坂を歩くということで、箱根関所跡まで歩いてきたので、今回、ここをスタート地点とした。 9:37、箱根関所跡バス停を出発し、国道1号線を進む。(写真下) |
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[箱根関所跡を出発] |
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国道1号線から県道737号線に右折した後、9:52、県道を離れ、直進の細い道に入る。
この先は、初めて歩くコースなので、楽しみにしていたのだが、石畳の道に変わった頃、雨が降り出した。傘を差しながら歩いていく。
ところが、今度は、陽が差してきた。(写真下)
天気雨の中、旧街道を進む。この辺りは、石がデコボコしており、ちょっと歩きにくい。 |
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[箱根旧街道に入る] |
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道は、ますます細くなり、急斜面となる。
この辺りが、挾石坂のようだ。
進んでいくと、挾石坂の説明板を見つけた。
『挾石坂(はさみいしさか)
箱根峠にかかる坂です。
峠は当時の浮世絵をみますと伊豆の国を分ける標柱と、ゴロゴロした石、それに一面のカヤしか描かれていません。まことに荒涼たる峠でした。
三島宿までは、ここからさらに四里(16キロ)近く、こわめし坂、自転坂などの難所が続きます。』
※説明板には、「自転坂」とあったが、「臼転坂」と推察。 |
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[挟石坂を進む] |
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登り切ると、目の前は、国道1号線の車道が左右に走っていた。
この先、国道1号線のため、旧街道は、完全に消滅しているようだ。どこを歩くのかと思ったら、手前の道路(箱根新道・小田原方面)を横断し、その先の道路(沼津・三島方面)の横を歩いていく。ここは、車道横が緑色に塗られ、歩行路が用意されてあった。(写真下)
....だが、ちょっと歩くには、車に対して注意が必要。 |
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[箱根峠インター付近を歩く] |
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国道1号線から離れ、左手の登り坂のゴルフ場への道に入る。
途中、分岐点にて、ゴルフ場に向かわず、下り坂を進む。(写真下)
この先は、国道1号線の箱根峠交差点だ。 |
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[箱根峠交差点に下っていく] |
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10:29、箱根峠交差点に到着。
この箱根峠を越えた先が西坂と呼ばれるエリアで、今回の目的ルートだ。ここで、国道を渡り、1号線沿いに歩いていく。目の前には、駐車場が広がっている。
10:40、芦ノ湖カントリー入口の分岐路までやってきた。
ここには、東屋とトイレがあるので、小休止。振り返って箱根峠側を望む。(写真下)
上空が明るくなり、ようやく予報通り、天気が回復してきたことが分かった。 |
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[芦ノ湖カントリー入口から振り返る。(奥は、神山(左)、駒ヶ岳(右)] |
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本来は、芦ノ湖カントリー入口への車道を進み、旧街道に入っていくのだが、現在、このルートは、通行止めとなっている。(令和元年10月の台風19号の影響)
このため、今回は、国道1号線沿いを進む。(写真下左) 交通量は、多く、車の走行音が半端なくうるさい。
11:11、旧街道からのルートと合流する。(写真下右)
通行止めでなければ、ここで国道1号線と合流する訳だ。分岐点には、「通行止めのお知らせ」が貼られてあった。(写真下右)
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[旧街道が通行止めゆえ、国道を歩く] |
[旧街道通行止めの表示] |
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国道1号線から、再び旧街道に入る地点が、山中一里塚だ。その一里塚には、ちょうど紅白のツツジが咲いていた。(写真下左)
旧街道入口には、箱根旧街道や接待茶屋の説明板などが建っており、説明板の文字を目で追っていくと、いつの間にか時間が過ぎていく。(写真下右) |
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[山中一里塚] |
[山中一里塚から旧街道へ] |
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車の走行音が遠退いて、ようやく静かに旧街道が歩けるようになった。
道は、整備されていて、歩き易い。東坂に比べると、道幅が広く感じる。 |
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[旧街道を行く(1)] |
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樹高のある植林帯の中を進んでいく。 |
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[旧街道を行く(2)] |
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緩い石畳の坂を下っていく。
デコボコ道ではないので、足下の石を常に注意することなく歩ける。
正面に二つの山が見えた。後で調べたら、沼津アルプスの太平山、鷲頭山だと分かった。 |
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[大枯木坂] |
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再び、国道1号線に出た。
国道1号線を下っていくと、三島市の看板を発見。ようやく三島市に入ったことを知る。(写真下)
ガードレール沿いに歩き、それが途切れる頃、左折して、再び旧街道に入る。 |
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[国道1号線沿いを歩く] |
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石畳の街道を進む。
ここも、傾斜が緩やかで、かつ道幅が広いので、非常に歩き易い。 |
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[願合寺地区の石畳] |
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12:24、山中城跡入口に到着。
ここで旧街道歩きから離れ、山中城跡に寄り道する。
『 国指定史跡 山中城跡 (昭和9年1月22日指定)
史跡山中城は、小田原に本城をおいた北条氏が、永禄年間(1560年代)小田原防備のために創築したものである。やがて天正17年(1589年)豊臣秀吉の小田原征伐に備え、急ぎ西の丸や出丸等の増築が始まり、翌年3月、豊臣軍に包囲され、約17倍の人数にわずか半日で落城したと伝えられる悲劇の山城である。この時の北条方の守将松田康長・副将間宮康俊の墓は今も三の丸跡の宗閑寺境内に苔むしている。 ....以下、略。
平成11年3月 文化庁 静岡県教育委員会 三島市教育委員会』 |
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[山中城跡入口に到着] |
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山中城跡は、この上なく手入れが行き届いている城跡だった。
西の丸に到着。(写真下)
この後、前方の高台、西の丸見張台まで進み、そこでランチタイムとした。 |
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[山中城西の丸にて] |
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西の丸見張台から、愛鷹連峰を眺望。
丹沢/塔ノ岳あたりから眺めると、双耳峰(位牌岳、越前岳)のように見える愛鷹連峰だが、ここは、一つの大きな塊のような山に見えた。 |
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[愛鷹連峰を望む] |
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ランチタイム後、西の丸周辺を散歩する。
西櫓に向かう途中、障子堀を眺める。西の丸斜面には、現在、ツツジが植えられており、ちょうど赤い花を咲かせていた。
『 障子堀
後北条氏の城には、堀の中を区画するように畝を掘り残す、いわゆる「障子堀」という独特の堀が掘られている。
西ノ丸と西櫓の間の堀は、中央に太く長い畝を置き、そこから交互に両側の曲輪にむかって畝を出し、障子の桟のように区画されている。
また、中央の区画には水が湧き出しており、溜まった水は南北の堀へ排水される仕組みになっている。このように水堀と用水池を兼ねた堀が山城に作られることは非常に珍しく、後北条氏の城の中でも特異な構造である。 平成12年3月
文化庁 静岡県教育委員会 三島市教育委員会』 |
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[障子堀(1)] |
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西櫓から障子堀を振り返る。 |
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[障子堀(2)] |
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西櫓からは、駿河湾が薄らと望めた。
どういう訳か、海が見えると嬉しくなってしまう。 |
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[駿河湾を望む] |
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13:56、山中城跡を出発し、再び旧街道を下っていく。(写真下左)
ここの石畳は、平らで乾いているせいか、滑りにくく、どんどん歩いて行ける。
13:59、右手に箱根八里記念碑として、司馬遼太郎の石碑あり。(写真下右)
「幾億の跫音が坂に積もり 吐く息が谷を埋める わが箱根にこそ」
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[山中城跡を出発] |
[司馬遼太郎の石碑] |
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国道1号線を横断し、再び石畳へ。(写真下)
木陰が出来ていて、心地よい。
石畳が終わると、車道沿いに進んでいく。すると、右手に三島スカイウォークの塔を見る。その手前の駐車場には、多くの車が駐車していた。やはり、ゴールデンウィークだなと思う。 |
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[石畳を歩く] |
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14:31、旧街道の左側から少し外れると、視界が広がった。(写真下)
伊豆半島側の山並を眺望。
箱根旧街道(東坂)では、あまり遠景を眺める機会がなかったが、西坂は、幾度か眺めることが出来た。 |
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[伊豆半島方面の眺め] |
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石畳が現れ、直線状に下っていく。(写真下) |
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[笹原に下っていく] |
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14:35、笹原一里塚の分岐点に到着。(写真下左)
左折して、一里塚を見物。
ここには、箱根八里記念碑として、大岡信の石碑が建っていた。(写真下右)
「森の谺(こだま)を背に 此の径をゆく 次なる道に出会うため」
ちなみに大岡信は、現:三島市の出身。
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[笹原一里塚分岐点] |
[大岡信の石碑] |
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14:39、笹原バス停に到着。
この先、こわめし坂、臼転坂、初音ヶ原の松並木、三島宿と、箱根旧街道は、続くのだが、本日の旧街道歩きは、この笹原にて終了。 |
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[笹原バス停にて] |
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今回、初めて箱根旧街道の西坂(静岡県側)を歩いてきましたが、東坂よりも明るく、下りだったせいか、歩き易い石畳で、かつ、視界もいいので、好印象となりました。
いつかは、山中城跡をスル―してでも、三島宿まで歩いてみたいと考えています。
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※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。
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