トップページ他山域山行リスト>碓氷峠・小塚山_記録20221008


碓氷峠・小塚山

 山行日
2022年10月8日(土)  曇      同行者:「山の会2」メンバー 12名
 コース
明神平バス停(9:19)〜(9:57)吾妻はやの碑(10:02)〜(10:04)碓氷梅園(10:11)〜(10:24)碓氷峠?〜(11:58)小塚橋〜(12:06)十字路〜(12:34)車道終点〜(12:45)小塚山(13:00)〜(13:17)車道終点手前〜(13:43)十字路(13:48)〜(13:53)小塚橋〜(13:54)小塚入口バス停
 今回は、「山の会2」にて、箱根の碓氷峠、小塚山に行ってきました。小塚山は、ポーラ美術館近くにある標高859mの小さな山です。箱根でも、この辺りは、全く歩いたことのないエリアでしたので興味津々でした。
 詳細は、以下をご覧下さい。


 小田原駅東口から桃源台行きのバスに乗車し、宮城野を過ぎ、明神平バス停にて下車。ここは、今まで乗り降りしたことのないバス停だった。調べてみると、どうも明神平というのは、明神ヶ岳南麓の別荘地エリアを指すようだ。
 上空を見上げると、一面雲に覆われ、雨が降ってきても納得できてしまう状況だ。
 支度を整えた後、ここから国道138号線を仙石原側に歩いていく。(9:19)
[明神平バス停を出発]

 国道を歩き始めて、3分程度で、「碓氷峠・日本武尊碑」という小さな道標を発見。(写真下)
 右折して、細い山道を進んでいくと、ササに覆われた箇所を何度か通過する。どう見ても、そんなに人が歩いているような山道には思えない。
[碓氷峠入口]

 樹林帯の中、山道を登り続けていくと、金網に当たり、左折する。金網の先には、導水管が設置されてあった。(写真下左) 途中で、反対側に渡り、今度は、左に導水管を見ながら直線状に登っていく。(写真下右)
[導水管横を登る(1)] [導水管横を登る(2)]

 やがて、斜面が緩やかになると、石碑の前に出た。(写真下)
 石碑には、「吾妻はやの碑」と書かれてあった。石碑に記された日付は、大正6年6月15日とあり、随分と古いものだ。
 日本武尊が東夷征討の帰路にての話(「吾妻はや」と3回嘆いた)が記載されているようだが、石碑の文字がよく読めず、これだけでは、内容がよく分からなかった。
 だが、帰宅後、「碓氷峠(神奈川県)」のWikipediaを読むことで、石碑の概要が見えてきた。
 結局、石碑の内容をざっくり解釈すると、
 日本武尊が「吾妻はや」と、3回嘆いた峠は、長野・群馬県境の碓日嶺と足柄の阪本阪という二説があった。久米博士(明治の頃の歴史学者)は、碓氷峠という名の峠が、この宮城野に存在していたことがわかったので、日本武尊が「吾妻はや」と3回嘆いた峠は、この足柄での峠であると主張したようだ。(あくまでも石碑をナナメ読みした花立小僧の解釈)
[吾妻はやの碑]

 石碑を出発すると、すぐ先で導水管を渡り、緑の庭園のような碓氷梅園に出た。(写真下) ここで小休止とする。上空は、相変わらず雲に覆われ、未だ天気が気になる状況が続く。
[碓氷梅園]

 小休止中に碓氷梅園近くを歩き回っていたら、「宮城野城跡」の説明板を見つけた。
 ここにも城跡があったのかと説明板を読む。
 これによると、「城跡は大森氏時代のものと考えられている。」とある。大森氏を調べてみると、室町時代の駿河の武将で、大森頼春が当主の時、足柄下郡に所領を与えられ、小田原城を築城した。だが、その後、大森藤頼が当主の時、北条早雲に小田原城を奪取されている。(Wikipediaより抜粋)
[宮城野城跡の説明板]

 碓氷梅園を出発し、碓氷峠に向かう。(写真下)
 碓氷峠については、下記。
 『国道138号線の北の山中を走り、宮城野集落と仙石原集落を結ぶ細い峠道上に存在する。(中略) この峠を通る道は「碓氷道」と呼ばれる箱根越えの古道であり、国道が通じる前は両集落を結ぶ主要道でもあった。また古くは南足柄市方面から静岡県御殿場市方面を結ぶ幹線道であり、一部では古代の東海道そのものかもしくはそれに関係する街道とされることもあるがつまびらかでない。』 (Wikipediaより抜粋)
[碓氷峠に向かって出発]

 今回、箱根の古道ということで、この碓氷峠に向かったのだが、いったいどこが碓氷峠かわからないまま、送電鉄塔(仙石線24)を左に見る。(写真下)
 地理院地図を見ると、ここは、「碓氷峠」という文字の左端まで来てしまい、すでに碓氷峠は、通り過ぎてしまったようだ。だが、ここまでの樹林帯の中の道は、殆ど水平だったので、全く峠というイメージが湧かなかった。
 そんな訳で、残念ながら、峠の場所が分からないまま、この峠道を進んでいくことになった。
[送電鉄塔(仙石線24)]

 碓氷峠からの道を仙石原方面に歩いていく。この辺りは、別荘地エリアで、途中、箱根の別荘地でも最も歴史が古く、昭和の初期に分譲されている別荘エリアである旨の説明板を見た。
 11:13、左手には、これから登る予定の小塚山が見えた。(写真下)
[小塚山(手前)が見えた]

 途中でランチタイムとした後、道を進むと、11:53、国道138号線に合流した。(写真下)
 ここで左折し、小塚山へと向かう。
[道標:碓氷峠経由で宮城野に至る]

 国道138号線を右折し、早川を渡り、小塚山斜面を登っていく。この辺りも、先ほどの碓氷峠の先と同じ閑静な別荘地となっていた。
 だが、車道(舗装路)の登りが、意外とキツい。(写真下)
[別荘地の車道を進む]

 舗装路を進んでいくと、前方に大涌谷が見えてきた。
 白煙の手前にロープウェイが動いているのが見える。余談ながら、何年か前にこのロープウェイに乗ったが、その時、もし自分が箱根を観光案内するのであれば、このロープウェイは、外せないと思った。天気が良ければ、金時山、明神ヶ岳、富士山などが一望できる。そして圧巻なのが、この大涌谷を真下に見下ろせることだ。
[大涌谷を望む]

 やがて、車道は、行き止まりとなった。(写真下)
 地理院地図で確認すると、標高835mぐらいまで登ってきたことになる。頂上は、標高859mなので、もう少し。ここで、ピーク方向の、左にある経路を進むと、すぐ温泉か何かの設備に出た。だが、その先に経路は、なかった。
[車道の終点にて]

 頂上方向に対し、適当にササヤブが薄いそうな箇所を狙って突き進む。頂上までは、もう高低差10m弱、距離は、60m程度だろう。この程度のヤブであれば、突破できそうだ。
[ササヤブ突入]

 ササヤブを突き進むと、3分程度で、ササヤブが終わる。
 12:45、小塚山頂上に到着。(写真下) 頂上は、平らに広がっていたが、樹林帯で、展望は、全く無かった。ササが低く、頂上の周りは、歩き易い。
 ここで小休止。
[小塚山頂上にて]

 見上げると、樹林で空が隠れてしまう。(写真下)
 この小塚山は、二子山、台ヶ岳など、中央火口丘の山々と同様、3万年前頃に形作られたという。箱根では、50万年前頃に活動始めた金時山や丸岳、白銀山などの古期外輪山、16万年前頃に活動始めた浅間山や屏風山などの新期外輪山から比べると、比較的新しい火山だ。
[頂上の木々を見上げる]

 13:00、頂上を出発。再びササヤブに突入する。
 だが、予想した通り、来た道がどこだったか、わからなくなった。まあ、距離は、短いので、歩き易いところを進んでいく。
[ササヤブを突き進む]

 13:17、車道に降り立った。だが、登りの時とは、全然違う場所で、車道終点より10mぐらい手前だった。こういったことがヤブ歩きの面白いところ。ここで小休止とする。(写真下)
[車道に出てきた]

 車道を下っていく途中で、左に台形状の山を見る。台ヶ岳(標高1044.4m)だ。そのうち、登ろうとしている山である。今回の小塚山より、標高が200m程度高く、北側の仙石原の方から眺めると、とてもよく目立つ山だ。
[台ヶ岳を望む]

 来た道を引き返し、13:54、小塚入口バス停に到着。
 桃源台発のバスは、本数が多いので全く調べてなかったのだが、なんと13:55だった。急いでICカードをザックから取り出し、バスを待つ。
 [小塚入口バス停にて]


 今回は、前半が碓氷峠、後半が小塚山でした。
 前半の碓氷峠は、舗装路のフラットな道で、何処が峠か全く気がつきませんでしたが、そもそも地理院地図に碓氷峠という地名が載っている場所が、果たして本当に碓氷峠なのか、疑問を感じてきました。ひょっとしたら、石碑が建っている場所あたりが碓氷峠なのかもしれません。
 後半の小塚山では、頂上直下のヤブ歩きが、アッという間に終わってしまいましたが、初訪問の山なので、周囲の景色(大涌谷や台ヶ岳など)が新鮮で、結構楽しめました。
 ご同行の皆様、有難うございました。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。