トップページ他山域山行リスト>子ノ権現_記録20221023


子ノ権現  〜奥武蔵の山々〜

 山行日
2022年10月23日(日)  晴       同行者:「山の会」メンバー 7名
 コース
吾野(9:51)〜(10:13)秩父御嶽神社入口〜(10:48)不動尊(10:55)〜(10:57)浅見茶屋〜(11:05)降魔橋(11:08)〜(11:50)子ノ権現(13:03)〜(13:12)西吾野分岐点〜(13:23)柿ノ木峠〜(14:11)小床橋〜(14:23)西吾野
 今回は、「山の会」メンバーとともに奥武蔵にある「子ノ権現」に行ってきました。ここは、足腰守護の仏様ということで、右膝を痛めた私にとっては、ちょうどタイムリーなお寺でした。
 詳細は、以下をご覧下さい。


 今回は、ゆったり山行ということで、吾野駅を遅めの9:51に出発。
 上空に少し雲があるものの、天気は、晴。気持ちのいい登山日和となった。
[吾野駅を出発]

 高麗川の右岸沿いの道を進んでいく。途中、植林帯の中の未舗装路になるが、再び、舗装路となり、左右に民家が現れる。諏訪神社の鳥居を左に見た後、十字路に出た。
 10:13、その十字路を渡った先が、秩父御嶽神社入口で、ちょっと寄り道して撮影。(写真下)
 この後、引き返し、十字路を右折(渡る前では左折)する。
[秩父御嶽神社入口]

 青場戸川沿いの舗装路を進んでいく。この辺りは、傾斜が殆どなく、歩き易い道だ。
[青場戸川沿いに進む]

 10:48、左に滝を見る。これが不動ノ滝と思い、撮影。(写真下左)
 すぐ先に赤い建屋の不動尊がある。この前で小休止とした。
 この時、不動尊の奥に「関東ふれあいの道」の案内板を発見。案内板は、もう経年変化で文字が読みにくくなっているが、それによると、今、吾野駅から歩いて来たルート、及びこの先歩く子ノ権現へのルートが関東ふれいの道だと知った。(関東ふれあいの道は、子ノ権現から
先、伊豆ヶ岳、正丸駅と続いているルートだった)
[不動ノ滝] [不動尊]

 10:57、浅見茶屋の前を通過。(写真下)
 後方から追い越していく車が増えたと思ったら、どうやら、この茶屋が目当てだったようだ。開店は、11:00からということで、店の前には、開店を待つ人々の姿が目に入る。
[浅見茶屋(振り返って撮影)]

 浅見茶屋を過ぎると、舗装路は狭くなり、民家が見えなくなり、斜度もキツくなってきた。
 11:05、降魔橋に到着。小さな橋で、欄干の一部が赤く塗られている。(写真下)
 天龍寺を創建した子ノ聖は、ここで山火事に遭い、腰から下に火傷を負ったといわれている。また、子ノ聖は、昇天の折、「我、化縁につきぬれば寂光の本土に帰るべし。然れども、この山に跡を垂れて永く衆生を守らん。我登山の折、魔火のため腰と足を傷め悩めることあり。故に腰より下を病める者、一心に祈らば、その験を得せしめん」と誓いをたてた。その結果、子ノ権現(天龍寺)は、足腰守護の神仏として信仰されるようになったようだ。

 補足
 『子ノ権現天龍寺は、縁起によると、延喜11年(911年)6月13日、子ノ聖が初めてこの地に十一面観音を祀り、天龍寺を創建した。その後、弟子の恵聖上人が子ノ聖を大権現と崇め、子ノ聖大権現社を建立した。』 (出典:Wikipedia)
[降魔橋にて]

 降魔橋を過ぎ、石段を登り、植林帯に入る。
 登っている途中、登山道沿いに電柱が立っていて、電線が張られていることに気づく。何で、こんなルートで電線を張ったのか、不思議だ。子ノ権現(天龍寺)には他のルートもあり、車道もあるはずと思うのだが。
[植林帯を登る]

 11:42、車道に出たが、左折した後、すぐに右折して再び登山道に入る。
 11:49、再び車道に出たら、すぐ右手が子ノ権現(天龍寺)だった。正面に「関東ふれあいの道」の案内板が立っていた。ここの案内板は、不動尊で見た案内板よりも新しく、かつ内容が異なり、吾野〜子ノ権現〜豆口峠〜竹寺〜小殿橋というルート案内となっていた。(写真下)
[関東ふれあいの道の案内板]

 子ノ権現入口に到着。(11:50)
 入口には、説明板が立っていた。
 『子の権現
 一般には、子の権現の名で親しまれているが、正しくは、大鱗山雲洞院天龍寺と呼ぶ。天長9年(832)子の年・子の月・子の日・子の刻に生まれ、湯殿山で徳をつんだ子の聖が草ぶきの家を建てたところで、弟子の恵聖上人が聖人をまつったのがこの寺である。 環境庁・埼玉県』

 目の前には、立派な杉の大木が立っていた。埼玉県天然記念物に指定され、樹齢800年という。二本杉となっているが、奥にあるもう一本の杉の木は、残念ながら、太い幹があるだけの姿だった。
[子ノ権現入口]

 道の両側に売店があり、その先に赤い鳥居が見えた。神仏習合の寺なのがわかる。
[売店の前を通る]

 黒門を通り過ぎると、正面に巨大な仁王像が見えてくる。オレンジ色という、なかなか派手な仁王像だ。
[黒門を通過]

 さらに奥に進み、本堂を参拝する。
 その横に有名な鉄のワラジが置いてあり、この前で全員記念撮影。
(写真下)
 鉄のワラジに対しても、右膝完治を祈願する。
 ....苦しい時の神頼み
[鉄のワラジの前で記念撮影]

 記念撮影後、高台にある釈迦殿に向かう。
 階段を登っていくと、鐘楼が見えた。(写真下)
[鐘楼での紅葉は始まったばかり]

 頂上の釈迦堂の先に進むと展望地に着いた。(写真下)
[釈迦堂の先にて]

 東京方面を望む。(写真下)
 
天気が良ければ東京スカイツリーが見えるとのことだが、メンバーの中では、一人だけ見えたという発言があった。だが、他のメンバーは見えないと言う。勿論、老眼の私には全く見えてなかった。
 見えた人にどの辺り見えたのかを聞いた後、後日、ネットで、ここからスカイツリーが見えている画像を調べてみたら、まさに指摘された方向だったので、やはり見えていたのは確かなようだ。
 ....う〜む。恐るべき視力。
[東京方面の眺め]

 鐘楼付近から本堂を見下ろす。遠くの山々は、方向からして大持山あたりだろうか。
 メンバーの何人かが、鐘楼で鐘を鳴らした後、階段を下り、途中で足腰のお守りを購入。
[子ノ権現本堂方面を見下ろす]

 黒門あたりで、ヘルメット姿の男性サイクリストとすれ違う。その時、下記文章を思い出した。
 『徳川時代は、飛脚や角力など足が資本の参拝者が多かったが、近頃は競輪の選手がよく参詣にくるそうで、時代が変わってもまだまだ足の神様としての霊験はあらたかなのであります。』(出典:ものがたり奥武蔵(神山弘)岳書房)

 子ノ権現を出て駐車場を過ぎ、坂道のカーブにて、東京方面が一望できた。ここでもメンバーは、東京スカイツリーが見えるか再チャレンジ。(写真下)
[車道からスカイツリーを探す]

 帰りは、西吾野駅に向かう。
 舗装路を進み、登りの時の分岐点を通過し、さらに舗装路を下っていく。
 13:12、西吾野への分岐点を右折し、舗装路から離れる。
 その後、植林帯の山道を下っていく。(写真下) このあたり、奥武蔵らしい光景だなと思ってしまう。
[植林帯の道]

 14:11、高麗川に架かる小床橋を渡り、左折して国道299号線を進む。
[小床橋を渡って左折]

 14:23、西吾野駅に到着。
 タイミングがよく、飯能行き電車は、14:31発だった。
 飯能に着いたら、いつものように反省会を実施。
 ....飯能は、店が多いので、お決まりのパターン。
 [西吾野駅に到着]

 奥武蔵は、低山・植林帯が多く、登山としての魅力が無いように思われますが、神社・仏閣など歴史・文化の宝庫で、登山ルート(バリルート含む)も無数にあります。そんな訳で、個人的には、とても歩き回りたいエリアです。(但し、横浜からだと、ちょっと遠いのが難点) 
 同行者の皆様、お疲れ様でした。
 ....お守りの御利益を得たい。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。