トップページ他山域山行リスト>三浦・岩礁のみち_記録20221226


三浦・岩礁のみち 〜関東ふれあいの道1〜

 山行日
2022年12月26日(月)  晴       単独行
 コース
松輪(9:04)〜(9:31)大浦海岸(9:40)〜(9:45)間口漁港〜(10:09)剱崎灯台(10:20)〜<江奈湾>〜(12:24)白浜毘沙門天(12:29)〜(13:42)盗人狩〜<宮川湾>〜(14:34)宮川町
 今回は、趣向を変えて、海岸線の道を歩いてみました。これは、単なるハイキングという訳でなく、右膝痛の原因を追究することも含めています。どうも右膝痛は、長時間歩き続けると、下りで痛みが出てくることが分かりました。ですが、登山のようなアップダウンの無い、比較的フラットな歩きならば、どうなのかは、よくわかっていません。ということで、今回、登り/下りの激しくない運動を実際に行ってみました。
 詳細は、以下をご覧下さい。


 京急三浦海岸駅から、8:45発三崎東岡行きバスに乗車。
 9:02、松輪バス停で下車。
 ここは、高台となっていて、周りは、ダイコン畑が目立つ。
 三浦海岸駅で昼食用のパンを買うつもりでいたら、開店時間前で店が開いておらず、唖然。ということで、昼抜きを覚悟していたら、ここで、ヤマザキYショップを発見。少し戻るように進む。
[松輪バス停にて下車]

 ヤマザキYショップにて、昼食用のパンを買った後、何気なく丁字路を見ると、「関東ふれあいの道」の説明板を発見。なんと、関東ふれあいの道は、バス停から少し戻る方向が正しいことを知った。バス通りから離れ、ヤマザキYショップ裏手の道を進んでいく。
[ヤマザキYショップ] [関東ふれあいの道の説明板]

 今の時季、ダイコン畑は、ダイコンの葉っぱの緑一色となっていた。
 今日は、空気が澄んでいて、東京湾の奥には、房総半島がよく見える。その中でも比較的高い山が、2つ見えた。地図で確認すると、一つは、鋸山で、もう一つの高い山(南側に見える)は、双耳峰なので、富山だと判明。
[ダイコン畑と房総半島の山々]

 畑の中の道を進むと宅地に入る。
 坂道を下っていくと、関東ふれあいの道の道標[←松輪バス停 1.3km、間口漁港 0.2km→]を見つけた。だが、道標の裏にも道が分かれている。地図を見ると、裏の道を進む先には、大浦海岸とある。ちょっと大浦海岸に寄り道してみることにした。
[関東ふれいの道の道標]

 民宿が続く通りを過ぎると、正面に砂浜が広がった。ここが、大浦海岸だ。
 正面には、先程の鋸山が見えていた。その左には、それほど高い山でなく、比較的なだらかな山が見える。地図で確認すると、鹿野山だと分かった。
 う〜む。海を眺めていたのだが、自然と対岸の山が気になるようだ。
[大浦海岸にて(左端:鹿野山、右端:鋸山)]

 大浦海岸から引き返し、間口漁港に着いた。
 漁船を見ながら海沿いに歩いていくと、潮の香りがしてくる。久しぶりに嗅ぐ匂いだ。
[間口漁港を振り返る]

 漁港が終わると、突如、磯に出る。急に景色が変わり、ちょっとビックリ。
 久々に水平線を眺めていると、いつまでも見続けてしまう。
[磯に出た]

 砂浜と磯が混在する浜辺を歩いていくと、丘の上に白い灯台が見えてきた。
 剱埼灯台だ。
 どうやって行くのかと思っていたら、浜辺から道が続いていた。これを登り、海岸線の反対側から灯台に向かう。
 10:09、剱埼灯台に到着。
 剱崎は、私が小学生の頃、「けんざき」と習った記憶があったのだが、最近は、「つるぎざき」と呼んでいる。帰宅後、何でだろうと調べたら、以下の事が判明。
 『地元ではもともと「劔崎(つるぎざき)」と呼びならわしており、剱埼灯台なども「つるぎざき」と読んでいた。その後、昭和27(1952)年ごろに設置されたバス停が名称を「剣崎(けんざき)」としたのを発端に、「けんざき」という読みが浸透し始めた。
 昭和33(1958)年には近隣の小学校が「剣崎(けんざき)小学校」に改称。昭和42(1967)年には灯台も「剣崎(けんざき)灯台」に名称変更し、海図や道路標識のローマ字表記も「TSURUGIZAKI」から「KEN」に変更された若い世代には「つるぎざき」よりむしろ「けんざき」の読みに慣れてしまっていた。これに対し地元有志による「つるぎざき」の復活運動が始まり、昭和52(1977)年3月の市議会本会議で地名の問題が取り上げられ、市長からも前向きな答弁が得られていた。
 昭和55年に地元の町内会から三浦市に対し、表記・呼称の統一の陳情があった。結果、表記は「剱埼」、呼称は「つるぎざき」に統一されていく模様である。実際に、灯台の名称は「剱埼(つるぎざき)灯台」となった。
 しかし、長く親しまれた施設、例えば幼稚園などの教育施設などの名称は、今後も改訂しない模様である。』
 (Wikipediaから抜粋)
 ちなみに灯台前にあった剱埼灯台の説明板に振ってある剱埼のルビは、「つるぎさき」であり、濁らない表記となっていた。(写真下左)
 ....ケンザキか、ツルギザキかの問題の後には、ツルギザキか、ツルギサキかの問題が出て来そう。
[剱埼灯台の説明板] [剱埼灯台]

 灯台の下からは、東京湾が望める。双耳峰の富山を望遠で撮影した。(写真下左)
 また、振り向くと、富士山の頭が見えた。(写真下右) これは、ちょっと予想外だった。
[富山を望遠で撮影] [富士山も見えた]

 さらに海を見渡すと、大島が見えていることに気がつく。
[大島も見えた]

 灯台から戻るように歩き、途中、トイレの前を通り、海岸線に下りていく。
 ここには、関東ふれいの道の道標の他にポツンと標柱が立っていた。近づいてみると、
 「この地点の標高は、海抜XX(読めず)メートルです。地震を感じたら津波に注意しましょう。」
という地震注意の標柱だった。
 西の方へ磯を歩いていく。
[ポツンと標柱]

 結構、海水の近くを歩くことに気がつく。
 また段差も大きい。右膝を曲げると、膝の痛みが出てきそうなので、左足を上げて岩場をクリアする。また、左側に落ちたら海水にドボンという箇所もあり、気が抜けない。
[段差の大きい岩場]

 「落石有り」頭上注意というのが、道標の側面に書かれてあった。右側の岩壁は、ほぼ垂直で、固い岩でもなさそうなので、確かに落石がありえそうだ。
 目の前に橋が現れた。「なんだ。海水が入り込む箇所は、キチンと整備されているではないか」と呟きながら、橋を渡る。
[橋あり]

 その後、振り返って撮影していると、なんとタイミングが悪いと、橋を渡った所に波が当たり、下半身は、ビショビショになることが分かった。 
 もう少し橋が長ければいいと思うのだが、何故、この長さになったのだろう。
[波がなければOK] [波が来るとドボン状態]

 さらに進んでいくと、砂浜が見えてきた。この先、砂浜ならば、歩き易そうだと思ったが、その直前の岩場が核心部だった。沢登りで言う、「へつる」ような動きとなる。つまり、右手の岩場をへばりつくようにして横に進んでいく。
 だが、最後の2mで、足を乗せる岩は、海面の下になっていた。水深は、20cmと言ったところ。
 「どーする!」
と思った瞬間、もう左足は、海水の中へ。
 「あらっ」
と思い、反射的に、右足もドボンし、海水の中の砂地へ。結局、次の左足のステップもドボンして、砂浜に上がった。今回、海水に入ることもあるだろうと思い、ランニングシューズで来ていたが、結果的に選択は、正しかった。
[ドボン地点]

 なかなか侮れないルートだと思いながら、海岸線を歩いていく。
 どうも砂浜の乾き具合や磯での波の動きを見ていると、潮は、これから満ちていくようだった。満潮でもないのにドボンとは、このルート、結構、濡れる可能性大であることが分かった。
 11:26、振り返ると、剱埼灯台の頭が見えていた。(写真下)
 時間は、そこそこ経っているが、まだ、そんなに長く距離を歩いていないことを知る。
[歩き易い磯となる(振り返って撮影)]

 11:30、海岸線の砂浜上に関東ふれあいの道の道標の他、石柱を発見。石柱には、「関東ふれあいの道」と書かれてあり、側面には、「平成元年三月」とあった。この関東ふれあいの道は、既に30年以上の歴史があることを知る。
[関東ふれいの道の道標と石柱]

 11:45、江奈湾の漁港に出た。さらに進み、バス通りの車道に出る。
 関東ふれあいの道の道標が立っており、白浜毘沙門天へ 1.9kmと記されてあった。
[江奈湾に出た]

 11:55、左に漁港を眺めながら、剣崎小学校の前を通る。
 この小学校は、1909年(明治42年)7月1日に金田学校、松輪学校、毘沙門学校を統廃合して尋常南下浦小学校として開校。その後変遷を経て、1958年(昭和33年)4月1日、現校名に改称された。
 この剣崎は、「けんざき」と発音される。
 ちなみに剣崎小学校バス停は、「けんざきしょうがっこう」だが、剱崎バス停は、「つるぎざき」だ。
[剣崎小学校の前を通過]

 海岸線から離れ、丘に登り、車道を左折すると、馬頭観世音と毘沙門天の石柱が建っていた。
 その隣に関東ふれあいの道の道標があり、白浜毘沙門天へ0.5kmと書かれてある。道標の示す舗装路を進んでいく。
[白浜毘沙門天への道]

 この丘にて、360度見渡すと、殆どがダイコン畑だ。さすが三浦大根で有名な土地だと思い、帰宅後、何気なく三浦大根を調べてみた。
『三浦大根
 三浦大根は、神奈川県の三浦半島特産のダイコンの品種である。かつては三浦半島の主力品種であったが、1980年(昭和55年)頃を境に作付が激減し、青首大根に主力の座を譲った。 現在は地域の出荷量全体の1%程度に留まり、主に正月商材として冬季(12月 - 3月)に流通する。』

 (Wikipediaより)
 なんと今では、三浦大根が希少となっていたのだ。そこで、ダイコン畑をアップで撮影した画像を見てみると、根部が地表からせり上がっていて、上部が淡緑色になっていた。いわゆる青首大根だ。三浦大根は、白首大根で、首の部分は、陽に当たらないので白いままとなる。
 ....調べてなかったら、全部三浦大根だと誤解していた。
 ちなみに三浦大根は、首の部分が細く、真ん中が太くなる。このため、収穫の際、引き抜くのに力を要し、青首大根は、首が既に地表に出ているため、引き抜き易いという。農家から見たら、この差だけでも青首大根にシフトしていったというのは、ごく自然なことだと思えた。
 ....なんたって、ダイコンの数が半端ない。
[ダイコン畑が広がる]

 車道を進むと、下り坂の途中で、道標に出ている白浜毘沙門天に到着。(写真下左)
 入口には、説明板が立っていた。
『白浜毘沙門天
 白浜毘沙門天は、三浦七福神の一つです。ここは持陽山慈雲寺毘沙門堂と称し、本寺は応安元年(1368年)妙謙和尚によって開かれたもので、毘沙門天は行基の作と伝えられ、古来より正月三日酉の刻(午後6時)には必ずありがたい神示があると信じられ、近郷近在から多数の参詣、参籠があり、知恵と勇武の守り神としてあがめられております。特に北方を守る武神とされ、厄除け、恵方の毘沙門天であります。三浦七福神とは、あと金光恵比寿(円福寺)・鶴園福禄寿(妙音寺)・筌龍弁財天(海南神社)・桃林布袋尊(見桃寺)・長安寿老人(白髭神社)・寿福大黒天(延寿寺)です。
 環境省・神奈川県』

 御堂の中を覗くと、毘沙門天と書かれた扁額や、毘沙門天?の絵画が掛けられてあった。(写真下右) 綺麗に整理され、地元の守り神という雰囲気が醸し出されてる。
[白浜毘沙門天] [御堂の中]

 白浜毘沙門天からさらに坂道を下っていくと、海岸に出た。ここから、再び、磯・砂浜歩きとなる。岩礁の先には、房総半島の富山が見える。この山は、結構、目立つ存在だ。
[富山の双耳峰が目立つ]

 12:48、腰掛けるのにちょうどいい乾いた岩を見つけて、遅めのランチタイムとした。(写真下)
 前方の丘の上に大きな白い風車が2基見える。宮川公園に建つ三浦宮川風力発電所だ。今の風車は、2代目で、2020年4月に設置されたとのこと。
 また、その丘の左手に見える低くて平らな台地が城ヶ島だと気がついた。
[岩に腰掛け、ランチタイム]

 城ヶ島を眺めながら、ランチをとった後、出発。
 地図を取り出そうとした時、足下に大きな石のようなものがあったので、思わず避ける。よく見たら、ウミガメの死骸だった。まだ死んで日が浅いようだ。甲羅がひっくり返って、万歳するような恰好だった。思わず合掌。
 山でも横たわったシカの死骸や、白骨化したシカの頭蓋骨や肋骨を見ることがあるが、まさか関東ふれあいの道で、こんな遭遇があるとは、予想できなかった。
[ウミガメの死骸に仰天(振り返って撮影)]

 岩場が続くようになり、海水が近い。
 すると、前方に連続したコンクリート円柱が現れた。どうやら、ここは、橋でなく、円柱で通過するようだ。なんで、先ほどのドボンしたところにも、こういったものを設置していないか不思議だ。
 だが、円柱が終わった後の細い道が、右膝痛をかかえている私には、スリルがあった。ここで海に落ちたら全身ドボンだ。緊張して通過する。
[コンクリートの円柱が設置されてあった]

 岩場が終了し、漁港に出た。ここが毘沙門湾だ。
 ここからしばらく舗装路を歩き、毘沙門湾の反対側に向かう。
[毘沙門湾]

 漁港から磯に向かう途中、よく見かけるパターンの道標を見かけた。
 関東ふれあいの道の道標は、角柱型が一般だが、ここだけ新しいのか、丹沢で見かける道標と同じものになっていた。
[山で見かけるのと同じ道標]

 毘沙門湾から出て、岩場を歩いていく。
 海水が入り込んでいる箇所は、滑り易く、油断ならない。そもそも、ここが道だと矢印などで示されていないので、自分でルートを探さなければならない。ちょうど沢登りのようなスタイルの登山だ。
 すると、ネコが1匹、突如、目の前に現れた。野良ネコなのだろうか。それにしては、そんなに痩せているようには見えない。
 う〜む。この海岸歩きというのは、ドボンしたり、予想外なものと出合ったりと、なかなか演出が濃いことを認識。
[磯に何故か、ネコ]

 目の前に橋が二つ見えた。(写真下)
 また、崖もひと際、切り立っている。ここが、盗人狩のようだ。
 二つ目の橋を渡る手前に説明板を見つけた。
『盗人狩と海岸
 「盗人狩」とは、昔、盗賊が追われて、この山の端まで来て下を見ると、恐ろしい断崖(高さ約30メートル)と怒涛のさか巻きに、ぞくぞく身震いして足がすくんで動けなくなり、たやすく捕まったという。それで「ぬすとがり」の名が残っている。
 ここの海岸は、岩礁の断崖が多く、足元の黒い岩には外海の大波が打ちよせ、白いしぶきをあげています。この波のうねりは大蛇の胴のように、うねうねと寄せては砕かれその都度崖に荒々しい音をたてています。今日では、潮の香りが満ちあふれるハイキングコースとして岩礁から岩礁への橋もかけられ、凪ぎた日には釣り人の姿も見られます。
 ※落石や足元に十分注意して歩きましょう。
 環境・神奈川県 自然環境保全センター自然保護公園部自然公園課』
[盗人狩]

 盗人狩を過ぎても岩場は、続く。
 すると、コンクリートの歩道が現れた。歩道の下には、パイプが設置されてあった。これが何を意味するのかは、全く分からない。だが、お蔭で、ここは、歩き易かった。
[セメント歩道あり]

 そろそろゴールが近くなってきた。
 ふと見ると、丹沢等でよく見かける関東ふれあいの道の道標を発見。(写真下左)
 比較的歩き易い岩場を進むと、目の前に2基の風車が見えた。先程、ランチタイムの時に見たものだ。だいぶ近づいたことが分かった。(写真下右)
[関東ふれいの道 道標] [風車2基に近づいた]

 ヨットハーバーの横を通り過ぎると、漁港が見えてきて、車道に出た。
 ここには、関東ふれあいの道の説明板が立ち、その内容は、「入り江のいきもの」ということで、ハマボッス、ハマダイコン、イソギクなどの植物が説明されていた。 (写真下)
 また、ここの関東ふれあいの道の道標は、何故かオレンジ色だった。どうも塗り直したような感じだ。
[宮川湾に出た]

 車道の坂道をハアハア言いながら登り終えると、変則的な十字路に出た。ゴールの宮川町バス停は、そこを左折してすぐだった。
 今度の三浦海岸駅行きのバスは、14:44。時計は、今、14:34を指していた。まだ時間があるので、変則十字路まで戻り、角の店の自販機で温かい缶コーヒーを買う。
 コーヒーを飲みながら、バスを待った。
 [宮川町バス停にて]


 初めて関東ふれあいの道を歩きましたが、文中に書きましたように濃い演出でした。また、歴史・文化にも触れることが出来、興味が湧いてきました。
 山歩きとは、違いますが、海岸の岩場なので、沢登りに近い感覚でした。次の関東ふれあいの道2(油壺・入江のみち)にも期待が持てます。
 なお、右膝の痛みは、幸いにも発生しませんでしたが、やはり岩場での小さなアップダウンでは、いつ痛みが発生するのか分からない故、どうしても歩行ペースが遅くなり、まだ不安が残りました。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。