トップページ>他山域山行リスト>石垣山_記録20230312
2023年3月12日(日) 曇後晴 |
同行者:「山の会」メンバー 7名 |
根府川(8:36)〜(9:00)牧谷川橋〜(9:20)米神水源地〜(9:49)文三堂〜(9:52)ねじり畑〜(9:55)佐奈田霊社(9:59)〜(10:02)石橋山古戦場石碑(10:07)〜(10:49)大平橋〜(11:14)石垣山一夜城歴史公園(11:57)〜(12:36)小田原さかなセンター(13:30)〜(13:39)早川 |
オカメザクラが咲く昨年の今頃、この早川・片浦ウォーキングトレイル&石垣山を歩いていますが、今年も同じように訪問してきました。
詳細は、以下をご覧ください。 |
集合時刻より、だいぶ早めに根府川駅に到着してしまった。このため、カメラ片手に駅周辺をブラブラしながら撮影。相模湾をバックに根府川駅の駅名板を撮影したり(写真下左)、駅前で咲いていたオカメザクラと東海道線を組合せた光景などを撮影。(写真下右)
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[根府川駅] |
[根府川駅と東海道線] |
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8:36、根府川駅を出発し、早川・片瀬ウォーキングトレイルのコースを進む。昨年は、いきなり道を間違えたことを思い出し、注意しながら、正しいルートへ。最初の左折さえ間違えなければ、後は、道標が分岐点に立っているので問題ない。(写真下) |
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[道標に従い、早川・片浦ウォーキングトレイルを歩く] |
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展望のいい場所に到着。(9:09)
ここでは、眼下にオカメザクラなどの桜や新幹線、東海道線が見下ろせる。ちょっと立ち止まっていると、上りの新幹線、下りの東海道線がやってきたので、思わず撮影。(写真下左右)
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[上り新幹線を撮影] |
[下り東海道線を撮影] |
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ミカン畑の横を歩き、丁字路の左に簡易トイレを発見。(9:38) トイレの手前にミカンの木や塀があり、トイレの存在が分かりにくい。そんな訳で、前後の道標にはトイレマークがあるのだが、昨年は、いつの間にか通り過ぎていた。 |
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[トイレを確認] |
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下り坂の途中にオカメザクラが並んでいる。(写真下)
昨年も撮影した場所だ。 |
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[オカメザクラが満開] |
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9:49、右手に文三堂の入口の前に到着。ちょっと文三堂(※1)に寄り道。(写真下左)
その後、すぐ先に佐奈田与一義忠(※2)討死の地(ねじり畑)という標柱が立っている。(写真下右) その前を通過すると、左手に佐奈田霊社へ続く階段が続いている。
(※1) 文三堂
与一の討死後、8人を討ち取り散った家臣(与一の爺や)文三家安を祀った堂
(※2) 佐奈田与一義忠
『石橋山の戦いにて、治承4年(1180)8月23日、頼朝方の先鋒である佐奈田与一義忠は、敵の豪将俣野五郎景久を組み伏せたが、駆けつけた敵方長尾新六に首を切られ、この地で討死にしたと伝えられている。』(標柱の側面に記載) なお、義忠は、岡崎義実の嫡男で、享年25。
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[文三堂に寄り道] |
[佐奈田与一義忠討死の地(ねじり畑)] |
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佐奈田霊社(※3)を参拝。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、昨年終了したが、その大河ドラマのロゴの入っている幟がまだ立っていた。
(※3)佐奈田霊社
『石橋山の戦いで討死した頼朝方の先鋒の佐奈田与一義忠を祀っている。与一は持病の痰のため、味方からの呼びかけに対し声が出せず、そうこうしているうちに敵に討たれてしまったという言い伝えから、咳・声・のどに霊験があるとされ、芸能関係者も数多く参詣する。』(Wikipediaより抜粋) |
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[佐奈田霊社] |
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佐奈田霊社から少し下った坂道の途中にある石橋山古戦場の石碑の前で記念撮影。 |
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[石橋山古戦場石碑] |
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石橋山古戦場の石碑から佐奈田霊社の方へ引き返した後、さらに坂道を登っていく。やがて道は、西へと下っていくが、この道の横には、オカメザクラが点在している。(写真下) |
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[オカメザクラを眺めながら下っていく] |
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坂道を下っていく途中、左側斜面を振り返ると、満開の花だらけの光景に出合う。(写真下) 昨年は、気がつかなかったアングルだ。よく見ると、黄色い果実は、紡錘形のレモンだった。 |
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[オカメザクラやレモンなど] |
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玉川沿いに上り坂を延々と進み、大平橋の下を潜った後、左折して、その橋を渡る。ここから道幅は、広くなり、新しい立派な車道に様変わりするのだが、昨年同様、進路方向と反対側の車道は、まだ工事中だった。そのせいか、道は立派なのだが、交通量は少ない。
そんな折、右下方向に先ほど通った車道とオカメザクラが見えた。(写真下) だいぶ高度を稼いだことが分かる。
....この舗装路歩きが長いのだ。 |
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[奥に先ほど通った車道が見えた] |
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車道を歩き、最高地点と思われる所で丁字路に出た。(写真下)
左は、箱根登山鉄道の入生田駅方面だ。ここは、右折し、石垣山一夜城に向かう。 |
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[入生田駅分岐点] |
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11:14、石垣山一夜城の入口に到着。ここは、観光客が多く、人気スポットなのがよくわかる。まずは、二の丸を経由して、石垣山一夜城の最高地点である天守台に向かう。昨年は、行っていなかったので今回は、是非行きたかった。
11:28、天守台に到着。天守台といっても建屋はなく、下の本丸や物見台から10mも登っていないような小さな丘だ。(写真下) |
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[石垣山一夜城天守台にて] |
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物見台まで戻り、小田原城方面を見下ろす。春霞で遠景は、見え難い状況だったが、小田原市街の眺めは、大丈夫だった。 |
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[物見台にて相模湾を望む] |
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望遠にして小田原城を撮影。(写真下)
灰色の屋根と白い壁は、周囲のビルと色があまり変わらないので、カメラの液晶ファインダーで城を探そうとすると、とても苦労する。 |
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[小田原城] |
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物見台から二の丸に下ってきた。現在は、平坦な芝生となっている。
『(前略) ここ二の丸(馬屋曲輪)は、本丸(本城曲輪)と並んで最も広い曲輪で、中心部分、北へ長方形に張出した部分、及び東の腰曲輪部分、これら三つの部分から成り立っています。(中略) 伝承によれば馬屋が置かれ、本丸寄りには「馬洗い場」と呼ばれた湧水もあったようです。井戸曲輪に行く道の直ぐ横には「櫓台跡」が残っており、他の曲輪にも「櫓台跡」が確認されています。(後略)』
(現地説明板から抜粋) |
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[二の丸(馬屋曲輪)] |
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淀君化粧の井戸と言われる井戸曲輪を見下ろした後、入口に戻っていく。(写真下) |
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[入口に戻る] |
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石垣山一夜城を出て、昨年は、メインの車道ではなく、一つ外れた舗装路を下っていったが、今回は、メインの車道(歩道部分が狭い)を下っていく。一夜城観光客と思われるマイカーと度々すれ違うので、歩き続けるのは、結構、緊張する。 |
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[車道を下っていく] |
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メインの車道下りの横には、「石垣山に参陣した武将たち」という説明板が間隔をあけながら、いくつか立っていて、ここは、徳川家康の説明となっていた。秀吉から始まり、淀君、千利休、羽柴秀次、徳川家康と続き、この後、宇喜多秀家、伊達政宗、堀秀政となっている。
これがあったので、メインの車道を歩き続けたのだが、ちょっと道幅が狭いので、残念ながら、ゆっくりと立ち止まって見る気がしなかった。 |
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[徳川家康の説明板] |
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坂道が終わり、新幹線、続いて東海道線の下を潜り、早川港にやってきた。第一希望の店は、ちょうど昼時ということもあり、40人待ちとなっていたので、あっさりと諦める。さらに奥へと進み、結局、昨年食べた店に今年も入る。
今年は、ビールと鯵三昧定食を注文。(写真下) 鯵のタタキ、南蛮、フライの三種の味が楽しめる。
....いや〜、タタキもフライも美味。ビールも旨い。 |
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[さかなセンターで食事(1)] |
[さかなセンターで食事(2)] |
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ランチを終え、テクテクとJR早川駅まで歩く。まだ時間的には早いが、ビールと鯵で満腹。ということで、大人しく東海道線に乗車し、帰路につく。 |
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[早川駅に到着] |
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今回は、石垣山最高地点を登頂し、オカメザクラを観賞し、海鮮料理を味わう等、実に有意義な山行?でした。前回と違って、今回は、根府川駅から鉄道ファンの姿が見られました。どうやらオカメザクラと鉄道を組合せるアングルを狙っていたようです。今回は、我々も新幹線や東海道線がやってくるのを待って、撮影を楽しみました。普段、山の風景撮影が多いので、鳥やシカ以外で動く被写体というのは、ホントに久しぶりでした。
ご同行の皆様、有難うございました。また宜しくお願い致します。
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※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。
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