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                     &鷹取山・里のみち_記録20240227


大磯・高麗山のみち  &鷹取山・里のみち  〜関東ふれあいの道7&8〜

 山行日
2024年2月27日(火) 晴      単独行
 コース
西海岸バス停(8:00)〜(8:34)高来神社〜<女坂>〜(9:03)高麗山(9:13)〜(9:20)八表山〜(9:37)浅間山(9:40)〜(9:51)湘南平(10:32)〜(11:01)大磯駅分岐〜(11:16)こゆるぎの浜(11:21)〜<太平洋岸自転車道>〜(11:51)旧吉田茂邸(12:39)〜(12:42)城山公園前バス停(12:51)=(バス)=(13:01)月京バス停(二宮駅行)〜(13:07)月京バス停(大磯駅行)〜(13:42)東の池〜(14:18)鷹取神社(14:20)〜(14:25)鷹取山(14:31)〜(14:49)上吉沢配水池〜(15:16)路傍休憩地(15:32)〜(15:57)妙円寺(16:00)〜(16:08)神奈川大学入口交差点〜(16:28)遠藤原バス停手前〜(16:38)神奈川大学入口交差点(16:45)〜(16:53)土屋一族の墓(16:59)〜(17:02)土屋城跡(17:04)〜(17:06)大乗院(17:08)〜(17:29)南平橋バス停
 今回は、関東ふれあいの道の続きです。今回から、ようやく海岸歩き(大楠山を除く)から脱却していよいよ山道に入っていくことになります。前半は「大磯・高麗山のみち」で、高麗山・湘南平を通り、海岸線を歩くルート。後半は、「鷹取山・里のみち」で、鷹取山を登った後、北上し、秦野方面に抜けるルートです。なお、これら2つのルートのそれぞれ後半部、つまり
 ・「大磯・高麗山のみち」での海岸ルート
 ・「鷹取山・里のみち」での鷹取山から少し下った先の北上ルート
は、自己未踏ルートとなります。詳細は以下をご覧下さい。


 平塚駅南口からバスに乗車し、今日の「大磯・高麗山のみち」のスタート地点である西海岸バス停に向かう。西海岸バス停と聞いて、かつて行ったことのあるバス停ではないかと過去の記録を調べたら、やはりそうだった。2018年7月に大山頂上から鈴川沿いを歩き続け、最終的に花水川となった河口まで歩き通したのだが、この時、ゴールの河口から駅に戻る際、最寄りのバス停がこの西海岸バス停だった。
 7:46、西海岸バス停に到着。(写真下左)
...以前よりバス停の周りが整備された感じ。
 その後、関東ふれあいの道の説明板を探す。今回は、簡単に見つけることができた。(写真下右) 説明板を撮影した後、野球帽を被って、いざ出発。
[西海岸バス停がスタート地点] [関東ふれあいの道の案内板あり]

 花水川の左岸沿いの道を進む。前方左側には、高麗山が見えている。(写真下) まずは、あのピークが本日の第1ポイントだ。この先、やたらと関東ふれあいの道の道標を見かける。これだけ立っていれば、迷うことはないだろう。
[高麗山と花水川]

 8:25、住宅街の中を歩いていくと、高来神社の前に出てきた。白い鳥居が見える。(写真下) この先は、毎度の高来神社だ。国道1号線を横断し、神社境内に入っていく。
[正面に高来神社が見えた]

 高来神社を参拝。(写真下左) その後、右手奥に進み、男坂、女坂の分岐点に出る。(写真下右) いつもは、男坂コースを選択するのだが、道標によると関東ふれあいの道は、女坂経由となっているので久々に右手の女坂を選択する。
[高来神社] [男坂・女坂分岐点]

 流石に男坂よりは傾斜が緩やかと思えたが、それでも体重増加気味の自分にとってはキツイ。8:47、左手に視界が広がる箇所があり、ちょっと小休止。男坂では、このような展望箇所は無かったなと思いながら、逆光の下、三浦半島方面を眺める。(写真下) よく見たら房総半島の双耳峰、富山の姿に気がついた。この山は非常に目立つ。相模湾には波が立っておらず、なんだか眺めていると心が妙に落ち着いてくる。
 暑くなり、ここで中に着ていたダウン上着を脱ぐ。
[三浦半島方面の眺め]

 男坂との合流点を過ぎ、いつもの道となった。直線状の階段登りを終え、高麗山の頂上に到着。(写真下)
 ここで、ベンチに腰掛け、水分補給しながら小休止。これで、まず本日の第1ポイントに到達した。頂上の石祠を参拝して出発。今日はまだ先が長い。次のポイントは湘南平だ。
[高麗山頂上(大堂)]

 9:20、八俵山の頂上を呆気なく通過した後、右手に関東ふれあいの道の石柱を発見。今回は関東ふれあいの道がメインなので記念に撮影。(写真下)
[関東ふれあいの道の石柱]

 9:37、浅間山に到着。ここには、見上げる程のエノキの大木が1本立っている。そこから少し戻る様に進むと浅間神社の小さな祠と一等三角点がある。(写真下) 神奈川県には、浅間山という名の山は、いくつか存在するが、一等三角点のある浅間山は、ここだけだ。
[浅間神社]

 浅間山を出発し、下っていく。
 やがて登り返すと、巨大な広場となっている湘南平に出た。相模湾方面には、蒼穹の空が広がっている。(写真下)
[湘南平に出た]

 レストランの上にある展望台へ上ってみて、この眺望に感嘆せずにはいられなかった。考えてみたら、今までこんな天気のいい日に訪問したことがなかったからだろう。
 まずは、富士山方面を撮影。(写真下) 何と言っても富士山は、いつ雲が発生するか分からないので、見えているうちに撮影するのが鉄則。手前に大磯鷹取山のピークが見えている。今日は、あの山を越えて歩く予定だ。
[富士山方面の光景]

 続いて、大山・丹沢方面を撮影する。(写真下) ここからの大山は、比較的大きく見える。丹沢方面は、三ノ塔から塔ノ岳、鍋割山から檜岳山稜までクッキリと眺められた。
[大山・表丹沢方面の光景]

 東側の相模湾は、海岸線の光景が印象的だ。(写真下) こんなアングルならば、いつか日の出の撮影がしてみたいと思った。
[相模湾・江ノ島方面の光景]

 10:32、湘南平を出発。だいぶ長居をしてしまった。第3ポイントであるこゆるぎの浜に向かう。大磯に下っていくルートを進み、途中で大磯駅に左折せず、今回は南下していく。
 11:04、東海道(国道1号線)の松並木が続くところで、東海道松並木の説明板の前を通る。(写真下) 道標には、こゆるぎの浜まで0.5kmと記されてあった。この後、左折して、海岸線に向かう。
[国道1号線沿いの松林]

 11:16、西湘バイパスの下を潜ると砂浜に出た。このあたりが「こゆるぎの浜」というらしい。特に説明板も立っていない。海に近づいてみる。西側を眺めると箱根連山が目に入った。(写真下) それにしても、この砂浜の美しさはどうだろう。ゴミが一つも落ちていないことに気がついた。
 再び砂浜から道に戻ろうとする時、砂浜入口にて単独男性が休憩していたので、しばし立ち話。聞いたところ、これから湘南平に向かい、高麗山に向かうとの事。ちょうど私の逆コースのハイカーさんだった。お気をつけてと言って別れる。
 さあ、いよいよ次のポイントは、ゴールの城山公園前バス停だ。
[こゆるぎの浜]

 砂浜から少し戻って西湘バイパス横のサイクリング道路を歩く。(写真下) ここが関東ふれあいの道のルートとなっているようだ。だが、肝心の自転車は、余り見かけず、それよりランニングする人や歩行者の方が目立つ。ただ横を走る車の走行音が非常にうるさい。このため、ずっと歩き続けるのは、辛いところ。
...(写真下)では、たまたま人も車も写っていなかった。
[太平洋岸自転車道]

 11:42、西湘バイパス横から下り、北上していき、城山公園前バス停を目指す。住宅街の中を歩いていくと、旧吉田茂邸の前に出てきた。寄り道しないのも何だなと思い、思い切って中に入る事にした。まず右手の管理休憩棟に向かう。というのも管理棟横に立っていた吉田茂の似顔絵に引き寄せられたからだ。(写真下)
[旧吉田茂邸を訪問]

 吉田茂邸を眺める。残念ながら、平成21年(2009)に火災が発生し、母屋は全焼してしまい、今眺めているのは平成28年に完成した建屋とのこと。
[旧吉田茂邸]

 観覧料(510円)を払って建屋の中に入る。再建されてからそんなに年月が経っていないせいか、まだ完成したばかりのように思えた。建屋内には、各部屋の説明板の他、吉田茂の経歴パネルなどが展示されている。2階の「金の間」からは、富士山と箱根の山々が眺められた。(写真下)
...今回、初めて吉田茂が外務省出身だと知った。戦後の歴史に疎いことを痛感。
[旧吉田茂邸の「金の間」にて]

 旧吉田茂邸で予想以上に時間を使ってしまい、「大磯・高麗山のみち」のゴールである城山公園前バス停に到着したのは、12:42となった。予定では、ここから次の「鷹取山・里のみち」のスタート地点である月京バス停まで歩くつもりでいたのだが、バス停にて、なんと月京を通るバスがあることを発見。おまけにそのバスは、12:51にやってくることが分かった。(1時間に1本しかないにもかかわらず)なんと幸運なことだろう。旧吉田茂邸の寄道が運を引き寄せてくれたようだ。
[城山公園前バス停に到着]

 12:51のバスに乗車。乗車後、車内表示で次が月京バス停と分かったのだが、意外に時間がかかっている。また途中、何故かバス停があったのだが、車内アナウンスがなく通過した。ということで、ちょっと不思議な気分で月京に到着。(写真下左)
 だが、月京のバス停の貼り紙を見てその理由が判明した。
 『国府橋梁架替工事に伴う迂回運行略図』
 このため、@先ほどのバスは迂回路を通った。(四角形の3辺を通るような迂回ルート)、A迂回ルートにあるバス停には停車しないとのことから、先ほど見たバス停は通過したのだった。
 スッキリした気分で、この先の十字路を渡り、反対側の月京バス停に向かう。10:07、反対側のバス停(平塚駅北口行き)にてバス停を撮影。(写真下右) その後、十字路に戻り、角にある大磯町役場国府支所へ足を運ぶ。そこには関東ふれあいの道の案内板が立っているはずだ。
[月京バス停にて下車] [平塚駅北口行きの月京バス停に移動]

 国府支所前にて関東ふれあいの道の案内板を発見。(写真下) いよいよ本日2本目の「鷹取山・里のみち」がスタートした。次なるポイントを鷹取山とする。
 案内板の右手に道標があり、その道標に貼り紙がぶら下がっていた。
 『橋梁架け替え工事に伴い通行止め(国府橋)
  関東ふれあいの道G鷹取山・里のみちは、当面、こちらをお通りください。』
 関東ふれあいの道のルートも橋梁工事のためにルート変更されていて、迂回バスルートがそのまま関東ふれあいの道の迂回路となっていた。ということで北上していく迂回路ルートを進む。
[大磯町国府支所で見つけた関東ふれあいの道の案内板]

 13:24、関東ふれあいの道の道標に出合う。迂回路が終了し、ここからは正式ルートとなる。
[鷹取山への道標に出合う]

 13:31、正面に鷹取山が見える。(写真下) その手前には新幹線が走っている。昼間なのに結構、本数が多く、気がつくと猛スピードで通り過ぎていく。不動川沿いの平坦な舗装路をひたすら進むが、やがて、鷹取山の位置から左折することを意識し始める。
[大磯鷹取山を眺める]

 だが、Googleマップを見て次の左折路だと行き過ぎる事が分かった。ということですぐにバックし、左折には手前過ぎると思っていたY字路に戻る。(写真下左) すると、ここに道標が立っている事に初めて気がついた。(写真下右)
 この道標は左折路の左手前に立っており、先ほど通った時は、(写真下左) のような光景で全く視界に入っていなかった。
 「う〜む。甘かった。」
と、道標の見落としに反省。
[Y字路までバックした] [見落とした道標]

 新幹線の下を潜ると左手に結構、広い池が見えてきた。(写真下) 「東の池」という。2014年の開花を最後に蓮の花が咲かなくなってしまったのだが、2018年に掻い掘りした後、ゴミ捨てや外来種の魚のリリース、蓮の持ち帰り等から地元の人々が見守りすることで、蓮が復活したらしい。
[東の池]

 バス通りを渡ると以前鷹取山に向かったルートと合流する。路傍に現れる関東ふれあいの道の道標で確認しながら進む。すると見覚えのある竹林が現れた。(写真下) この後、小田原厚木道路の下を潜り、登坂となる。
[竹林を通過]

 急な坂を登り続けていくと、やがて山道となった。左右は樹林帯となり、視界は狭まれていく。黙々と登っていくと鳥居の前に出た。(写真下) ここまでくれば鷹取神社は近いと思うのだが、この先は一段と急となった階段登りが続き、足腰に影響が出そう。
 前回見たカゴノキの樹皮が目に入り、懐かしく感じる。
[鷹取神社の鳥居]

 最後の階段を登り終えると、いくらか斜面が緩くなり前方に鷹取神社が見えてきた。(写真下) ここまで来れば頂上はもうすぐだ。
[鷹取神社]

 鷹取神社を参拝後、さらに奥へと進んでいく。14:25、鷹取山頂上に到着。(写真下) 周囲は、樹林に囲まれ、展望はゼロだ。また山頂標識らしきものは見当たらなかった。
[鷹取山頂上]

 三角点を探す。頂上を初めて訪問した昨年5月と同様、三角点の周囲は樹木がないので、苦労せずに見つけることができた。(写真下)
 しばし小休止。ここで、次のポイントとなる妙円寺の位置を確認する。
[頂上にある三角点]

 14:31、頂上を出発し、北側に続いている道を下っていく。そういえば、今気がついたのだが、鷹取山では高麗山と違って全くハイカーに出会っていない。この分だと誰にも会わず山を下っていきそうだ。
 左下にゴルフ場コースが見えてきた。前回と違って植林が伐採されたようでコースがよく見えるようになっていた。そしてその奥には富士山の雄姿が目に入った。(写真下)
 14:42、湘南平・霧降り渓流のみちとの分岐点を通過する。前回は、ここで右折し、湘南平へ向かった。ということで、この先の関東ふれあいの道ルートは自己未踏ルートとなる。
[頂上から北側に下っていく]

 左手にゴルフ場を見ながら車道を北上していく。途中、遠藤原・七国峠といったハイキングコースの道標があり、関東ふれあいの道以外のハイキングコースがあることを知る。やがて右手に電話ボックスのような簡易トイレとベンチ&関東ふれあいの道の説明板を見る。どうやらここが路傍休憩地のようだ。(写真下) 説明板には、大山・表尾根方面に対し山名が記載されてある絵が貼られてあった。
[路傍休憩地]

 路傍休憩地のベンチで小休止。ここからは、大山や表尾根方面が眺められる。(写真下) この辺りからの光景は初めてなので興味深い。
 15:32、撮影を終えたところで出発する。
[大山・表丹沢の眺望(路傍休憩地にて)]

 車道を下っていくとバス通りに出た。左折してバス通りを進むと右手に妙円寺を発見。山門の前には、「土屋銭洗辯財天」と書かれたオレンジ色の幟が何本も立っている。(写真下左) ちょっと寄り道して境内に入ってみると、朱色の幟があらゆる箇所に立っていた。(写真下右)
 ここには岩屋霊穴があり、その中に銭洗い池があり、この池の水でお金を清めると何倍にも増えるという。別の機会に訪問してみたい。
 地図を取り出し、次のポイントである土屋一族の墓に向かう。
[妙円寺山門] [妙円寺境内]

 バス通りの坂を緩やかに登っていくと、下りに変わった。歩き易い道だと思っていたら、目の前に神奈川大学の看板が現れた。(写真下) 確かこのキャンパスには学生がもう居ない筈だが、看板だけ見ると今でも学生が通っているように見える。大学入口のロータリーにはバス停があり、バスの方は、まだ運行しているようだ。
[神奈川大学の看板]

 さらに下っていくと交差点に出た。この交差点にも神奈川大学の名が付いている。この交差点を渡り、正面の上り坂を進む。
[神奈川大学入口交差点]

 坂道を登り終えたところで、目の前の光景が広がる。(写真下)
 「あれっ」
 大山の姿を見た瞬間、催眠術から抜け出したように正気に戻った。「いったいなんでここまで来てしまったのだろう」と。そういえば、この坂道で関東ふれあいの道の道標は一度も見ていなかった。ここで、スマホでGoogleマップを見てみる。すると、ここは遠藤原という地名で、土屋一族の墓とは全然違う方向の坂を登ってきたことに気がついた。
 ということで、引き返すことに。
[なんと遠藤原に来てしまった]

 どうも進路チェックのタイミングが遅い。疲れてくると集中力が切れてしまうようだ。すると惰性で行動するようになってしまう。こんな状況だと、今後の単独登山が恐ろしくなってくると思いながら坂道を下っていく。
 16:38、再び神奈川大学入口交差点に戻ってきた。(写真下) ここで交差点を渡り、角のコンビニに入って飲料を購入し、一息つく。
 16:45、出発。
[再び神奈川大学入口交差点]

 交差点を渡り、右手の方に注意深く進むと、すぐに関東ふれあいの道の道標を発見。(写真下) このルートに気がつけば全く問題なかったのにと、この上なく後悔。
 細い道が続くが、分岐点には道標があり安心して進んでいける。
[道標に従い、進んでいく]

 16:51、「土屋一族の墓」の説明板の前に到着。(写真下) 実際の墓地は、ここから少し下っていくようだ。説明板には、以下のように書かれてある。
『土屋一族の墓
 鎌倉時代の武将で土屋の領主、土屋三郎宗遠(むねとお)を始祖とする土屋一族の墓所と伝える。宗遠は平安時代末期に中村荘司宗平の三男として生まれたが、土屋に分岐したので在地名をもって土屋姓を名のり、源頼朝挙兵のときから参加、歴戦し、鎌倉幕府の基礎固めに力を尽くした。のち一族は平家討伐の屋島、一の谷、壇の浦等の戦役にも従軍し戦功をたてた。 環境庁・神奈川県』
[土屋一族の墓の説明板]

 細い坂道を下っていき、「土屋一族の墓」に到着。(写真下) ここには、「土屋の館跡と土屋一族の墓」という平塚市教育委員会の詳しい説明板があり、供養塔は、一列に並んでいた。別の説明板によれば、このあたりが館跡と伝えられ、一族の供養塔もこの一角に散在していたという。それを昭和10年頃、杉林を開墾し畑にした当時、供養塔を現在地に収集移設し現在に至っているとの事。
 中央の大きな供養塔の前に立って参拝する。
[土屋一族の墓]

 土屋一族の墓から高台に上がっていくと、土屋城址という説明板の前に出た。(写真下)
『土屋城址
 鎌倉幕府の御家人で重臣であった、土屋三郎宗遠の城跡。土屋の丘陵にあって段丘を利用し、南に座禅川をひかえた、鎌倉時代初期の形式に属するものである。この地は高陣山と呼ばれ、このほかに高見台などがあり、一族縁者が居を構える二宮ノ館、真田ノ館、岡崎ノ館、中村ノ館などに連絡ができる場所でもある。また当時は交通の要衝の地でもあった。 環境庁・神奈川県』
 ちょうど夕日が眩しく、さらに一段高い箇所は、墓地となっていた。
[土屋城址]

 さらに北上していくと下りとなり、左手に大きな寺院を見る。(写真下) 大乗院という寺で、ここにも同じように説明板が立っていた。
『大乗院
 天台宗延暦寺派の名刹。鎌倉時代の武将で土屋の領主、土屋三郎宗遠が堂塔を再建したと伝えられる寺院である。往時は多くの末寺を持つ大寺であったが、お堂の建物は惜しくも第二次大戦(昭和20年)のとき焼失した。再建後の本堂には、瑞光をはなったといわれる阿弥陀如来が難を免れて安置されている。
 またこの寺は、相模新西国二十九番観音霊場でもある。
    本尊:阿弥陀如来  中興開山:圓海       環境庁・神奈川県』
[大乗院]

 日がだいぶ傾いてきた。
 住宅が点在する車道を進んでいく。途中で右折し、金目川へと下っていくと、坂道の途中で右手に南平橋のバス停を見る。そして、その車道の反対側に関東ふれあいの道の案内板を発見。今歩いてきた「鷹取山・里のみち」の内容が記載されていた。(写真下)
[南平橋バス停(神奈川大学行)付近の関東ふれあいの道の案内板]

 さらに下っていき、金目川を渡ると、ここにも関東ふれあいの道の案内板を見つけた。(写真下) ここの案内板には、以下の3コースが纏めて記載されてあった。
 G鷹取山・里のみち
 H弘法大師と桜のみち
 N弘法大師と丹沢へのみち
[南平橋バス停(平塚駅行)付近の関東ふれあいの道の案内板]

 南平橋バス停は、3ヶ所あることを確認し、17:29、秦野駅方面行きのバス停にてバスを待つ。(写真下) これで、今回の鷹取山・里のみちもゴール到着となった。やはり、初めての道というのは面白い。また後半は、鎌倉時代の歴史に触れることができ、興味深かった。
 今日一日なかなか充実したハイキングだったと思っていたら、神奈川大学からのバスがすぐにやってきた。
 [南平橋バス停(秦野駅行)に到着]


 今年に入り、右膝痛が消えておりますが、今回も無事、痛みは出てきませんでした。このペース(月4回程度)で歩く分には、膝に負担がかからないようです。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。