トップページ>他山域山行リスト>八王子城山・黒ドッケ_記録20250322

八王子城跡バス停(7:30)〜(7:38)北条氏照墓(7:44)〜(7:51)八王子城跡バス停〜(7:59)屋外模型〜(8:03)管理棟〜(8:15)御主殿跡(8:22)〜(8:24)御主殿の滝〜(8:35)管理棟〜(9:15)八王子神社〜(9:21)本丸跡(9:28)〜(9:30)松木曲輪(9:39)〜(10:07)詰の城(10:10)〜(10:33)富士見台(10:47)〜(10:53)杉沢の頭(10:56)〜(11:18)高ドッケ〜(11:38)板当山〜(11:59)狐塚峠〜(12:29)杉の丸(12:44)〜(12:54)黒ドッケ(13:01)〜(14:12)ふれあいの里キャンプ場〜(14:20)夕焼小焼バス停 |
今回は、長年行きたかった八王子城跡を初訪問し、その後、北高尾山稜を少し歩いてみました。詳細は、以下をご覧下さい。 |
横浜線で八王子に出て高尾に到着。高尾駅北口バス乗り場1では既に長蛇の列が出来ていた。これは、陣馬高原下行きバスを待つ行列のようだ。その列に並んでいたら、平日には運行されていない八王子城跡行きのバスの方が先に到着した。前列の客に動きはなく、慌てて列から外れてバスに向かう。発車時の乗客は8人に過ぎなかった。
初めて乗車するバス路線は楽しい。まだ見たことのない光景が目に入るからだ。その楽しみが終わり、7:26、終点八王子城跡バス停に到着。(写真下) |
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[八王子城跡バス停] |
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城跡とは進路方向が逆となるため、まず城主北条氏照の墓に向かうことにする。すると、長い階段が待ち受けていた。(写真下)
...私は、戦国大名の北条氏のファンである。 だが、恥ずかしながら小田原城には、まだ行ったことがない。 |
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[北条氏照墓に向かう] |
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高台の一角に北条氏照の墓は建っていた。(写真下) その左右には家臣の墓らしきものが並んでいる。よく見ると奥にも墓のような物がいくつも見える。墓の横にある説明板を読む。
『東京都指定旧跡 北条氏照及び家臣墓
(前略)〜天正18年(1590)の小田原攻めでは、豊臣秀吉の武将前田利家・上杉景勝らの軍勢に対する家臣中山勘解由らの防戦もむなしく八王子城は落城しました。兄氏政を助けて小田原城にいた氏照も、開城後、兄とともに秀吉から切腹を命じられました。現在ある氏照の供養塔は、勘解由の孫水戸藩家老中山信治が氏照の死後100年忌の追善供養のために建てたものです。両脇には家臣であった勘解由と信治自身の墓もあります。
平成24年3月 東京都教育委員会』
ちなみに現在、氏照の墓所と呼ばれているのは小田原駅東口前の飲食街近くにある。
...この飲食街には箱根の山の帰りに何度も行ったことがあるが、恥ずかしながら墓所には、まだ行ったことがない。 |
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[北条氏照、及び家臣墓] |
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再びバス停に戻ってきた後、山奥に向かう。目の前に八王子城跡ガイダンス施設が現れるが、まだ開館時刻前だった。...これは非常に残念だった。次の機会に入館してみたい。 |
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[ガイダンス施設横を通過] |
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広場の真ん中に設置してあったのが八王子城の屋外模型だ。(写真下) これで八王子城のレイアウトを確認する。 |
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[屋外模型を見物] |
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屋外模型のレイアウトを頭に入れ、管理棟を経由した後、最初に城山川沿いの山腹にある居館地区を訪問する。曳橋を渡り、御主殿の入口となる虎口を通る。(写真下)
綺麗に石段が整備されていて歩き易い。 |
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[御主殿虎口] |
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石段を上がると平坦な広場が目に入る。(写真下左) ここが御主殿が建っていたと言われる場所だ。奥まで歩いて反対側から眺める。(写真下右)
説明板によれば、ここは城主北条氏照の居館があったところで、平成4・5年度、25年度に実施した発掘調査では「主殿」「会所」と推定される大型の礎石建物跡や池を中心とする庭園、敷石通路、水路等の遺構が検出された。主殿では政治向きの行事が、会所では宴会などが行われたと考えられている。目の前には、それらの礎石が並んでいた。
なお、後日色々調べたら、目の前に見えた礎石は、イメージ石で、本物の礎石は、地表から60p下に眠らせたままにしてあり、その本物の真上にイメージ石を置いているとの事。 |
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[御主殿跡] |
[奥からの御主殿跡] |
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御主殿跡を出て、城山川に近づくと、滝があり、御主殿の滝と呼ばれている。(写真下) 説明板では、天正18年(1590)6月23日の豊臣秀吉の軍勢による攻撃で落城した際に御主殿にいた女性や子供、将兵たちが滝の上で自刃し、次々と身を投じたと言われている。その結果、その血で城山川の水は三日三晩、赤く染まったとの言い伝えが残っている。 |
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[御主殿の滝] |
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居館地区の訪問を終え、管理棟に戻ってきた。(写真下) ここで外に設置されてある八王子城の縄張などの説明板を再度読んだ後、いよいよ要害地区(山頂や尾根)に向けて出発。なお、この時間帯になると他の観光客やハイカーを見かけるようになる。 |
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[管理棟(會所)] |
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舗装路から山道になる所で大きな看板が目に入る。(写真下) ここから、いよいよ登山を兼ねた城跡見物スタート。 |
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[本丸を目指す] |
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鳥居をくぐると、細い道幅の階段状の登りが続いている。樹林に囲まれ、周りの景色が見えない。黙々と登ると、尾根の先端のような平坦地に出た。(写真下)
右手に金子丸という説明板を見つけた。
『金子丸
金子三郎左衛門家重が守っていたといわれている曲輪です。尾根をひな壇状に造成し、敵の侵入を防ぐ工夫がされています。』 |
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[金子曲輪] |
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9:01、柵門跡を通過し、山道を進むと、9:10、左手に樹林が途切れて展望が広がった。(写真下) 霞んでしまい、遠景がハッキリしない。だが真下に先ほどの特徴ある建屋のガイダンス館が見えていたので八王子方面の市街地と推測。 |
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[左手の視界が広がる] |
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さらに進むと、八王子神社の前に出た。(写真下) 神社横の案内板には以下のようなことが書かれてある。
『「八王子市の名の由来」といわれているのが、この八王子神社です。延喜16年(916年)、妙行という僧が庵を立て、牛頭天王と8人の王子を祀って「八王子権現」と称したことが八王子神社の由緒だと伝えられています。北条氏照がこの地に城を築いた際に守護神として八王子権現を祀ったことで、この城が「八王子城」と呼ばれるようになりました。(後略)』
悠久の歴史を持つ八王子神社だが、外側の建屋(覆殿)が新しい。調べてみたら、2019年の台風でイチョウの大木の枝が折れて覆殿の屋根を破損したため、2022年7月に修復されたようだ。 |
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[八王子神社] |
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神社の右奥の山道を登っていくと、頂上に着いた。 ここが本丸跡だった。周囲は樹林に囲まれ、殆ど視界は期待できない。左から「本丸跡」という標柱、「八王子城本丸址」という石碑、そして社殿が建っていた。(写真下)
説明板には、以下のように記載されている。
『本丸跡
城の中心で、最も重要な曲輪です。平地があまり広くないので大きな建物はなかったと考えられています。ここは、横地監物吉信が守っていたといわれています。』 |
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[本丸跡] |
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本丸から下りてきて松木曲輪に向かう。今日は土曜日ということで多くのハイカーに出会う。松木曲輪に着くと、ここには大きな石碑が2つ建ち、展望が素晴らしい。(写真下)
説明板の文字を追う。
『松木曲輪
中山勘解由家範が守っていたといわれている曲輪です。中の丸とも二の丸とも呼ばれていました。(中略) 前田利家の軍勢と奮戦しましたが、多勢に無勢で防ぎきれなかったといわれています。この時の家範の勇猛ぶりが徳川家康の耳に入り、その遺児が取り立てられ、水戸徳川家の家老にまでなりました。』
調べたところ、遺児というのが子の中山照守、中山信吉の兄弟で、次男の信吉は後に水戸藩附家老となり、信吉の子が北条氏照の墓での説明文に出てきた中山信治で、この人も水戸藩附家老だった。 |
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[松木曲輪] |
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松木曲輪からは南側の高尾山方面が見えている。稜線上に何やら建屋が見えていたので調べてみると、ビアレストランあたりの建屋だと判明。(写真下) |
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[高尾山方面] |
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松木曲輪から急な下りを経た後、緩い登りになる。最後にヨイショと登りきると、尾根上の小ピークのような箇所に出た。(写真下) ここには、「八王子城天守閣跡」という石柱や「詰の城」と書かれた標柱が立っていた。どうも「天守閣」というのは盛っている表現と思われる。いろいろ調査をしているが、瓦は見つかってないらしい。だが、ここが八王子城域の西端部であることは間違いないようである。 |
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[詰の城(天守閣跡)] |
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詰の城を出発することで、八王子城跡見物は終了。富士見台という道標に案内され、相変わらず樹林帯の中を進んでいく。
10:30、富士見台の丁字路に到着。(写真下) 富士山は?と思ったら、左手に少し進んだところで富士山が見えますよと、すれ違ったハイカーに教えてもらった。 |
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[富士見台の分岐点] |
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左手に少し進むと、富士見台という標識が立っていた。そこで右手に視線を移すと、見事、雪に覆われた富士山が眺められた。(写真下) ちょっと霞がかかっているが、今の時季、仕方がない。いつの間にか周囲には16人ぐらいの団体さんが到着していて、「ここで富士山が見えなかったらショックだわ〜」という声が聞こえてきた。どうやらこの北高尾山稜は、視界がよくないらしい。 |
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[富士山の眺め] |
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富士見台から引き返し、西側に進む。いよいよ北高尾山稜歩きとなった。少し登って杉沢の頭のピークを通過する。(写真下) ここには三角点あり。 |
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[杉沢の頭] |
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杉沢の頭を登ったかと思ったら、すぐに下りとなる。先ほどの団体さんが下っているのが見えた。(写真下左) 高度差70mを登り返すと、高ドッケ頂上に着いたが、なんとも地味なピークで林野庁の標柱に手書きで小さく「高ドッケ560m」と書かれてあるだけ。これでは、高ドッケと気がつかないで通り過ぎる可能性大だ。(写真下右)
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[杉沢の頭からの下り] |
[高ドッケ頂上] |
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高ドッケの次は、板当山を越えていく。60mぐらい下ると道が3つに分かれた。左に経路。真ん中の尾根筋に登山道。右に林道が走っている。(写真下)
ここは、真ん中を行く。 |
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[道が3本となる] |
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そろそろ狐塚峠だと思って歩いていると道標に出合う。(写真下) 左に分岐路があり、よく見たら道標の柱に「狐塚峠」と記されてあった。ここが峠?と思ってしまった。 |
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[狐塚峠] |
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狐塚峠から小ピークを2つ越えると緩い下りとなる。(写真下左) さらに進むと正面に小ピークが見えてきた。(写真下右) あれが杉の丸のようだ。また登るのかと思うとちょっとウンザリ。
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[植林帯の下り] |
[正面に小ピーク有り] |
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12:29、杉の丸頂上に到着。標柱に「杉の丸」のプレートあり。ここで腰を下ろし昼食とした。すると、先程から抜きつ抜かれつつの団体さんが目の前を通過していった。
ここまで幾つかのピークを越えてきたが、確かにピークと言えども視界は広がらず樹林だらけの地味な頂上が続いている。富士見台で団体さんから聞こえた会話が思わず蘇る。 |
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[杉の丸] |
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12:44、杉の丸を出発し、次のピークである黒ドッケを目指す。高度差40m下った後、再び40mを登り返す。段々と登りがキツく感じてきた。(写真下) |
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[黒ドッケへの登り] |
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12:54、黒ドッケ頂上に到着。ここも杉の丸同様、道標の柱に黒ドッケと書かれたプレートがあった。(写真下) 今日は、まだ陽が高いのだが、このまま北高尾山稜を歩いても中途半端な感じがしたので、ここで北高尾山稜から離れ、夕焼小焼の方に下ることにした。 |
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[黒ドッケ] |
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黒ドッケを出発し、夕焼け小焼けふれあいの道という尾根筋の道を行く。この尾根は、見事なくらい植林オンリーだった。(写真下) 左右の視界も完全に遮られている。 |
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[夕やけ小やけふれあいの里へ向かう] |
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13:35、478m地点に到着。(写真下) だが、この辺りも一面、植林だらけ。 |
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[478m地点] |
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いよいよキャンプ場エリアに入ったかと思ったら、クシャミ連発となる。尾根歩きの時は、鼻水レベルだったが、この辺り、かなり花粉が舞っているようだ。14:12、キャンプ場に下りてきた。(写真下)
ここからバス停を目指す。 |
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[ふれあいの里キャンプ場] |
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意外とバス停はキャンプ場から遠かった。バス停には14:20到着。次のバスは14:39。だが、バスを待っていると少し早めにバスがやってきてビックリ。聞けば、このバスは臨時便でノンストップで高尾駅に行くとのこと。ということで乗車したら、幸いにも座ることができ、快適な帰路となった。 |
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[夕焼小焼バス停に到着] |
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八王子城山は、曲輪がいくつもあり、また本丸から詰の城に続く道には堀切などもあり、山城見学として大変興味深く歩けました。
ですが、今回、前半に八王子城跡の見学を入れましたので、後半の山歩きが時間的に中途半端になってしまいました。そこで、今回は途中でエスケープし、日を改めて北高尾山稜を端から端まで歩いてみたいと思っています。
また、尾根歩きでは、鼻水が止まらず、下山間近にクシャミ連発、帰りのバスを高尾駅で降りた途端、もう目が痒くて仕方がありませんでした。花粉が相当舞っており、私にとって試練の時季となっています。
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※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。
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