トップページ他山域山行リスト>身延山_記録20250324


身延山

 山行日
2025年3月24日(月) 曇        同行者:「山の会」メンバー 5名
 コース
身延山バス停(9:58)〜(10:02)三門(10:10)〜(10:24)久遠寺(10:40)〜(11:29)大光坊(11:35)〜(12:23)法明坊(12:30)〜(12:54)奥之院思親閣(13:07)〜(13:11)身延山北側展望台(13:20)〜(13:23)身延山東側展望台(13:39)〜(14:05)追分感井坊(14:09)〜(14:21)千本杉〜(14:52)松樹庵(15:00)〜(15:20)妙石坊〜(15:46)三門〜(15:51)身延山バス停
 今回は「山の会」で山梨百名山の一つで、かつ日蓮宗総本山久遠寺の山号となっている身延山に行ってきました。身延山は日本仏教三大霊山の一つで、残りの2つは、延暦寺が天台宗総本山となっている比叡山、金剛峯寺が真言宗総本山となっている高野山です。
 詳細は以下をご覧下さい。


 埼玉・東京方面から来る他メンバーと同じルートで移動することとし、中央線特急あずさ1号に乗車。甲府で特急ふじかわ4号に乗換え、身延で下車する。そこからバスに乗車し、身延山バス停に到着。(写真下) この先、日蓮宗総本山身延山久遠寺を訪問するためか、やや緊張気味。深呼吸した後、厳かな気分で歩き始める。
[身延山バス停に到着]

 車道を歩いていくと、突如、巨大な三門(注1)が目の前に現れた。(写真下) 見上げるような高さで、門がこれほど大きいとは予想外。思わず立ち止ってしばし見入ってしまった。
 この門の前で靴の紐を締め直したり、出発準備を行う。
(注1)
 仏教では「空」「無相」「無願」の三つの境地から解脱して覚り(涅槃)に至るという教えがあります。久遠寺は本堂を涅槃の世界と位置付けているため、本堂の正面に立つこの門は三解脱を経て涅槃に至る意味合いから「三門」と呼ばれます。間口23m、奥行き9m、高さ21m、総ケヤキ造りの堂々たる門は、京都の南禅寺、東福寺と並んで「日本三大三門」の一つに数えられています。
 Webサイト「やまなし歴史の道」から引用
[三門の前で出発準備]

 三門をくぐると、今度は直線状の石段が見えてきた。(写真下) う〜む。この寺の構成要素は素晴らしい。巨大な建築物の次は、長い石段だ。287段あるらしい。
 石段の入口には、御年配の方、心臓の弱い方、体調の勝れぬ方は男坂や女坂を御利用下さいと書かれた案内板があったが、ここは全員、石段を選択した。
[石段(菩提梯)が見えてきた]

 この石段は、菩提梯と呼ぶらしい。だが、これは手摺がないと本当に危険だと思った。
 登り切れば涅槃に達するという意味の梯は、南無妙法蓮華経の7字になぞらえ、7区画に分けられているとの事。その分けられた踊り場で小休止しながら上っていく。(写真下)
[菩提梯を上る(振り返って撮影)]

 約10分かけて石段を終えたら、巨大な本堂がドーンと視界に飛び込んできた。(写真下) これまた新しくて立派な建築物だ。個人的には三門、菩提梯、本堂とを連続的に見せる演出に痛く感動。また、本堂手前左に建っている五重塔も存在感があった。
[身延山久遠寺本堂]

 五重塔の先に見える山の頂上あたりを眺めたら、ロープウェイの駅を発見。身延山の頂上が見えているようだ。(写真下) だが、残念ながら遠景は霞がかかっていてクリアに見えていない。
[身延山の頂上が見えていた]

 本堂を参拝した後、境内を右に進む。久遠寺は、しだれ桜が有名で、その混雑を避けるために今回わざわざ平日の月曜に山行を決めたのだが、しだれ桜に対しては、少し訪問タイミングが早すぎたようだ。まだ蕾が開き始めたぐらいで満開の手前という感じだった。(写真下左右)
[しだれ桜その1] [しだれ桜その2]

 一通り、本堂や拝殿、仏殿の方まで周回した後、本堂の左奥からロープウェイ駅の横を通り、奥之院参道 東コースに進む。いよいよ山頂を目指すルートに入るが、参道は舗装されていた。(写真下)
[奥之院参道東コースを出発]

 しだれ桜には早すぎたが、ミツマタはちょうど見頃で何度か花を見かける。(写真下) 黄色の花から香ばしい匂いが漂う。
[ミツマタが満開]

 11:29、大光坊に到着。参道を50分歩いてきたので小休止。(写真下左) 今日は平日のせいか他の登山者を全く見かけない。ここの大黒堂に祀る大黒天は日蓮上人作と伝わっている。(写真下右) なお、ここには他に三光天子を奉っている三光堂というお堂が奥に建っていた。
 (参考文献:身延山大光坊 サイト)
[大光坊] [大黒堂]

 11:35、大光坊を出発すると道が未舗装に変わる。左に二十六丁の石柱を見つけた。(写真下) 山頂が五十丁らしい。 
[二十六丁の石柱]

 11:55、突然、右手の視界が広がった。薄らと眼下には富士川が見える。(写真下) 方角としては北側(富士川の上流側)を眺めていることがわかった。ということは...と、右側の対岸の山の上を眺めたら、薄らと富士山の頭あたりが見えていた。だが、カメラでは設定をいろいろと変えてみたが、写すことは出来なかった。...非常に残念。
[富士川を見下ろす]

 三十八丁の石柱を過ぎてから尾根筋が急になってきて、道がクネクネと曲がり始める。四十丁の石柱を過ぎると、前方に建屋や道標が現れ、ここが法明坊だとわかった。(写真下左) 軒下にベンチがあるので小休止とした。(写真下右)
 この建屋には日朗菩薩鏡井戸 水屋法明坊という札がかかっていて、日蓮聖人の喉の渇きを潤すために弟子の日朗上人が山頂より下って清水を汲んで聖人に給仕したという井戸が隣にある。
 やがて上空が曇ってきて涼しい風が吹き始める。ちょっと天気が気になってきた。
[法明坊] [雪がまだ残っていた]

 道は岩もなく歩き易い。周囲は杉の大木が目立つ。(写真下) 
[杉林が続く]

 頂上に近づくと立派な建屋が現れた。石段を上り、奥之院思親閣エリアに入る。(写真下)
 『日蓮聖人は身延在山の9年間、故郷のことを思い出されては西谷の草庵より50丁の道なき道を登られ遥かに房州小湊のご両親、師の道善房を追慕されました。』
  (Webサイト身延山久遠寺-奥之院思親閣より)
[身延山奥之院思親閣に到着]

 御手植杉の横を通過。(写真下) 日蓮聖人父妙日・母妙蓮、御師道善坊の追善のために日蓮聖人が植えられたものと伝えられている。
[御手植杉が両側にあり]

 個人的に興味があるので仁王門の仁王像をじっくり見物。(写真下左右) 門の前に説明板が立っている。
『仁王門
 寺域に魔の侵入を防ぐため、二体お金剛力士像を安置する山門です。六浦平次郎入道の建立。天和年間、三十一世日脱上人代に久遠寺本堂前の仁王門(二天門)を移転しました。仁王像は伝運慶作。三十一世日脱上人の開眼です。』
...力強い表情で、これぞ仁王像という感じ。
[密迹金剛(吽形)] [那羅延金剛(阿形)]

 奥之院の一番奥に建つ祖師堂を参拝する。(写真下) すると、ここにきて平日にもかかわらずロープウェイで上ってきた観光客の姿が目立つようになった。
[奥之院 祖師堂]

 奥之院思親閣を抜けて北側の展望台に到着。意外にもここには、まだ雪が結構残っていた。山梨百名山「身延山」の山頂標識を囲んで記念撮影。(写真下) 残念ながら背景は、乳白色だけ。晴れていれば南アルプス白峰三山などが望める展望台だ。
[身延山北側展望台にて記念撮影]

 反対側に歩いていき、ロープウェイ駅傍の展望台でランチタイム。天気が良ければ、富士山が望めるビューポイントなのだが、こちらも遠景は富士川が薄らと見えるだけでパッとしなかった。ランチを終え、今度は西コースで下山する。(写真下)
[奥之院参道西コースに向かう]

 すぐ先で七面山の展望場所に寄り道する。(写真下) だが、近くの七面山ですら雲が湧いてしまい、全く見えず。見えていたのは、すぐ手前の針葉樹林だけだった。
[七面山方面の展望場所]

 奥之院参道西コースを下っていく。まだ雪が若干残っていた。(写真下) 東コースに比べてこちらの方が道幅が広く歩き易い。このルートは、頂上まで車で上れるような道だ。
[奥之院参道西コースを下っていく]

 14:05、追分感井坊に到着。(写真下左) 少し奥に入ると、大きなトレッキングガイドマップがある。(写真下右) それを見ると、ここから西側へ進んでいけば、七面山への登山口に通じているのが分かった。
 調べてみると、ここは、かつては七面山に参拝するための拠点だったらしい。だが、時代とともに感井坊を通って七面山に向かう参詣者は減っていったという。
『追分感井坊
 追分とは分岐点のことで、(登ってきた場合)ここから右に進めば奥之院、左に進めば赤沢宿、七面山へと向かいます。この追分にある感井坊は1688(元禄元)年、31世日脱上人によって建てられた歴史ある建造物で、六老僧(日蓮が臨終の際に指名した6人の弟子)の一人である日朗上人作の帝釈天を祀る帝天堂があります。また日蓮聖人が明神の夢を見た際に湧き出たと伝えられる井戸もあります。』

 Webサイト「やまなし歴史の道」から引用

[追分感井坊] [トレッキングガイドマップを見る]

 さらに西コースを下っていくと杉の大木、それも樹高のある樹木が目立ってきた。丹沢では見たことのない高さだ。これは、一見の価値があると思えた。(写真下)
[千本杉エリアに入る]

 14:21、千本杉の道標の前に立つ。(写真下)
『千本杉
 (前略) 約0.8ヘクタールの土地に樹齢250年以上の巨木が約260本並ぶ様子は神々しく、荘厳な雰囲気が漂います。木の大きさは個体差がありますが、幹の周囲が3m前後のものが多く、なかには5mを超えるものも。「千本杉」は山梨県指定天然記念物に指定されているほか、「山梨の巨樹・名木100選」、「やまなしの森林100選」にも選ばれています。ちなみに2008(平成20)年に再建された久遠寺の五重塔は、この場所の杉が使われています。』

 Webサイト「やまなし歴史の道」から引用
[千本杉の道標]

 頂上からここまで林道と参道は重なっていたのだが、途中で林道と参道が分離する。林道は大きく迂回しているので参道を下っていく。参道は道幅が若干狭い。(写真下)
[参道を進む]

 14:51林道に再び合流した。その後、林道と参道がまた分離し、参道を歩いていくと松樹庵に到着。ここで小休止。(写真下)
『松樹庵
 (前略) 松樹庵が立つのは、日蓮聖人が奥之院登詣の途中で松の木に袈裟をかけたと伝えられる場所。建物は1704(宝永元)年に創建されたもので、現在も2月に水行などを行う「1日荒行」が行われています。』

 Webサイト「やまなし歴史の道」から引用
[松樹庵にて小休止]

 松樹庵を出発し、参道を下っていく。(写真下)
[参道を下っていく]

 再び林道と合流するが、林道が遠回りとなるので、参道が再び分離する。その後、参道は林道を横断したりして、どんどん下っていく。
 15:20、妙石坊に到着。(写真下)
『妙石坊
(前略) 妙石坊は学禅院日逢上人が文禄年間に開いた場所で、かつては妙石庵と呼ばれていましたが、1862(文久2)年に現在の名称に変わりました。この場所には祖師堂があり、元禄年間に江戸の講中からの寄進で造られた唐銅日蓮聖人像が祀られています。祖師堂の丸堀天井は江戸後期の名工として知られる彫刻家、小沢半兵衛の手によるもの。境内には、日蓮聖人が腰かけて説法をしていたと言われる「高座石」が残されており、この石に座って日蓮聖人が布教をしていたときに七面大明神が聖人に促されて龍の姿で現れ、七面山の方に飛んで行ったという伝説が残っています。』

 Webサイト「やまなし歴史の道」から引用
[妙石坊に到着]

 妙石坊を抜けると車道に出た。すると、ここにきて雨がポツリポツリと降ってきた。そのうち無視できなくなるほどの本降りとなったので傘やレインウェアを取り出す。(写真下左) その時、正面に満開の桜を見る。(写真下右)
[傘やレインウェアを取り出す] [桜が満開]

 歩いてるうちに幸い雨が小降りとなった。傘を差しながら歩くと宿坊エリアに入った。(写真下)
[雨は小降りとなる]

 途中、しだれ桜が満開だった。久遠寺境内ではまだ満開でなかったが、この辺りのしだれ桜は今がまさに見頃となっていた。(写真下)
[しだれ桜]

 15:46、再び三門に戻ってきた。(写真下) だが、雨は小雨ながらも、まだ降り続いていた。
[三門の横に出てきた]

 15:51、身延山バス停に到着。(写真下) 次のバス時刻は16:05。時間があるのでメンバーの2人が生湯葉を買いに近くの店に向かう。
[身延山バス停に到着]

 帰りもメンバーと同行し、甲府経由で帰路につく。(写真下)
 [身延駅で特急を待つ]


 身延山は、登山道が整備され、非常に歩き易い山というのが印象的でした。そして頂上まで歴史・伝統を感じさせる仏閣があり、興味をそそられながら登ることができました。しかし、今回、富士山や南アルプスがハッキリ望めなかったこと、久遠寺境内のしだれ桜が開花前だったこと(3/27に満開)。これらはとても心残りとなりました。いつか七面山に登ることがあれば、その帰りに再度立寄ってみたいと思っております。



※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。