トップページ>他山域山行リスト>龍崖山・柏木山_記録20250426

2025年4月26日(土) 曇 |
同行者:「山の会」メンバー 8名 |
飯能(8:02)〜(8:17)割岩橋〜(8:29)大河原〜(8:41)龍崖山公園入口(8:47)〜(8:50)龍崖山登山口〜(9:16)燧山〜(9:25)見晴し台テラス(9:31)〜(9:35)龍崖山(9:46)〜(10:00)八耳堂(10:05)〜(10:21)茜尾根道コース入口〜(10:23)茜台自然広場(10:31)〜(10:50)赤根ヶ峠分岐点〜(10:54)柏木山分岐(富士見の丘)(11:00)〜<シダの道・女坂>〜(11:28)柏木山(12:01)〜<フェンスコース>〜(12:10)柏木山分岐(富士見の丘)〜(12:13)赤根ヶ峠分岐点〜(12:27)ジャンダルム(12:31)〜(12:43)茜台自然広場(12:49)〜(12:51)茜尾根道コース入口〜(13:06)ドレミファ橋(13:10)〜<入間川河原歩き>〜(13:28)中平河原(13:31)〜(13:40)大河原〜(13:52)飯能河原〜(13:57)割岩橋〜(14:11)飯能 |
今回は、「山の会」山行にて奥武蔵の低山巡りをしてきました。
詳細は、以下をご覧下さい。 |
今回は、西武池袋線飯能駅改札口が集合場所だ。龍崖山、柏木山も入間川右岸の山である。初訪問なので楽しみだ。集合時刻に全員が揃ったので予定通り出発する。(写真下) |
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[今回は飯能駅がスタート] |
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車道歩きを続けること約40分、ようやく龍崖山公園入口に到着。そこで小休止した後、登山口に向かう。(写真下) 右側は沢だったような地形だが、埋立工事がされたようだ。 |
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[龍崖山登山口に向かう] |
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8:50、登山口に到着。はんのうハイキングコース案内図が立っている。(写真下) この辺りはハイキングコースとして整備されているようだ。ここからいよいよ登山道となる。 |
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[はんのうハイキングコースの案内板] |
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自然林に入っていく。やはり道はハイキングコースということで明瞭だ。登りが続く中、小さな立札を見つけた。(写真下) このコースは、ちふれASエルフェン埼玉(女子プロサッカー)の非公認・非公式トレーニングコースらしい。WEリーグに参入しているこのチームを調べてみたら熊谷がホームスタジアムだったが、飯能には練習拠点があり、それがこの近くの茜台という場所だと知った。それゆえ、本当にこのコースでランニングしているのではないかと思えた。 |
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[ちふれASエルフェン埼玉の小さな看板] |
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せっかく小ピ―クを登ったのに高度差30mぐらい下っていき、最低鞍部の小沢を渡る。(写真下) その後、再び登りとなる。低山でよく見かけるパターンだ。 |
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[鞍部となる沢の橋を渡る] |
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9:12、展望地に出た。正面奥には特徴ある形の大岳山が薄らと見える。(写真下) 手前の平地には工場が立ち並んでいる。帰宅後、調べたら「飯能大河原工業団地」というエリアで、手前に見える緑のグランドが先ほどのちふれASエルフェン埼玉の練習グランドだった。
...偶然、グランドが写っていた。 |
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[大岳山が見えた] |
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燧山という龍崖山の前衛のような山を通過。(写真下) 山頂標識がポツンと立っていた。この後、やはりというか下りとなる。 |
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[燧山] |
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再度登り返すと、展望地に出た。見晴し台テラスという名が付いていた。先ほどの展望地より、140mぐらい北北西に進んでいる場所だ。それゆえ遠景の眺めは、先ほどとそれほど変わらない。それよりも手前の斜面に咲いていた薄紫の花が気になった。(写真下)
どうも桐の花らしい。
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[見晴し台テラス] |
[桐の花?] |
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見晴しテラスを出発し、富士山見晴台という立札を見る。だが富士山は全く見えてなかった。その後まもなく龍崖山頂上に到着。(写真下) 頂上は広く、平地になっていた。ほぼ360度が見渡せ、ベンチもあり、休憩場所には適した所だ。 |
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[龍崖山頂上] |
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山頂のほぼ中央に山頂標識が設置されていた。(写真下) |
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[龍崖山山頂標識] |
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遠景は見渡せるのだが、あいにく曇り空で霞んでいて眺めはイマイチ。ただ面白い竹筒を見つけた。覗くと竹筒の横に書かれた山が見える仕組みになっている。(写真下) |
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[竹筒の方向指示板] |
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9:46、龍崖山を出発。柏木山に向かうために植林帯を下っていく。(写真下) |
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[植林帯を下る] |
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10:00、八耳堂に到着。(写真下) ここにはトイレがあり、休憩中に説明板を読む。
『八耳堂と軍荼利神社
八耳堂は真言宗の寺・金軸山無量院金蔵寺の仏堂で太子堂とも呼ばれている。本尊は聖徳太子(厩戸皇子)を祀り、保元年間(1156〜1158年)に建立されたといわれているが現在の建物は文政三年三月(1820年)に再建したものである。...以下略』
再建といっても江戸時代の文政三年だ。もう200年ぐらい経っていることに驚きを禁じ得ない。八耳堂の右に建っている宝篋印塔には、以下の説明板が立っていた。
『飯能市有形文化財指定 八耳堂宝篋印塔及び銅板経ほか塔内納入品
平成七年九月宝篋印塔の解体修理のとき塔身部に銅板経、舎利種子墨書等が納入されていたのが発見された。銅板経は漆書きされ、こうした一括納入品は全国的にも類例が少なく当時の信仰形態を知るうえで貴重である。なお、本納入品類は飯能市郷土館に保管されています。 平成十年卯月 金蔵寺檀家』 |
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[八耳堂と宝篋印塔] |
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一旦車道に出る。(写真下) 民家が点在している車道歩きが続く。 |
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[柏木山に向かう] |
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Uターンするようにして高度を稼ぐ坂道を歩き、茜台自然広場にて小休止。(写真下) ここは、緑一色でいつまでも休んでいたいと思える場所だった。 |
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[茜台自然広場] |
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茜台自然広場を出発し、あかね尾根ハイキングコースを進む。緩やかな谷状を登っていくコースだ。(写真下) 前方は新緑が鮮やかだった。晴れていればもっと映えただろう。 |
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[前方の新緑が鮮やか] |
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富士見の丘という立札が立っている所で小休止。本来であれば、文字通り富士山が見えるのだろう。だが、先ほどの富士山見晴台と同じで、今日は富士山は全く見ることができなかった。(10:54〜11:00) |
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[富士見の丘にて] |
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その後、タブノキの森というエリアを通る。小さな案内板には、タブノキの大木、空洞の樹、岩抱きの樹、巨大蔓、マメヅタ自生岩などが示されていたが、どの樹がそうなのか分からない。
帰宅後、どれがタブノキの大木かと調べたら、辛うじて1枚の画像に写っていた。(写真下) 知らない間に通り過ぎていたのだ。 |
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[タブノキの大木] |
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11:28、柏木山頂上に到着。(写真下) 標高303m。本日の最高地点だ。ここでランチタイムとした。 |
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[柏木山山頂に到着] |
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柏木山は、「はんのうハイキングコース」から外れているため、龍崖山コースで見かけたような大きなハイキングコース案内図はなかった。その代わり、山頂には柏木山付近の登山道マップが掲げてある。(写真下)
結構、コースが複雑なのでメモ代わりにデジカメ撮影。 |
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[柏木山頂上でのガイド案内板] |
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遠くを見渡すと、龍崖山の時よりも、いくらか見えるようになっていた。まずは西側の川苔山方面を眺める。(写真下) ひと際高かったのは、川苔山だった。その右手には棒ノ嶺が見えていた。 |
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[西側方面] |
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続いて北西側。(写真下) 右半分が極端な急斜面に見えているのが武甲山だ。その左(南側)で高く聳えているのが大持山だった。 |
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[北西方面] |
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山頂には、ユニークな木材加工の人形が飾ってあった。(写真下) この人形、今まで大勢のハイカーに撮影された事だろうと思いながらシャッターを押下。 |
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[木材人形を見つけた] |
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12:01、柏木山を出発。本来ならば、赤根峠を通り、ぐるっと大周りする予定だったが、今日は15時以降、天気が崩れる予報であったため、リーダ判断で赤根峠をパスし、小さく周って下山することになった。ということでフェンスコースを下っていく。(写真下)
なお、このフェンスの左側は樹林で殆ど見えないが人の声が聞こえ、ゴルフ場だと気がついた。 |
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[フェンスコースを下る] |
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なるべく同じルートを通らないようにして帰路は、あかね尾根ハイキングコースを通らずジャンダルム尾根コース(北コース)を歩く。
12:27、ジャンダルムに到着。(写真下) ここでも竹筒を見つけた。覗いて見える山は、棒ノ嶺、日向沢ノ峰、蕎麦粒山、大持山、武甲山、天覚山だ。ちなみにジャンダルムとは尾根上の通行を邪魔する岩を指すらしいが、ここでそんな障害物を見た記憶がなかった。 |
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[ジャンダルムにて] |
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再び茜台自然広場に戻ってきた後、車道を歩き、入間川に向かう。河畔に降り立った所がドレミファ橋。(写真下) ここは橋と名が付いているが、実際は飛び石だった。ここから橋を渡らずに下流方面に河原を歩くコースに入る。 |
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[ドレミファ橋にて] |
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河原を進み、兎岩の前に到着。(写真下) 兎岩とは、ナイスネーミングと思えた。この後、汽車渕を通り、中平河原まで河原を歩いていく。 |
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[兎岩] |
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河原歩きを終えて飯能駅へと車道を進む。(写真下) |
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[大河原付近] |
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時間がまだ早いということもあり、再び河原に下りて飯能河原を行く。(写真下)
現地の説明板を読むと、入間川上流地域では少なくとも江戸時代中期以降には山に計画的に植林を行い、育てて伐採した材木を筏に組んで江戸に流していたという。飯能河原では上流から下ってきた筏1枚もしくは2枚がつなぎ合わされた。これは、この先、川幅が広くなり流れも緩やかになるためだ。また、筏師のための宿も対岸(河原町)にあったという。だが、大正4年、武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)が開通すると鉄道輸送が始まり、飯能までの筏流しも荷車やトラック輸送となり、筏流しは、大正末から昭和初期に姿を消したらしい。 |
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[飯能河原に寄り道] |
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14:11、飯能駅に戻ってきた。(写真下) どうにか雨に降られず山行を終えることができた。この後、反省会を駅前近くの店で行なっていたら、突如、雨が降り始めた。なんとタイミングのいい到着だったかと、本降りとなった雨を見ながら冷えた生ビールを味わった。
...ちなみに店を出るときは、雨は止んでいた。 |
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[飯能駅に到着] |
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初めて飯能駅近くの低山を歩きましたが、遠景の山を眺めたり、入間川の河原歩きなど変化に富んだコースで楽しめました。この辺りは冬に訪れ、澄み切った青空の下、富士山をはじめ、奥多摩や秩父の山々を眺めるのが最高ではないかと思いました。
...ちょっと横浜からだと遠いのですが、飯能であれば、なんと奥多摩より時間的に近いことに気がつきました。
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※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。
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