トップページ>他山域山行リスト>関八州見晴台_記録20250511

2025年5月11日(日) 晴 |
同行者:「山の会」メンバー 9名 |
西吾野(9:05)〜(9:18)パノラマコース分岐点〜<萩ノ平コース>〜(10:06)石地蔵(萩ノ平)〜(10:23)不動滝・白滝・大滝分岐点〜(10:38)高山不動尊(10:48)〜(10:54)不動三滝分岐点〜(10:58)関八州見晴台分岐点〜(11:09)関八州見晴台入口〜(11:21)関八州見晴台(11:56)〜(12:00)関八州見晴台入口〜(12:07)関八州見晴台分岐点〜(12:10)不動三滝分岐点〜(12:14)大峠〜(12:16)不動滝・白滝・大滝分岐点〜(12:30)石地蔵(萩ノ平)〜<パノラマコース>〜(13:18)パノラマコース分岐点〜(13:33)西吾野 |
7年ぶりに関八州見晴台に行ってきました。前回は2月でしたが、今回は5月という事で新緑の時季は初めてでした。詳細は以下をご覧下さい。 |
今年度の「山の会」山行計画では奥武蔵エリアが何故か多くなってしまった。ということで、先月の龍崖山に続いて今月も池袋から西武池袋線に乗って奥武蔵エリアに向かう。
順調に電車を乗換えることができたので、1本早い電車で西吾野に到着。(写真下) その後、8:52到着の電車が到着し、メンバー10人が揃った。 |
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[西吾野駅にて下車(振り返って撮影)] |
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9:05、予定通り、西吾野駅を出発。駅からの坂道を下り始めた時、正面に桐の花を発見。(写真下) 桐の花は前回、龍崖山にて初めて見かけた花だったが、ここでも咲いていた。 |
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[桐の花が目に入る] |
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西武秩父線を潜って、9:18、右手に道標を発見。(写真下) そのすぐ先で道が分かれ、右手がパノラマコースとなる、だが分岐点には道標が見当たらない。これでは、パノラマコースに行く場合、道に迷いそうだ。我々は、直進していく。 |
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[パノラマコースとの分岐手前での道標] |
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9:21、分岐点にて右折し、細い橋を渡り、萩ノ平コースに入る。(写真下) このコースは初めて通る山道だ。ちなみに舗装路を直進するのは、不動三滝コースに通じている。 |
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[不動三滝コースとの分岐点] |
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植林帯に入ると、緩い登りが続く。足下には、ヒノキやスギの小枝が散乱していた。 |
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[萩ノ平コース登山道を進む] |
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9:54、萩ノ平茶屋跡に到着。ここで小休止。(写真下) 奥には建屋が残っていた。ネットで調べてみると、2009/9時点で、すでに営業を終えていたようだ。ここまで飲料・水等は、下からボッカしたのか。それとも上の林道から運んだのか。営業当時は見晴しがよかったのか。どのくらい登山者が訪れたのか等、いろいろと知りたい事が湧いてくる。
10:01、出発。 |
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[萩ノ平茶屋跡にて小休止] |
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萩ノ平茶屋跡から5分程度で石地蔵に到着。植林帯の平地にポツンと建っている。(写真下) 年号は天保と読めた。ここは、パノラマコースとの合流点ということで、再び小休止。 |
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[石地蔵] |
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石地蔵からも緩い登りが続き、歩き易い。3つの分岐点を通過して、10:31、高山不動の大イチョウの前に到着。(写真下) 大イチョウと言われるだけあって、確かに巨大な樹木だ。説明板には以下のように記されていた。
『埼玉県指定天然記念物 高山不動の大イチョウ
この大イチョウは、県下に誇る巨木で樹高約37メートル、幹回り10メートル、根回り12メートル。樹齢は推定800年といわれている。露出した根には乳と呼ばれる気根が垂れ下がっている。またの名を「子育てイチョウ」といい、昔から産後、乳の出のわるいものが祈願すると、出がよくなることからこの名がつけられたといわれる。幹の一部には文政年間、高山一山が焼失した火災の跡が残り、そのときの火災の激しさを物語っている。
昭和63年3月 埼玉県教育委員会 飯能市教育委員会 高貴山常楽院 』 |
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[高山不動の大イチョウ] |
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大イチョウの横からは、正面に奥多摩の大岳山が見えていた。(写真下) 特徴ある形をした山は目立つので有難い。 |
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[大岳山を望む] |
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大イチョウから石段を登って高山不動尊に向かう。(写真下) 石段は、踏み面が短めで、かつ急で長い歴史を感じさせる。手摺が有難い。 |
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[石段を登り、高山不動尊へ] |
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不動尊に参拝する。(写真下) その後、隣の東屋にて小休止。それにしても巨大な建屋だ。2回目ということで驚くことはなかったが、山中を歩いた後、初めてこの本堂に出合ったら目を丸くしてしまうだろう。
ちなみに神仏混淆の時代、この不動も昔は一山五派といって、この寺を本山とする違った宗派が五つあったという。ある一派は大日如来、ある一派は不動尊、また他のものは神を祀るという、寄せ鍋のような有様だった。だが、明治維新での神仏分離令によって、どの派を残すかが問題となり、結局現在の不動が一番由緒あるものとされて、残されたという。
(出典:ものがたり奥武蔵(神山弘) 岳書房) |
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[高山不動尊] |
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不動尊で小休止した後、東屋の横から北上する山道を進んでいく。7年前には通らなかったルートだ。植林帯の中、久々に登りらしい登りとなった。息が苦しくなった頃、丁字路に出た。(写真下)
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[丁字路に出る] |
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丁字路を右折するとすぐに舗装路(奥武蔵2号林道)に上り、ほぼ水平に東へ進む。(写真下) |
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[舗装路を進む] |
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10:58、左手の登山道に入る。(写真下) 道標には「関東ふれあいの道」の文字があり、ここが埼玉県での関東ふれあいの道のルートだと知る。ここから再び登りとなる。 |
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[関八州見晴台への登山道に入る] |
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途中、丸山の標柱を見かける。奥武蔵登山詳細図(以下、詳細図という)を見たら、小ピークのようだ。奥にツツジの花が咲いていることに気がつく。(写真下) |
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[丸山を通過] |
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一旦、舗装路(先ほどの奥武蔵2号林道)に出て、少し歩いた後、再び登山道に入る。(写真下) 入口には立派な「関八州見晴台入口」の石柱が建っている。(写真下)
...この石柱には、見覚えがあった。 |
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[車道に出た後、再び登山道に入る] |
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登っていくとツツジの花が満開となっていることに気がつく。(写真下) 最初、丸山付近ではヤマツツジが咲いていると思ったのだが、この辺りではヤマツツジとは花の色が違うことに気がついた。 |
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[ツツジが目立つ] |
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ツツジのトンネルを登っていく。(写真下) |
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[ツツジのトンネル] |
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まだまだツツジは続いていた。(写真下) 撮影しながら登るので、どんどんメンバーから離れてしまった。 |
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[ツツジが続く] |
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11:21、関八州見晴台に到着。(写真下) 頂上でもツツジが満開だった。 |
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[関八州見晴台に到着] |
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南東側の視界が広がる。(写真下) 遠方は靄がかかってハッキリしないが、手前に樹林帯の中の白い円形状の建屋がひときわ目立った。西武ライオンズのベルーナドームだ。 |
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[南東側を望む] |
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目を細めて遠方を眺めていたら、東京スカイツリーを発見。早速、望遠で撮影。(写真下) このスカイツリーや富士山が見えると、山に登ってよかったとしみじみ思う今日この頃。 |
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[東京スカイツリーが見えた] |
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ランチタイム前に山頂で記念撮影。(写真下) |
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[頂上にて記念撮影] |
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11:56、頂上を出発して来た道を下っていく。丸山を過ぎ、関東ふれあいの道の道標のある舗装路に出てきた。(写真下) |
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[車道に下りてきた] |
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来た道を戻る様に歩くが、高山不動には戻らず、不動三滝の方へ直進していく。(写真下) |
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[不動三滝の方へ進む] |
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大峠の十字路を直進する。(写真下) 左折は高山不動、右折は不動三滝である。 |
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[大峠(十字路)を直進する] |
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12:30、石地蔵に戻ってきた。(写真下) ここで左折し、パノラマコースへ進む。パノラマコースは以前、登りで通ったことがあるが下りは初めてだ。 |
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[石地蔵を左折する] |
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植林帯の中、急な下りとなる。これを7年前は登ってきたのだが、やはり、今日の萩ノ平コースの登りの方が歩き易いと思えた。 |
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[パノラマコースを下る] |
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急な下りが終わり、緩やかな下りとなった所で小休止。その後、出発。(写真下) |
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[急な下りを終え、緩やかな登山道となる] |
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だいぶ下ったと思った頃、視界が開けた。これがパノラマコースと名付けられた理由?と思いながらしばし立ち止まって眺める。(写真下) 遠くに蕨山方面が見えているようだ。手前のピークは高畑山と判明。 |
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[展望が少し広がった] |
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行きの道と合流し、西武秩父線を潜って西吾野駅に13:33、戻ってきた。(写真下)
ちょうど飯能行きが行ったばかりのタイミング(でも電車の姿は気がつかなかった)で、次の電車は、14:03。ゆっくり駅前で待った後、今回も飯能で反省会となった。
...今回も冷えた生ビールが旨かった。 |
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[西吾野駅に戻ってきた] |
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山中で見つけた花
ホウノキの花に遭遇。山道の下側で咲いていたので絶好のアングルでした。
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開花したばかりのヤブデマリを撮影。 |
※山行時間には、撮影時間を含んでおりますので、ご注意下さい。
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